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在職日数15日目

「タロウさん、いま大丈夫ですか?」

「あぁ、ミスター・ライラン。ええ、仕事も一段落ついたので、けっこうですよ」


 書類の束を机の上で揃え、太郎は背中から掛かるノック音を聞いた。声はライランのものだ。こちらが答えると、ライランは扉を開けて入ってくる。

 まとめていたのはメッタに提出する内容。役所の窓口に対する改善案がやっとできたので、届けようとしていたところだった。


「明日ですが、歓楽街への出立の準備は済みましたか?」

「ええ、まぁ準備と言っても特に用意するものはあまりないですけどね」


 あつらえてもらった革のカバンの中には、以前もらったドラゴンのヒゲと数冊の教科書とノートしか入れられなかった。そもそも日本から持ってきたものといえば、一張羅のスーツだけ。それで旅支度をしようと言われても、何も必要がなくなってしまった。


「そうそう、これなんですが、例の役所に提出したいのですが」

「分かりました、預かっておきましょう。それと、今日はもうひとり紹介したい者がおりまして」


 ライランが後ろを振り返ると、紫の制服を来た学生が姿を現した。長身で灰色の髪が印象的だった。男性ではあるが、少し長めの髪が若干女性的でもある。


「『鋳造・加工科』のルルゥ・ブンです。彼は熱と光魔術に長けてましてね。歓楽街は明るく暗い街ですから、最適かと思います」


 紹介されたブンは軽く会釈して、それ以上は喋ろうとしなかった。寡黙な人物なのだろう。体は細いが、この世界では体格に左右されることはない。


「クオガさんは、授業ですか?」

「いえ、彼女は……女性ですから」


 そうだった。これから乗り込むのは歓楽街だ。遊女が作ったというのなら、いわゆるそういう場面ももしかしたら目撃してしまうかもしれない。目撃どころか、野蛮な男どもに乱暴されてしまう可能性がある以上、クオガは連れて行けないだろう。


「あまり学生を連れ出すのもよろしくないのですけど、彼は年長者ですし大丈夫かと思います。ブンくん、ソウマ・タロウさんと仲良くね。ではまた明日、朝に迎えに来ますので」


 物静かだが人当たりは良さそうだ。今日はもう夕方だし腹ごしらえして早く寝ようと決める太郎だった。思えばすでに慣れたものだ。日本にいたころはこんなにゆっくり夕日を見るのもなかった。


 今日ばかりは早めにカーテンを閉め、翌日に向けて英気を養うことにした。




「ここが……歓楽街!?」


 ざわざわと騒がしく行き交う人々は、過度に太った者か過度に痩せた者。太った人物は豪華な召し物を纏って、痩せた者は煌びやかな衣装。金銭の流通が目に見えて分かるようだ。


 日本でもそうだが、観光地は大事な資金源だ。それゆえ犯罪に対して多少のことは目を瞑られる。……いま、大変なことを考えたような気がするので、太郎は人知れず頭を振った。


「ソウマ、あまり視線を向けないよう努力してほしい」

「へっ、あぁ、そうですね」


 歓楽街には甘い罠が多くある。ひとたび女性と目を合わせたが最後、大人のお店に連れて行かれてしまうだろう。もっとも太郎に関しては初老なので、連れ込まれて痛い目を見るのはブンのほうかもしれなかった。学生であることがバレると厄介なので、いまは制服を脱いでライランが仕立てた綺麗な着物を纏っていた。


 そんな彼を見遣ると、涼しい顔をして行く道を見据えている。さすが年長者だ。正直言うとその文言だけでは納得は行かなかったが、魔力のない太郎にとっては強力な護衛は助かる。それになんたって自分は日本国総理大臣だ。危険に晒される行為は避けねばなるまい。


「それで、その……かの楼閣はあそこですかね?」


 息巻いて出てきたのは良いものの、地理に関しては不確かなことが多い。念のためブンに訊いたところ軽く頷かれたので、太郎は安堵した。


 実のところすでにこの街に入る前から見えていた建物だ。日本風の、まさしく楼閣の造り。規模が大きいので、ともすれば城にも見える。石の代わりに大理石を使っているところは海外の匂いがするが、太い丸太のほうが多いのでやはりどこか故郷を思い出された。


 コチョウ楼閣。以前ソルアンジェルス大陸にやってきた遊女の名を取ってそう呼ばれる。いまそこに、彼女はいない。そもそも一五〇年も前の話だ。とっくに日本にもいないだろう。


「えーっと、現在はメンザ・ウァーグという方が治めていらっしゃるのでしたっけ?」

「そうだ。彼女はコチョウの子孫だと豪語しているが、そのような事実はない」


 半年程度の召喚で出産を終えられるはずもないだろう。歴史は勝者が作ると言われるが、正しくないことは明らかだ。一度話を付けたいのだが、取り合ってくれるだろうか。


「メンザ様にお会いになるには、前金として魔石を五百ほどご用意いただかなければなりません」

「へ? 魔石? 五百?」


 中に入ると二人の女性が正座していた。メンザ・ウァーグに会いたいと言ったのだが、逆に知らない単語を並べられて太郎は戸惑ってしまう。彼女は遊女気取りなのだ。


「お持ちではないのですか?」

「えっ、いや――」

「主人は五百程度でいいのかと動揺されたのだ。こちらは二千ある。不十分か?」


 じゃらりと小袋を出したのは、ブンだった。この土地で生きているのが長い分、やはり頼りになる。きっとクオガではここまで颯爽とはできなかっただろう。


 ライランから言い含められた、コチョウ楼閣で出すはずの金子(きんす)を途中の出店で使ってしまいかねない。


「しっ、失礼いたしました……!」


 二人の美女は土下座して、ブンから魔石なるものを受け取っていた。あれがつまりは経済力の証なのだろう。中身はよく分からないが、解決したなら万々歳だ。


「あのぅ、ところで主人ってどなた?」


 受付を通されたあと、広い座敷で待っているように手配された。ブンはさすがにあぐらだったが、太郎はきちんと正座している。受付嬢もそうだったが、きっとここにはまだ日本の習慣がこびりつくように残っているに違いない。


 小声でそう確認したところ、切れ長の瞳で太郎を見遣る。


「ソウマだ。勝手ながら、その設定のほうが私も楼閣に入ることができるかと思考したまで。それに、何かあったときに動きやすい」

「え、あぁ、そうでしたか! いや、わたくしはてっきり、あのライラン学長がミスター・ブンを配下に置いているのかと」


 先日弱い少年、ドランコを配下に置くなんてことを見てしまったものだから、寡黙な青年もどうにかなってしまったのかと思ってしまった。何も危害を加えないのなら悪いことでもないのかもしれないが、やはり気分として気持ちのいいものではない。


「学長は特別だ。あの方の魔力は桁が違う。人を配下に置けるほどの魔力は、ほとんどの者が持たない」

「はぁ、思っていたより凄い人だったんですねぇ」

「故に、学長は学園からあまり外出ができない。畏れは恐れに変わっていく。なので人に主従魔法をかけるのは許されていない」


 へらへらと笑うライランを想像すると、どのくらい凄いのか分からなくなってくる。悲しい内容の話を思いがけないところで聞いて、太郎はどう反応すればいいのかもあやふやになってしまった。


 寡黙とは言え、今回はとても長くしゃべってくれたので、きっと彼も緊張しているのだろう。これから会うのは歓楽街の首領(ドン)、メンザ・ウァーグ。そして、この街一の美女とされている。

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