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【3章終了後に修正予定】黄昏のイズランド  作者: カジー・K
第1章 出立編 -水竜が守護する地-
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第15話 Sランク傭兵、≪影縫いのビルギッタ≫


 ――古き魔人たちが自らを「ヒト」と呼称することが多かったのは、もとはといえば、「自分たちこそがこの惑星を支配する霊長だった」ことに対する、誇りの現れであった。


 もっとも、千年近く前に災害竜テンペストや炎竜ルノードによってその居住域を大幅に狭められた結果、今のイズランドは名実ともに“元地球人”たちが支配する惑星となり。


 ベルナティエル魔国連合を治めた、先代の王である魔王ルヴェリスをはじめとした“穏健派”の活動により、現代を生きる魔人たちからは「我々魔人こそが元々このイズランドに根付いた存在、“純人(じゅんじん)”であった」という思想は排除されていった。当然、それは魔人側から人間への悪感情を少しでも取り払うためのものであった。


 ――その結果、自分たちが「ヒト」という呼称を求める本当の理由すらも、既に忘れられて久しい。


 そこに残るは、ただ「我々に人権を認めようとしないのは間違っている」という、人間国家への怒りのみとなった……。


 勿論、そんなことを考えるのは、人間の支配地域で暮らしたいと考える比較的温厚な魔人たちであって、そもそも人間の領域に悪意以外を持って立ち入ることのない“危険種”はその限りではない。


 彼らに関してはそもそも、人間の国家による庇護など必要としていないからだ。


 とにかく、現在ではその“人権関係”のわだかまりも解消されつつある。


 いちいち「俺は人だ、お前は魔人だ」などという区別がされることは随分減った。


 現代を生きる人間の能力が金竜ドールによって底上げされ、多くの魔人と差を感じなくなったことも要因の一つだろう。


 しかし、それでも例外は残る。


 ――吸血鬼。


 数々の伝承を持つ特級の魔人であり、その能力はただの人間が数百人束になったところで敵うものではない。


「――きゅ、吸血鬼……っ!?」


 それ故に、そのビルギッタという女性に吸血鬼の特徴を見つけ次第、エリナは恐怖していた。



(――バッチバチの“危険種”じゃねぇかっ!!)


 驚いていたのは蓮もまた同じだった。


「アタシはビルギッタ。ビルギッタ・バーリだよん。ヨロシクね……?」


 吸血鬼としての身体的特徴を隠しもせず、陽光の元に身を晒した妙齢の美女。


「よ、よろしくお願いします、ビルギッタさ…………えっ…………?」


 思わず、師匠である功牙を振り返り、まじまじとその顔を観察してしまう蓮。


 ――あれ、そもそも吸血鬼って自由にメロアラントに出入りしていいんだっけ……?


 と、蓮だけでなく、千草とエリナまでもが同じ疑問を抱いてしまったことも、無理はないだろう。


 吸血鬼と言えば、少なくとも人間たちとの仲良しこよしに興じる種族ではない、はずだ。


 むしろ、どちらかと言えば……というより、もろに天敵だった。


 現代ではそれこそ、蓮が近々向かおうとしているアラロマフ・ドール王国においては、法律でガッチガチに行動を縛られた上で、吸血鬼が人間と共生することが大々的に認められている。


 だが、ここはアラロマフ・ドール王国ではない。


 人族の英雄たちの末裔が住む国家、メロアラントである。


 そして、ビルギッタ・バーリと明るく名乗った女性は、どう見ても吸血鬼だ。その種族的特徴を隠す様子がない。いや、先ほどまでは柿渋色のマントで隠されていたが。今は、あけっぴろげだ。


 一応メロアラントは「魔人の国内滞在を一切許さない!」といったスタンスではないが……。


 ……蓮は今までに「ザ・魔人!」とでも言うべき身体的特徴――例えば隠しようもない角が生えているだとか、ウサギ耳が生えているだとか――を備えた人物に会ったことは無かった。


 ――だというのに、一発目からいきなり、吸血鬼とは!


