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【3章終了後に修正予定】黄昏のイズランド  作者: カジー・K
第1章 出立編 -水竜が守護する地-
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第10話 『つまり君は、エリナとの婚約を破棄するためにこそ、兄君を探し出したいという訳だね』←おいやめろ


 騒ぎが落ち着いた後、最終的に数十匹の≪ミル≫たちはメロアの周りで丸くなった。


 次にダリの身体から電流が発生した場合、今度は一体どんな惨状になるのか想像するのも恐ろしいため、どうか誰も彼女を驚かせないでほしい。


『……して、君たちは向かう国は決めているのかい? ……というか、美涼は本当に行くのか?』


 君の父親は、君が残ることを望んでいる筈だが……と。モフモフに囲まれた状態で寝台の上に正座し、女子たちの憧れの的となっているメロアの言葉だ。


 その人徳や実力よりも、モフモフに囲まれることができる身分に憧れを抱かれるとは、神としてどうなのだろうか。


「ええ、行きますとも。今回の縁談も最っ悪だったんで!」


 元からお見合いには飽き飽きの美涼に畳み掛けるように、更に今回の幻術騒ぎだ。より国を離れ、一時的にでも責務を忘れたい気持ちに拍車がかかったのだろう。


「……俺とエドガー、それに美涼の三人は、デルに向かおうと思ってます」


『ほう』


 三人を代表して敦也が言った。メロアの声は、想定通りで安心したという風だった。


「デルは工業国家ですし、何をするにしても学び甲斐があるでしょう。帝国の影響も比較的少なくて、安全ですし。人生で一度くらい、ドワーフに会っておくのも悪くない」


 ドワーフとは魔人であり、その種族的特徴が固定化された≪名有りの種族(ネームド)≫の一つである。


 過酷な環境に棲む魔人たちは、場合によっては一夜にして全身の毛の色を変えたり、鋭い鉤爪を手に入れたりなど、生き残るために目まぐるしい変化を遂げるのが特徴だ。それらは一般に≪名無しの種族(ネームレス)≫と呼ばれている。


 勿論、“名無し”の中にもある程度の個体群を確保でき、地域によっては固定化された通称を持つ例もあるが……。


 一般的に、“名無し”は“名有り”を羨むものだと言われている。多くの場合、≪名有りの種族≫は安定した生活基盤を整え、一つの場所に定住できているためだ。


 ちなみに、この世界のドワーフは、毛むくじゃらのオッサンみたいな外見の者しかいない訳ではない。


 モンゴロイドよりも僅かに濃いめ肌色をしており、平均身長は低めではあるものの、それでも東陽人のそれに対して十センチにも満たない差でしかない。腕の筋肉が発達している上に、みな一様に手先が器用であり。


 更に、あるものを観測した際に、観測した五感とはまた別の五感でそれを認識する能力……共感覚(きょうかんかく)と言われる能力を持つ。


 同族との間ではそれを共有することができるため、彼らは非常に同族愛が強い。まさに以心伝心といった振る舞いを見せ、大人数で一つのモノ造りに着手することを得意としている。


 彼らが掘り上げた鉱山や石造りの建造物は、人間がデザインしたそれとは大きく異なる美しさを誇っているらしい。


 工業国家として名を馳せているデルは、そんなドワーフたちに加え、彼らと交友関係を結んだ赤髪の技術者たちが興した国である。


 わざと悪い言い方をすれば、デルの人間たちは他の国に対してドワーフを独占している形になるが、実際のところ、それはドワーフたちを守るためというのが大きい。


 言葉にせずとも、優れた鉱夫であり技術者でもある彼らを欲している国は多い。というより、どの国でも手に入れられるものなら引き入れたいと思うだろう。


 場合によっては拉致され、強制的に従属させられる可能性すらある。


 彼らに愛する故郷を捨てさせないため、デルの一族は憲法を作り、ドワーフをあまり他国の人間の前には晒さないようにするなど、保護を徹底している。


 ……故に、デルへ観光に行ったところで、必ずしもドワーフに会えるという保証はないのだが……。もっとも、美涼は他国で言うところの公爵令嬢(※ただし悪役でない)にあたるため、便宜を図ってもらえる可能性は高い。


 それに何より、と敦也は付け加える。


「エドガーが暮らしていた国でもありますから」


「あ、そういう理由もあったんだ。お兄さん感激だぜ」


 茶化してきたエドガーを「誰がお兄さんだ」と半目でじろりとねめつけた敦也だが、実際エドガーはかなりお兄さんをしている。年下側からしてみれば、その配慮に気付けない場合も多いのだろうが。


『我も良い選択だと思う。オールブライト領からイーストシェイド公国、ガイア国と経由していけば、比較的安全な旅路となるだろうしね』


 うんうん、と頷いた後。


『……では、蓮の方はどうだろう?』


 メロアに水を向けられる(純水をぶっかけられた訳ではなく、慣用句だ)と、蓮は焦ったようにあたふたした。というか、さっきからずっとこうだった。


(――いや、敦也はめっちゃスラスラ話してたけどさ! そもそもオレは敦也と一緒じゃないことも、今日になって知ったんだぜ!?)


