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在職日数20日目

「チェイル・ゴーダ。えっと……あ、ありましたね」


 近現代史の最後数ページ。教科書を索引してみれば、きちんと彼の名前は刻まれていた。ふと現実に意識を戻すと、なんとも凝り過ぎた小道具だ。呪文の一部か知らないが、少し文字が載っている。


「森の息吹、風の息吹。万物の生命の源とともに……中略。我に力を示し、貸与せよ」


 中略では魔法も打てまい。それに太郎には魔力が全くないと言われているし、読み上げたところで何も起こらなかった。

 明日には旅立つのだが、念のためと思い立ってゴーダの経歴をさらっていたのだ。セピア色の写真なので色は分からないが、ところどころテダンに似ている。若者よりかは聡明に見えるが。


「医学魔術に長けていたのですね。ミスター・テダンは、どちらかと言えば武術派のようでしたけど……。ま、お医者の家系からオリンピック選手が出ないとも限りませんし、個性ですしね」


 爆発しそうなパワーは微笑ましい。昔は自分も血気盛んではあったが、以前から社会派な考えではあった。いつか総理大臣になって日本を救うのだと信じて疑わなかった。その夢は叶ったが、いつしか情熱も失われたように感じる。


 ふう、と軽いため息を吐き、口をへの字に曲げる。おじさん臭い行為だろうが、太郎にはいま、このくらいしかできない。レポートを書けば紛争も治まるかもしれない。いつ以来だろうか。


「しかし……レポートも翻訳してくれるんですかねぇ?」


 いままで提出書類はライランに渡して翻訳魔法に掛けてもらっているようだった。しかし分かりやすいようにと図案を多用していたのだ。きっとレポートではそうもいかないだろう。それでも考えるのはライランの仕事、と決め、今日の日をまた同じように過ごしていくのだった。




 明日(みょうにち)、朝早くから太郎の部屋を勢いよく叩く音がする。何事かと飛び起きたら、活きのいい若人の声が聞こえた。テダンだ。


「っはよー! 今日だぜ、出発だ!!」

「ええ? まだ日も登ってないですよ……? ふぁあ」


 気が緩み切っているのか、のそのそと起き上がって客人を招き入れる。官邸には警備員がいるはずで、扉だって彼らが開けるか突っぱねてくれていた。命の危険に晒される習慣が、少しずつ禿げ始めている。


「だってワクワクしてよ! ソーリもだろ!?」


 人を勝手に元気な仲間に入れているようだ。もう老体なので朝は早いほうだが、さすがにそこまで体力は有り余っていない。

 それに間違ってはいないのだが名前を間違っている。どうしたものかと太郎は頭を捻った。


「えーと……、さすがに、朝食くらいは召し上がってから行きませんか?」

「ええっ!? そんなの待ってられないぜ! いますぐ出発しようぜ!?」


 寝起きで森まで行く力はないが、寝起きでなくてもきっとスタミナはない。眠気眼を数回瞬かせて、このタフガイを諭せるのは言葉だけと思案した。


「あー、ほら! 腹が減っては戦はできぬ、と昔から言うじゃないですか」

「イクサ? あー! そうだな!」


 この大陸にはそのようなことわざはないが、テダンは頭をひねって何かを思い出したようだ。太郎はうまいこと話が進んでいると合点して続ける。


「でしょう? 何より、朝食は大事です。一説によれば、摂取するかしないかで、勉学への集中度合いが変わるらしいですよ」

「へー」


 興味があるのかないのか、取りあえず返事は貰えたが結局のところ後者だろう。早く冒険に行きたくてうずうずしているらしかった。日本の学生のレベルはいったいどこまでなのだろうと思い浮かべて、できればここまでは緩くなってくれるなと願う。


「ですから、食堂が開くまでは待っていましょう? それにお弁当なども頼んでおけば作ってくれるかもしれませんよ?」

「あっ、弁当! オレ、弁当好きだけど入れるの忘れてた!」

「……そ、そうでしょう。では、いまのうちに荷物の再確認と行きましょうか」


 案の定、テダンのカバンには必要なものが足りなかった。護衛にと付けられたので最悪身ひとつあればいいが、植物収集のためのものばかりで魔術を出すのに要る魔道具とやらがなかったので頭を抱えたほどだ。


「ミスター・テダンは、植物が好きなんですねぇ」

「好きって言うか……オレの一部みたいなもんだな」


 ヘヘヘと笑う顔は、子どものころの息子を思い出したほどだ。龍太郎は植物には興味なかったが、好きなものを恥ずかしそうに父である太郎に差し出していた。いまでは切れ長の涼し気な瞳を向けるだけで、何に興味を示しているのかさえ分からない。


「そうですか……。好きなものがあるのはいいことです。その気持ちを大切にしなさい」


 ふ、と笑って頭を撫でてやる。息子の頭は、いつから撫でてないのだろう。帰ったら大事にしてやらねば、と太郎は思うのだった。

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