第17話 ハロルド・オールブライト総領事閣下と、怪しい視線
功牙VSビルギッタという対戦カードが終了した後。
未だ興奮、そして功牙の勝利に嘆く傭兵たちの声が冷めやらぬ中、功牙とビルギッタ、そしてガーランドは集まって、何やら今後の予定について話し合っているようだった。
一方、蓮は千草とエリナに連れられて、演習場の外へと足を向けていた。
「よっ! おつかれ、蓮」
「エド、来てたのか……って、」
そこにエドガーに加え……彼の養父の姿を見つけると、蓮の目が大きく見開かれる。
「――そっ……総領事閣下っ!?」
慌ててぺこりと頭を下げた蓮に対し、「やあ」と言いながら気さくに手を挙げると。
「畏まる必要はないよ。ここに来ているのは、公務ではないからね。今日の仕事はもう終わったんだ」
ハロルドは和やかな笑みを浮かべた。
――ハロルド・オールブライト。
年齢は今年で四十二を数える。
オールブライト家は二代に一度は帝国人の血を取り入れているため、その外見には当然、帝国人の色が濃い。
身長は養子であるエドガーより僅かに低い。蓮からすれば、少し見上げる形となる。
嫌味なく真ん中で持ち上げるように分けられた金の髪に、短く整えられたアゴヒゲが、清潔感を保ちつつも威厳を与えている。
がっしりとした体躯を包むは灰色のスーツ。薄紫のネクタイが高貴な身分を窺わせる。
全明帝国総領事館のトップであり、メロアラントの民からは「総領事閣下」と呼ばれ親しまれている。
メロアラントに移り住んだ帝国人の身分や生活を保証したり、リヴィングストン家と共に帝国との外交にも携わっている。
サンスタード帝国とメロアラントを結ぶ架け橋にして、帝国による悪影響を阻む役割を持つ、国の守り人だ。
しかしその立場故に、危険とは常に隣合わせとなる。
オールブライト家を懐柔しようと近づいてくる帝国貴族や商人は後を絶たないし、跡取りの見合い相手にも、実質的な四華族のトップである蛍光院以上に気を遣う必要がある。
義兄がそれに苦悩していることを知るエドガーなどは、「あー、跡取りじゃなくて良かったー!」と思っているとかなんとか。
更に、帝国からの工作は、そうした婉曲的なものに留まらない。
より直接的に……命を狙われる場合もある。当然、帝国は自分たちが関与したという証拠を極力残さないようにするため、その殆どは立証することもできないのだが。
ハロルドの祖父にあたる名君、ジョナス・オールブライトを襲った不幸な事故などは、帝国が裏で糸を引いていたとまことしやかに噂されているが、それは決して表で話せる類のものではない。
それ故、今もハロルドの周囲には、常に護衛が控えている。ぴたりと寄り添うという程ではないが、大通りの向こう側には、例外なく白いスーツを着用した、体格に優れた男たちが立っているのが見える。
護衛たち、通称“白スーツ”。蓮のように“心眼”を持っていない者であっても、彼らのことは容易に判別できる。清流人らしい水色の髪を持つ人物で構成されている上に、メロアラントでは白いスーツの着用そのものが、オールブライト家の私兵にのみ許された特権であるためだ。
もっとも、ハロルドは「私は歴代の当主に比べて出来が悪くてね。帝国もこんな老い先短い男の暗殺など考えないさ」などと明るく話していたこともあるが。
確かに四十二歳という年齢は、竜の時代においては、普通の人間であればいつ寿命を迎えてもおかしくない年齢ではある。
だが、大陸全土に影響を与えたという金竜ドールの魔法によって現代を生きる人間たちはその能力を大きく向上させられ、黄昏の時代では既に五十を迎えても尚、変わらず壮健なままの人物も多い。
ハロルドにも今のところ衰えの兆候はない。ならばそう悲観することも無かろうと周囲に諫められつつも、己の死を経験したことがある人間など存在しないこともまた事実。四華族ともなれば、常にその時に備えておく必要はある。
彼は油断なく、己の死期が近いものと仮定した上で、今日も子供たちの教育に余念がない日々を過ごしている……という次第だった。