 顔を正面へと戻し、眼前の人物をまじまじと観察する蓮。


 身長は蓮よりも高い。百七十五センチくらいだろうか。服装自体は、ガーランドが身に付けているものとそう違わない。恐らくは、同じ店に依頼して仕立ててもらっているのだろうと思われる。


 黒いボディスーツに全身を包んだ上で、胸部や股間、大腿部などにのみ最低限の革防具を纏わせたような出で立ち。それらの下に洋服を噛ませていない分、ガーランドよりも更に軽装となる。


 両足の太腿には、ベルトに巻き付けられた短剣の鞘がある。一般に広く流通している、ダガーと呼ばれる類のものだろう。


 Sランク傭兵という肩書の割に、特注の武器を身に付けている様子が無いのは意外な気もするが。


 ガーランドと大きく異なる点は、まず額に鉢金を着用していないこと。


 代わりにという訳でもないだろうが、上は鼻から、下は顎までを覆うように前へと長く突き出している、格子状に編まれた黒い金属の筒が、彼女の口を封印している。


 それはエルフをイメージさせる長い耳の上下を通って、後ろ側で連結することで止められているらしい。


(猛犬用の……マズル、ってやつ……か?)


 メロアラントでは犬や猫を愛玩目的のペットとして飼育する環境が整っていない(というか、世界全体で考えても、一般の国民が愛玩目的で生物を飼育できる程裕福な国はないし、動物病院などの専門施設も存在しない)ため、蓮にはその考えが当たっている自信はいまいち無かった。


 暗黒大陸であれば、知能の高い哺乳類系のモンスターをテイムし(飼いならすことを意味する)、狩猟の友とすることを得意としている魔人もいるらしいが。


 楽しそうに端の方が持ち上げられたその口が会話のために開かれれば、吸血鬼特有の発達した犬歯が露わになる。


 それを外す為にどれだけ難しい工程があるのかは分からないが、それを付けている意図は察せられる。「私は人間を傷つけることのない、いい吸血鬼ですよ」という意味合いなのだろう、とは。


(いや、≪黒妖犬(ブラックドッグ)≫ってクラン名の由来、殆ど全部がこっちの人じゃん! ガーランドさんの鉢金、絶対後付けだろ!)


 鮮やかな金のロングヘアは非常にボリューミーで、前髪の左側には縦に黒い線が入っている。そこだけを黒く染めているのだろうか。


 紫紺の瞳は理性的な光をたたえているものの、それが突然に狂気に満ちるさまが想像できてしまう気がするのは……単に、蓮が吸血鬼に対して恐ろしいイメージを持っているためだろうか。


(絶対にヤバい……オレの今までの人生で、一番ヤバい人だ。それは分かってる、のに)


 それから、最もガーランドと異なる点は、当然その性別であろう。


 胸部を覆う革鎧の下からでも確かに存在を主張してくるバストと、女性らしい細い腰のくびれも相まって、蓮としては直視することがなんとなく気恥ずかしい。


 別段好みのタイプと言う訳でもないのだが、あまり大人のお姉さんに対する免疫がないのだ。


 いや、正直な話、このビルギッタという女性に対しては大人のお姉さんというよりも、狂犬というイメージを抱く者の方が圧倒的に多いだろうが。


 色んな意味で直視しにくい容姿をしているはずなのに、目を離せなくなっている自分に蓮は気づく。


(あ……これってもしかして、吸血鬼伝説に残る“魅了(チャーム)”……か……!?)


 両手で自分の頬を叩き、目をぱちぱちとさせた蓮に、ビルギッタがにっこりと笑いかける。


 それに対してにへらと笑みを返しそうになり、慌てて首を振った蓮。


 ――初対面の女性に対してデレデレしている場面を、千草とエリナに見せる訳には。そういう思いがあったのだろう。


(あぁもう、二人がいる方を見るのが怖い……!)


 と、冷や汗をじわりと滲ませた蓮に、ビルギッタが歩み寄ろうとしていた。


「カワイイ坊やだね~。緊張してるのカナ……?」


 高い視線から蓮を見下ろし、伸ばしてきた右手は……まさかとは思うが、頭を撫でようとしているのだろうか。


 蓮はもう十八歳であり、新暦においては成人扱いである。逆に言えば、旧暦であればまだ未成年だったはずだが……人前で頭を撫でられるなど、嬉しさよりも恥ずかしさが先に立つ年頃だ。


「いや、ちょっ……」


 やめてくださいよ、と蓮はガードするように両手を挙げながら後退しようとして……気づく。


 ――両足が、地面に縫い止められたように動かない。


(えっ、あっ……?)


