初恋は人生における大切な通過点かも知れない
初恋
西津 紀夫
(一)
照りつける太陽は、ほぼ頭上にあった。蝉しぐれが耳に痛い。
川中と私は室生川に沿って、ただ黙々と歩いていく。うだるような暑さのためか、辺りに人影はなく時折り砂埃をあげ、車が追い越していく。
山峡の底にひっそりとたたずむ室生村は大地を床にして、なにもかも深い眠りに落ちているかのようである。無数に立ち並ぶ老杉も、遠くに点在する民家の黒瓦も。
川中とは大分市も外れに位置する滝尾という田舎町に住んでいたころからの友人で、中学一年の三月、父の転勤で鹿児島県出水市に移り住んだため、しばらく交際が途絶えていた。だが、二人とも偶然に福岡の大学に進学したことから、ふたたび交際が始まった。
入学と同時に川中と私は、歴史研究会に入部した。三年で歴史研究会の部長に就いた川中をはじめ部員の努力と、福岡という大陸に近い地域特性を生かし、「七世紀の朝鮮半島情勢と水城、大野城について」や「シャーマン卑弥呼とアレルギー喘息についての考察」など、多くの小論文を大学内外に発表することができた。
そして今回、大学も最後の夏休みを利用し、部員十数名全員で奈良へやってきた。
ひと月かけ、奈良の寺々や平城京跡、斑鳩の里、山の辺の道、飛鳥路を散策したのち、川中と私はさらに東に位置する室生寺に魅せられていたため奈良に残り、他の部員は九州へ戻っていった。
皆と別れたのち長谷寺を参詣し、二人は初瀬川沿いの長谷寺温泉郷に宿をとった。
小太りの見るからに人の良さそうな宿のおかみが、
「暑かったでしょう」私らに茶を出しながら言った。
「最近、温暖化で覚悟はしていましたけど、それにしても暑いですね」
「ええ、あたしも長年生きてますが、この暑さは初めてですよ。昨日は仏壇にあげていた蝋燭が、暑さのため首を垂れたように曲がったんですよ」おかみはそう言って、太った体で大きく息をついた。
「蝋燭がですか?」
「蝋燭も うな垂れる 暑さかな』
川中は自分で吐いた俳句を月並みの駄句と思ったのだろう。照れたように頭を掻きながら私の方を向き、ふたたびおかみに視線を戻した。
「これでも、夕方になって、ずいぶん涼しくなった方ですよ」
温泉郷の中でも高台に位置する昔ながらの旅館はまわりを木々に覆われ、風の通りも良い。夕方に吹き抜ける風を、おかみは、「極楽の余り風」にたとえた。
「なるほど。極楽の余り風ですか」川中は感心した様子で、
「わたしらも極楽の仲間入りですね。地獄の余り風じゃなくて良かった」そう言って笑った。おかみも大きな口を開いて笑った。
おかみが部屋を出る際、
「申し訳ないんですが、昼過ぎには室生寺に着きたいんで、日の出まえに宿を出発しようと思っているんですけど」川中が気まずそうに頭を下げると、
「室生寺まで歩いておいでですか?」小さな目を丸くした。
「ええ。むかし、お伊勢参りする人はみんな歩いたんでしょう」
「それに、周りの景色も十分堪能できますし……。ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします」川中は再度、頭を下げた。朝食が不要なことは前もって知らせておいた。
「いえ、いいんですよ。ただ、室生までの道は坂や石段が多く険しいですよ」
せっかく、歴史に埋まった地を訪れたのだから、それを肌身で感じたい。川中の想いは私も同じであった。
夕食後、風呂に入り浴衣に着替えた私は、畳の上に腹ばいになり、本を開いた。しかし、
とても読む気に書する気になれず、ぼんやりテレビに目線を向けていると、しばらくして風呂からあがってきた川中が、浴衣の帯を締め直しながら、
「外を見てみろ。月がきれいだ」
私は中腰になりながら、開け放った窓の外を眺めた。その日は満月の夜で、折から青白い光が山々に映え、山ひだに深い影を落としている。
二人は電燈の明かりを消し、敷かれたばかりの布団の上に腹ばいになった。月と稜線のあいだの吸い込まれそうな空間に、先日、秋篠寺で見た伎芸天女が微笑みながら立っていた。
そのうち伎芸天は由美子に変わり、仏のように穏やかな彼女の顔が中空いっぱいに広がり、やがて、彼女のそばで子供のように笑む川中の顔が浮かんだ。二人は、向き合ったまま互いの顔を見つめ合っている。
どのくらい時間がたっただろう。
「まだ、起きてんのか。早く寝ないと、朝が早いぞ」目を覚ました川中が寝ぼけ声で言った。同時に、由美子と川中の顔が夜空から消えてしまった。
ふたたび川中の寝息を耳にしながら、私は民家の明かりがすっかり消えるころまで、いまはその数を何倍にも増した満天の星々を眺めていた。
翌朝、四時過ぎに眼を覚ますと、足音をたてないよう階段を降り、おかみにお礼の手紙を置き、温泉宿をあとにした。
秋はもうそこまで来ているのか。早朝の大地を渡る風は、暑さに慣れきった肌に、むしろ肌寒いぐらいであった。万葉の昔から、奈良盆地から急に山間に入り込むこの一帯は「篭口の初瀬」と呼ばれ、多くの旅人や歌人に親しまれた場所である。
長谷の門前町をあとにして初瀬街道に出て一時間ほど経った頃には、うっすらと白みかけていた空も昨日同様、夏の輝きを少しずつ取り戻し始めていた。
「今日も一日、暑くなりそうやな」
茜色から青く輝き始めた東の空を仰ぎながら、川中が言った。
二人は人の往来のない道を一路、東へ東へ歩いた。両側に連綿と連なる山並みを割って道は延びている。
榛原の手前の小さな食堂で朝食を済ませ、室生の玄関口、室生口大野に着いたのは正午少しまえであった。
室生口大野から数分、坂を下ったところに室生寺の末寺である大野寺がある。春にはしだれ桜が美しいと聞いている。寺のそばには宇陀川が夏の光を乱反射させながら細く流れ、光を割って石ころの川底が見える。
対岸にはカンナで削ったような巨大な柱状節理の岸壁が聳え、30メートルの岩肌には二重円光背をもつみごとな弥勒如来が刻まれている。高さ十三メートルを越す国史跡の摩崖仏は鎌倉前期に造られたものとされる。
二人は土手に腰をおろし、ぼんやり、それらを眺めていた。
そのうち川中が、向こう岸へ渡ろうと言いだした。
「水着もないし、こんままじゃ渡れんぞ」そう応えると、
「パンツ一枚だ。通行人もいないし……」
そう言うが早いか、川中はさっさと洋服を脱ぎ、川に入っていった。
「おまえも来いよーっ」気持ち良さそうに、流れに水しぶきをあげている。
背後を振って返り道のほうを見上げると、人影はない。しかし、川中のようにパンツ一枚になることは少々、気が引けた。いっぽう、荒削りで物ごとに捉われない彼を羨ましくも思った。由美子もそうした彼に魅力を感じているのかも知れない。
川中と由美子について、あれこれ考えていると、ちょうどそのとき、川中が立っている向こう岸へ、身をくねらせながら泳いでいく一匹の蛇が眼に入った。
最初はただの蛇と思っていたが、細く三角に尖った頭の形から、それがマムシであることが分かった。
マムシは黒い体を自由に回転させながら、川中が立っている川岸に泳ぎ着き、岸辺に上がろうとしていた。
「おーい、注意しろーっ。マムシだ」
「どうしたー」
「マムシがいるぞー」
「どこだー?」
「おまえが立っている足元のほうに向かっている」思わず、大声を出していた。
「そのまま戻ったら危ない。迂回しろ」