一切オールブライト家の後を継ぐ気が無いエドガーではあるが、自分を拾ってくれた養父に対する感謝は尽きないため、こうして父から受けられる教育は拒まずにいる。
もっとも、今日に限っては、別の目的もあったのだが。
――他ならぬ幼馴染である蓮と千草が戦った、帝国人の男たち。
彼らの為に開かれた領事裁判を傍聴するために、エドガーは四時頃から早起きしてまで、他の仕事を予め片付けていたのだった。
顔を上げ、後ろ頭を掻いた蓮。
「……ハロルドさんは、傭兵たちのどんちゃん騒ぎを聞きつけて来た訳じゃないですよね?」
「うむ、そうだね。まぁ、それはそれで楽しく見学させてもらったが」
蓮の問いに答えつつ。両腕を組んだハロルド。
「蓮君の戦いも素晴らしかったが……君の師匠は本当に規格外だね。まさかSランク傭兵……≪黒妖犬≫のバーリ女史を下してしまうとは」
「お知り合いなんです?」
とは、千草からの問いだ。
「あぁ、≪黒妖犬≫の二人には以前に護衛を頼んだことがあってね。元々頼む予定だった傭兵が都合が悪いということで、ギルドに紹介されたんだが。実にいい仕事をしてくれる」
確かにそういったやむを得ない事情でもなければ、オールブライト家の当主という高貴な人物に対し、初対面の吸血鬼が護衛に当てられることはそうあるまい、とエリナは思った。いや、功牙をはじめとした周囲の人物の態度から、ビルギッタが悪人でないことはもう理解しているので、最早文句などないが。
「功牙さんとも知り合いらしいので、私たちの旅の護衛を依頼することになるようです」
「それなら安心だね」
エリナの言葉に、ハロルドは屈託のない笑みを浮かべた。余程≪黒妖犬≫の二人を信頼しているらしい。
(実力も、人格の方も評価してるっぽいな。……いくらくらいで雇われるんだろう)
正直、蓮には金持ちの金銭感覚がいまいち分からない。アラロマフ・ドール王国の首都ロストアンゼルスまで片道十日ほど掛かるとして、その間の護衛……夜には不寝番を立てて、昼夜を問わず護り続けてくれるのだとすれば……人件費だけでも相当な額になりそうだ。
それに加えて、Sランク傭兵という、それ自体が安く無さそうな肩書き。
(三十万スタルくらいか……いや、もっと高かったりするのか……)
蓮が金銭について思索に耽っていると、エドガーが何やら布を畳み、懐へと仕舞いながら口を開く。
「んで父上、ここに来た本来の目的はいいのか?」
「……あぁ、蓮君に……丁度千草君もいたがね。君が近くに来ているなら、今回の事の成り行きを直接報告しようと思ってね」
ハロルドの言葉に、蓮と千草は表情を真剣なものにした。
事の成り行きとはつまり。
「オレと千草が戦った帝国のスパイのことですよね。どうなったんですか?」
「……今回の場合だと、彼らは二度とメロアラントに足を踏み入れられないという条件で、本国に送還という形になるね。身柄は帝国に預けて、そっちで保護観察してもらうという訳だね」
説明しつつ、ハロルドは注意深く子供たちの表情を観察していた。
帝国人に対するその処罰を、軽いと感じるかどうか。
あるいは、もっと直接的な刑罰を望むのか。
「……それ以上に思い罰を課すかどうかは、帝国任せとなるが。……勿論、顔や指紋はデータとしてこちらでも記録しているし」
幸いにもというか、子供たちの顔に険は無い。子供たちに過度な暴力性を持たせたくないと考え、大切に教育している周囲の大人たちの思惑は概ね上手くいっていると思われ、ハロルドは心中で頷いていた。
「奴らがまたこの国に不法入国して悪さをした場合、その監督責任は明確に、帝国にあることになる。帝国も自分たちの立場を悪くしたくないだろうし、あの男たちが蓮君たちの復讐に来る、なんてことはあり得ないと思うよ」
まぁ、かといってスパイから真っ当な職に転向するとも思えないため、恐らくは本国にて、新たな裏の仕事にでも従事するのだろうが……とハロルドは考えたが、黙っていた。
「結局、奴らの背後にある組織までは追及できないんですよね?」
――それじゃあ結局のところ五年前と同じじゃないか。いつまで経ってもいたちごっこじゃないですか、と蓮は不服そうな顔をする。
