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【3章終了後に修正予定】黄昏のイズランド  作者: カジー・K
第1章 出立編 -水竜が守護する地-
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第16話 嫌われ者にはレクイエムを wow


 宝竜功牙(ほうりゅうこうが)


 年齢は二十六。ビルギッタと並ぶと、彼女よりは僅かに身長が高いか。


 清流人らしい水色の髪を腰まで伸ばしているが、後ろの高い位置で括っているため、毛先は肩甲骨を越えたあたりにぶら下がっている。


 お気に入りである菫色の着物はゆったりとしたシルエットを保ち、そこから覗く肉体はどちらかと言えば細身であることが分かる。


 当然、その実力に見合うだけの筋肉が、その中に潜んでいると思われるが……。


 彼の真の実力を知る者は少ない。いや、「自分こそはそれなりに理解している」と思い込んでいる者はいるだろうが。


 しかし、その誰もが、彼が敗北する場面を未だ目にしたことがない。


 それはつまり、()()()()()()()()()()()()()()()()ことを意味している……。


 それでも。


 ――さすがにSランク傭兵の、それも吸血鬼の方に勝てる訳……ねぇよな?


 そうした期待を込め、周囲の傭兵たちが見守る中、功牙は弟子が身に付けていた剣帯を受け取り、肩に通していく。


 腰でしっかりとそれを固定すると、功牙は納刀された二本の木剣のうち、長刀のみを引き抜いた。


 弟子である蓮は初めから右手の長刀、左手の短刀で戦う二刀スタイルだが、師匠である功牙は違う。


 もっとも、蓮の現在の戦闘スタイルは功牙の二刀を真似したものなので、功牙もまた二刀で戦えないという訳ではないのだが。


 少なくとも、今回彼が長刀の一本のみを握ったのは、相手を侮って手加減しているなどといった理由ではなかった。


「僕はもう、いつでも始めて大丈夫だよ」


 右手に握った長刀を身体の前面で、ゆったりと上に……いや、僅かに左斜めに傾けた状態で構えた功牙。


 対する相手……猛犬用のマズルを装着した吸血鬼、ビルギッタは、常人を容易く魅了(チャーム)してのける笑みをにっこりと浮かべると。


「こっちもいつでもいいケド。審判は誰がするのカナ?」


 彼女の両手には、それぞれに握られた木製の短剣がある。


 両足の太腿にベルトで固定されたダガーの方は、鞘ごと引く抜くことは不可能なので、ガーランドのように手持ちの武器で戦うことはできない。そのため、借り物の武器を手にすることになったのだった。


「別に誰に任せてもいいけど。君が納得できる相手……それこそ、ガーランドでもいいし」


「ふーむ……いや、違うネ。やっぱりこうしよう」


 言うと、ビルギッタは振り返り、傭兵たちを見渡すように両手を広げた。


「――この戦いの審判は……いや、審査員は、ここにいる奴ら全員だゼッ! 全員を納得させる、完膚なきまでの勝利を見せてやるよんッ!!」


 普通なら委縮してしまうようないかつい恰好をしているとはいえ、絶世の美女と言ってもいいビルギッタが拳を振り上げると、傭兵たちは「うおおおおっ」と沸き上がった。


 そのうるささは、蓮が思わず耳に手を当てるほど。


「開始の合図だけ、キミに任せるゼッ! 神明蓮ッ!!」


 耳を塞いだ手を容易く貫通して飛び込んできたその要請に、「――えっ」と動揺しながらも。


「――し、試合開始っ!!」


 蓮は即座に、反射的とも言える速度でその宣言を開始していた。


 普通であれば、突然試合開始の合図など任されたなら、もう少しまごつくだろう。蓮としても、後から考えると、自分を褒めたいくらいには面白い状況が作れたと言える。


 蓮が尊敬する師匠である功牙も、歴戦の傭兵であるビルギッタさえも。


 一秒にも満たないものではあったが、


(――ん、アレ? 今のって試合開始の合図だった……よネ?)


(――ははっ、蓮、君の順応は速すぎるよ!)