注意したが、別段驚いた風でもない。反対に蛇が消えた足元の薮を足で払いながら、マムシを確かめようとしている。
「危ないぞー。近くに病院もないしな」
「分かった。ありがとうー」
そう応えながらも低い草薮が覆う細い道をさらに磨崖仏の方へ向かって歩きだした。
そのとき私は、川中のことを、いっそマムシに噛まれりゃいいと思った。
(そうだ。噛まれて死ねばいいんだ)
福岡から大分に転校してすぐ、大の仲良しになった川中と私、それに由美子の三人は、小川でメダカをすくったり、レンゲ畑で転げまわったり、大分川の土手でかけっこしたり、土筆がのびた土手に腰を下ろして、「春の小川」を合唱したりして遊んだ。
ところがそれから二年余り。中学に進学してすぐだったと思う。
由美子が「川中と私の二人が好きだ」と友人にこぼしたことを、その友人から聞いたことがあった。信じられない。そうした軽はずみなことを口にする由美子ではない。仮にそう言ったとしても、それは単なる友達としての「好き」に過ぎないだろう。
しかし一方、この頃、私の心の中で由美子に対する友達としての感情が大きく揺らぎ始めていたのは事実であった。
そして大学卒業まえの今回の奈良旅行。
(噛まれて死ねばいい)。長年の友達であり、信頼を寄せてくれている川中に対し、そのような言葉が一瞬たりとも脳裏を掠めた自分を攻めずにはおれなかった。
気がつくと、自分も宇陀川に飛び込んでいた。下着一枚の羞恥心やマムシのことなど、もう、どうでもよかった。
流れが体を下流へ押しやる。流れに逆らうと爽快であった。
押し流せ。もっと激しく押し流せ。そして卑劣な根性を……。
対岸に泳ぎ着くと川中が、
「よく来たな」嬉しそうに私の肩を叩いた。
摩崖仏をしばらく眺めた後、さらに室生寺へ向かって歩く。蛇行しながらのびる道の両側は杉林が広がっているが、杉林を抜けるとふたたび、容赦なく太陽が照りつける。耳を突く蝉しぐれが一つになって次第に膨らんでいく。同時に地面から立ち上がる熱気のため目が眩んで、時折り景色が大きく揺れた。
渓谷に沿ってうねうねした道を二時間近く歩いただろうか。
急に山峡が開け、茶屋や土産物店の向こうに太鼓橋と呼ばれる朱色の反り橋と表門が見えた。春は表門の背景に咲く桜、秋は橋の左右に立つカエデの紅葉が美しいという。
「着いたぞー」先を歩く川中が、弾んだ声で言った。
室生寺は高野山と同じ真言宗の総本山で、高野山が女人禁制を継承したのに対し、鎌倉時代、女性にも山門を開いたところから、「女人高野」でも広く知られる。今日でも寺の参拝客の八割近くが女性だともいわれるので、現在のジェンダー問題の先駆けともいえよう。
また、この地域は古代から水神さまの聖地としても名高い霊的な地で、山の洞窟には龍が住んでいると信じられてきた。干ばつの際、天皇が使いの者を派遣し、雨乞いの祈祷をさせたといわれる。
寺の創建については680年という説と770~780年という説があるようだ。後者だと仮定すれば、八世紀後半に山辺親王、のちの平安京を造都した桓武天皇(737~806年)の病い回復のための祈祷が行われ、その効果により興福寺の高僧・賢璟(けんきょう705~793年)が勅命を受け最初の建物をつくり、その弟子の修円(771~835年)がいくつかの建物を引継いだという説が有力だろう。
室生川の水面が夏の光に輝いている。しかし、室生寺に到着した感動も、次に襲った眩暈によって、かき消されてしまった。
全身から力が抜け、あわてて橋桁にもたれ、すんでのところで路上に倒れずにすんだ。
川中はまえを歩いていたため、私の急変には気づかないようだ。互いに楽しみにしていた奈良旅行である。ここで、川中に余計な心配をかけたくない。
山門を左に折れ、よろい坂を登っていくと杉木立ちを背に、柿葺きの金堂があった。方五軒、前方に突き出た舞台は朱を剥ぎ落とした扉の、さらにその内へと誘う妖しさで迫ってくる。長年の歳月が生みだした自然との調和美だろうか。
私は舞台の下から縋破風の屋根、さらに杉の先端へ向かって何度もシャッターを切った。あのぎらついた太陽は雲に隠れ、青空の所々に真綿を積んだように雲が重なっている。それは少年のころに川中や由美子と見上げたあたたかでやさしい空であった。
金堂内に入った。中心に色あせた高さ三メートル近くある光背をもつ釈迦如来像が瞑想にふけった顔を正面に向けている。右手に文珠菩薩、地蔵菩薩、左手に薬師如来、十一面観音が並び、前方にひとまわりもふたまわりも小さな十二神将が立っていた。外のまばゆい光に比べると暗い静かな空間のなかで、その瞳は悪童のように輝き、それぞれ怒ったり睨んだりしながら、外部からの侵入者に睨みを利かせていた。彼らは、月が乳白色に輝く夜ともなれば、一斉に武器を振りまわし、人々を襲って食べるといわれる夜叉と戦うという。
しかし、侵入者を拒もうと睨みをきかす彼らを見つめていると、それぞれに親しみが沸いてきて、むしろ滑稽にさえ感じられる。なぜだろう。お姿かたちが小さいためか、それともまわりの如来さまや観音さまが彼らとは対照的に、慈悲深いお顔で静かに微笑んでおられるからであろうか。十二神将には川中も特別に興味を持った様子で、立ったりかがんだりしながらそれらを眺めていた。
金堂の左手から石段をわずかに登ると、日本で最っとも小さいといわれる五重塔が杉木立ちのなかに、ひっそりと立っている。室生寺の堂塔のうち、この五重塔だけ平安初期の建立とされる。
杉のあいだを抜ける風が、ときおり梢を鳴らし、小さな雲が空中を這うようにして相輪をかすめていった。
二人は緩やかな坂を上りながら、さらに無明橋へ歩いていく。この辺りまでくると山気も次第に濃くなり、辺りの空気もひんやりしてくる。橋の右手は天然記念物指定地で、いちめんにシダが群生し、微細な水滴を乗せたシダが木漏れ日を浴び七色に輝いていた。
「しばらく休んでいくか」川中が言った。
「朝から歩きづめだからね」
二人は岩の上に腰をおろし、水筒に手をやった。岩肌から突き出た木の根を伝って、山水が苔の上に落ちる。水を含んだ苔は、辺りの空気を緑色に染めた。
「気分が悪いんじゃないか」
「どうして?」
「顔色が悪いぞ」川中が心配そうに、私の顔をのぞき込んだ。
「いや、どうもないよ」
「奥の院まで急な石段が続くし、明日にして、ひとまず宿へ行こう」私を促した。
「大丈夫だ」
立ち上がると、私は奥の院へ向かって歩きだした。
今日中に奥の院までは行っておきたい。と言うのも、室生へ来る途中、ラジオで聞いた天気予報によると、潮岬の遠く沖合いを台風がこちらに向かっているという。このまま接近すると、明日夕刻から風雨に見舞われるかも知れない。できたら、計画どおり奥の院まで行き、できれば龍穴まで足をのばしたいと思った。川中も楽しみにしていた龍穴であり、明日は行けるかどうか分からない。
三百数十段の石段を鋭角に見上げながら奥の院へ歩いた。この石段のことを、「浄土に続くきざはし」と、だれかが例えたそうだが、たしかにこの地に立つと、空気の流れが止まり、時間さえ静止しているような気持ちになる。
山頂付近に奥の院はあった。弘法大師が祠られているという御影堂はこの数十年のまえに建て替えられたのか見栄っぱりな印象さえ受けるが、歳月とともにやがて、辺りの自然に調和し、溶け込んでいくことだろう。
御影堂をあとにし、石段を下り、室生寺の山門を出た。