「メロアさまのことを……その、アレしようとしてる組織だっていうのに……」
蓮の不服そうな態度も手伝ってか、千草も同調するように重ねた。
もっとも、さすがに人払いをしている訳でもない往来で「水竜メロアを殺害しようとしている」などというセンセーショナルな内容を口にするのは憚られたのか、内容はぼかされていたが。
「あぁ、そうだね……。私としても、裏にある組織を潰してやることができないのは歯がゆいさ。だが、これでも君たちの代に重荷を背負わせることのないよう、我々大人たちも精一杯戦っている最中なんだ」
これからメロアラントと帝国の関係は大きく荒れる。それを認識しているからこそ、大人たちは……。
「どうかもう少しだけ、世界を旅しながら待っていて欲しい。次に君たちに会う頃には、嬉しい報告が出来るように頑張るよ」
「あっ、いえ、ハロルドさんに対して不満なんかありませんよ!」
――オレがこの人の立場だったとして、同じくらい上手くやれる気は全くしないし。と蓮は思い、慌ててふるふると首を振った。
その後、ハロルドの懐でケータイが鳴った。それは仕事を終えたばかりの総領事館からのものでは無かったものの、どうやら用事ができたらしい。
「すまないが、これで失礼させてもらうよ」と、白スーツたちを引き連れて去っていくハロルドの背中を見つめながら。
「……もしかして、今回わたしたちが旅に出ることが許されたのって、今は国内の方がむしろ危険な状況だから……っていうのもあるんですかね?」
千草の疑問に、蓮たちはなるほどと頷いた。
「それはあるかもな。大体、こうやって外部から傭兵を選んでることも、そもそも不思議に思ってたんだよ、俺は」
演習場の方を振り返り、バカ騒ぎしている傭兵たちを見つめながらのエドガーの台詞だ。
「オールブライトの私兵だって、功牙さんだって、それ以外にも俺たちの顔見知りに同行してもらうこともできそうなもんじゃないか。でもそれをしないってことはよ……」
「……メロアラントのことをよく知る強者たちには国を離れず、防衛に当たってもらう必要があるってことか?」
それじゃあまるで、帝国と全面戦争になって、この地が炎に包まれるみたいに聞こえて嫌なんだけど……と、蓮。
「それなら、私たちもここに残って手伝えることを探したい……などと言うのは、傲慢なのでしょうね」
「結局、足手まといにしかならないんでしょうね。大人たちが、わたしたちを守るために戦力を割くことになりかねませんし」
エリナの言葉に、千草もまた同意した。
「法改正によって成人だけはしたものの、オレたちは弱い子供のままだ……」
同世代の多くの者から嫉妬を受ける、戦闘能力に関しては大人顔負けの実力者である蓮であっても、精神面などを含めればまだまだ未熟そのものであり、国同士の戦争に関われるはずもない。
「ま、成人したおかげで大手を振って外国に旅行できる訳だし、法改正については喜んでもいいんじゃねえか?」
「それはそうかもな」
エドガーの言う通りだ。成人した蓮たちは、与えられた身分証明書を提示することで、単身でも外国の関所を越えることができる。
千草だけは法改正後でも未だに未成年扱いなため、一人旅は不可能だが。
(それに関してはオレがしっかり千草を見ていれば問題ないし)
十八歳という年齢にして、未成年の保護者という立場になることによって生まれる責任をまだ蓮は理解していないようで、不安は残るが。
「それにしても、ハロルドさんは相変わらず素敵なオジサマでしたね!」
「ま、息子ながらそこは深く同意するわ」
義理の親子ではあるが、エドガーとハロルドの仲は非常に良好だ。
……そんな、取り留めのない幼馴染たちの会話を聴きながら。
(――父親、か)
蓮は、帰りたくもない実家のことを考えていた。
(会いたい訳じゃないけど、旅立ちの前に一回は顔を出しておかないとか……)
そんな蓮たち……そして傭兵ギルドの演習場に集まった面々を、人知れず観察している視線があった。