 脳裏に、先ほど傭兵たちが口にしていた、≪影縫(かげぬ)いのビルギッタ≫という二つ名が浮かぶ。


(影縫い……これは、何かをされた……?)


 その言葉に、全く思い当たる節が無い訳でもない。オールブライト家にお邪魔してビデオゲームに興じたり、漫画や小説を読ませてもらううちに、何度か目にしたワードではあるはずだ。


 大体の作品においてそれは、忍者と呼ばれるスピードタイプの戦士が使う、非現実的な技。


 ――相手の影に攻撃して、本体の動きを縛る技……!!


(だけどそんなの、物語の中にしか存在しないはずじゃ……)


 と蓮は思う。が、このイズランドはそもそも竜と魔法のファンタジー世界。今まで発見されていなかったからといって、存在しない訳ではない。


 むしろ、そうした未知の異能に初めて直面した時にこそ、功牙が鍛えたがっている心の強さ……冷静に対応する力が試されるのではないだろうか?


(ぐっ……)


 だが、蓮の精神はまだその極致には到達していなかった。後退しようと足全体に掛けたエネルギーは消え去った訳ではない。


 まるでブーツだけが地面に縫い止められたかのように動くことを拒否し、蓮は背中から折れ曲がるように倒れかかってしまう。


「おっと、危ない」


 ビルギッタはそう言いながら、素早く動いた。今一歩踏み出し、蓮の頭部へと伸ばしていた右手を背中へと回し、蓮の身体を支える。


 まるで王子様に抱きとめられたお姫様のようなポジションとなり、蓮がドキッ! はわわ……としていると、


「――やめていただけますかっ!」


 いつの間にかそこまで走って来ていた少女が、蓮の背中に右手を回しつつ、伸ばした左手でビルギッタを押し退けた。


「わーっ、ゴメンゴメン。君の彼氏クンだったのカナ……」


 横髪を左手でファッサァとかき上げながらの、ビルギッタの台詞だ。


「……そうですが」


 蓮を支えながら、ビルギッタを睨んでいる……珍しい表情を浮かべているのは、エリナだった。


「――で、そういうキミは……首突っ込みたガール?」


「……とりあえず、蓮に掛けている拘束を解除してもらえますか? 悪趣味すぎます」


 千草は今も離れた場所で演習場内部の様子を窺っている。エリナが飛び出した辺りで自分も追いかけようとしたのだが、エドガーに首根っこを掴まれ、母猫に運ばれる際の子猫のように拘束されていた。


(よし、今回はちゃんと千草を止められたぞ)


 最低限の責務は果たせたはずだ、と自分を誇るエドガー。


「エーリーナー姉ー、せーんーぱーいー……」エドガーに掴まれたまま両手をじたばたさせる千草。「いや、あの人別に悪人とかじゃねえから。そう酷いことにはなんねえって……俺らは黙って見守ろうぜ?」


 エリナの要請を受けて、一度は蓮に掛けた拘束を解除しようと考えたビルギッタだったが……エリナの外見を観察し、もう少し遊んでみようと思い直す。


「――ふぅん……キミはシスター……じゃない、神官か。次代のハイプリースティス、エリナ・リヴィングストン……」


「…………そう呼ばれることもありますが、だったらどうだと言うのでしょうか」


 そこで周囲の傭兵たちは、ようやく思い至る。


 ――あ、これ、別に自分の婚約者に対して美人のお姉さんが近寄ってきたことを警戒してるとか、そういうのじゃなさそうだ、と。


 恐らくメロア正教の歴史において、吸血鬼という存在が長らく邪悪としてカテゴライズされていたためだ。それによって、エリナがビルギッタに対して抱いた第一印象は、恐らくこの場にいる誰よりも悪い。


「吸血鬼がSランク傭兵に認定されているだなんて……私は聞いたことがありません」


「……へぇ。この世界においてキミが今まで認知していなかった全ては、存在しないことになるのカナ~?」


 蓮を挟んで、鮮やかな金の髪をした二人の女性が睨み合う。


 その状況に功牙は小さく噴きだし、


(あいつ、遊んでいるな。わざわざ相手を煽る必要もあるまいに)