 状況を考えてみれば、自分の側にエリナと千草を押し付けてくる理由も、それを首謀したのが誰かも想像はつくのだが。というか、ズバリ敦也だろう。


 ――こいつら、事前に話し合って話を詰めてたな……。と、蓮は敦也組(敦也、エドガー、美涼)の顔を見回した。


 敦也は僅かに口元を歪め、エドガーと美涼はもっと分かりやすくにやにやしている。


(いや、でも今日ここまでの緩い感じを見ていると、別に今メロア様の前で相談しても許されるか……)


 想像していたより何十倍も、今日の謁見は緩い。人生で初めてメロアに謁見した際は、誰一人としてこんなにはっちゃけてはいなかった。


 もっとも、その時はそれぞれの親も同伴していたし、あまり子供たちが直接メロアと話すこともなかったので、当然と言えば当然かもしれない。


「えっと、オレと……エリーに、千草の三人は……」そこで一旦言葉を止め、自分以外の二人の顔を確認する。


 両者は頷いて返してきた。


(――せんぱいがどこに行くにしても、付いていきますよ!)


(――あなたが好きに決めてください)


 という意思を感じとり、ええいままよ、と蓮は口を開く。


「アラロマフ・ドール王国に行きたいと思ってます。……ちょっと、今は帝国の影響が強くなっちゃってますけど」


 九八一年まで続いた竜の時代(ドラグエイジ)。その終わりまでは金竜ドールに裏から支配され、表向きには「放置国家」を自称していたアラロマフ・ドールだが、≪氷炎戦争≫ののち、水竜メロアが世界の真実を語りだし。


 それを受けてか、帝国もその在り方を変えた。


 暦を黄昏の時代(ラグナエイジ)へと改めると、元年の内に大きく動いた。かの国の国王であった金竜ドールの死亡を公表すると共に、人員を送り込み、アラロマフ・ドール王国に新たな政府を樹立させた。


 王冠を戴くのは女王エヴェリーナ・イスラ・ドールという、弱冠ニ十歳の女性。帝国における公爵令嬢であった彼女は、かねてからドール領で生活していたため、国内の様子にも詳しく適任なのだと。帝国の要人はそう語る。


 しかし実際のところ、現在では民草より「放置国家改め、傀儡国家だな」と揶揄されてしまうほどに、帝国の意思をそのまま反映した政権になっているという。


≪氷炎戦争≫によってエイリアという街を大きく損耗(そんもう)したドール領だが、エイリアを復興することよりも、首都ロストアンゼルスを拡張し、魔人や避難民を広く受け入れる方向へと舵を切った。


 帝国を半端にしか知らない者であれば「なぜそのような慈善事業を?」と考えるかもしれないが、古くから帝国はドール領を実験場として扱っていた節がある。


 サンスタード帝国本土が戦場になることのないよう、長く続いた魔国領との戦いにもドール領を差し出すような立ち回り続けていたことも、それを裏付けているだろう。


 そもそも、優れた武力が集結していた治安維持組織≪ヴァリアー≫を保有するエイリアが内陸側にあり、一方で首都であるはずのロストアンゼルスこそが暗黒大陸と繋がる海に面しているというのが、よく考えてみればおかしい。


 ――まるで、首都が攻め滅ぼされようが構わないというような配置。


 ……まぁ実際のところ、国王である金竜ドールが隠れ住んでいたのはエイリアの方だった訳で、事実として首都には空っぽの宮殿しか無かったのだが。現に六年前に発生した≪ヴァリアー襲撃事件≫では、魔王軍の面々は騙されることなく首都ロストアンゼルスを素通りし、真っすぐにエイリアへと向かっていた。


 故に、見る者が見れば、「今回は新たな時代を切り拓くために、ドールの首都を使って人間と魔人の融和のための実験を開始したのか」となる。


 街を十の字に分かつ大通りの中心に宮殿があり、分かたれた一区から四区に、それぞれ役割を持っていたロストアンゼルス。


 一区は最も身分の高い者たちが住まう貴族街。二区は低位の貴族と大商人たちが住まう準貴族街。三区には平民が住まい、四区は商業区となる。


 数百年に渡ってその姿を変えなかった首都だが、現在では城壁の外が主に居住区として拡張され続けており、最近では五百平方キロメートルを突破。


 一区あたり平均面積三十平方キロメートル、十六区までに分けられたそこに住む人口は、魔人も合わせれば十万人を超える。


 そして、そこに住む人々は人と魔人の区別なく、行政に対して例外なく自らの情報を開示し、顔写真や指紋、検査のための血液の提出を義務付けられている。


(まぁ、曲がりなりにも今じゃちゃんとした国王がいらっしゃる訳だもんなぁ……)


 とエドガーは考える。人と魔人が暮らす街を本気で作ろうとするならば、指先一つで人間をダウンさせてしまえるような魔人も多いのだから、確かにきちんと素性を明らかにさせる必要があるだろう。


 場合によっては魔道具を利用し、強すぎるその能力を抑制する必要すらある。


 それを人間の横暴だと感じる魔人には、申し訳ないがお引き取りいただく。それがアラロマフ・ドール王国の定めたルール。


 この国で人間と和やかな生活を送りたいと思えば守ればいいし、守りたくないというのであれば、初めから居住申請をするべきではない。


 放置国家だった当時は自警団しか無かったが、今となっては司法が存在する。ドール国内で犯罪を犯せば、その魔人の危険性にもよるが、生命が危ぶまれることは想像に難くない。