 もう戦いは始まっているのだ、ということを理解するのに時間を要した。



「――テメェの弟子は、ホンットに面白ェなァ!!」


 先に動けるようになり、地を蹴ったのはビルギッタだった。


 否、功牙も遅れていない。むしろ、既に相手の突撃を待ち受ける体勢に入っていた。


「…………ふっ」


 彼女の叫びには返答せず。ビルギッタによる右の短剣の突き込みを、寝せた長刀で叩き落すように下へ流す。


 すぐさま功牙の胸へと突き込まれる、ビルギッタの左の短剣。観客たちは息をのむ。


 まさか僅か二手で功牙が負けるとは思っていないが。武器に対し、功牙はどう対処するのか。


 左の無手を無造作に前方に差し出したかと思えば。ビルギッタの左手が大きく弾かれる。功牙の左の掌に打ち付けられたのか。


 水しぶきが弾ける。功牙の操る≪クラフトアークス≫だろう。


 ビルギッタの左手からは容易く木剣が弾き飛ばされ、観客の方へと飛ぶ。傭兵の一人がそれを両手でキャッチした。


 その傭兵がビルギッタへと短剣を投げ返すべきか悩み始めるより前に、「いらねェッ!!」と彼女は叫びながら、全身を捻じるように、左回転。


 功牙に左手を弾かれた勢いすらも利用するように、ビルギッタの身体は瞬間的に前後を入れ替え、左足による後ろ回し蹴りが放たれる。


 左腕でそれを受けた功牙の身体が地面を滑る。


 その左腕が使い物にならなくなりそうな勢いの蹴りに見えたため、蓮をはじめとした観客たちは震えたが……ビルギッタの左足と功牙の左腕の間で、青い光が弾けていた。≪クラフトアークス≫を噛ませることで、功牙はその身を守っているのだろう。


 蹴りを受け止め、その衝撃を殺すように足を曲げていた、功牙。その低くなった体勢から、地面を滑るように長刀が薙がれる。


 瞬間、待ってましたとばかりにビルギッタの左足がその長刀を踏みつける。と同時に黒い影が蠢き、ビルギッタ自身の影から立ち上る。


 それはたちまち功牙の長刀を飲み込み――功牙は長刀から手を離し後退した――、沈む。


 まるで、ビルギッタの影の中に、功牙の長刀が取り込まれてしまったかのようだった。


(――相手を引きずり込むのは無理って言ってた割に、相手の武器は引きずり込んでるじゃんかっ!)


 蓮は脳内でそう叫ばずにはいられなかった。


 技術としては可能であり、残る問題は質量なのか。人間一人を捕らえることはできずとも、相手の武器だけを取り込んで封印することはできる。そういうことなのだろうか。


 ――功牙は冷静だった。走り寄るビルギッタを前に、右手で剣帯から短刀を引き抜く。


 基本的に、剣は右手で扱い、左手は補助的な役割に留まるのだろう。功牙をよく知らない者であれば、ここまでの戦いを見てそう判断してしまいそうな流れだ。


 だが、違う。ビルギッタが右手で突きだした短剣を、左半身を後ろに下げながら、右手の剣で外側へ押し出す功牙。


 それと同時に、功牙は左手を曲げ、自らの後頭部へと向けると。


 ぷつっ、と。音こそ誰にも聴こえなかったが、彼は確かに、纏められた自分の髪の毛の中から、数本を千切っていた。


 そして、それを握った手が再び前へと戻された時……それは変貌していた。


 透明な水を滴らせる、しかしその内に紺色の芯を持つ光の剣。功牙はそれを持って、目にも止まらぬ速さで内側へ、そして外側へと二連撃を放った。


 ビルギッタの右手に残っていた短剣の片割れも弾き飛ばされ、彼女は徒手空拳となる。


 彼女は左手を前方で振りながら、黒翼を撒き散らしたのか。功牙の髪を喰い、それを元に輝きを放っている――そうとしか思えない状況だ――水の剣による斬撃を防ぎ……否、功牙の狙いは別にあった。


 功牙の左手による二連撃は、ビルギッタの身体へと向けられたものではなかった。その、更に下。


 本来ならその刃が届く筈もない場所。水の剣は、大量の水を滴らせるようにその刀身を伸ばし、ビルギッタの脚には影響を与えることなく……その影を切り裂いていた!