 とガーランドは思い、ため息をついた。


「――おお、次はキャットファイトが始まるのかぁ?」「ビルギッタのどこがキャットだよ。大の男よりもよっぽど狂犬だろーが」


 一方、周囲の傭兵たちはビルギッタが危険人物ではないことをよく知っているのか、その存在に驚き、許容できない様子のエリナを見て、にやにやと笑っていた。


「……そりゃ随分とまた、傲慢だねん、エリナお嬢ちゃん。アタシはちゃーんと、Sランク傭兵として認定を受けてるよん。認定されたのはアラロマフ・ドールで、それも最近のことだから……こっちの国じゃ傭兵以外に知れ渡ってなくても別に不思議じゃないケド」


「……………………」


 吸血鬼憎しの気持ちがはやって、取るべきではない行動を取ってしまった。ようやくそれに思い至り、顔色を悪くしたエリナ。


「これからキミたちは旅に出るんでしょお? 大人と相対する時は、ちゃアーんと相手に対する礼節を弁えないと……自分の立場を悪くするゼ?」


 猛犬用のマズルの向こう側で、ニィと口元を吊り上げるビルギッタ。煽るような口調と共に、エリナに脅しを掛けるように、顔面を近づける。


 マズルの先端が、エリナの鼻先を小突いた。


(――オレが、エリナを守らないと……!)


 蓮は左腕を伸ばし、ビルギッタの右肩をぐっと掴んで押さえた。


(おお、男らしい。かっこいいジャン)


 ビルギッタが蓮を内心でそう評価した、そのすぐ後に。エリナの左腕が、蓮のそれに重ねられた。


「蓮、もういいですから。――申し訳ありません、ビルギッタ様」


 蓮の背中に右腕を回した状態なので、斜めに頭を下げたエリナ。


「……私は、あなたに対して失礼な態度を取ってしまいました。他の国では既に、吸血鬼にも人権が認められ始めている時代だというのにも関わらず……旧暦の価値観に囚われてしまい。己の視野の狭さを恥じるばかりです」


 功牙や周囲の傭兵たちの反応をよく観察していれば、ビルギッタが危険人物でないことは容易に分かるはずだった。


 メロア正教……宗教が抱える悪の側面に自分が染まっていたことを自覚し、エリナは穴があったら入りたい気持ちになっていた。


「――オッケー! 全部許して忘れることにするよん」


 瞬間、ビルギッタはぱっと表情を明るくすると、両の掌を振りながら一歩下がってみせ、蓮とエリナは毒気を抜かれた。


(なんだこの人……怒ってるフリをしてたのか?)


 半目になってビルギッタをねめつける蓮。


 エリナはぶすっとした顔になると、


「では話を戻しますが、蓮に掛けた拘束を解いてください」


 そこに関してはまだ終わってないし、こっちは少しも悪くないぞと言外に言っていた。


「勿論アタシが解いてもいいんだけど、キミたちの師匠は多分、キミたちが自力でそれを解除する方法を見つけることを望んでると思うカナ」


(またあんたが裏で指示してたのかよ師匠っ!!)


 ――っていうか、もしかしてガーランドとビルギッタの両名は、どっちも宝竜功牙の古い知り合いかっ! と、今更ながら今日の模擬戦の流れが仕組まれていたことに気付き始めていた蓮。


「自力で……? って、エリナがオレを助けるとかじゃなくて、拘束されている本人のオレが、これを解く方法があるんですか……?」


 答えそのものを訊いている訳では無いし、これぐらいは許されるだろう。少なくとも、師匠であれば許してくれる。そう考えての蓮の質問にビルギッタは、


「うん、できるよん。まずはよーく状況を観察してみることだネ……」


 そう言って、もう数歩下がったあと、くるりと横に一回転して見せる。


 太陽光を受けて輝く金髪に、スレンダーな長身がなめまかしい。それを見ながら、


(綺麗だ……ごほんごほん! ……ん? 吸血鬼って、直射日光に当たると体調を崩すんじゃないのか……?)


 と蓮が気を逸らされている隙に、という訳でもないが、新たな人物がその場に姿を現していた。


「なるほどー……」


「うおわっ!?」


 我らが幼馴染組が誇る妹分にして探偵役(ディテクティブ)、曙千草が蓮の右隣にしゃがみ込み、何やら地面を注視していた。


(千草っ、いつの間に……っ!)