 ――強力な魔人であればこそ、牢に拘束することも簡単ではないのだから。


 幼少期の多くをデルで過ごし、その国の人間がドワーフの身を護るために沢山の法律を作っていた光景を知るエドガーには、今のドール国の在り方も理解しやすいのだろう。


 魔人だけでなく人間にもルールは課されているため、ある意味では真の平等を実現しているとも言える。エドガーはドール国が嫌いではなかった。


(俺もいつか行ってみたいっちゃあ行ってみたいんだよな)


 通貨もまた、帝国が生産している≪スタル≫が正式に採用され、物資の取引に際してのトラブルも、以前より随分と少なくなった。


 客観的に見て、ドール国は見て回る価値が大いにある、修学旅行地だと言えるだろう(この場合の修学旅行とは、地球におけるそれとは意味が異なる)。


(こういう言い方もどうかと思うけど、イェス大陸で最も安全な、魔人の見本市だもんな)


 だけど、相応に危険も多い。蛍光院領から隣接するレピアトラを通ってドール領を目指すとして、その途中にはどの国家にも属さない空白地帯がある。放浪している魔人には“危険種”も多いだろうし、山賊も多い。メロア様が納得してくれるかどうか……とエドガーが視線を向けると、やはりメロアは厳しめの表情をしていた。


『ううむ。帝国の影響が強くなっている……どころか、ほぼ帝国の属領な気がするがね』


「…………」


 蓮も危険な我儘を言っているという自覚はあるのか、気まずそうに目を伏せた。


 その様子を見ながら、メロアはふむ、と。


『ドール領に行きたいというのは、やはり蓮の個人的な欲求によるものかい?』


「えっと、はい」


『確かにドール領は現在、魔人が人として人権を保障され、ある種理想的な共存が為されている。色々と勉強になることも多いだろうね。……その上で、君の目的は。……学びよりも上位に、あわよくば行方知れずの兄君を探し出したい、が来る訳だ』


「……はい」


 蓮はそれを取り繕うことはせず、素直に肯定を続ける。


『…………うむ、ドール領までは認めよう。だが、それ以上に奥へ……海を渡ってシャパソ島や、暗黒大陸まで行こうとは絶対に考えないこと。それ以上を考えたいなら、まず一度この国まで戻って来て、報告すること。……それを守れるなら、許可しよう』


 永めの沈黙の後に告げられた言葉に、蓮の顔色がぱっと明るくなる。


「約束します!」


 ――よかったですね! と千草も顔を輝かせた。


 しかし、メロアの言葉はそこで止まらなかった。


『よし。見たところ、単純に兄君と再会したい気持ちもあるのだろうが、君の場合は……大きく改善されたメロアラント……いや、神明家の現状を兄君に説き、神明家の跡取りとなる為に帰って来て欲しいと思っている。……違うかい?』


「合ってますけど――、」


 僅かに興奮した様子のメロア。


『兄君が代わりに跡を継いでくれれば、君は跡継ぎとしての義務から解放される……』


 もしかするとそれは、先ほどの千草の超推理にあてられてのものなのかもしれなかったが、


『――ふむ……つまり君は、エリナとの――、』


 ――幼馴染組にとっては、それはとても看過できないものだった。


(おい、待て。――この神、何を言おうとしている)


 敦也は苛立ちを覚えたが、口が動いてくれない。


 神に対して口答えすることなど、できるはずもなかった。


『婚――、』「――メロア様」


 ――次代のハイプリースティスと目される、メロアお気に入りのエリナを除いては。


(まさか蓮、お前)


 メロアの台詞の続きを想像して、敦也は目を見開いていた。


(それがお前が考える、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのか……?)


 メロアの言葉を遮るようにエリナが声を上げたことも、それを裏付けているように思え、敦也はいよいよ確信を強める。


 水竜メロアの言葉を邪魔するなど、蓮にも敦也にもできない。この中ではエリナにしかできないことだ。


 メロアが「つまり君は、エリナとの婚約を破棄するためにこそ、兄君を探し出したいという訳だね。千草を結婚相手として選ぶために」と言おうとしていたのであれば。


 一切の気遣いなくそれが放たれていれば、()()()()()()()()()()()()()()()


 三年前に蓮とエリナの婚約が発表されてから、この幼馴染組の関係性が崩壊しないように、それぞれがどれだけ気を遣ってきたと思っているのか。


(いや、想像もつかないのか?)


 自分の気持ちを押し殺し続けている千草だけにはそれが悟られぬよう、全員が細心の注意を払って生きてきたのだ。


 敦也は思わず、自らが崇める神であるところのメロアを、睨みつけてしまっていた。


(永く生きすぎているせいなのか?)


