1改稿
婚約破棄ものを書きたくなって書いてみました。
剥き出しの赤黒い大地から煙のように湧いて出てくる魔物の軍勢。
心臓の鼓動が煩いくらいに鼓膜に響く。
一歩誰かが踏み込めば、犠牲になるのは一番弱い新人の俺たちだ。
張り詰めた空気は俺たちの心を蝕んでいく。
『もう嫌だ!!母ちゃん!』
そう叫んだ新人団員でも下っ端の奴の声につられ、次々と隊列を崩してく。
『うわあああ!!魔物に囲まれた!!』
『早く剣を!!』
『チクショウ!腕を持って行かれた!』
鉄錆くさい匂いと腐臭の匂いが混じったこの空気から逃れるために、俺は一歩 また一歩と前進する。
もう腕が上がらない。剣を持った指先は魔物を倒した返り血で、いつ剣を落としてもおかしくない状況。
剣を手放せば、魔物の胃袋に収まるのは俺たち新人。
この死の森での遠征が俺たち第三竜騎士団の最終試験だと聞いた。
この第三竜騎士団の団長として活躍している俺の兄だった人も、突然の魔物からの攻撃で新人時代の当時の仲間の半数が魔物に攻撃されたと言っていた。
だからこそ、ほんの少しの事でも仲間同士で報告、連絡、相談は蜜にするようになってからは、死者ゼロを叩き出している。
「シューマン!お前の小隊は何人残ってる?」
「三人だ。逃走が二人。魔物の攻撃での死者は三人だ。ロベルト!お前のところはどうだ?」
「俺も三人だな。逃走が五人、あいつら確実に食われてるだろ」
今回の死の森への遠征に駆り出されたのは、八人編成の小隊が十五。周りを見ても俺とシューマンの小隊員達以外はここそこに彼らの体だった部位が転がってる。
死んだ団員の服を引き裂くと俺は剣を握らせた自分の手からぐるぐると布を巻いた。昨日まで笑いあってた仲間は目を開けたまま横たわっている。
ここで魔法は使えない。剣と運で乗り切るしかないのか。
「絶対に王都に帰ってやるんだ!行くぞ!!」
まさかあれが俺たちの人生を百八十度変えるとは、もし、もしもあの日、あの時に戻れるなら今度こそ俺は貴女を…
初恋の君である貴女を守りたい。
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「これより私第一王子ギルバルトは、サルディーニャ侯爵令嬢との婚約を破棄をここに宣言する」
割れんばかりの歓声と怒号、吃驚の声が卒業パーティーの会場内に響き渡る。
会場の中は、蜂の巣をつついたよう。そんな中には、オッズでこの婚約解消を賭けて一儲けを企む学生もいた。
大半は『やったー』『あー負けた!』と言う声がそこら中に上がっている。
今までずっと侯爵令嬢を憎々しげに見ていた第一王子は、自分の隣に立つ可愛らしい少女の腰をとり、とろけるような笑みを浮かべている。
(あんな笑顔なんて見た事ないんですけど!怒)
「ギルバルト様 どうして、どうしてでございますか? あなた様はこの婚約がこれからの王家の力を磐石にするための物だとお分かりにならないのですか?」
(このアホンダラ!本当にその頭は何が入ってんのよ!あんたが今王子なのは、私が、公爵令嬢が婚約者だからなれたんだって知ってんの?)
「黙れアナスタシア!誰が殿下に物申していいと言った。場を控えよ」
「痛いと言ってるの。ホーウェインス様。馬鹿みたいな力でか弱気女性を力でねじ伏せるなど、騎士団長子息の名が泣くわよ。私はあなたに私の名を呼ぶのを許した事などないわ」
(うわぁ、何このマントゴリラ!痛いじゃないの!腕が折れる!あんたの家族がこの事を知ったら、あんたは一瞬で物言わぬ骸となるか、危険区域に出されるかのどちらかだわ)
「!!」
怒りに任せてロベルトが侯爵令嬢の髪を鷲掴みに掴まれ床に強引に跪かせると、貴族令嬢にとって罪人の様に捕らえられ跪かされるのは、矜持を重んじる彼女達には屈辱である。思い掛け無い光景に王子の目が一瞬見開いた。
自分の腕にぶら下がる様に立っているアルベルタの手を愛おしそうに撫でながら、ゴミを見る様な目で見下ろしている。一方で強引に跪かされたアナスタシアはややつり目の目でロベルト ホーウェインスを見上げた。
「煩い!煩い!お前はいつも母上や乳母みたいに私の顔を見ればすぐに小言しか言わない。お前の顔など見たくもない」
「私はギルバルト様のためを思って…痛!!」
(大体今までそのお妃様や乳母達のお小言をスルーしてきたのは、何処のどなたでしたっけ?こっちはね、好きでもないあんたとの婚約+正妃教育で学院すらまともに来れなかったんだんだけどね。そんな私に生徒会の役目を押し付けてきたのは、何処のどなた?)