 大切に想う少女に、年上の女性に見とれていた様子を近くで目撃されたのかと思うと、蓮の顔はかあっと熱くなった。


「……せんぱいの影に何かが突き刺さっているわけじゃない。これは……影の中に、別なものが混入している……」


 幸いにもと言うべきか、千草は既に推理モードに入り、地面と睨めっこしながらぶつぶつと呟いていた。


 答えにたどり着くか、もしくは美涼などが抱きしめて胸部を押し付けないと、中々戻ってこれないタイプのやつだった。まぁ別に押し付けるのは必ずしも胸部である必要は無く、千草の口や鼻を封じてやればいいだけなのかもしれないが。恐らく、美涼が千草を正気に戻す際に抱きしめていたのは、ただ単に抱きしめたいからという理由が大きい。美涼は千草バカゆえ。


「なるほど。ビルギッタさんが離れてくれたのはヒントでしたね。おかげで解りやすくなりました。――エリナ姉っ」


「千草ちゃん、仕組みが分かったんですか?」


 蓮はもう体勢を立て直すことができたので本当は必要ないのだが、未だに蓮の背中を右腕で支え続けているエリナからの質問。


「はい。これを見てください」


 それに、千草は名前通りの色をした髪を元気よく縦に揺らした。


「せんぱいとビルギッタさんの影は、細い線で繋がってます!」


 千草が指差した先を見れば……確かに。


 蓮から四歩分ほど離れたビルギッタの影まで、よく見なければ分からないほどの……ミリ単位の黒い線が地面を這っている。


「その通り、よくできました。まず、これが吸血鬼が扱う黒い≪クラフトアークス≫……黒翼(こくよく)ね」


 そう言ったビルギッタの方へと蓮たちが視線を上げる。ビルギッタが右手を持ち上げると、その伸ばした人差し指の先を中心にするように、黒いもやが湧き、蠢いた。


「で、キミらで言うところの青い≪クラフトアークス≫。つまり水翼(すいよく)に命令を与えて、摩訶不思議な特性を持つ水にした状態……≪クローズドウォーター≫にあたるのが、こっち」


 彼女が腕を下ろし、人差し指が誰も立っていないあたりの地面を指すと……その黒いもやが放たれ、地面にぶちまけられる!


 かと思えば、それは黒い水のように……いや、影のように薄く伸びると、ビルギッタ自身の影を大きくするように繋がった。


「吸血鬼だけが使える≪クラフトアークス≫の形状変化。アタシたちは、これを古い言葉で≪カームツェルノイア≫って呼んでる」


(カーム……覚えにくっ!)


 蓮は内心で古代語をこき下ろしつつ、「噛みそうな名前ですね」と零すにとどめた。


 ビルギッタの影の拡張された部分……うねうねと蠢くようにしたそれが、突如として千草の方へと伸びた。


 おいおい、と蓮が口にする前に、「うわっ!」という千草の声。恐らく、千草もまた拘束されたのだろう。


 悪ふざけにしか思えないビルギッタの行動だが、一応はこれも功牙と事前に示し合わせていた子供たちへのお勉強会なのだろうか。


「千草ちゃん、大丈夫ですか?」


「あ、うん。なんとか」


 エリナの問いに対し、安心させるように笑みを返した千草。


 とりあえず、千草は元からしゃがみ込んでいたこともあり、安定していた。もし後ろに転びそうになったとしても、両手で身体を支えることもできる。


「――あれ、レジストされた」


 と、そこでビルギッタが意外そうな、しかし同時に嬉しそうな声を漏らした。


 彼女は千草を拘束したあと、エリナに向けてもまた、≪カームツェルノイア≫を伸ばしていたらしい。


「……あなたのこれは、種族ごとの特性を活かした形態の≪クラフトアークス≫。だからこそ、分かっていればこちらが持つ≪クラフトアークス≫で対抗できる……そういうことですね?」


「そだねー。見たところエリナお嬢ちゃんはアタシより格上っぽいし、効かないのも道理か。もっとも、そんなに強い力では拘束してないから、キミたちでもコツさえ掴めば抜け出せると思うケドねん」


 エリナとビルギッタの会話を聴き、蓮と千草も己の影を見つめ、そこに入り込んできているのであろう、黒い≪クラフトアークス≫を排除しようと集中した。


(いや、でも戦闘中にいきなりこうやって足を捕まえられちまったら、それを打ち消そうと踏ん張ってる間に、いくらでも首とか斬られそうだよな……)


 改めて吸血鬼が操る黒翼の強さを実感し、蓮は震えていた。


「――あぁ、ちなみに、吸血鬼の≪クラフトアークス≫としては、こんなんまだまだ序の口だからねん? 古の血を薄めていない吸血鬼の姫なんかは、相手を影の中に引き摺り込んだりもできるし」


(それ最早人間ごときに勝ち目ねぇだろっ!?)