 一般の民草ではなく四華族とはいえ、所詮は下々の存在。神から見れば、その機微が理解できるものでもないのか。


「……敦也がエドガーのためにデルを選んだことと同じです。蓮もまた、私のためにアラロマフ・ドールを選んでくれたんです」


『……あぁ、うむ。そういう面もあったのだね』


「はい。首都ロストアンゼルスには、私の姉が嫁いでいますから」


 敦也は目を見開いてエリナを見ていた。


 蓮や千草に気を遣って、咄嗟にそれを妨害したのだろうエリナは……間違いなく千草の為を想って行動している。


 敦也はエリナを見直し、深く感謝した。そして、長らく不信感を抱いていたことを詫びたいと思った。みなの視線がある状態では不可能だが。


 ……それと同時に、水竜メロアに対し、わだかまりを覚えた。


(大好きな子供たちと楽しく議論ができて、あんたは嬉しくて仕方なかったのかもしれないが)


 価値観が人間と違うところにあるというか、人間一人一人の恋愛感情を軽視しているように感じられたのだ。


 率直に言って、


(腹が立つ)


 と敦也は思った。龍からしてみれば、自らが支配するこの絶対の空間では、敦也が抱いたそんな思いも筒抜けなのかもしれない……とまで思考は回っていたが。


 ――知るか、気取られたなら気取られただ、と吐き捨てるように考えていた。


 実際のところ、水竜メロアには、庇護下にある清流人の心を覗くことまではできない。


 似たところでは、過去の事例として炎竜ルノードがアニマの心を読むことを可能としていたが……それに関しては、アニマという種族が、ルノードが自ら創出した種族であることが大きい。


 東陽人をルーツに持つ清流人と水竜メロアの結びつきは、あくまで後付けのものでしかない。言ってみれば、メロアは養子を溺愛しているに近い。


 もっとも、自らに向けられた視線や感情を感じることはできる。


 メロアは焦ったように言葉を重ねて来たエリナと会話しながら、遅まきながら自らの失態を認識していた。


()()()()()()か……。すまない子供たち、我の恋愛観が人のそれと違い過ぎるせいで……)


 メロアにしてみれば、好いた相手に気持ちを伝えることを恥ずかしがるという感覚すら、最早ない。


 休眠期間を除き、実際に起きていた年齢としては四十年にも満たない彼女ではあるが、龍という力のせいか、はたまたその立場についてきたものなのか、それとも休眠期間にも精神に変化が起こるのか。その恋愛観は達観しすぎていた。


 つまり、「え? この程度のコイバナで恥ずかしがっちゃうの?」というやつである。デリカシー皆無のおばさんか!


 それが悪さをして、若者との間に軋轢を生んでしまったのが、今回の事のあらましであった。


(念話では全員に伝わるのが困りものだ。一人一人に個別に送れるなら、千草以外の全員に謝罪を飛ばしたかったが……()()()()()()()使()()()()()()()()


 だが、敦也に浮かぶ感情は最早メロアへの苛立ちよりも、エリナへの感謝の方が勝っているようにも見えた。


 その故に、メロアはとりあえず、この場での謝罪は諦めることにした。嫌われるのも年寄りの務めか……と思うには、身から出た錆でしかないのだが。


 まぁ、なんというか、巡り合わせが悪かった。別にメロアが蓮とエリナを無理やりに婚約させた訳ではないので、全てにおいてメロアの責任であるとも言えない。


 子供たちの感情を軽視して、無理やりに婚約を発表してしまった神明家とリヴィングストン家の親サイドの責任が大きい。


 結果的にではあるが、メロアがそれに言及しかけたからこそ敦也は蓮とエリナの思惑に気付けた訳で、敦也の中に燻っていた二人への悪感情は殆ど払拭されたことになる。


 自身は嫌われてしまったものの、他者同士の関係を改善させたという点だけ見れば、今回のメロアの行動は、あるいはファインプレーだったのかもしれない。


 エリナが止めていなければ千草にまで蓮の思惑がバレ、状況はより混迷を極めていた可能性が高いが。


(あっ……ぶねー。敦也がメロア様に殴りかかるかと思ったぞ……)


 エドガーは額に浮かんだ汗を、左手の袖で拭った。


『エリナの姉……少し待ってほしい。今、思い出す。……四年前にトレヴァス家に嫁いだ、ラナだね。懐かしいな』


「はい。両親は一度会いに行っていますが、私は教会の仕事が忙しく。……姉が出産してから、一度も会えていませんでしたから」


『うむ、それなら納得だ。家族は定期的に顔を合わせるべきだと思うからね』


 取り繕うように会話を続けるメロアとエリナ。いや、別に全く中身のない会話という訳でもないのだが。


 今も蓮と千草のことで頭が一杯だろうに、よくも全く違うことを話せるものだ、とエドガーは内心舌を巻く。


(女性の方がマルチタスクは得意な傾向にあるんだったか)


『しかし、それには無事に到着できなければ始まらない。空白地帯を抜ける必要がある以上、腕のいい傭兵を付けねばな……功牙』


「……分かってます。そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、()()()()()()。蓮には人を見る目がありますし、僕にも当てがない訳じゃない」


 功牙もメロアの察しの悪さに呆れているところがあったのか、少しだけ喋り方に棘があった。



 ――そもそもの話だが。


 まず、誰が見ても分かる通り、千草は蓮に対して明確な好意を抱いている。


 が、一方で蓮とエリナの婚約関係を邪魔する、したがるそぶりが一切見られないのだ。


 この状態で二人が大っぴらに婚約破棄のためにでも動けば、逆に気を遣った後輩系元気っ子がどんな行動に出るか定かではない。


(最悪、マジで誰にも何も言わずに、家出とかしかねないんだよな……千草の自己犠牲の精神は、本当に手に負えねえから)


 と、エドガーは下唇を噛んだ。本当は良くないと分かってはいるのだが、古い癖が出てしまった。


 千草は、本当にやる。思い至ったその日には、即座に行動に移すタイプだ。


 曙家の次女という立場も、そのフットワークの軽さに一役買っているのだろう。


 エドガーとしては、その運命が恨めしい。仮に千草が蛍光院に生まれていれば、おいそれと家出などできなかった筈だ……いやまて、その場合は美涼に取って代わる立場となる訳で、自分で結婚相手を選ぶことができず、縁談地獄になるだけか。なら蓮と結ばれる芽は今よりも無くなる。よりダメじゃないか!


