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在職日数19日目

「こ、こんにちは……。ミスター・チェイル」

「テダンでいーよ! えっと、アンタは確か交換召喚生の……ソーマだかソーリだかの人!」

「えー、まぁ、相馬も総理も間違いではないですが……」


 どこぞで言いふらしていた“自分は総理大臣”が変な形で広まったのだろう。せっかくの交換召喚生であるのに社会科なんぞを選んだことで、太郎の噂はひっきりなしだった。別棟の学科であるにも関わらず、太郎を見に来る生徒も後を絶たない。


 好奇の目に晒されることは少なくないが、それでも警備がいたのでここまで近くはなかったし、学生という歳の離れた者たちから真っ直ぐな眼差しを向けられることはあまりなかった。


「テダンくんは『魔獣科』の優秀な生徒です。おじいさんは先程申し上げた、感染症を封じたかのチェイル・ゴーダ」

「ああ、そうだぜ! だからか知んねーけど、あの森とは相性がいいんだ。治癒魔法も一応使えるし、ソーマ・ソーリを守るぜ! じっちゃんの名に懸けて!」


 昔どこかで聞いたようなセリフを恥ずかしげもなく言える辺り、やはり彼らは若者らしいと、太郎は思う。奇跡的に日本での名称を読み上げられて、無意識に緊張が走った。どこから訂正すればいいだろうか。魔獣を操ることには長けているのだが、テダンのお(つむ)はクオガやブンよりかは足りない部分があるようだった。


「あぁー、はい。よろしくお願いいたします。えっと、その……」

「彼はソウマ・タロウさんですよ。ソーリじゃありません」


 いや、総理なのだが。しかしそれを言ってもうまく伝わらないので、太郎は諦めて、彼の詳細をもっと訊いた。


「『魔獣科』……ということは、ミスター・テダンも魔獣を?」

「ああ! オレの相棒はカーニバルス=カハクっていう妖精さ。名前はシノビー」

「妖精……」


 ありえない単語に渋い顔をする。そう言ったもののテダンの周りには妖精どころか獣の影もない。ちらちらと様子を窺うと、それを察したのかライランが耳打ちしてくれた。


「テダンくんのシノビーは、いわゆる面食いでして……」

「はぁ」

「彼女の好みも狭いもので、滅多に姿を現さないのです」


 なるほど、このような初老のおじさんには興味なし、というわけですか。それはしょうがないことだ。イケメンが好きなのは人でも魔獣でも一緒なのだろう。しかし、自分には妻だっているのだ。年甲斐もなく心中で張り合って、自分が勝っているはずとふんぞり返った。


「んで、いつ行くんだ? 明日か?」

「いいえ、そのように急ではタロウさんが困るでしょう。そうですね、では……」


 出立は一週間後とのことだった。そういえば魔法だの魔獣だのと設定はしっかりとしているのに、日付の感覚は日本と同じのようだ。いやいや、ここは日本であるのだ。……きっと。


 いつの間にか太郎は、この環境に絆されて飲み込み始めている。このような世界があることを、認め始めていた。荷物を纏めながら首を左右に振って、不可思議な感情を振り払った。自分は日本国総理大臣、首相だ。ここが日本なら見過ごせない。

 けれどこの目で見た奇跡の光景は、どうあっても証明できることはない。


「いえいえ、実は科学実験に長けているだけかもしれませんしね」


 すでに話は終わって、ライランもテダンもこの自室にはいない。夕方ももう終わりかけており、夜の薄闇に変わろうとしていた。


「おや、月が……」


 ここでも月は変わらない。誰もかもを優しく照らしてくれている。太郎は窓を開けて、その懐かしい光を浴びようとした。思い返してみれば、怒涛のような展開で、ゆっくり空を見上げることはなかったと感じる。


「いやぁ、月はいいですね。風情がありま――えっ?」


 しかしそれらは、太郎の知っているものではもちろんなかった。黄、青、赤に光る三つの天体。まるで信号機のように並んでいる。ここは日本だと思い込もうとした太郎の心を、簡単に折る音がした。


 いいえ、まだです。もしかしたら数千年に一度あるかないかの天体ショーが繰り広げられているのかもしれません。外の情報が一切入ってこないせいで、自分は知らないのだと考え直す今年にした。

 うんうん、と頷いて、太郎は早く忘れようと布団に潜り込む。大きなあくびをひとつして、目頭を揉んで深い眠りに就いた。

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