彼女が言葉を発する度に、腕をひねり上げるホーウェインス力が増してくる。
そんな状況でも冷めた目で彼女を見下ろすギルバルトの表情からは、二人が幼い頃から育んで来た友情も愛情さえも感じない。元々この婚約はギルバルトの祖父である先王から持ってきた婚約話。侯爵家には王家に逆らう事ができなかった。
「そう言う其方の生意気な所が嫌なのだ。どうして我が愛しのアルベルタの様に私を認めてくれぬのだ。彼女だけなのだぞ、私の心を救ってくれたのは。それだけならまだ良かった。其方はアルベルタへの嫉妬にかられ、か弱いアルベルタを集団で虐め、あわよくばか弱い彼女の命まで狙ったと聞くではないか。侯爵令嬢もそこまで落ちるとは、滑稽だな」
(はぁ? どーこーがーか弱きなのよ。あの子はね、元々は平民出身。実家は飯屋を営んでいたし、近所ではガキ大将として大勢の男の子達を顎で使ってきたって、知ってんのかしら?)
「滅相もございません。私はギルバルト様にも言いましたが、もしアルベルタ様をお側に置くのであれば、側室か寵妃とされればよろしいかと。アルベルタ様には王子妃には相応しくありません。アルベルタ様は子爵令嬢。それも庶子です。ギルバルト様は愛情の余り見目が曇りがちになられている様ですね。本来ならば、あなたが国王夫妻、そして貴族達に打診し彼女を王子妃として相応しい侯爵家の養女にされてから、上級貴族の礼儀作法を学ばせ、全ての根回しを終えその後で婚約破棄をするのであれば、私や他の上級貴族達も納得できたでしょう。それを怠ったのはギルバルト様ではないですか」
(このすっとこどっこい!あんたが単細胞なのが原因だよ!もう少し自分の立場と彼女の今後の事を考えて見やがれ!)
アナスタシアの清廉理論の言葉にぐうの音も出ないギルバルトだったが、ここに伏兵が現われた。
「酷い!酷いわ!アナスタシア様。そんなに私が憎かったんですね。私が子爵令嬢で庶子だからと言って私を下げずむことはないと思います。ギルバルト様は私の様な者にも勉強をする場を与えてくれました。確かに私はギルバルト様が好きです。下町で初めてお会いした時から好きです。この学院に来てギルバルト様が王子様だと知って驚きました。私とは違う世界の人だから諦めようって…そう思う様にしていたんです」
「アルベルタ…君って子は何て心が清らかなんだ」
「アナスタシア様、ギルバルト様がずっと苦しんでいたのを知ってますか? 私は好きな人が苦しんでいるのを見たくはなかったから、できるだけ側にいて彼を支えてあげたいと思っただけです」
ギルバルトの側近達も頻りに頷いているが、それは王子が苦しんでいたのではなくて、ただ単に王族としての自己責任から逃げ出したかっただけなのに、何をここまでご丁寧に飾り言葉をつけてまで婚約期間中の浮気を正統性するのかわからないとアナスタシアは醒めた目で寸劇を見ている。
「でも…酷いです。私が邪魔だからって私の命を狙うことはないと思います!もし、アナスタシア様が謝罪をしてくださるなら、私もアナスタシア様がされた事を許します」
「……!」
何も言わずにいても、「あなたはアルベルタに謝るべきだ」怒りの籠った声でホーウェインスが捻る私の腕の痛みは増すばかり
しかも首元には剣まで突きつけられている。ここで自分が全ての罪を認めても彼らが我が侯爵家を潰すのが目的ならば、断固として認めてやるものか
「い、嫌です。私は謝りません。私から全てを奪うあなたは、私にしてもいない罪を認め、謝れと仰る。果たしてそれが冤罪だった場合、あなたも同じ様にして私に謝る事ができますか?」
(あんたねー!こっちが下手に出ていれば、色んなことを吹っかけて来てくれるじゃないの。これが冤罪だったら、勿論、あんたの家も取り潰されるのは確実だし、殿下だってタダじゃ済まされないって分かってるのよね?)