(でも、これが終わったら今度は美涼のケアも考えないとなんだよな……)


 こう言ってはなんだが、蓮は憎らしいほどにモテる要素で溢れている。


 周囲より少し劣った家柄だが、由緒正しい血筋ではある。近年では神であるメロアに重用されはじめ、さながら「成り上がり系」の物語における中盤っぽさすら感じさせる。流れ変わったな。


 学園においては、家柄によって蓮よりも遥かにモテる敦也に対し、苦汁を舐めさせ続ける立場であるせいで一般生徒からは嫌われ気味だが、その人となりをよく知る幼馴染からすれば、好感度が上がらない理由がない。


 同性であり、蓮に負け続けている、他ならぬ敦也ですらも蓮を完全には嫌ってはいないほどだ。嫌いかけている理由はただ単に、妹である千草が蓮から一番に扱われていない状況に腹を立てているためである。


 誠実で努力家で、嫌味がない。弱きを助け強きを挫く、守られたい男ナンバーワンといった感じなのだ、蓮は。美涼がそれに惹かれているのも不思議なことではない。もっとも、当の本人が蓮への好意を自覚しているのかは怪しいところだ、とエドガーは思っているが。


(ったく、面倒かけやがって、この色男)


 エドガーがため息を吐きながら蓮を見れば、彼もまた疲れた表情をしていた。


 それに関しては水竜の神殿での出来事に留まらず、それ以前に悪漢と戦ったり、敦也との模擬戦にいそしんでいたこともあるのだろうが。……今日の蓮は、あまりにも忙しすぎた。


 サブカル好きのエドガーとしては、蓮がハーレムを形成して、何人の女性が相手でも悲しませないルートも空想したことがあるが……そのためには、どう考えても家柄の格が足りなかった。


(――もうなんか、全てが事故レベルで噛み合って、こいつどっかの国王として即位することになんねえかなぁ~……)


 全部が全部めんどくさくなり、投げ出してしまいたい衝動にも駆られたが、そうはならない。


 何故ならエドガー・オールブライトは、皆のお兄ちゃんだからだ。



 ――三年前に婚約が発表されてから、蓮は徹底してエリナを一番に扱い続けている。


 蓮自身は華族ではないが、エリナへの呼び方を「エリー」へと改め、親世代へと仲の良さをアピールしているのも、それが華族と婚約したものの務めだと考えたからだろう。


 実際、美涼たちが受けた教育とも相違ない。蓮はよくやっている。


 親への反発としてか髪を脱色したことに関しては、美涼としては少し残念だったが。


 幼馴染の中で自分と最も髪の色が似ているのが蓮であることは、ささやかな喜びであったから。


 蓮だけでなく、エリナもまた、蓮からの厚遇(こうぐう)を特に意識した風もなく、軽くあしらってみせることで、千草を必要以上に傷つけないように努めている……のだ。たぶん。恐らくは。幼馴染の視点をもってしても、エリナという少女の内面は非常に読みづらいのだが。


 ――それでも、昔とは変わってしまった。


 崩壊することこそ無かったが、今の関係は(いびつ)だ。


(恋愛なんて面倒なもの、いっそ存在しなければよかったのに)


 美涼は思う。


 千草と蓮が屈託なく寄り添い、笑っていられたあの頃が一番楽しかった、と。


(こんなに面倒な悩みがもう一つ増えるくらいなら、やっぱりあたしは恋愛結婚じゃなくていい)


 ちくりと胸に刺さるような、小さな痛みには蓋をして。


 思考の外側では、未だにメロアとエリナが世間話に興じているのが聴こえてはいたが。


(どうか今回の旅が、全部上手くいきますように。ちーちゃんが幸せになれますように)


 と、美涼は神に祈った。



 ――その祈りが届いた訳でもないだろうダリは、


(全然話に入れんくなった……あと、さっきより空気が悪くなって、なんだか居づらいのである……)


 ただボーっと、斜め上の天井を見上げていた。


 染み一つないことが、少し腹立たしかった。



 ――と、その時だった。


 天井を見ていたダリは、突如として神殿内の空気に変化が起きたことを悟った。


 何かが大きく変わったが、何が変わったのか、何故変わったのかが分からず、目を見開きながら視線を下ろす。


(――あぁ、()()()使()()()()()()()()……)


 そして、何が行われたのかを理解する。


(ダリは、盟友の判断を見守るだけである)



 エドガー、敦也、千草、美涼、蓮、エリナの六人が、狐につままれたような表情をしていた。


(――え、あれ? オレ、今一瞬意識を失ってたか……?)