蓮の“心眼”はその目で見、認識したものの本質を見抜く能力を持っているが、意識して注視していないものにまで作用したりはしない。
つまり、隠密行動に長けた者に監視されている状況において、その気配や視線を肌で感じ取るような才能までは持ち合わせていない。
相手のいる位置は大通りの向かい、木造住宅の一つ。その二階部分。
締め切られたカーテンを僅かに開け、蓮たちを覗いている。
その部屋には明かりが何もなく、暗がりの中に立つは一人。その手には画面が点灯したケータイが握られ、耳元に当てられている。
「あぁ、こっちでも確認できたよ。確かにコウガ・ホウリュウは、子供たちの旅路には同行しないみたいだね」
感情の起伏を感じさせない、抑揚のない声で状況を伝えたヴィンセント。
彼こそは、サンスタード帝国における特権階級、侯爵待遇である≪四騎士≫の一人、“双槍の騎士”。
代々吸血鬼狩りを生業として生きてきた一族の末裔にして、歴代最強の呼び声高き、≪静かなる破壊者≫。
「これ、もうすぐうちがメロアラントに大々的に仕掛けること、勘付かれてるんじゃないかな」
『――コウガ・ホウリュウが残るのは、防衛のためと言いたいのね』
彼に答えるは、こちらも感情の振れ幅が少ない、女性の声。
同じく≪四騎士≫の一人、“鎖の騎士”ロウバーネ。
現代におけるケータイは、その国内かつ、電波塔の影響範囲でしか通話が出来ない。それは、ロウバーネもまたメロアラントに滞在していることを意味していた。
『あなたにしてはちゃんと考えてるじゃない。一体どういう風の吹き回しなのかしら』
彼女の問いを受け、ヴィンセントは口元を歪める。
「……それは多分、もうすぐ念願の狩りが出来るから、かな」
黄昏の時代になって、吸血鬼イコール絶対悪の式は崩れてしまった。吸血鬼狩りを生業としていたハンターは、最早それ一本で生計を立てることはできない時代だ。
ヴィンセントのような、強者との戦闘による命の危機の中でのみ生を実感できる、所謂戦闘狂たちは、それを深く嘆いた。
幸いにもというか、竜の時代の終わりに起きた≪氷炎戦争≫から始まる、新たなる超種族にして絶対悪。アニマが存在してくれた。
――この五年間でヴィンセントが殺めたアニマの数は、十四名にも及ぶ。
その殆どはどのように殺めても罪に問われないアニマという絶対悪であるだけで、彼を満足させられるような手練れでは無かったが。
魔王グロニクルが先代魔王ルノードの跡を継いだ後、それに同調せず、離反した者たち。
「あの程度の奴らじゃ、到底満足できないんだよねぇ……」
――やはり魔王の元で育てられた、直属の部下でなくては、僕を満たすには足りない。ヴィンセントはそう考え、炎王が潜むという暗黒大陸に遠征する機会を今か今かと待っている。
だが、今は魔人との融和が進む黄昏の時代。いかに帝国陣営であっても、軽々しくベルナティエル魔国連合の本拠地である暗黒大陸へと足を踏み入れることはできない。いたずらに魔国領の面々を刺激するような行為……それこそ≪四騎士≫などという最大級の武力を向かわせるなどいうことは。
『……あなたの持病は知っているけれど。本来の任務を忘れないことね』
「分かってるさ。任務は遂行する。それに加えて……一級品の吸血鬼との戦いを楽しむことくらい、許してくれてもいいじゃないか」
僅かに高揚感を滲ませた声と共に、電話口に聴こえない程度に舌なめずりをしたヴィンセント。
その視線は、吸血鬼ビルギッタ・バーリへと注がれていた。
ギルドの職員から何やら紙コップを受け取り、そこに刺された長いストローをマズルの隙間に通し摂取しているビルギッタ。
「随分と人間界に馴染んじゃってまぁ」
その内に流れる血の真実を、ヴィンセントは知っている。
「父さんがかつて殺しきれなかった、バーリ公……その娘を」
ビルギッタが吸血鬼というベールに隠した、真の力を。
「――僕はこの手で下し、名実ともに父さんを超える」
ヴィンセントの足元で、彼自身のものであるはずの影がゆらりと揺れたが。
(あぁ、はやく。はやく戦わせてくれ……)
それを目にした者は、誰もいない。