 太陽を吸って輝く水に、照らされたかのように。ビルギッタの影が分けられ、その中から長刀が飛び出す。


 ――先程奪われた、功牙の木剣だった。


 功牙の右足が閃き、宙に浮かんだその木剣の底を蹴り飛ばす。神がかった精度により、切っ先をビルギッタへと向けて撃ちだされる木剣。


 ビルギッタは既に黒翼による防御態勢を取っていたが、柔らかい布を突き破ろうとするように、木剣が内側へと突き出す。


 僅かに破れた黒翼の膜から現れた木剣に、胸の中央を突かれたビルギッタ。


「――ま、この程度じゃ……まだ終わりにはならないよね?」


 同時に、そう掛けられた声に恥辱を覚えたように。


「――ッたりめェだ、クッソ功牙ァァァァァァァァッ!!」


 ビルギッタは咆哮すると、後方へと飛び退りつつ、両手を後ろへ。


 功牙に倣うように、後ろ髪の何本かを引き抜いたのか。それぞれの手に、闇を吸ったような曲刀が生成される。


 彼女が右手に握るは、肉厚で威力を重視していると思われる曲刀。


 一方で、左手に握るは……。


(……対人を想定した、実戦向きの双剣術……なのか?)


 蓮がそう考えたことにも頷ける。まるで三日月を描くように湾曲したその刃は、相手の武器や盾をすり抜けて、柔らかい部分を食い破る為の形状をしていた。


「怪我しねェように、防御はしっかり固めとくんだナッ!!」


「もしもの時はエリナに回復してもらえばいいし、一切の遠慮はいらないよ……」


 激昂し、本気モードになったとしか思えないビルギッタ。それを更に煽るように、ぽつりと零した功牙。


(なんで師匠は、怒った吸血鬼を相手にしてもあんなに平然としてられるんだ!?)


 一般的に、吸血鬼とは人間が一対一で勝てる相手では無いはずなのだ。


「ビルギッタ!」「ビルギッタ!」「ビルギッタ!」「勝てぇー!!」「ビルギッタ!!」「諦めるなッ!!」「ビルギッタ!!」


 だというのに、周囲を囲む傭兵たちは。


 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 彼女を鼓舞するように声を上げている……蓮にはそう感じられたのだ。


 ――今度は功牙の方から動いた。ビルギッタが動き出す前に、地面に転がる長刀を拾おうとしたのだろう。慌てて動き出したビルギッタが、長刀を拾い上げるために身を屈めた功牙へと、右手の曲刀を振り下ろす!


 功牙の左手の水剣が頭の上に持ち上げられ、湾曲した刃を受け止める。


 さすがに単純な筋力で吸血鬼に勝っている訳ではないらしく、功牙の腕はすぐさま押され始めた……!


 ――即座にビルギッタより放たれる、左の剣。


 ガード殺しの三日月の刃が、功牙の水剣に噛みつき、押しつぶす。吸血鬼の膂力で振るわれる二本の刃を、人間の片腕で耐えられるはずもない。


 その先にあるのは、功牙の頭部に三日月の刃が突き立つ未来……いや、さすがにビルギッタも、そこまで我を忘れてはいない。功牙を殺すつもりはないため、その刃の位置はより外側に。功牙の頭を越え、右肩を貫く位置に置かれていた。


 だが、どちらにせよそれは杞憂だ。功牙は既に長刀を拾い上げ、振り上げている。救い上げるような一撃は、ビルギッタの顎へと伸び……それがまともに入れば、間違いなく決着に繋がる一撃。


 ビルギッタは上半身を後ろにずらして躱す。それにより、功牙に向けていた斬撃からは勢いが抜ける。即座に功牙は左手を振り払う。


 功牙の水剣とビルギッタの影剣が打ち合い、まるで火花を散らすかのように≪クラフトアークス≫を撒き散らす。太陽を受けて輝く水の剣、影の剣共に一切の音を立てないが、見ている方はその激しさに幻聴を覚えるほどの光景だった。