 と考える蓮。他の面々も似たようなものだった。


 だが、対面する神はそんなことは素知らぬ顔で続ける。


『……よし。見たところ、単純に兄君と再会したい気持ちもあるのだろうが、君の場合は……大きく改善された神明家の現状を兄君に説き、神明家の跡取りとなる為に帰って来て欲しいと願っているのだね』


「……? ……合ってますけど、……けほっ」


 蓮は何か違和感を感じつつ、咳をした。なんだか喉が乾燥している。今さっきまではそんなことなかったと思うのだが。


『首都ロストアンゼルスには、四年前にトレヴァス家へと嫁いだエリナの姉……ラナがいるね。蓮、君は仲間思いのいい子だね』


(察しの悪い、不出来な我とは違ってな……)


 と、メロアは内心では自嘲しながらも、にこやかに言った。


 蓮は、自分が何を言うまでもなく、神の方から正当性を補強してくれた事態に驚いていた。


 エリナも同時に、


(……メロア様の、この察しのよさは一体……? 何かをされたのでしょうか。心を読むことは不可能だと聞いていましたが……)


 と、珍しく驚愕の表情を浮かべ、メロアを見つめていた。


 幼馴染組の中で最も、圧倒的なまでに水竜メロアについて詳しいエリナ。その彼女であっても、しかし今の状況を正しく認識することは不可能だった。


 先ほどまでの会話は全て、()()()()()()()()()()のだから。


 ――水竜メロアの失言も。


 ――暴かれかけた、蓮の想いも。


 ――エリナによる、メロアの発言の妨害も。


 ――それによって、敦也が抱える蓮とエリナへの不信感が解消されたことも。


 ――エドガーの呆れも、美涼の感傷も。


 全てが、六人の中では無かったものとされていた。


 ただエドガーだけが、


(なんか下唇が痛いんだけど……いつの間にか、無意識に噛んじまってたのか? ……どうしてだ?)


 と、その時間のズレに気付く契機を得ていた。


 その後、水竜メロアとの謁見はつつがなく終わった。


 デルとドール領には航路が確立されている。それを利用することにすれば、六人全員で安全なデルへと向かい、それからドール領へと海路で移動する手段もあるのでは? と千草が質問し。


 それに対して功牙が「いや、船というものは、そう簡単によそ者を乗せてくれるものではないよ。例えメロアラントの華族だとしても……エドガーあたりが、デルにおいても爵位を持っていれば話は変わるけど」と答えたり。


 ちなみにエドガーは呆れた顔で「持ってる訳ないでしょ、デルに爵位制度は無いんですし」と言った。


 話すべきことは話し、祝福も授けられた。


 子供たちは「何も問題なくメロア様との謁見が済んでよかった」と思いながら、神殿を後にした。


 メロアの力で遠隔操作されたことで開かれていた竜門がゆっくりと閉じ、その向こうにいた子供たちが完全に見えなくなると。



「――いや、めっちゃくちゃ焦ったぞババア!!」


 開口一番、宝竜功牙二十六歳は吠えた。年齢の割には、随分と品の無い言葉遣いとなってしまっていた。


 幼馴染組の前にいる時とは天と地ほどの差。水竜メロアを神と崇める者たちには不可能な振る舞いだった。


『……いや、まっことすまないね』


 そして、当のメロアもそれを咎める様子はない。


 ――これこそが、幼馴染組よりも先に、功牙だけが呼ばれていた理由。


 功牙が感じていたプレッシャーとは、「水竜メロアという、怒りを買えば容易く消されてしまう神との謁見」ではなく。


 ――子供たちの手前、普段とは違う態度でババアに臨み続ける必要がある、というものだったのだ。


 人間は年齢を重ねるごとに、誰しもが複数の顔を使い分けるようになるものだ。


 家族に対する自分、友人に対する自分、同僚に対する自分、上司に対する自分。


 それらのどれもが自分を構成する一側面であることは疑い様がないが……問題は、それらのどれを出せばいいのか判断に困る状況も、人生においては訪れる場合があるということ。


 ――地球で例えるなら、高等学校における三者面談の日がそれに近いかもしれない。


 あの日の学校の廊下において、教師、親、友人の目が同時に自分に向けられていた際、どの自分を出すか悩んだ経験は誰しもにあるだろう。


 ……あなたが、教師に対しても、親に対しても、友人に対しても全く同じようにぞんざいな態度と口調を貫ける、鋼の心臓を持つ者だったとしたなら話は別だが。


 少なくとも功牙にとっては、“子供たちを導く良き大人”としての姿をメロア()()()()()()に見られることは、率直に言って、とても恥ずかしいことなのであった。


 ……実はこの男、四年前にメロアラントを訪れ、ここに定住することを決める以前は、相当な荒くれ者としてその筋では有名だった。


 流れの侍として各地を放浪しつつ、路銀(ろぎん)が心もとなくなれば冒険者ギルドへと足を向け、即席のパーティを組んではダンジョンを蹂躙して周っていた。


 その活躍ぶりは、同行した者より「あんたの取り分を多くしておくよ……」と少し怯えた表情で言われることが偶にあるほど。ちなみに功牙自身はそうした態度を特に気にした風もなく、貰えるものは貰っておくというスタンスで生きてきた。