「……」
「それがあなたの答えなのでしょう。でしたら、私も謝りません。ホーウェインス様放しなさい!女性の体をみだりに触るとは、恥を知りなさい。ギルバルト殿下 婚約破棄了承致しました。では失礼いたします」
(フン。やっぱり、良いとこ取りなんじゃないの。冤罪だったら、『私知らなかったんですぅ〜』の一言ですますんでしょうが、絶対にそれはさせないわよ!)
退出する最後の一礼まで優雅にこなすアナスタシアに会場の中の学生達は、本当にあの侯爵令嬢がそんな酷いことをしたのか?と疑問が飛び交う。
その夜、王都にあるホーウェインス辺境伯家の別邸では、父親のラファエルからの鉄拳を受け床に倒れ込むロベルトの姿があった。母親のロスヴィータは優しい父親の激昂の激しさに震え怯える我が子ロゼリアを抱きしめている。
「見損なったぞ。ロベルト!お前はギルバルト殿下の側近の立場でありながら、女に現を抜かすとは。本来ならばサルディーニャ侯爵令嬢が言葉にしなくとも、主の過ちは命を持ってでも諭すようにと言い遣わしたはずだが。何をしておったのだ。か弱気令嬢の髪を掴み、床に跪かせるとはなんたることを!この!恥!晒し!が!」
まだ床の上に倒れているロベルトを見下ろす父ホーウェインス辺境伯爵の薄青色の双眸は怒りと悲しみに満ち溢れていた。
「ラファエル!もうこれ以上の制裁はお止めくださいませ。ロベルトが死んでしまいます!ロゼリア、侍従に言ってロベルトを部屋に連れて行きなさい」
「ロベルトお前には失望した。ここで私に切り捨てられなかった事に感謝しろ。お前は一ヶ月間の謹慎だ。ルーズベルト!」
「は!」
顎でそいつを連れて行けと指示を出すとラファエルはマントを翻した。
「私の護衛につくのはカインズ、サイモン。伯爵領に残るのはロスヴィータ、ロゼリア、ルーズベルト以上だ。私はこれから彼奴が起こした不祥事を詫びに王城へ向かう。ロスヴィータ後は頼んだぞ」
「ラファエル様もご武運を」
「ロゼリア、兄だからと言って、彼奴から目を離すな。同情もするな」
家では剣の稽古以外は比較的温厚な父ラファエルが、ここまで激昂させたのをロゼリアは見た事がなかった。ルーズベルトと呼ばれた侍従に支えられ立ち上がったロベルトは魔術師専用の枷を両腕にはめられ、その上に抑止力の術までかけられた。
「…かしこまりました。お父様、御守りを必ずお持ちになってくださいませ」
「ああ、分かった。あのマントだな」
「旦那様…こちらでございます」
「では、行ってくる」
「ご武運をお祈りします。お母様、ロベルトお兄様、行きましょう」
ラファエルが王都へ出立してもまだ泣き崩れている母親を支えるロゼリアは王都へ向かう父の無事を祈った。ロベルトの部屋を出ようとしたロゼリア達が気になって立ち止まると、焦点の合わない目でロベルトがしきりに何かを呟いている。
「…くない」
「え?」
「ロゼリア様。今のロベルト様に近づいてはなりません!」
「ルーズベルト。兄様が何かを言ってるのよ。聞かないと、何が兄様をここまで追い詰めたのかを聞かないと」
ロゼリアの必死の懇願に負けたルーズベルトは絶対に自分をこの部屋から追い出したり、これ以上ロベルトに近づいてはいけない事を約束させた。
暫くの間部屋の中は重苦しい空気が流れた。全身が総毛立つ。
その沈黙を破るかの様に、ポツリポツリとロベルトが話し始める。
「なあ、ロゼリア。父上はああ仰ったが、俺は悪くない。絶対に悪くない。そうだろ? 全ての元凶はアナスタシア様だ。彼女が悪役令嬢だったからだ。そうだろうロゼリア? 俺は間違っていないんだ。アルベルタと友人だったお前なら、俺の気持ちが痛いほど分かるだろ?」
恍惚とした表情を浮かべるロベルトの目はドロリと濁っている。父に殴られ切れた唇から漏れ出ているのは血ではなく、禍々しい邪気。その邪気がロベルトを中心にゆっくりと渦巻き状になると大蛇の形に変幻した。それが大きく口を開けるたびにどす黒い邪気が飛び出しては周囲の壁に新たな呪詛のような紋様を着ける。周囲の壁にはべっとりと張り付いた邪気がこちらの様子を伺っている。
