健太と綾
「健太君!会議室まで付き合って!」
綾は健太君にむかって言った。健太君は「やっぱりか」といった表情でついてくる。ずっと健太君を見てきたので、このくらいは綾にはわかる。
「いつから知っていたの?」
「最初から。詩乃ちゃんは元々、今もだけど俺の家庭教師なんだ」
私の名前は佐々木綾。中3。突然かもしれないけど、綾は今、怒っている。3年前からの友達に。彼女の名前は早川詩乃。違う学校に通う、健太君を奪い合う間柄のはずだった。それが今、音を立てて崩れようとしている。今朝の1限目、全校朝礼で教育実習生として詩乃ちゃんがウチの学校にやってきた。
わかる?私の気持ち?年に数回会うたびに身長は圧倒的な差になって、出るところも私が勝っていて、「私の方が大人!」と思ってきたのに相手が成人した大人だった時の私の気持ち!
廊下を歩きながら後ろにいる健太君に尋ねる。
「ところで詩乃ちゃん、治るの?」
「オヤジの話だと、医療の限界だってさ。『優奈さんは脳と臓器を繋ぐケーブルが切れていたから治せた。詩乃ちゃんはどこも壊れてないのにケーブルに信号が流れない。だから治しようがない』って言ってた」
「それで本当に教師ができるの?」
「教え方に問題はないさ。俺の成績が証明してる」
そういえば健太君は常に学生で5本の指に入る。小学校の時は綾の方が成績は良かった。それと健太君は昨年ぐらいから、『僕』が『俺』になり、『綾ちゃん』が『お前』になった。でも『詩乃ちゃん』だけは変わらない。さらに身長も170を超えてまだ伸びている。バスケ部の部員より身長が高い。そんな健太君に突っ込む。
「違う!オ、特殊な下着の話!」
『オムツ』という単語をなんとなく控えた。
「ここだけの話、詩乃ちゃんは身体障害者になるんだ。年金がもらえるほどではないけど。そういう人を雇うと助成金だか補助金が出るらしいんだ。学校はどこも厳しいらしいから、メリットはあるよな」
「さすが騙すのはお得意ね!」
嫌味ったらしく言いながら、詩乃ちゃんの計算高さに舌を巻く。ホントに大人だったんだって。
「お前もそんなに怒るなよ」
健太君の声が背中に刺さる。綾は立ち止まって振り返る。「何よ!あんな嘘つきの味方して!」と言うために。でも、健太君の顔を見てそれも止まる。この顔は何かを言っていいかどうか悩んでる顔である。
綾は健太君がずっと好きだ。小学1年生の時から。綾は誘拐されそうになった事がある。帰り道の公園の横で。車に乗せられかけた綾をみるなり、防犯ブザーを鳴らして「綾ちゃん大丈夫?」と大きな声で叫んだ。公園には大人が数人いたので飛び出してきて、それを見た犯人は綾を諦めて逃げ出した。翌週、今度は隣の小学校で4年生が連れ去られ、帰ってこなかった。健太君がいないかったら綾はここに存在しないはずなのだ。だから、ずっと健太君を見て来た。そして、どうしようもなく解ってしまう。健太君は詩乃ちゃんが好きなんだと。
健太君と2人で詩乃ちゃんの事を話す時、綾は生きたまま大きなミキサーに入れられてドロドロにされるような気持ちになる。ズタズタになるまで心を切り刻まれて、立てなくなるのだ。それでも、健太君を好きな気持ちは消えなくて存在し続ける。苦しくて、健太君と詩乃ちゃんを見ていると両想いなんだし付き合えばいいと思う。でも、それもできない事を理解してしまった。2人には歳の差がありすぎる。健太君は多分、医学部志望だから24歳まで大学に行って、それから社会人になる。その時、詩乃ちゃんは31歳だ。ひょっとしたら、詩乃ちゃんもミキサーにかけられているのかもしれない。
「大きな臼に入れられて、杵で突かれてるみたいだよなぁ、餅つきみたいに」
健太君が何を言っているのか分からなくて、反応に困る。健太君は表情からそれを読みとって補足する。
「俺さ、詩乃ちゃんが好きなんだ」
うん知ってる。知りたくなかったけど。どうやら健太君は自分の話をする事で詩乃ちゃんの事を伝えようとしている。黙って続きを促す。