 お互いに力をすり減らしたように、水の剣と影の剣が消失していく。それが完全に消えるよりも先に、功牙の左手は既に水の剣を手放していた。


 僅かに形を保つ影の剣に斬り裂かれるのも構わないかのように、その中へと左手を突っ込み――もっとも、手には新たに水翼を纏わせているようだったが――ビルギッタの右手を上からがっしりと掴む。


「――チッ!? はなセッ……」


 彼女の声には答えず、にやりと笑みを浮かべた功牙が右腕を振り上げる。右手で拾い上げた長刀は、その全体を木の色から、深い海を思わせる紺色へと変化していた。≪クラフトアークス≫に覆われているのだ。


(だけど、あの色は……青じゃない、より深い紺色だ。師匠が今使っているのは……メロア様の力じゃない? メロア様の姉である、“大渦(たいか)の魔王”レメテシアに由来する≪クラフトアークス≫……!?)


 功牙は右手を動かすと同時に、ビルギッタの手を掴んだ左手を、外側へと振り抜く。ビルギッタは身体を大きく右へと引かれる形となる。右足で地面を強く踏み込み、耐えようとする。


 そうして、功牙による連撃が始まった。右手を拘束された状態で、ビルギッタは左手で影の剣を振り回し、功牙の紺色の斬撃を防いでいく。


(今までオレに力を見せてくれていた時は、いつも青い≪クラフトアークス≫だったのに……今日に限って紺色の力を解放しているのは……?)


 疑問に思う蓮の視線の先で、ビルギッタは滝のような汗を額から流していた。


(コイツ……メロアラントに落ち着いて弱くなったかと思ってみれば……前より強くなってるケド……なんなのサ!?)


 功牙が宝竜の血に受け継がれる、海竜レメテシアの力を解放している理由。


 ――それは一重に、功牙が負けず嫌いだからであった。


 傭兵たちの中にも、「なんか、功牙が使う≪クラフトアークス≫、青じゃなくね……?」と疑問を抱いている者も多い。彼らは水竜メロアに見初められて≪クラフトアークス≫を与えられた者たちではないが、一般に周知されている情報と照らし合わせるだけで、功牙のそれが異質だということは分かった。


 英雄の末裔の一人として、悪の魔王から受け継いだ力を大っぴらに扱うことは、本来なら避けるべき行為であろう。


 しかし、それでも。


(手加減して負けるのだけは嫌なんだよねぇ……)


 そこに関しては、功牙もまた若いと言えるだろうか。いや、年齢に関係なく、変えようがない気質もあるのかもしれない。


 ビルギッタが激昂し、殆ど本気を出していることも理由の一つだった。優れた戦士に対し、自分の全力をぶつけてみたい。


 ――もっとも功牙は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 彼女が抱える最大の秘密。その奥の手を、衆人環視のもとに晒す訳にはいかない。だからこそ功牙も、()()()()()()()()()()()()()()()()()


(水翼に、≪クローズドウォーター≫。そして、レメテシアが振るった紺色の力。これだけの手札があれば、僕は充分吸血鬼を相手取れる。真剣も、魔法剣も魔道具も必要ない)


 自らの力量を証明できる高揚感に酔いしれるように……しかし、不思議と冷静さを同居させた功牙。


 右手が振るう紺色の軌跡が十三を数えたところで、それを左手の剣で受け続けていたビルギッタが、大きく態勢を崩す。


「――――ッ!?」


 そう、それはまるで、直近の蓮と敦也の模擬戦を再現したかのような光景だった。


 功牙はこの連撃が開始される前に、ビルギッタが力強く右足で踏みしめる箇所を……誘導していた。


 ぱしゃ、という音と共に地面が弾け、ビルギッタの右足が深く沈み込む。がくんと高度を下げた彼女の身体。


 右手を振り払い、ビルギッタの左腕を大きく弾く。彼女は今度こそ剣を手放しはしなかったが、左腕は大きく開かれ。右手は変わらず拘束されている。


 がら空きになった身体の前面。その腹部に、功牙の右足が吸い込まれた。


 蹴りを放ったその脚は、ビルギッタを気遣うように柔らかい水翼で覆われていた。衝撃を和らげるように、しかし周囲にある黒翼を消滅させるように青い光が拡散し。


 ビルギッタの身体は、決して強い衝撃に当てられたふうではなく、ふわりと宙に浮かんだ。その事象が起こり得たのには、功牙が今まで拘束し続けていた右腕が、このタイミングで解放されていたことにも起因している。