ロゼリアが気づいた時には、既に四方をドロリとした邪気に囲まれていた。
「え?い、いやぁぁぁ!」
気づいて逃げようとするも、ロゼリアの足は後ろではなく、前へ。そうロベルトの方へと一歩、また一歩と。
「ロベルト様、それ以上お嬢様に近づいてはなりません!」
『グアア』
無詠唱で光魔法の結界を出したルーズベルト。
光魔法の使い手のルーズベルトがいなかったら、ロゼリアもロベルトと同じようにあの邪気に取り込まれていたに違いない。
「私、アナスタシア様の事を悪く言う、今のお兄様の事は好きではありません」
それだけ言い残すと、ロゼリアはルーズベルトに守られる様に大広間へと足を早めた。何度も後ろ髪を引かれつつ、振り返りそうになるが彼女の脳裏にあるのは、扉を閉めるその時まで狂人の様に床に這い蹲りこちらをじっと睨んでいた兄の姿だった。
兄の今後の行動とこの家の未来がどうなるのかと考えるだけで、ロゼリアは見えない恐怖に震えてく。
「ロゼリア、ロベルトはどうでしたか?」
まだ少し震えているロゼリアを見ても、母ロスヴィータの口から出てくるのはロベルトの事だけ。
幼い頃はそんな事に傷ついたけれど、成長するとともにロゼリアは母のロスヴィータにも、兄のロベルトにも期待するのをやめた。
「お母様、お覚悟を決めた方が宜しいかと思いますわ。今のロベルト兄様は普通じゃありません。お父様がロベルトお兄様を追放されるのも時間の問題です。私、怖いんです。お父様は王城に召集されたのでしょ? 一刻も早くロベルト兄様を連れて、領地に戻った方が良いと思います。領地にはローレンス兄様やランドルフ兄様、ラインナルト兄様もいらっしゃいますし、お父様がご不在の時もロベルト兄様の行動を抑える事ができますから」
ロゼリアの願いも空しく、ロスヴィータは夫ラファエルが帰宅するのを王都の別邸で待ちたいと言い出した。
二週間ほど大人しくしていたロベルトに安心したロスヴィータは、彼にかけてある魔力抑止力を解術した。まだロベルトの腕には枷が付いている。
ロスヴィータは自身の豊富な魔力量を受け継いで生まれて来てくれたロベルトを子供達の中でも溺愛した。
ホーウェインス辺境伯爵にとって、魔力豊富な騎士は初代ホーウェインス辺境伯以来のこと。魔法騎士が誕生するのは英勇を我が家から出したと同じ様に誇らしげに思っていたのに。事もあろうに王妃様お気に入りのサルベーニャ侯爵令嬢をロベルタはその魔法騎士としての力で傷つけたのだ。恐らく二度と魔法騎士としての道も騎士団員に入ることも叶わないだろう。
ロゼリアの不安は当たってしまった。
大きな破壊音と共に建物全体が揺れた。
結界を貼られていた自室から脱出したロベルトは大広間にいた母親と対峙していた。ロベルトの母ロスヴィータは今は辺境伯爵夫人として慎ましくしているが、自身は王妹ながらも王宮騎士団出身と言う経歴を持っている。そのロスヴィータがロベルトに倒され床に伏していた。
「お母様…お兄様、お、お母様に何をされたのですか?」
まだ床には色褪せていない鮮やかな血痕が残っている。
「お嬢様、ロベルト様に近づいてはなりません。旦那様には先ほど連絡を入れましたが、今回の婚約破棄騒動で王城からこちらへと戻られるのは未だ未定でございます」
「そう、わかったわ。ではローレンス兄様、ランドルフ兄様そしてラインナルト兄様達に伝言を送ります」
侍従も去り、漸く自分の部屋で一人になれたロゼリアは震える手で魔法伝言の術を発動させた。早く言わなきゃ、伝えなきゃと焦るあまりに拳を握りしめ慟哭した。
ロゼリアの魔法伝言が兄達に無事に届きます様にと女神に祈る。
『兄様!!助けて!お母様が死んじゃう!』