「年に数回、お前と3人で遊んでいただろ?あの時だけ、俺の事を好きな振りをするんだ。俺は馬鹿だから、それが嬉しくて楽しみにしてたんだ。でも、帰り道で最近、言うんだ『綾ちゃんとつきあえ』って。それを聞くたびに身も心もボコボコに殴られたような気持ちになるんだ。それが餅つきのモチみたいだなって・・・・・・」
衝撃の事実だった。綾は健太君と手も繋いだ事もあるし、キスだって詩乃ちゃんと一緒にした事もある。その先はつきあってからと思っているけど、全部詩乃ちゃんのおかげだった。
「俺はお前がうらやましい。お前は騙されたと思っているだろうけど、お前のためにわざわざ子供服売り場で服を選んで、ネットで流行を調べてって努力しているんだ。学生でしかも特殊な下着のせいでお金がかかるのに、お前のためにわざわざだ。まるで恋人みたいだよなぁ?」
健太君が綾と同じ想いをしていることが痛いほど伝わる。同時にさっきまでと違う怒りが湧いてくる。心が燃えているのに、頭は凍っているように冷静な、初めての感じに綾は戸惑う。そして、冷静な部分が1つの疑問を導く。
「待って、それなら最初は?」
「あぁ、母さんだ。詩乃ちゃんに無理矢理用意してたんだ。あの年はコロナのせいで実家に帰れなかったからウチの世話になってて、断れなかっただろうよ」
ふぅん、つまり詩乃ちゃんは初対面の綾を見て、健太君への想いを知って、見た目から勘違いされているのを理解した上で、それを継続する努力をして、綾達2人を結びつけようとしてた訳ね。
こうして並べると凄まじい優遇っぷりだね。改めて詩乃ちゃんが大人だと感心してしまう。でも、なぜ私にそこまでしたのだろう?と疑問に思うまでもなく、答えがわかった。後は動機と証拠か。
「健太君、詩乃ちゃん初めて会ったのはどこ?」
「家だよ。さっきも言ったけど、家庭教師として来た」
これは違うと。次ね。
「じゃ、私と出会う前に何か特別な事はなかった?例えば一晩2人きりだったとか?」
「っ〜!あった」
あからさまに顔色が変わる健太君。そうだろうね。これは聞かない方がいい。多分、聞くとミキサーだ。そして、ここには正解はない。あるのは健太君が好きになった理由か健太君ママが時々見せる詩乃ちゃんへの感謝の原因だ。じゃないとただの家庭教師を正月の家に泊めるなんて普通はありえない。綾の冷静な部分はさらに進めた。
「詳しくは話さなくていいけど、その後も何かあったよね?」
「何でわかるんだよ!今日のお前、少し怖いぞ。まるで母さんか詩乃ちゃんみたいだ!何かあったっていうか優奈さんのお見舞いに行った。その時の優奈さんも無茶苦茶怒ってた」
これだね。
凄くわかりにくいけど、詩乃ちゃんはやっぱり健太君が好きなのだ。そのきっかけが優奈さんだ。綾には詩乃ちゃんのいとこだと紹介されたけど、この2人は親友だ、多分、綾と詩乃ちゃん以上の。そして原因はわからないけど健太君が仲直りのきっかけを作った。だから感謝を通り越して好きになった。でも、年齢やオムツやらで健太君とは一緒にいられない。そんな時に詩乃ちゃんは身代わりを見つけた。それが綾だ。さらに自分も少しだけ健太君を好きな自分を出せる。なんてよく考えられた仕組み(スキーム)だろう。
詩乃ちゃんの異常とも言える綾達2人をくっつけようとする理由と言うか動機はわかった。後は証拠だけど、これは証人に証言してもらうとしよう。そうすれば自白するだろう。でも、ハードルが高すぎる。綾は詩乃ちゃんにいいようにリードされる子供だ。詩乃ちゃんが本気を出せば綾なんてすぐに丸め込まれる、そのくらいの頭のいい大人だ。
ん、待ってよ。いるじゃない。経験豊富な、詩乃ちゃんを丸め込める大人が。
「健太君、会議室に行って、詩乃ちゃんを問い詰めるのはあきらめるよ。その代わり、健太君ママにアポとってくれない?詩乃ちゃんの事聞きたいの。早い方がいいんだけど」
「今日はじいちゃんの通院に付き合ってるから、明日でいいか?」
「うん。決まったら連絡して」
待ってて、詩乃ちゃん!反抗期真っ只中の子供の恐ろしさ、存分に味あわせてあげる。
だって、綾は詩乃ちゃんのライバルだから。
そして、詩乃ちゃんを好きな人が他人と結ばれる手助けをし続けるって言うミキサーから救いだしてみせる。
オムツのオの字しか出てねぇ!