「龍穴へ行くのは明日にして、宿へ行こう」私の体調を気遣って、再度、川中がいった。
「大丈夫だって」
「おまえも頑固だな。どうなっても知らんよ」
「ああ」
予定通り、龍穴へ向かった。日も西へ大きく傾き、暑さも幾分和らいでいた。
室生川に沿って一キロも歩くと、左手に龍穴神社はあった。数十メートルもある杉に覆われた境内は森閑として薄暗く、時折り、山鳥の鳴き声が辺りに響く。重く閉ざされた扉の内からは、千数百年むかしのままに僧侶の雨乞いや止雨を祈る読経がうねりとなって聞こえてきそうだ。
施錠された社内には入れないため、しばらく周辺を見まわしたのち、龍穴へ急いだ。かつて、龍穴への道は神社境内の裏手から谷に沿ってはしっていたそうだが、現在ではいちめん衣で覆ったように、岩々に草木が張りついていた。
さらに室生川に沿って歩き、左へ折れると、林道が蛇行しながらのびている。林道を登るにつれ、緑に覆われた岩はところどころ赤褐色の肌をむき出しにしてくる。
龍穴神社から二十分ほど歩くと、道の左側に龍穴と書かれた小さな案内標識があった。草木に覆われているため、注意して見ないと、つい見過ごしてしまう。
案内板から左に折れ、急な坂を下った。
「龍穴だ」川中が眼下左手を指差した。雑木林を透かして、二メートルほどの真っ黒い間口をこちらに向け開いている。
岩穴の上には屏風のように切り立った岸壁が紺青の空を覆い隠さんばかりに高く聳え、厳かな空気が漂う。
糸を引いたような細い流れが木漏れ日にチラチラ輝き、通り抜けていく風が梢を揺らし、疲れきった心身を洗い流してくれる。
川中は河原に腰をおろし、リュックから鉛筆を取り出すと、スケッチを始めた。
川風に吹かれながら、私は江戸中期の古典学者・契沖(1640~1701年)の伝記の一節を思い出していた。
契沖がこの地にやってきたときのことを、契沖の弟子は伝記の中に、こう記している。
師その幽絶を愛し、
以って形骸を捨てるに堪うとなし
私は立ったまま、木洩れ日に輝く流れをぼんやり眺めていた。そのうち、一枚岩の上を流れている清流に入ろうとして、靴を脱いだ。
「滑りやすいから、気をつけろ!」背後から川中の声がした。
そのときだった。地軸が大きく前後左右に揺れた。
「大丈夫か?」
川中の掛け声と同時だった。遠くから子守歌が聞こえてくる。少女の声で、声音といい歌といい、かつてどこかで聞いたことがある。
そうだ。かつて村の鎮守の秋祭りのときだったかと思う。
歌声はゆっくり、川岸に向かって下ってくる。
声の方に目を凝らすと、樹木のあいだから現れたのは十四、五歳の娘だった。ところどころに丸い白模様が入った紺がすりは色褪せ、それがいっそう少女を少女らしく際立たせている。
私たちに気づくと鼻筋の通った顔をこちらに向け、紅色の小さな口元に笑みを浮かべ、ピョコンと頭を下げた。頬にできたえくぼが印象的だ。
川岸に立った少女は手を合わせ、龍穴に向かってしばらく頭を垂れたのち、ふたたび私たちに頭を下げると、もと来た道を戻っていった。
私の心の中でなにかが大きく動いた。なんの関係もない偶然の出会いであったが、いま引いてゆく波に二度と会えることはできない。
「よさんか」川中が制止した。
しかし、理性をなくしたように川中の声を無視し、坂道を登った。
それにしても、よほど山道に慣れているのか、カモシカを彷彿させる身軽さで、少女はそのうち道の向こうに消えてしまった。
龍穴まで引き返すことにした。
しかし、辺りの景色がいつ、どこでどう変わったか。振り返ると前後左右に道らしい道はなく、樹葉が生い繁る世界がどこまでも広がっているだけであった。
「とにかく、ここから早く出ないと……」
大声で川中を呼んだ。しかし、掛け声は虚しく辺りに響くだけである。
樹木にからみついた蔓をかき分けながら、それこそ必死に道を捜した。咽喉は渇き、手足は傷だらけ。網にかかった鳥同然であった。
「まつもとー、まつもとーっ」
そのうち、遠くで私の名を呼ぶ声がした。近づいて来る声はまさしく川中だ。
「良かった……」
「何やってんだっ」川中は口を尖らせた。
「すまん、すまん」
「すまんじゃないよ」
そののちふたりは山中を徘徊しながら民家を探し求めた。西に傾いた日は、辺りを茜色に染め、山ひだに深い陰を落としている。
山峡の日の入りは早く、足元から急速に暮色が濃くなっていった。
「これ以上歩くのは止めたがいい」
川中の判断で、その夜はその場に寝ることにした。
木の葉の上に横たわるに頃には、日もすっかり落ち、代わって夜空には、満天の星が広がった。
「どうして、あとを追ったりしたんだ。おまえが追ってきたなんてあの子が知ると、イヤな思いをするだろよ」
返事に窮した。
「まさか、おまえがあんな行動にでるって……」
(思い出を追ったまでだ。初恋の思い出を、な)と言いたかったが、口には出せなかった。
「秀ちゃん、見てみろ。星がきれいだ」川中らしく、すぐに話題を変え、星空を指さした。。
ふたりは寝転がったまま、しばらく星空を眺めた。
そのとき、静けさの中で突然、近くの小枝がザワザワと音をたてた。
「川中、なにかいるぞ」
「う……、うん」
すでに眠りかけていたのか、
「風の音だろ」面倒くさそうに応えた。
そのとき、暗く沈んだ藪の中にほの白く、人影のようなものが動いた。
「やっぱり、だれかいるぞ」
川中の体をゆすって、ようやく上半身を起こし、指差す方を見つめた。
雑木をかき分ける音が次第に近づいてくる。
「なに者か?」
薮の中から現れたのは、小柄な老婆であった。丸い背には、竹で編んだ小さな篭を背負っている。
「こんなところでどうなされた。道に迷われたか」
「はあ」川中が頼りなく応えた。
「こんな場所じゃ、眠れんじゃろ。獣も多いしな」
「ええ」
「粗末な家じゃが、よろしかったら泊まっていきなされ」
「助かります」
老婆の親切に甘えるしかない。二人は同時に頭を下げ、あとに従った。
雲間から月が現われ、老婆を青白く照らした。白髪にしわが目立つ。とうに七十は越しているだろうが、曇りのない目は赤子のように輝いている。
老婆のあとに従ってしばらく山道を歩くと藪の向こうに突然、平地が広がり、その奧に、帆船のように夜空に浮かびあがった岩山が見えた。
老婆の家は岩山の底に隠れるようにしてあった。左手には岩山から落ちる滝が糸を引きながら落ち、森閑とした辺りに水音を響かせている。
老婆は節穴だらけの遣り戸を開いた。
「足もとに気ぃつけなされ」
老婆が歩を進めるたびに、揺れるランプの光が大きく湾曲した天井の梁や土間の隅に置かれた農機具を照らした。
老婆は私らを炉端に座らせると、勝手の方へ立っていった。
やがて戻ってきた老婆は自在鉤に鍋をかけ、炉の中の薪をかき混ぜた。薪が含んでいた火が炎をあげ、揺れる自在鉤の影が天井で大きく揺れた。切れめなく滝の音が聞こえてくる。そのとき背戸を開く音がした。
「あらっ、お客さま?」
鈴をころがしたような声であった。背戸の方に目をやった。
私は手にした湯呑みを落としそうになった。上がり框まできて、ピョコンと頭を垂れた少女は、龍穴で見たあの少女であった。
「娘です」老婆が少女の方に視線を移しながら、目を細めた。
七十過ぎの老婆と目のまえの少女とが親子など、とても考えられない。
(おとうさまは?)そう聞きたかったが尋ねるわけにもいかず、川中に目線を映した。