 ――だが、優しかったのはそこまでだった。


「チィッ!!」


 逃げ場のない空中に投げ出されたビルギッタが、体勢を立て直す為に。


 両の肩甲骨あたりから、爆発するように黒翼が噴きだし、見る見るうちに翼を形作る。それは影のようでなく、まるで実体を持つかのように硬そうで、羽ばたけば身体を制動できるのだろうと人間たちから見ても容易に理解できるものだった。


 ――が、それは一度も羽ばたくことはなかった。


 身体の右側、外向きに構えられた、両腕で握る長刀。功牙が持つそれは、今度は無色透明な水……≪クローズドウォーター≫に覆われ、その刀身を二メートル近くまで伸ばしていた。


 目にも止まらぬ速さの、二連撃。


 行って戻ってきた刃は、ともすれば常人には捉えられない、まるで振ってすらいないかのような。


 しかし、功牙の体勢が剣を振り抜いたそれに変わっていることを見て、ようやく攻撃が行われたのだと察することができるかのような。水の流れのような、不思議な剣だった。振るう前には両手で長刀を握っていた功牙だが、右側へと大きく振り抜かれた今では、右手一本で握っている。


 蓮の目には、その軌跡がはっきりと残っている。だが、自分も反応できたかは怪しいと思う。


 いや、空中に投げられた状態では、どうやっても対処できそうにない。そもそも、自分は背中から翼を生やす段階で躓きそうだと思った。≪クラフトアークス≫の修練を積めば、理論上は蓮も翼を利用することはできるのかもしれないが。


 ビルギッタの背中から噴きだした黒翼は、はっきりとした形を作ったかと思えば、半ばから断ち切られていた。その衝撃が伝わったかのように、斬られたより内側の部分……肩甲骨付近の根元まで、全てが宙に溶けるように消失する。


 そうして、ビルギッタは背中から地面に叩きつけられた。


 ――そこに。功牙が長刀を斜めに、右上から左下へと振り下ろした。


 それは、直接ビルギッタへと刃を振り下ろすものではなかった。


 長く伸びた水の刃は、彼女の身体を傷つけることなく、頭から腰までをずぶ濡れにするにとどまった。


 ……しかし、ビルギッタはもう立ち上がろうとはしなかった。


 功牙なら、その気になれば距離を詰め、直接自分に刃を突き立てることもできた。それを理解しているからこその諦観だった。


 両手で長刀を振り下ろした姿勢のまま、功牙が硬直していたことも大きいだろう。


 功牙の目は、「どうする? まだやるなら付き合うけど」と言っていると、ビルギッタには分かった。


 彼女は両手両足を広げ、大の字になった状態で目を閉じると、


「――アタシの負けだ」


 そう、相手の勝利を宣言したのだった。


 戦いの審判は観客に任せる、と。そう宣言したのは他ならぬ彼女であったが、彼女自身が負けを表明することまで禁じられた訳ではない。


 それに周囲の観客はどうやら、ビルギッタの勝利を願うあまり、自分たちからは功牙の勝利をいつまでも宣言しなさそうだ、と彼女が思い直したこともある。


「う、うわあああっ!!」「ビルギッタアアアアアアアア」「どうしてなんだああああああああ」「くそったれ功牙ァァァァッ」「死ねーッ!!」「――バカ、死ねは言いすぎだろ!」「……下痢しろーッ!!」「よし!!」


 ――次の瞬間、傭兵たちの嘆きの声が響き渡り。蓮は再び耳を抑えることになった。


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