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後編2

 超常の距離が。無限の隔たりが。呻き声のような音と共に単なる彼我の距離に畳み込まれる。

「斬ると言ったものは斬るんだよ」

「言ったか?」

「……言い忘れたかねぇ」

「有り得ぬ……有り得ぬ……」

 上下に分かたれたそれ(、、)が、声を絞り出す。

「我らは神にも近しい力を……」

 猫の口から漏れるのは、溜息。一歩、また一歩と距離を詰める。周囲の光景はさらに変わって、猫が立っているのは細い足場(キャットウォーク)。周囲には一面のケーブル、赤い照明、あちこちに貼り付けられたメモ書き。

「たまたまナノマシン工場で死んだだけじゃないのかい」

「たまたまなものか」

 なぜか応えたのは傘だった。

「わざわざここを死に場所に選んだのだろう?何者かになれるかもしれないと、その可能性に賭けたのだろう?」

 それは古い古いIDを持つ何者かの、痕跡のようなものだったのかもしれない。人工の妖気によって形を得てしまった、そこに本来なら留まるべきではなかったはずのもの。それに終わりを与える。猫の手の中にいつの間にか握られていたのは、短い方の刀。その刃が、そこにあった人の痕跡に吸い込まれる。

「ああ、そうか。私は」

「ん?」

 ヒトであったものが、最後の声を上げた。

「私は、ヒトか」

「そうだね、ヒトだろうね」

 それに対して心底興味なさげに猫は呟いた。


「とんだハズレをひいちまったもんだよ。無駄に手間がかかっちまった」

 短い刀を鞘に納めながら猫がぼやく。

「素直に蛮勇教会に殴り込んだ方が良かったか?」

「その方がマシだったかもねぇ」

 軽口を叩きながら開いた傘を通路に立てる。

「でも、後は呼ぶ(、、)だけだし、終わり良ければって奴じゃないかい」

「まだ終わってないけどな。特に俺」

 開いた傘が、ゆっくりと回り始める。

「まあそう言わずにさ、ここが消える前にちょっと頼むよ」

「そのためにこっちに来たんだしな、わかってるけどよ」

 言葉に風切り音が混ざり始める。

「傘使いの荒い猫だぜ」

「今更だねぇ」

 回転する傘の前に、猫が持っていた腕を置く。開いた傘の縁に電撃が走る。

「本職ではないがこのくらいなら……」

 そう言うと猫は袴を払い、胡座をかいた。

「略式ではあるが」

 目を閉じ、手刀を切る。口の中でなにやら唱えつつ、同時に喉からはごろごろと音を鳴らす。人工の妖気がそこにあつまり、うねり、限界を超えた濃度になるそのとき。

「来ませい!」

 ぱん、と手を叩き、目を開く。瞳に機械の腕と、電撃が映る。回転する傘の表面に複雑な文様が浮かび上がった。あるいはそれは魔法陣だったのかもしれない。

「……!」

 声にならない叫びは誰にも聞こえず、しかし空間に確かに作用した。音もなく軋みよじれるその場に、町のどこかとのつながりが生まれ、道が通される。場所という意味が、そして二点間の距離が破壊され、機械の腕と、猫の持つ天使の羽根(、、、、、)を触媒に、面発光素子を全身にまとったメタル者がその場に落ちてきた。気を失っているようだ。

「都合がいいかもしれないね。さっさとつれて戻ろうか」

「ま、ここにいてももうやること無いしな」

 いつの間にか回転をやめた傘が、ひとりでに畳まれながら言葉を続ける。

「それにしてもきれいさっぱり使い切ったもんだな」

 そしてメタル者を担いでいる猫に問いかけた。

「基底聖堂なくなるとどうなるんだ?」

「あれ、知らなかったかい?」

 猫が傘の方に振り返る。

「新たな基底聖堂がどこかに生まれるんだよ」

 傘を掴み、基底聖堂であった空間に背を向ける猫。その顔は、すでにその場への興味は失っているようだった。


「しかし、あの刀は見えてれば何でも斬れるのか?」

 部屋の外から傘の声がする。いつものように傘は外の傘立てに居るのだ。それに部屋の中から猫が応える。扉はない。

「斬れないよ。刃が届けばたぶん何でも斬れるだろうけどね」

 刃が届けば何でも斬れる、というのはそれだけでもとんでもない話である。

「じゃああの時は」

 無限の鳥居の向こうにいたはずのものを、横薙ぎに一閃したはずだ。あの時そこには確かに届くはずのない距離の壁があった。

「ああ、あれかい。高いところにいたからね。ここよりは色々できるんだよ」

 それを猫は事も無げに言う。

「そういうもの(、、)だったか?」

そういうもの(、、、、、、)なんだよ」

 微妙にニュアンスが食い違っているような、奇妙な空気が流れた。しかし、その空気は侵入者によって霧散する。

「猫の人!」

 面発光素子を酸と重金属の雨に濡らし、色とりどりの光を乱反射させながらその侵入者は扉のない部屋の境界を超えてきた。

「無事だったかい」

 そちらを振り返り、目を細める猫。

「おや、その腕……」

 片腕の肩から肘にかけて、真新しい外装はしっかりコーティングが施されているだけでなくその上にはフィルムまで貼られていた。

「ああ、先生につないでもらったついでにカバーも新しくしてもらってさ。せっかくだから猫の人に見てもらおうと思って」

 どうやら出荷時の保護フィルムもそのままに見せに来たらしい。

「そうだ、これ」

 どこからともなく取り出したのはギアオイル缶。

「……せっかくだしありがたく頂こうかね」

 少し目が泳いだのにメタル者が気付いたかどうか。

「その腕も剥がすのかい?」

「フィルムは剥がすんだけど、コーティングは残しても良いかなって思ってさ」

 それを聞いた猫が、目を見開き、大げさに驚いてみせる。

「おや、どういう風の吹き回しだい?アイデンティティだとか言ってたと思ったけど」

「……ここだけ溶けてないのも、ちょっとかっこいいかなと思って」

 以前アイデンティティなどと大きなことを言ったのを持ち出されて少し毛恥ずかしくなったのだろう、声に勢いがない。しかし猫は手酌で杯に注いだギアオイルに舌を近付けながら言った。

「いいじゃないか。趣味も、アイデンティティも、変わっていってこそヒトだろう?」

 舌が油に触れる。逆立つ猫の毛。部屋の外からは変わらず雨の音。

 この町の雨は、止むことがない。

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