囲炉裏をはさんで向かい側に少女が座った。小柄ながらも正座した少女の背筋は真っ直ぐのび、囲炉裏の炎が彼女の白い顔を赤々と照らした。
小鳥のように無邪気な瞳。幼な顔ではあるが、静かで落ち着いた仕草。無口な子ではあるが、表情には絶えず笑みが漂っている。炎に揺れる顔は炎の中にそのまま熔け込んで、、いまにも消え入りそうであった。
野草の入った粥を食べたのち、老婆は娘に、私らを風呂に案内するように言った。
三人は勝手口から外へ出て、川中と私は少女のあとに続いた。闇と銀白色の月の光によってできる陰影が少女の黒髪を白く染めている。
背戸を出て数十歩歩くと、左手に小さな滝があり滝壷に向かって勢い良く流れ落ちている。来る際に見えたあの岩山だろう。
少女が案内した場所は、滝壷の先にあって、周りを木々の葉が覆っていた。少女は布を木の枝に掛けると、
「風呂あがりに使ってください」そう言って戻っていった。黒く厚い雲が月をかすめ、左の方へ急いで流れていった。
「しかし、驚いたなあ」少女が去ってから、川中に呟くと、
「ああ、きみが探していた龍穴のあの……」
「なんか、夢でも見てるみたいだよ」
「会えて良かったじゃないか」そう言って、軽く笑った。
「ところで秀ちゃん、……」
「なに?」
「おまえ、あの娘が好きになったんか?」
「か、からかうなよ」
「ハハハ……。すまん、すまん」
茂みを透かして眺める空は悲しいまでに高く澄み澄みきっていた。
風呂から出て、木戸のすそを持ち上げるようにして家に入ると、炉端には老婆だけで少女の姿がない。
「娘さんは?」尋ねると、
すでに寝てしまった、と応えた。急に力が抜ける思いがした。
「山鳥も鳴きやんだし、ぼちぼち、休みましょう」
山の生活はこれが自然なのだろう。老婆は川中と私を隣の部屋に案内した。板戸を引くと、六畳ほどの板床にゴザが二枚、よれよれの毛布が三、四枚あった。
「粗末なものですが、勘弁してくだされ」
老婆は毛布を床に広げたのち、炉端へ戻っていった。
頭上の連子窓から斜めに射す月の光は、足下の壁の中程までのび、私は少女のことを考えながらなかなか寝付けずにいた。
すぐに眠りに落ちてしまった川中の寝息を耳にしながら、何度も寝返りをうった。
窓からさす月の光、その美しさと少女の顔が重なって二、三時間たっただろうか。うつらうつらしながら用を足しに行こうと上半身を起こし、川中のほうを見た。
しかし、そばに寝ているはずの川中の姿がない。もし起きているなら物音で気づくはずだが……。わずかの時間だろうが、熟睡していたんだろうか。
トイレにでも行ったのだろう。
しばらく、川中が戻ってくるのを布団の中で待った。しかし、いくら待っても戻ってこない。
戸外に出た。さきほどまで出ていた月は厚い雲に覆われ、辺りいちめん漆黒の闇が広がっている。稜線の向こう、空に薄っすら広がる光だけが頼りであった。
老婆の家も闇の底に静まり返っていた。さらに家のまえは深い断崖になっているようで、吸い込まれそうな漆黒が谷間に向かって落ち込んでいる。
「それにしてもいったい、川中はどこへ行ったんだろうか」
わずかな明かりを頼りに、家屋周辺を探した。
そのとき、左手の方でなにかしら動く影があった。
足音をたてずに近づき、動いた影に目を凝らすと、闇の中に揺れているのは、なんと、川中とあの少女ではないか。ふたりは崖の淵に身をすり寄せるように座っている。
雲が流れ、月の光が辺りいちめんを照らした。
川中が少女の黒髪をなでているではないか。
やがて、川中の右手が少女の華奢な肩にまわる。
そして次の瞬間、少女は川中にすべてをあずけるように彼の両腕の中でのけぞった。シルエットは私の心をこおろぎの羽根のように震わせた。
いたたまれなくなり、静かにその場を離れ、部屋に戻ることにした。
(三)
翌朝、窓から射す光で目を覚ました。布団はたたまれ、そばに寝ているはずの川中の姿はなかった。隣の部屋で老婆らと雑談でもしているのだろうか。
引戸を引いた。が、炉辺には人影はなく、部屋中を捜しまわったが、三人の姿はどこにもない。
朝方、少々眠っただけで、昨夜はほとんど寝ていない。よろけるようにして戸外へ出た。
崖のほとりに立つと、昨夜、暗闇の中にあった谷が朝日に輝き、はるか眼下に見えた。
巨岩のあいだを、糸のように渓流が縫っている。ゆったりと立ちあがる雲霧は、まるで仙人がパイプをふかしているようで、私は家の内外三人を捜してまわった。
しかし、川中も少女も、それに老婆の姿もなかった。昨夜の出来事は、やはり夢だったのだろうか。だが、現に私は老婆の家のまえに立っている。
午後になっても三人は現れなかった。さらに数時間、川中も少女もどこへ消えてしまったのか。
これ以上、この閉ざされた山懐に一人いても仕方ない。日が落ちてしまったからでは身動きできない。地理に不慣れで危険ではあったが、日が落ちるまえに山を下りることにした。
雑木のおい繁った山道を、汗を拭きふき歩いた。来たときと同じ獣道といった険しい山道であった。先に進んでは元に戻り、ふたたび違った道を探す。五里霧中であった。
谷底は危険と判断し、山の中腹まで出ようと、急な坂を這いつくばるように登っていった。
そのうち、かつて人が通った跡があるような細い道に出ることができた。
そのとき、
足元から聞こえてくる小川のせせらぎに混じって、遠くから私の名を呼ぶ声がした。
声はゆっくり、こちらへ近づいてくる。雑木や雑草に遮られて相手の姿は見えないが、耳を澄ますと、やはり川中である。
「かわなかーっ」大声で呼んだ。
私のあとを追ってきたのだろうか。大声で何度も川中を呼んだ。
ところが彼の声も私の声も漠として、感覚の中枢に触れてこない。次元の異なった世界にいるように、ふたりの声がまるでかみ合わない。声をはりあげても、いたずらに気持ちを高揚させるだけであった。
そのうち、川中の声だけが次第に大きくなり、なにやら得体の知れない、自分の意志ではどうすることもできないなにものかに揺り動かされた。
「目が覚めたようだね」
「いったい、これは……?」
川中は静かに微笑みながら私の顔を覗き込んでいる。
「ここは?」体を起こそうとした。
「起きちゃいかん」
起きようとして体を動かしたため、全身に痛みが走った。
「ここは病院だ」
「びょういん……、どうして病院に?」
「医師がすぐに来るから、それまで話しはしないようにとのことだ。それまでしばらく待ってな」
遠くから子供たちの声が聞こえてくる。
「おはようございます」小太りの若い看護師が病棟へ入ってきた。
「目が覚めたようですね」
遠くから聞こえてくる子供たちの声はやがて、朝のラジオ体繰の掛け声に変わった。近くに広場があるのだろう。朝の光を含んだ枕元のカーテンが、ひときわ白く輝いていた。
すぐに医師がやってきた。川中は読みかけの新聞をたたむと、椅子から立ちあがり、石に向かって丁寧に頭を下げた。私も挨拶しようと上半身を起こそうとすると、
「ああ、そのまま動かないでください」四十前後の医師は彫りの深い顔をこちらに向け、
「目が覚めたようですね」聴診器を手にしながら微笑んだ。
血圧と脈を計りながら医師は、頭痛や目まい、吐き気がないか、尋ねた。
体を動かすたびに体の節々に痛みが走るほか、これといって自覚症状はなかった。
「それは良かった。念のため頭部のMRI検査をしましょう」