 ビルギッタの言葉に驚き、目を見開きつつ、その感情の高ぶりに寄って力が入ったのか。蓮と千草は同時に小さく仰け反った。


 足元の影から青い≪クラフトアークス≫が弾け、その欠片が周囲へと跳ね……空気に溶けるようにして消えた。


 蓮はそのままエリナに支えられ、千草は尻餅をつきそうになり、自らの両手を後ろに回して支えた。エリナはもういいと判断したのか、そっと蓮から離れた。


「アタシなんかは力の総量も少ないし練度も全然だから、こうやって相手の影に黒翼を忍ばせて、靴裏を掴んでやるくらいしかできてないんだケドね」


「それでも充分反則ですよ……」


 人間からすれば意味不明な謙遜をするビルギッタに呆れつつ、いやでも一応は水翼を使えているのだから、清流人である自分も半分は魔人みたいなもんか……と顎に手を当てて考える蓮。


 その視線が、師匠である功牙へと向けられる。


「あの、師匠っ!」


「どうかした?」


 蓮は鬱憤を晴らす術を思いついたぞという、悪い顔をしていた。


「そろそろオレも……七連戦もして、さすがに動きが衰えてきました。さすがにSランク傭兵のガーランドさんの相手は、精神的にも来るものがありましたよ」


「まぁ、そうかもね」


 功牙は蓮が何やら悪だくみをしていそうな顔をしていることには気づきつつも、余裕の態度を崩さない。


 蓮はそれを憎らしく思いつつ、


「この祭を見ている傭兵さん方も、最後にはもっと白熱した試合を求めていると思うんですよ」


「ふぅむ」


 自分たちが話題に挙げられたからか、吸血鬼であるビルギッタの登場にまごつく子供たちを見てにやにやしていた傭兵たちも、「なんだなんだ?」と興味深げな顔をした。


(あぁ、もしかして……そういう感じか)


 ここで、功牙は合点がいったようだ。それに蓮は気づいてか気づかずか、


「ボロボロに疲弊して、負けが確定してるオレより。――それを鍛えた他ならぬ師匠がビルギッタさんと戦ってくれた方が、観てる方は楽しいんじゃないかなって!」


 ――その瞬間。


「うおおおおおおおおッ!!」「――よく言った坊主っ!!」「よっ、神明家の次期当主っ!」「あたしたちも賛成だわっ!」「おおおお逃げんじゃねェぞ功牙ァァァァァァァァッ!!」


 近隣住民から後程苦情が来ることが約束されたような大声が、いくつも響き渡った。傭兵たちの(とき)の声だった。本来それを防ぐためにここを訪れたはずだった受付嬢のコリンナは、それを止められなかったことを悔い、この世界を呪った。


 前もって金を握らされたせいで延々と煽られ続けた傭兵たち。そんな自分たちと同じように、師匠から厳しくも厳しい、その上更に厳しい指導を受けているらしい少年。


 その少年が状況を逆手に取り、師匠に反旗を翻したという状況に、傭兵たちのテンションは一気にブチ上がった。フロアを席巻する雰囲気(バイブス)は、ひとえに功牙が築いてきた人間関係の賜物であろう。主に、悪い意味で。まじまんじ。


 ――もっとも、当人はその状況にも全く拘泥していないようであるが。


「……あー、なんか皆がそう望んでるっぽいけど、どうする、ビティ?」


 僕は全く構わないけど、さ。言外にそう言っていると分かる、余裕綽綽とした表情の功牙に。


 親し気に愛称で呼ばれたビルギッタは、一瞬だけ額に青筋を浮かべた後、猛犬用のマズルの向こう側で口元を歪ませた。


「――ハッ! 今からテメェをブチのめせると思うと、もう胸がすく思いだゼッ」


 心底愉快そうに嗤ってみせたビルギッタを見、「……とりあえず早く壁際まで下がろうぜ」「そうしましょう」「はいっ」と頷き合う蓮たちだった。


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