煙草
心理学には「世界を変えようとする前に自分の部屋を掃除しろ」という言葉がある。要は、「イデオロギーは結構だが、君個人はどうなんだ?」というわけだ。本小説では特に道徳というイデオロギーを描いたが、社会的地位やアイデンティティが確立しないうちに、右翼思想やアクティビズムに身を投じる人間は多い。彼らは誰のために声をあげているのだろうか?自分のためではないか?そういう葛藤を抱きつつも、普遍的な道徳性を最後までどうにか突き通す、弱いとも強いとも言えぬ人間を描いた。文学やシリアスな小説に興味のある人にぜひ読んでもらいたい。
本多は卑屈な青年であった。顔は青白く、全身の骨が剥き出しで、その高い背丈がかえって陰鬱な雰囲気を放っている。ごく普通の中流家庭に生まれた彼は幼くして喘息を患い、以来母親の過剰な心配で危険ごとからは遠ざけられていた。かといって勉学や趣味に精を出すわけでもなく、成績は常にまずまず。まさに平凡な学生という感じであった。
結局本多は都内の私立大学の文学部に入学した。母親は本多の意見を尊重し、父親も母との対立を避けるために本多に介入しなかったので、本多は受験期でも十一時頃には床につくことができた。入学前の春休み、本多はひどく暇をしていた。近所の図書館で借りてきた二、三の小説を読み終えた途端、退屈感が彼を襲った。夕陽は空を赤く染め上げ、カラスが群れをなしてうるさく鳴いている。ふと本多は父親の書斎から本を借りようと思い立った。階段を駆け上がり書斎のドアを開けると、すぐ横に大きな本棚がある。日本を憂えた自称愛国者の本を数多見つけ、父親の本の趣味に呆れ、恥ずかしくなった。それでもめげずに一つ一つ確認していく。その中でも一際厚い本に目を引かれる。「実践理性批判」。哲学者イマヌエルカントが書いた18世紀の古本である。本多は手を伸ばし、パラパラとめくった。難解なことが書かれてあるということしか分からないが、その断定的な文体にシンパシーを感じ、これを読もうと決め、書斎を出た。その本を傍に抱えながら、浮ついた気持ちで階段を下る。部屋に戻ると、すぐに本を開き、読み進めていく。難解な言葉遣いへの嫌悪感は、次第に尊敬へと変わり、明晰な論理に夢中になった。「汝の意志の格律がつねに普遍的立法の原理として妥当しえるように行為せよ」本多はこの意味の分からない文を読んで感動した。昔から冷笑的で批判的な人間であったから、自分は道徳とは全く縁がないのだろうと思い込んでいたが、カントが言うには冷笑的で同情を全く感じない人間が、「人助けをしよう」という意志のみに従って行動するのが最も道徳的であるらしいのだ。本多は今までに感じたことのない喜びを得た。本を読み終えて充足感に浸っていると、キッチンで調理をしている音が聞こえて来た。本多は咄嗟に部屋を飛び出して母のもとへ行き、日頃の感謝を訥々と言ってみた。初めての経験であったからか、母は驚いて病気を疑ったが、本多は気味の悪い微笑みを浮かべて見せた。
それ以来、本多は「実践理性批判」を肌身離さず持ち歩き、老人が乗車してくれば今だとばかりに立って席を譲ってやり、コンビニの募金箱には嬉々として千円札をねじ込んだ。そんなある夏の日、地域のボランティア活動でゴミ拾いをやっているというので、チラシに書いてあった公園に行ってみることにした。自転車で数キロ走った先にその公園を見つけるが、予想以上に閑散としている。まだ誰も来てないらしい。仕方なくゴミ袋を広げゴミ拾いを始める。一個。二個。ペットボトルやタバコが沢山落ちている。そして二十個くらい拾った時、誰にも見られていないことを虚しく感じる。一体俺は何をしているのだろう。ふと立ち止まってカントの言葉を思い出してみる。「意志にのみ従って行動することが道徳的なのである」。「ああそうか。人に見られていようとなかろうと、俺は意志に従えばいいのか」この言葉に励まされ、本多の不安は払拭された。残りのゴミも拾って、近くのゴミ捨て場に投げ捨てた。ふうと一息つく。「なんだろう、この清々しさは。俺は誰に評価されるわけでもなく意志を貫き通した!なんて道徳的なんだ!」本多は手をパッパとあからさまに手を叩いた。本多は風に吹かれながら、恍惚として自転車をこいでいく。