倒れた際に石か岩で打った傷が前頭部にあるための検査という。そのとき初めて、額に包帯が巻かれているのに気付いた。
「それから、事故当時のことは、お友だちに聞いてください」そう言って、部屋を出ていった。
「川中、すまんな」
「心配するな。困ったときはお互いさまだ」
医師が部屋から出ていったあと、川中は、昨夜、村の職員や消防団員によって、病院に担ぎ込まれるまでの一部始終を話した。
龍穴へ行く際、無理は止して翌朝にしようと語っていた川中の考えを無視し、結果、多くの人に迷惑をかけてしまったことが悔やまれてならなかった。
午後から検査したMRI検査の結果は、脳に異常は認められないが、傷口が少々深いため数日の入院が必要とのことであった。
「自宅には電話を入れといたから」川中は続けて、
「両親が来られるようにおっしゃってたけど、わずか数日の入院だからご心配なく。そう伝えておいたから」そう言いながら、白いカーテンを開いた。
最初の二日は頭部の傷の痛みであまり眠れなかったが、三日目の朝方から痛みも次第に和らいでいった。いっぽう川中は病院が用意してくれたベットで大の字になり、彼らしく熟睡していた。
四日のちに退院となった。その日、朝早く目が覚めた。川中もすぐに目を覚まし、
「退院だ」布団から立ち上がり、嬉しそうに背伸びした。
根気よくベットのそばに付き添ってくれた川中の気遣いに笑顔で応え、病院を後にした。いっぽう台風は東に大きく反れ、空は雲一つなく晴れ渡っていた。
室生の里をあとにするにあたって、川中がメモってくれていた役場や青年団の家々をお礼の挨拶まわりで、室生口大野駅に着いたときは正午を過ぎていた。数日前に比べ、日中の暑さもいくぶん和らいでいる。
駅に向かう途中、川中の背を見つめながら、小学五年で大分の田舎町に引っ越してきた当時を思いだしていた。
引っ越してきた翌日、川中と数人がまだ荷物の整理もできてない自宅に来て、私を大分川の近くに広がるレンゲ畑に誘った。
「相撲、取ろう」
川中の掛け声で簡単な土俵を作り、川中は私と同じ年恰好の小柄な少年を相撲の相手に選んだ。かなり足腰の強い相手であったが、なんんとか土俵外に押し出すことができた。
次に彼は、私と同じか、やや大きな子を相手に選んだ。がっぷり四つにはなったものの、一方的に土俵の向こうに押し出され、尻もちをついてしまった。それから何人かと相撲を取ったが、その日、村の子の顔や名前、自分のおおよその力関係を知った。
喧嘩やいじめを好まぬ川中は、相撲を通し、新入りの私と皆との力関係をはっきりさせる目的があったようだ。同時に、「弱い仲間を大切にしろよ」そうしたメッセージも込められていたようだ。
相撲をきっかけに皆との付き合いが始まった。引っ込み思案の私を明るく快活に変えたのも、ある意味で川中であった。
「夏休みも、もうすぐ終わりやなあ」川中が 空を仰ぎながらいった。
近鉄大阪線で室生から奈良へ、大阪へ出て時間調整し、夕刻、博多行き特急寝台列車に乗った。すでに夜十時をまわっていた。
客車は寝台が二段ベッドになっていて、上段に横になった川中に声をかけた。返事がない。すでに眠りについているのだろう。
その夜、私はなかなか寝つけずに、車輪とレールの軋音を聞いていた。そのうち、十年まえの大分にいた頃の記憶が次々に蘇ってきた。
(四)
川中の家は私の家から徒歩で五、六分ほどで同じ道路の南側にあったが、家というより小屋といった方がよく、板で張り付けただけの屋内は昼間でも裸電球を点けないと薄暗く、両親の顔をほとんど見たことがなかった。
のちに知ったことだが、兄と三人家族の母子家庭で、母親は仕事で家にいることがほとんどなく、五歳年上の兄は中学卒業してすぐ、集団就職で関西方面に就職したという。
大分市街からのびる道はくるまがやっと離合できるほどの幅で田畑が広がる北側と反対の南側には、昔ながらのわら葺きや瓦屋根の民家が十数軒ほど建ち、屋根の二、三倍ほどの山裾が軒先にほぼ直角に迫っていた。道路をつくる際、山裾を削り、そののち家々を建てていったのだろう。また山裾の所々には戦時中に掘られた防空壕がその口を開いていた。大雨が降った日などは、大丈夫だろうかなどと心配したが、岩肌がよほど強靭なのか、過去に岩山が崩れたことはなかった。
いっぽう、舗装されていない道は晴天が続くと、車が通るたびに砂ぼこりが舞いあがり、母は洗濯物や掃除にずいぶん苦労してたようだ。
また、東西にはしる本道と直角に、本道よりわずかに狭い道が、山裾を取り巻くように大きく蛇行しながらのび、道の東側の崖も民家の裏に迫っていた。私らはこの道を歩いて学校へ通った。
いっぽう、道をはさんで西側はいちめん水田がはるか遠くの山裾まで広がり、その先には草野球ができるほどの広場があって、夏休みのラジオ体操の集合場所でもあった。
広場からはさらに山の中腹に向かって数十段ほどの石段があって、上りつめると古い小さな社があった。秋には盛大に村祭りが執り行われた。
また、社一帯は子供たちにとって格好の遊び場所で、かくれんぼ遊びでは、社の屋根裏に這い上がる子もいた。屋根裏は昼間でもうす暗く、隠れるには絶好の場所であった。ただ、低学年生が鬼になった際は屋根裏に隠れてはならない暗黙の約束事があり、これは川中の発案によるものだった。
さらに社の裏手は雑木や雑草、蔦がからみあう杉山で、蝉取りなど昆虫探し、ゴム銃や豆鉄砲などを作る小枝や竹、釣りやウナギ取りの餌にする山ミミズが採れた。
こうしてなにもできなかった私が竹馬や蝉採り、木登り、大分川を泳いで渡れるようになったのも川中のおかげであった。
溺れている者を助けるときは、”溺れる者は藁をもつかむ”ではないが、
「抱きつかれないように、こうして背後から岸に向かって押す」
ようやく泳げるようになった私に、川中は実際に泳げない下級生たちへの救助法をやってみせた。
勉強の成績こそ余り芳しくなかったが、喧嘩などトラブルが生じた際は、公平な立場で仲裁していたようだ。一方を責めることがない彼は下級生をはじめ、仲間からの信頼も親以上のものがあったといえよう。
相撲も二、三歳年上の中学生にも負けなかった。相手の懐に入ったら最後、どこまでも食い下がって打ち負かす彼の取り口には大人たちも一目置いていた。
また、掛けっこをしても、小学生で彼のまえに出るものはなかった。村の運動会で青年団の人たち七、八人と走った際、彼が二着に入ったときは、子供たちも自分たちの代表者が大人に勝ったため、手をたたき小躍りして喜んだ。
夏休みには、ラジオ体操が終わると、大分川へ直行し、前日仕掛けておいた鰻取りのテボ(筒)を引き上げに行った。鰻には移動する決まった通り道があるようで、少しでもずれると中に入ってくれない。仕掛ける場所を心得ている川中は、他の仲間にも教え聞かせた。
山や川で遊びにふけった小学生時代も二年が過ぎ、川中も私も中学に進学した。
夏休み、盆も近づいたある日のこと、川中が、近所に住む同級生の吉田由美子の家へ遊びに行こうと言いだした。由美子の家にはしばらく行ってなかった。
彼女は成績は飛び抜けて良かった。当時、中間・期末試験の結果が六百人中、上位百人まで学校の廊下に張り出されたのだが、彼女は学年でもトップクラスだった。先生方からも信頼されていたようで、まっすぐ伸びた背筋の彼女にセーラー服がよく似合った。