 後日蓮たちと共に信頼できる傭兵を見繕うために傭兵ギルドへと顔を出す予定となっているが、功牙の昔の活躍は傭兵ギルドでもよく知られている。


 なので、その日には前もってギルド側に大金を握らせ、口止めを徹底させておくつもりだ。


 功牙の名誉のために加えておくと、人間相手に暴虐の限りを尽くして生きてきた訳ではないので、さすがに冒険者ギルドにも傭兵ギルドにも所属していない一般人の間では、噂になるほどではない。


 ――また、他ならぬメロア自身、孫のように可愛がっている功牙の、この素の面をこそ好んでいる。


 それ故に、メロアが功牙に罰を与えることなど、到底あり得ないのだった。


 一体、どれだけ姉の直系の子孫に甘いのだろうか。砂糖入れ過ぎの紅茶か。


「……まぁある意味では、そのおかげで今の子供たちの関係性がよーく分かったから、僕としても助かったっちゃあ、助かったけどさ」


 勿論、功牙としてもわざと汚らしい言葉遣いをしようと努めている訳ではない。先程は溜まっていた怒りが爆発しただけであり、基本的にはババア呼ばわりまではしていない。


 変に癖をつけてしまうと、いつか子供たちの前でもババアと言ってしまいかねない、と憂慮していることも手伝っている。


「何も問題なく、封印できたんだよな?」


『うむ、それに関しては問題ない』


 功牙の確認に、メロアは自信を持って頷いた。


 明哲(めいてつ)にして明敏(めいびん)な読者諸君は既に察しているかもしれないが、水竜メロアは幼馴染組の六人に対して、記憶の操作を行っていた。


 時間を巻き戻すことは誰にもできなくとも、()()()()()()()()()()()方法は存在する。


 メロアが支配する領域である≪クローズドウォーター≫を通らせていたこと、そして祝福を与え、メロアと彼らの結びつきが強まったこと。


 それらを利用し、メロアは彼らから、メロアが失言するあたりから先の記憶を封印した。


 それは封印であり、消去ではない。いつか何か大きな切っ掛けがあるか……もしくはメロア自身が解除すれば、今日の記憶は戻るだろう。


 これはどの龍であっても扱える権限であり、かつては故炎竜ルノードも、配下であるアニマの多くに対してこれを使っていた。己が意図せずに生み出してしまった、現炎竜グロニクルを悲しい宿命から守るために。


「あの子たち全員、千草のことが大切で仕方ないんだな。てっきり、一人だけ年下だから、妹として庇護欲をそそられる……みたいな感じだと思ってたんだけど」


 まさか誘拐事件の際に、千草が大怪我を負っていたとは、と功牙は前髪をかき上げながら息をついた。


 何から何まで、誘拐犯との戦いの様子の全てが伝えられた訳ではなかったが、功牙には察せるものがあった。皆が千草を大切にしている様子を見て、以前から感じていた違和感のようなものが解消された気がした。


「あの子たちにとって、千草はまさに女神って訳だ。その女神様は決して全能じゃなく、むしろ見ていて危なっかしいくらいで。自分たちこそが千草を守りたいのに、千草に守られてしまう。それが彼らが抱えていた悩みで……」


 功牙の言葉を引き継ぐように、ダリが口を開く。そろそろ話に混ざりたいのだろう。


『――その女神であるところの千草が、蓮に好意を抱きはじめた……それがいつからかは知らぬが。それで、あやつらは千草への恩の返し方をようやく見つけたと、喜んだ訳であるな』


 その口調はぶっきらぼうというか、メロアと同様、人様の恋愛事情を耳にすることで心が浮つくことがないのかもしれない。


「まぁ、罪悪感とか義務感からじゃなく、他ならぬ蓮自身も千草を好いているように見えるから、それに関しては健全でよかったな…………と思うんですけど」


 功牙としてはメロアに話しているつもりだったのだろうが、よく考えればダリも会話に参加しているのだ、と慌てて丁寧語に変更することにしたらしい。


『……取り繕わずとも構わないのである。メロアが曾孫のように扱うおまえを、ダリは権力で抑えつけようとは思わぬ。である』


「――あ、マジっすか? じゃ、そうさせてもらおっかな~」


 功牙はそう勧めたダリ本人ですらも「オイ」と眉を吊り上げたくなる程あっさり、けろっと子供のような口調へと変わると、


「そういうダリ様も、その喋り方してて疲れないの?」


『――ダリは別段意識して作っている訳ではないのであるっ! 単純に、人の言葉に慣れていないのだっ!』


「あぁ、人間と会話することが基本的に無いんだったっけ……」


 普段は、竜族としての言葉でのみ会話しているのだろうか?