家に着くと、まだ誰も帰っていなかった。テレビをつけて手を洗う。ふと台所に食器が散乱しているのを見つけて、スポンジを手に取り洗い始める。「あぁ、なんて清々しい日なんだ」と悦に浸っていると、テレビからニュースが聞こえて来た。怒りが込み上げる。世界第一位の資産を持つ悪徳で有名な投資家が、途上国の医療支援に一億円を寄付したというのだ。本多は苦悶した。「あの悪徳な資産家が俺よりも世界のためになっているのいうのか?」本多は焦燥感に駆られ、リュックから実践理性批判を取り出し、付箋を貼ったページを読み返す。「あいつは自分の名声のためにやっているだけだ。俺はだれに評価されなくともゴミを拾ったが、あいつはメディアに報じられない限りは人助けなどしない!ほらみろ、あいつは道徳的でなどないのだ!」本多は自分にそう言い聞かせて心の安静を取り戻した。
夏季休暇が明けて大学が再開した。本多は昨日のことが忘れられず、電車の中で実践理性批判を食い入るように読み込んでいた。すると一人の妊婦が乗車してきたので、本多は本にしおりを挟んで、いつものように席を立とうとする。しかし、正面に座っていた運動部らしき高校生が先に席を立って「ここにどうぞ」と言って席を譲った。本多は怒りに震えた。咄嗟に妊婦の腕を強引に掴み、「僕、次で降りるんでいいですよ」と言って自分の席に座らせた。しばらく電車に揺られたあと、駅で降りるが、頭の中をぐるぐると疑問が駆け巡る。「なぜ俺は今怒りを覚えたんだ?既に座る席があったなら、わざわざ俺が譲る必要はなかったはずなのに。俺は誰のために席を譲ったんだ?」そう自問して歩いている間に大学に着いた。本多は五限に一コマだけ哲学を履修していた。釈然としない気持ちで講義室へ入る。今日の講義はニーチェについてであった。その思想の歴史的背景や意義についての説明は真面目に聞いていた。しかしある言説を耳にした途端、本多は居た堪れないほどの怒りを覚えた。いわく「道徳とは、弱者が強者に一般的な競争では勝てないから、社会的な地位を転覆させるために作ったものである。したがって弱者は道徳を乱暴に使いかねない」というのだ。本多にはこの言葉が憎くて憎くて仕方なかった。足がガタガタと震えだす。時計を見ると講義はもう終盤に差し掛かっていた。本多は教授に論戦をしかけ、言い負かさければならないと心に決める。チャイムが鳴って生徒が席を立ちはじめる。荷物を整理し出す教授に、本多は「今日の講義について質問してもいいですか」と話しかける。「ああ、なんでも聞け」と言う教授。本多が「道徳が弱者のルサンチマンでできたというのは本当ですか?生物学的にも、人間には道徳的な感性がすでに備わっていることがわかっているはずです。ニーチェは本当のことを言ってるんですか?」と聞くと、教授は「進化の過程で道徳的感性を身につけたというのは本当だろう。だが、社会が発展するにつれ、その道徳が弱者によって乱用され始めたんだよ。俺はこれだけ道徳的なんだってね。本来の目的から逸脱して、道徳がエゴイストの道具に成り下がったんだ。これが道徳の矛盾だよ」と答える。本多には返すべき言葉が見つからなかった。「分かりました」そう弱々しく答えると、本多は講義室を後にした。