静かで落ち着いた仕草や美しさは案外、本人自身も気づいていないであろう。もっとも、私自身が男の子から男性にと成長過程にあったからかも知れない。
いっぽう、腕白を引きずったまま中学生にあがった私は、そうした由美子に近寄りがたいものを感じ始めていて、そのころから、彼女と話すことも次第に遠のいていった。
「このごろ、由美ちゃん、外に出てこんな」川中の話しに、
「そうそう、勉強ばっかりやってるんやろか」そう応えると、
「遊びを忘れたカナリアかも知れんな」川中の腕白な目が微かに光り、
「遊びを忘れたカナリアかあ。おもしろいね」私は頷いた。
「そうそう、行こう」
冷やかしもあったが興味もあった。自然、足取りも軽くなった。気がつくと、遊びに行こうと言い出した川中より、私の方が急ぎ足になっていた。
由美子の両親は稲作り農業のほか養豚などもやっていて、この地区では珍しく敷地だけで千坪近くあったと思う。
川中と私は家のそばの耕運機や車が出入りする出入口から敷地内に入った。
ところが中に入って、すぐに目に入った光景は私たちが想像した ”机のまえに座ってガリ勉”とは違った。農機具や藁をしまった納屋の前で、一歳になったばかりの甥を背中に抱き、汗拭きのタオルを首から下げ、庭の草取りをしていた。
長時間やっていたのだろう。取ったばかりの草が四方に積み重ねてあった。
突然、庭に入ってきた私たちに気づくと少し驚いた様子で、口ずさんでいた子守歌をやめ、笑顔で私らを迎えた。心無し紅がさす頬は、はにかんでいるようでもあった。
「家ん人は?」川中が遠慮がちに尋ねた。
「みんな、畑に出てるんよ」由美子はそう応えて、草取りの手を休め、ゆっくり立ち上がった。
「子守りか。たいへんだね」
「でも、慣れたわ」由美子の実兄夫婦が畑作業で出ているため、代わりに子守りをやっていた。学校があるとき以外は、ほぼ毎日の日課だという。白磁のように白いうなじにほっそりした肩は赤子の重みに、やっと堪えている風であった。遊びを忘れたカナリアではなかった。
三人は草の上に腰を落とし、学校での出来事や先生のこと、それに秋におこなわれる村祭りのことを話しあった。気付くと夕刻が迫っていた。
「お盆にはぜひ、花火しましょう」帰り際に、由美子が言った。
遠く山の端に傾いた夕日が、同時に由美子の水密桃のような白い横顔をほの赤く染めていた。
八月十四日の夕方、川中と私は約束どおり、由美子の家へ行った。
私たちが来るのを楽しみにしていたのか、縁側まで急ぎ足でやってきて、明るく弾んだ声で私らを出迎えた。白地に赤や紺の夕顔模様の浴衣着がよく似合った。
「いらっしゃい。おふたりとも真っ黒になって、……」
由美子の母親も部屋の奥から縁側まで来て、私たちを快く迎えてくれた。
彼女の家で採れた西瓜を食べながら、ときに両親もいっしょになっておしゃべりした。
「お二人とも最近、あまり見かけないですね」由美子の母が目を細めた。それもそのはず、朝のラジオ体操を終えると日暮れまで、大分川で泳ぐ毎日だったからだ。毎朝のことだが、川中はラジオ体操のまえにすでに朝刊配達を終らせていた。
「ええ、朝から晩まで勉学で忙しいもんですから、ご無沙汰しています」そう言って、川中は頭を掻いた。笑いが続いた。
母親が井戸から上げたばかりの大人の頭ほどの西瓜を持ってきた。そのほとんどは川中と私で食べてしまった。
「もう一つ、持ってきましょうか?」笑いながら母親がいうと、
「い、いえ、もう腹いっぱいです。ごちそうさまでした」川中は頬を紅潮させ、バンドを緩めた。
夕日が沈み、辺りが暗くなり、由美子と私たち三人は花火を持って縁側から庭へ降りた。
庭先にはたたみ六畳あまりのS字状の古池があって、縁側から射す盆提灯の灯りが池の水面に薄青く映えている。
池の周りには鬼灯が釣鐘に似た影をいくつも下げていた。
三人は池のそばで向かい合ってしゃがむと、線香花火に火をつけた。
パチパチ……。花火は棒状の激しい光を四方に放ったのち、先の尖った菊の花を咲かせ、やがて柔らかい牡丹になり、ふたたび棒状の光を辺りに放った。
「揺らさないでね」
由美子の声に、私は火玉を落とすまいとして持つ手に力をいれた。ところが、力を入れ過ぎたためか、反対に火玉は揺れ、純い光の尾を引き、まっすぐ地面に落ちてしまった。
「あーあ」三人は、互いに顔を見合わせて笑った。
「次はボクの番だ」川中が火をつけた。
線香花火はいくつにも色彩を変えながら、しだれ柳に似た放物線を宙に描き、一瞬の沈黙ののち、華麗で優しい花を、次々に咲かせていく。
火玉の舞いに夢中になっていた私はそのとき突然、その向こうに由美子の姉のような顔を意識した。かつて経験したことがない燃え盛る火玉に突然ぶつかったようで、それは生まれて初めての経験であった。
なにかが大きく動いた。心臓が高鳴った。
その場にいるのが息苦しい感じで、体が火照ったように次第に熱くなっていく。花火の放つ光は、いまはもう視界から消えていた。
「今度は秀ちゃんの番よ。どうしたん?」
急に黙り込んで俯いてしまった私に、由美子が声をかけた。
「うん、うんにゃ、ちょっと……」
「どうしたんか?」心配して、川中が尋ねた。
「ちょっと眩暈がしただけ。大丈夫だ……」
はしゃぎ声が途絶えた。
「ごめんな。すまんけど、オレ、先に帰るよ」
川中と由美子は、「どうしようか」と、しばらく顔を見合わせていたようだったが、
「じゃあ、花火はこれぐらいにして、また他の日にしよう」川中は花火を片づけ始めた。
「由美ちゃん、オレ、秀ちゃんを家まで送っていくから」
「じゃ、私も送っていく」由美子が言った。
「でも、辺りは暗いし、危いぞ」
「すぐそこでしょ。だいじょうぶ。だいじょうぶ。ちょっと待ってて」由美子はそう言って、縁側から急いで家の中へ入っていった。
ちょうどそのとき、雪洞に似た大きな月が、納屋の上にのぼった。墨汁のような真っ黒い雲が右手から左手に流れ、それはかつて見たこともない月であった。
「秋の村祭り、三人でいっしょに行こうよ」 母親の許可を得て外へ出てきた由美子に、川中が言った。
五穀豊饒を祝う秋の村祭りは、娯楽施設もなにもない村にとって一年中で最も賑わった。
「わあー、うれしい」
由美子は胸のまえで両手を合わせ、嬉しそうに微笑んだ。その笑顔に耐えられず、つい目線を反らしてしまった。
「秀ちゃんも、いいだろ」黙りこくってしまった私に、川中が念を押した。
「う、うん」
その夜、由美子のことが気になり、なかなか寝つけなかった。
(いまごろ、どうしているだろうか。もう寝入っただろうか。それとも蛍光燈の下で本を開いているんだろうか)白砂から湧き出る清水のように、由美子に対する想いはとどまることなく、彼女のすべてが身も心も覆って、布団の中で、何度も寝返りをうった。
翌日、私は家の中で一日を過ごした。
翌々日もほとんど家の中で、もの想いに沈み、鬱に陥ったまま、長い一日を過ごした。
三日目の昼前、心配して川中が訪ねてきた。
「どうした?。全然、外に出てこないけど……」
「いや、なんでもないよ」
「でも最近、家の中にくすぶってばかりじゃないか」
「夏休みの宿題、全然やってないんや」あの日以来固くなった口を無理やり開いた。
「なんや、そんなことか。そんなら、由美ちゃんに見せてもらったら……」
「宿題を、か?」
「ああ。宿題ぐらいで体を壊したら、なんにもならんからな」