 正直、災害竜テンペストの勢力がどのようなものなのか、人間でいうところの一般市民にあたるような竜族が、沢山存在しているのかすら存じ上げないが。


 ――じゃあ逆説的に、その奇々怪々(ききかいかい)な“である口調”は、母親である災害竜テンペストに教えられたってことか……? テンペスト何ふざけてんだよ、と功牙は思った。ダリは母親に心酔していそうなので、わざわざそんな不敬な内容を口にはしないが。


「――話を戻すけど。余りにも短いスパンで、複数回記憶を操作しても上手くいくもんなの?」


 功牙はメロアの方を向いて言った。複数回の記憶操作。先程メロアの失言を取り消すために行ったものが一度目だとすれば。


 二度目とは、これから。……いや、今されている真っ最中のもののことであった。


『それも問題ないさ。……何より、こういう状況をも想定して、この神殿は作られているのだからね』


「ふーん……」


 水竜の神殿。そこを訪れる為には並々と注がれた≪クローズドウォーター≫を通り抜ける必要がある。


 害意を持つ者だと分かっていれば、その時点で拘束、排除が可能であり。


 清流人に対しては、メロアとの結びつきの強さにもよるが、精神や肉体に働きかけることも可能だ。


 メロア自身は清廉潔白を意識して生きているつもりなため、人間の意思を捻じ曲げたり、肉体を勝手に操作したりするつもりは毛頭ないが。


 彼ら自身のためを思えば、その記憶の一部を封印することはある。


 もっとも、敵対者が相手であれば話は変わってくる。


 美涼へと幻術を掛け、意識を共有することでこちらの内情を探ろうとしていた間者に関しては、容赦なく対処した。


 美涼を通じてとなるため調整は多少難しくはあったが、術者へと働きかけ、ここ数日の記憶を封印してやると共に、両腕を熱した≪クローズドウォーター≫で焼き、大火傷を負わせてやった。あわよくばそれによって、術者を特定できるかもしれないと考えたこともある。


 どうやら帝国領へと馬車に乗って戻る途中だったらしいその術者と、その仲間たちが今頃どれだけ混乱しているかと想像すれば、自然と笑みも浮かぶというものだ。


 尚、その際にメロアは向こうの術者の五感を覗いていた。馬車の一室を一人で広々と使い、良い御身分であった。恐らくは美涼側の動向に集中するために、出来るだけ静かな空間を作り、そこに一人でいたのだろうが。


 それが幸いして、術者は命を失わずに済んだのだ。もしも周囲に仲間が控えていて、美涼を通して見聞きしたものを即座に伝えられていたなら、本人の記憶を操作するだけでは済まなかった。


 今回の場合であれば、馬車の周囲にいた全員を≪クローズドウォーター≫で包み、溺死させることにしていたはずだ。


 水竜メロアにはそれが出来る。能力的にも、精神的にも。


「美涼との間にパスを繋いでいたこと、それに加えてばーさんが術者本人の水翼を奪って≪クローズドウォーター≫を扱えたってことは……そいつは元から、ばーさんの意思で≪クラフトアークス≫を与えた清流人だったのか?」


 裏切者の予感に、表情を険しくする功牙。


 しかし、メロアは首を横に振った。


『いや、そうであれば、そこまで分かっていたさ。大方、別な龍に≪クラフトアークス≫を与えられた者が、清流人の血液を摂取し、新たに水翼を取り込むことに成功したのだろうね』


「別の龍……ちっ、嫌な予感ばかりガンガン当たっちまいそうだな」


 功牙は、一瞬安心しかけてしまった自分を恥じるように舌打ちした。


 それは裏切者が存在するよりも、遥かに面倒な状況を裏付けるものだったためだ。


『今頃あやつらは、≪クローズドウォーター≫によって洗浄されている最中であるな。……既にダリのことも』


『あぁ、もう覚えてはいないよ。それも確認済みだ』


 それこそが、メロアがあらかじめ用意し、蓮たちがここに足を踏み入れた時には、既に決定されていた仕掛け。


 ――彼らはこの中で、ダリと名乗る龍と出会った記憶を、地上へと持ち帰ることはできない。


 それが、蓮たちに対して徹底された、最高の秘密であった。


「ま、仕方ないわな。今回の幻術にも幻竜か、その周りのやつが関わってたってことなんだろうし」


『そうだね。子供たちはまだ未熟故に、簡単に心の中を覗かれてしまうだろう。その時に、ダリの存在を向こうに気取られる訳にはいかない』


『……実に難儀な相手であるな』



 ――そう。


 水竜メロアは、かつて謎に包まれた龍の一体である幻竜と、実際に斬り結んだ経験を持つ、初代龍ゼーレナの弟子である。


 師匠より、幻竜について知る全てを伝えられている。


 徹底してその姿を隠し続け、全ての龍に不幸を招くために暗躍し。


 結果としてあらゆる人間の国を巻き込んで災厄を起こし続ける、龍たちからは“幻想”と呼ばれる存在。


『今回の件で確信できたよ。幻竜は今、帝国に与している』


 それを斃すために、水竜メロアはあらゆる努力を惜しまない。


『――これ以上貴様の好きにはさせんぞ、グレアム』



 種明かし:ダリの立ち回り


 第8話において、こんな会話がありました。

「――ええ、お恥ずかしながら。ダリ様、ご教授いただければ幸いです」

『うむ、では説明してやろうぞ。こちらのメロアからな』

(あんたがするんじゃないんかい)


 こういった風に、ダリがメロアにばかり喋らせるように立ち回っていたのは、「この謁見が終わった後、子供たちからはダリの記憶が消えるように設定されていた」ためです。


 もっとも、子供たちの中ではダリ喋っていた内容もメロアが喋っていた内容として勝手に良い感じに改竄されたりしているため、そこまで徹底する必要は無かったかもしれません。


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