本多は寂寥感に襲われた。教授の言葉が頭の中をグルグルグルグルと駆け巡る。力の抜けた足音を立てながら、放心状態で駅に着いた、電車に乗って座ると、堰を切ったように不安が込み上げてくる。体に力が入らなくなり、ダランと放埒になった足が隣の人に当たってしまった。「ちゃんと座ってください」そう注意されたが、聞こえないフリをする。隣の人は深いため息をついて別の車両へ移動した。本多は意志を破ってしまったことに今更気づいて、迷惑にならないように次の駅で降りることにした。朦朧とした意識で改札を抜けて駅を出る。どうやら帰るには、歓楽街を抜けたところの川に沿っていかなければいけなかった。一歩二歩、トン、トンと頼りない足音が歓楽街に響く。気づくと、右手に風俗らしき卑しい色彩の店があった。本多は自嘲気味な笑みを浮かべて、勢いに任せて店に入っていった。本多は呼ばれるまでは椅子に座っているように言われた。奥からは、男の最も情けない声が聞こえて来る。しかしもはや彼は背徳感など感じていなかった。二分くらい経っただろうか、思いの外早く呼ばれた。奥から本多と同じくらいの年齢と見える風俗嬢がバスローブを纏って出てくる。その目の輝きの無さに最初に目が行ったが、眉は静かで、鼻梁が美しい。しかし血色が悪く、唇には赤みが一切といっていいほどなかった。本多は引き寄せられるようについていき、彼女の支持通りに床に座った。彼女は手を本多の頬に当て、なぞるように手を上半身まで移動させ、服を脱がそうとする。彼女がボタンに手をかけた瞬間に本多はその手を制してやめるように訴える。驚いたような顔を一瞬見せたが、直ぐに理解したようで、彼女は手を止めた。静寂が数秒間続いた。本多は「君はなんでこんなことをやっているんだ?君だって好きでやってるわけじゃないだろう?」と詰問する。彼女は近くにあった煙草を手に取り、蒸しながらトボトボと答える。「好きでやってるわけないじゃない。でも仕方ないの。きっと私の努力が足らなかったんだわ。恵まれている人は私よりも頑張っているのよ。私は、社会の隅で、こうして惨めでいるのが相応しいって。そう社会が判断したのよ」
本多は胸が張り裂けそうだった。少し黙り込む。「…違うよ、違う。君はチャンスに恵まれなかっただけだ。恵まれている人が君より頑張ってるって?そんなわけないだろ。資産家のやつらを見てみろよ。やつらは電車に揺られたこともなければ、君のように耐えがたい屈辱を受けたこともない!ただ親の会社を相続しただけ、ただそれだけじゃないか。俺だって、君だって、誰だって人の役に立ちたい。だが俺にも君にもその力がないんだよ!じゃあ力がなかったら人の役に立っちゃいけないのか?違う。ああ、きっと違うはずだ。君だって、誰にだって人の役に立つ権利はある。君は社会の隅にいるべき人じゃない、そんな人はいないよ」本多はそう言うと、財布にあった全額の五万円を彼女に強引に渡して、逃げるように店から出て行った。
本多は息も絶え絶えに近くの古本屋に向かった。リュックから付箋だらけの実践理性批判を取り出して、一枚一枚付箋を剥がしていく。それを店主に渡し、何とか五百円で買ってくれと土下座で頼み込み、店主からの同情を得た。本多はその五百円を握り締めてコンビニへ向かい、煙草とライターを買う。お釣りを乱暴に募金箱に流し入れると、歓楽街を通り抜けたところにある川へ向かった。息を切らして走る体力もなくなった。本多は歩いて橋まで行くと、欄干に体重を預け、やや焦り気味で煙草に火をつけた。初めて吸ったタバコは不味かった。煙草の煙は細長く焚き上って、暗い夜空に飲み込まれて行った。