「ところで川ちゃんは、宿題終らせたんか?」
「やったよ」川中は自信ありげに言い放ったのち、
「いや、実は……、な」
「由美ちゃんに半分以上、見せてもらったけど……」恥ずかし気に笑った。
生来、負けん気の強い川中が他人の解答をまる写しするなど考えられない。宿題ができないならできないまま提出するのが、いままでの彼であった。
もしかして、宿題を見せてもらうということはあくまで口実で、由美子のそばにいたいがために見せてもらったのではあるまいか。川中も由美子が好きで、由美子も彼のことを……。川中に対する猜疑と嫉妬心のようなものに囚われた。それは心が泥沼に溺れていくようなものかも知れない。が、どうしようもなかった。
由美子の家の花火遊びから一週間が経ち、秋祭りが始まった。
いつもは子供らの遊び場である社を中心にして、境内や広場には各所にのぼりや灯籠が飾り付けられ、境内までの道の両側には、竹や白木の枠に和紙を貼った提灯が吊るされた。 境内には数件の露店も出て、夜になるとふだんは犬一匹歩かない境内を賑やかなものにした。深夜近くまで賑わう祭りの日に限って、子供たちも夜遅くまで外出が許された。
夕刻、川中が誘いに来た。しかし、「体調がすぐれない」ということで、断ってしまった。
素直に慣れずに断ってしまったものの、やはり由美子と川中のことが気になって仕方ない。しばらく窓越しに祭りの方を眺めていたが、 居たたまれなくなって、寝巻きから普段着に着替え、外に出た。もし、彼らと出くわしたらそのときは、「少し体調が戻った」と言い訳すればいい。
数珠のように連なった釣り提灯が由美子の家の納屋の向こうに見えた。提灯の明かりは山裾の道に沿って大きくカーブしながら、辺りの景色をほの赤く染めている。
緩やかにカーブした道を曲れば境内がある。そしてそこには川中と浴衣着の由美子もいるだろう。
提灯に照らされた道は、お宮参りに行く人たちのおしゃべりと笑い声に包まれていた。普段は黙々と働く村の人たちも、この夜ばかりは酒も入って、多少饒舌になっていた。それが我々子供たちにとって、また楽しかった。
やがて境内の広場に出た。広場は露店に集まる子供たちで賑わい、石段を登りつめた社の方からは、威勢のよい太鼓の音が聞こえてくる。
鳥居をくぐろうとして、突然、私は足を止めた。
そこには子供たちに混じって、まるで恋人どおしのように肩を寄せあい、金魚をすくっている二人の姿があった。
鳥居の陰から眺めていると、二人は、まわりの幼い子供たちと話したり笑ったりしながら金魚すくいに興じている。
そのうち金魚をすくいあげたのか、二人は手をたたき、肩を叩き合いながら喜び合った。
私は踵を返すと、自宅でなく大分川へ向かって歩き出していた。いつもの道だが、家々もなく、背丈より高いイグサが大きく育った歩道は一面、闇の底に静まり返っていた。
祭で賑わっている境内から三十分ほど歩き、。やがて、大分川の土手に出た。対岸の砂糖きび工場の光が漆黒の川面を照らし、光があたった水面は流れとともに、真珠を散りばめたようにチラチラ輝いていた。
土手に寝そべって空をながめた。さきほど境内で見かけた二人のことを思うと、なんとも辛い感情に襲われた。彼らに対する独りよがりの焼き餅だろうが、私にとっては初めての経験で、寂しさと悲しさだけが残った。
雲が流れ、月が現れた。冴えた月はいつもより遠くにある。それは同時に、由美子との離れた距離にも思えた。
空はさらに澄み渡り、星が瞬き、由美子はさらに星の位置まで遠のいていった。
夏休みが終って初めての登校日、道の反対から歩いてくるセーラー服の由美子の姿があった。生徒会の役員をやっているためか、いつも皆より下校時間が遅い。
「秀ちゃん」由美子から声をかけてきた。
「お祭り。具合が悪かったそうね」
笑顔で合わせた視線は一瞬で反らし、俯いてしまった。吸い込まれそうに澄みきった由美子の輝く瞳だけが残像として残った。
(好きなら好きと言えばいいじゃないか。もっと素直になりな)川中なら、そう言うだろうし、
(仮に振られたからといっても、その時はそのときだ)そう考えるだろう。だが、そう割り切れる知恵や勇気を十三歳の私はまだ備えていなかった。
その後も学校の構内や道で何度か、由美子に顔を合わせることがあった。しかし、正面から正視できずに、俯いたまま通り過ぎてしまった。彼女から話しかけられても、ひとこと、ふたこと返事を返すだけであった。
そうしたことが後味の悪いものであることは十分わかっていたが、自分自身、どうすることもできなかった。
(五)
翌年の三月、中学二年に進級する直前、父の転勤で家族全員、鹿児島県の北に位置する出水市に移った。小さな町だが、町を縫って流れる広瀬川を中心に自然が残された住みよい土地で、鶴の飛来地でも全国的に知られている。
大分を離れてからも、しばらく由美子のことが頭から離れなかった。この頃、ラジオから流れる海外ポップス[悲しき片想い You don't know]を口ずさんで寂しさを紛らわせた。
しかし、新しい環境に置かれると、そうした想いも、学友や学生生活の中に徐々に薄らいでいった。
昭和四十二年の春、大分を離れて五年の歳月が流れていた。一通の封書が届いた。
ーー合格、おめでとう。小学生時代の級友、滝川から、きみがQ大に合格したって聞きました。工学部の建築科だってね。奇跡といおうか、実はぼくもQ大に合格しました。文学部です。
きみも知ってのとおり、勉強大嫌いなんで、つい最近まで高校卒業後は就職しようと考えていたんだけど、昨年の夏休み、滝川たちと奈良や京都を旅行してから、それにまわりの影響もあって、急に日本史を勉強したくなって、受験を決意した次第です。日本史に興味をもつなんて、その変わりように我ながらびっくりしています。
ところで話しは変わりますが、同級生の吉田由美子さん、彼女も同じ大学の文学部に合格しました。彼女にきみのことを話すと、たいそう喜んだ様子で、きみに会える日をいまから楽しみにしていると話していました。
寒さもずいぶん和らぎ、大分川の土手には、一面にはえた土筆が春風に揺れています。
卒業、入学と大切なときだけに、風邪をひかぬようご自愛ください。
福岡へは三月の中旬に行く予定でいます。アパートは決まり次第、追って連絡します。
それでは秀ちゃん、由美ちゃん、それからオレ、紙上でかんぱーい。
由美子がQ大に進学する。消えかけていた想いが再び、火を含んだ薪のように炎をあげ始めた。
五年前とどのように変わっただろうか。再会するのがなんとなく恐い気がした。同時に、白地に夕顔模様の浴衣着、セーラー服姿の由美子の姿を思い浮かべていた。
その年の四月、入学式があった日の午後、川中と由美子、それに私の三人は大学構内にある喫茶室で顔をあわせた。
「五年ぶりやな」白い歯を見せながら話す川中の盛り上がった腕の筋肉が目立った。倉庫整理のバイトでつけた筋肉だろう。新聞配達やバイトで高校を卒業し、受験費用を稼いだという。
「よう頑張ったね」合格の際、川中の母親が彼に対し口にした言葉が印象的であった。
いっぽう由美子は中学時代とさほど変わらない童顔にたえず笑みを浮かべ、人の話しを黙って聞くといった人柄も五年まえと同じであった。ただ、ほっそりした体に腕のように突き出た胸のラインが妙に目立った。それは薄くて白いセーターのせいかもしれないし、むしろ私の視点が変わったからかも知れない。
大学が始まった。すぐに歴史研究会に入部した。川中も同じ歴史研究会に入ったため、彼とはたびたび顔を合わせた。川中には野球部やサッカー部から、かなり熱心に入部の勧誘があったようだが、歴史研究会に専念するということでそれらをことごとく断ったようだ。
いっぽう由美子は自治会の役員に就いて、学部も異なっていたため、ほとんど顔を合わせる機会はなかった。たまたま大学構内で会ったとき、食堂のそばの喫茶室でコーヒーを何度かいっしょに飲んだぐらいであった。
「せっかく音楽会などに誘ってくれたのに、いつも断ってごめんなさい」
自治会の役員をしながら、テニス部にも入っている彼女の多忙さは確かに大変なものだっただろう。
四年間の大学生活は短く感じられた。四年に進級すると、私も論文作成などに迫われる日が続いたため、由美子と大学構内で会うことも少なくなっていった。
そして今回、学生生活最後の夏休み、歴史研究会の部員たち全員で京都から奈良へ旅行する事に決まった。
出発当日、突然、博多駅構内に由美子が現れた。彼女に会うのは、ほぼ半年ぶりであった。川中が知らせておいたのだろう。白い帽子に白いワンピースがまぶしい。
私たちは駅構内の喫茶店で談笑しながら列車の出発時間を待った。
ところが、意外な現実をそこで知らされた。
川中と由美子の間柄が以前に比べ、ずいぶん変わっている。由美子は川中のコーヒーに砂糖とミルクをさりげなく混ぜた。川中の好みを十分知りつくしていなければできることではない。それに、喫茶店から改札口まで歩く際も、由美子は川中の裾の乱れをさり気なく整えた。
二人の関係は大阪へ向かう夜行寝台列車の中で確実になった。
流れる町の灯をぼんやり眺めながら、川中と私はビッフェでビールを飲んでいた。
「川ちゃん、就職先決まったんだってね。おめでとう」
「ありがとう」
「ところで、就職先のアステルって会社、環境問題に取組む会社だってね」
「環境問題に取組むといえば大げさになるけど」と前置きして会社の概要を話した。
自治体とタイアップし、森林の整備・保護に向け森林所有者との橋渡しを行う会社で、創立して五年足らず、従業員も十数名という。
「一つ例をあげると」そう言って川中は話しを続けた。
例えば物心つく子供のころから森林と触れ合い、環境問題に通じる森林の大切さを理解してもらう。森の空気を浴びながら、間引きした材木を使って小屋を建てたり、遊び場を作ったり、森で採れた野草を使って皆で料理し、みんなで一緒に食べる。そうした体験や、森と海の繋がり、地下水などの関係など、自治体と協力しながら若者や大人たちへのセミナーを開催する仕事だという。
「いまの時代が必要とする、まさしく現在に合った会社じゃないか」
「給料も安いらしいけど、たしかにやりがいがあると思う」川中はビールを一口飲んで、話しを続けた。
「小さな会社だけに、上司が社員の発案や意見を真剣に聞いてくれるらしいし、実際に良い発案だったら、すぐに取り入れてくれるそうだ」
「たしかにやりがいありそうだね」
それに環境問題に真っ先に取組んでいる国から遅れた国まで、年に一度は家族連れの海外旅行もあるそうだ。ふだん協力してくれている家族への会社からのプレゼントといった意味合いもあるそうだ。
しばらく就職の話しが続いたのち、川中は、
「ああ、それから……」そう言って、
「まだ、だれにも話してないんだけど、卒業したら、オレ、結婚するつもりだ」
「就職に結婚か、おめでとう」
「生活力もなにもなくて、まだ結婚には早いとは思うけど、互いに助け合っていけばなんとか乗り越えることができると思う」恥ずかし気に言った。
朝は新聞配達、バイトをして学費や大学受験に備えた川中ならできるだろう。私は隙間風が吹き抜ける彼の小屋のような家を思い出していた。
「うん、きみならできる」
「それでね、結婚式じゃ司会を頼むよ」
(もしかして、結婚の相手。由美ちゃんでは……?。」思い切って尋ねてみた。
「驚くな。ぼんくらのぼくが……」川中は一瞬口ごもったのち、
「ゆみちゃん」はにかみながら、小声で応えた。
一瞬、強く引っ張った弦が音をたてて切れた。表情が険しく変わっていく自分がいた。幸いなことに川中は多少酔っていたし、私も少々飲んでいたため、心の内側まで見抜かれずにすんだようであった。
駅構内の喫茶室で由美子が川中のコーヒーカップに砂糖とミルクをさりげなく混ぜたのも、考えてみると、川中とのいまの間柄を、さりげなく私に伝えようとしたのではないだろうか。
福岡発、東京行の上り夜行寝台列車は、ちょうど広島駅を離れたところであった。辛そうな顔を見られるのが恐くて、窓の外をぼんやり見つめていた。
「どうしたんか?」
急に黙りこんでしまった私に、川中が尋ねた。
私は力いっぱい笑顔をつくりながら、
「少し酔っぱらった」と応えた。
私が由美子に溺れていることなど気づいていない。就職先も結婚も決まった二人の出立を、素直に喜んでやりたい。しかし、意に反して、気持ちは沈む一方であった。
一人になりたかった……。客車という閉じた箱の中で落ち着く場所もなく、私はビュッフェから寝台に戻ると、ベッドに横たわった。
一人になりたい。その気持ちは今回の旅行をとおして、たえず私を苦しめることになった。
「岡山ーっ、おかやまあー」
東京発、福岡行き帰りの下り列車は、金属音を軌ませながら岡山駅に到着した。乗客で起きている者はほとんどいない。
窓のカーテンを開いて、何気なく外を見た。列車はホームに沿ってわずかにカーブし、駅員のアナウンスが寝静まったひと気のないホームに寂しく響く。
そのときだった。
両手に大きなバッグを持った男がよろけるようにしてホームに降り立つのが見えた。三十過ぎであろう。男はバッグをホームにいったん置くと、続いて降りてくる女性から荷物を一つ一つ受け取った。女は赤子を背負い、男に差し出す右手と反対の手には二歳ぐらいの子供の手を引いていた。
発車のベルを合図に、やがて列車はゆっくりホームを離れた。
ホームに立ったまま泣き出した赤子をあやしている夫婦に客室が近づいたとき、女性の顔を間近かに見ることができた。
最初、三十過ぎに見えた女は、近くで見ると、まだ二十歳そこそこであった。わずかに乱れた髪と、赤子のうえから羽織ったよれよれの着物のためか、実際より老けてみえたのかも知れない。わが子をあやすために赤子の方を振り向いた女の顔には、代わりに母親としての強さが感じられた。
かつて納屋の前で、一歳になったばかりの甥を背中に抱き、庭の草取りをしていたときの由美子の姿が思い出された。
「ゆみちゃん……」
夜空の中で、こちらを向いて微笑んでいる。
囁きかけると、やがて由美子は右肩をこちらに向かって、ゆっくり突きだした。昔のままに、肩には赤子をしっかり抱いている。
「由美ちゃん。川中と結婚するんだってね。おめでとう」
私は窓のカーテンをゆっくり閉めると、ふたたびベッドの上に横たわった。
川中はかすかに寝息をたてている。
長い執着から解放されるように列車はスピードを増していく。
「かわなか、おめでとう。由美ちゃんを大切にしろよ」
左手の瀬戸内に深く垂れこめた夜のとばりも、もうすぐ消えようとしている。
列車の車輪とレールの軋む音が次第に遠のいて、やがて私も深い眠りに落ちていった。
(完)