少女とおじいさんの話
「怖くない……怖くない……」
前日に降った雨の影響がまだ残り、地面の土からはジメジメとした空気が出ていた。
手入れされていない庭に無造作に生える木や雑草は、あの雨だけが唯一の栄養源だ、と言わんばかりに、今日は生き生きとした姿を見せている。
この屋敷に人が住まなくなって一世紀以上が経っているという。正確な年月は定かでないが、少なくとも正確な年月がわからなくなるほどに昔から誰も住んでいない。
辺りに人の家はないものの、辺鄙な場所というわけでもない。子供達の足でも行ける場所にあるお陰で、時たま彼女のような子供がやってくるのだ。
大人達は皆口を揃えて「あそこは危ないから入ってはいけない」と言うが、そんなものは聞かない子供も居る。しかし少女の場合は、親の言いつけを守って極力ここに近づかないくらいには大人しい子だったはずだ。
大人しい性格が災いしてか、少女はよくクラスの男子にからかわれた。中々にかわいらしい容姿を持っていたのも原因の一つだろう。
とにかく、少女は大切にしていた髪飾りをこの屋敷の奥に隠されてしまったのだ。
親に言えば一緒について来てくれたかもしれない。
しかし彼女にも意地があり、親に心配させたくない、という幼心が働いたのかもしれなかった。門をくぐる前から彼女はそれを後悔していたが。
レンガ造りの屋敷は大きく、外からでも外観が見られた。しかし広い庭にはうっそうと植物が生い茂り、あたかもジャングルのような雰囲気をまとっている。
「もう……嫌だ……」
泥にもなりきれないグジュッとした土の感触が気持ち悪い。
正面の玄関は施錠されているが、いくつか並んだ窓の内、左に四番目の窓は鍵が開いている。これは子供達の間で、大人に秘密の情報として広く出回っているのだった。
屋敷の中は想像していたよりも明るかった。
もうすぐ太陽が頂点に昇る頃であり、非常に多くの窓が取り付けられているのもその理由だった。
屋敷に侵入した彼女はまっすぐに二階の奥を目指す。
二階の奥の部屋に置いてきた。少なくとも置き場所を教えてくれるくらいにはクラスの男子も優しかった。
所々、腐って穴の抜けた床。足を乗せる度に嫌な音を出す階段。それらを乗り越えて彼女は二階に辿り着いた。一階に比べて窓の少なくなった二階はとても薄暗い。
一階はエントランスか何かだったのだろう。だだっ広く、何もなかった。しかし二階は部屋が並んでいるのか、細長い廊下の両側に扉が並んでいた。
左右どちらにも部屋が並んでいてどっちの奥かわからなかったが、彼女は右を選んだ。
絵画でも飾っていたのだろうか。壁には等間隔で四角いシミがついている。扉と扉の間には、持って行かれることのなかったチェストがたまに置いてあった。
そして廊下の突き当たり。
意外と単純な形なんだな、などと関係のないことを考えつつ、彼女は無事にここまで来られたことに胸をなで下ろす。
ジメッとしてヒンヤリしたドアノブを回す。
中に誰も居るはずないのに、扉を開けるのは慎重になっていた。
「何をしているのかね?」
「きゃあ!」
急に後ろから声をかけられ、少女は思わず開きかけの扉から部屋の中に入ってしまう。その後からゆっくりと扉を押し開け、車椅子のおじいさんが続いた。
おじいさんが進む度に、キイキイと車椅子は甲高い音を立てた。
部屋の中は廊下よりも明るい。日の光の中で見れば、おじいさんは悪い人には見えなかった。
「まったく……。最近は悪ガキ共がよく来るから困ったよ。お嬢ちゃんもそのクチかい?」
「いや……大切な物を隠されて……それで探しに来たんです」
「そうかそうか。勘違いして済まないね」
おじいさんはそう言いながら、置いてあった机に車椅子を近づける。その度にまたキイキイ音を立てるのだった。
「捜し物はこれかい? 一昨日くらいから置いてあったんだ」
「あっ、それです……」
おじいさんが引き出しの中から取りだしたピンクのビーズがついた髪飾りは、誕生日にお母さんからもらった物だった。
無言でそれを差し出してくるので、少女は受け取りに行かねばならなかった。
ゆっくりと。それでも怖がっているのがバレないくらいには早く。きっと怖がられたくらいでおじいさんは気にしないだろうが、変な所で少女は真面目だった。
受け取るまでの短い間だが、おじいさんは無言で少女の目を見つめていた。
「ありがとうございます。失礼します」
「正面の鍵は開けといたからそこから帰りなさい」
髪留めさえ受け取れば後は帰るだけ。その重いが少女を走らせた。
急いで部屋を出て急いで廊下を進み、急いで階段を降りる。
正面の玄関の扉は外から見るよりもずいぶんと厳重だった。上中下、三つの鍵が取り付けられている。
少女は外に出ると、一刻も早くこの恐ろしい屋敷から立ち去りたいと、振り返りもせず走り出した。
今日は残業の予感がするので年内の更新はこれが最後ですかね。
良いお年を。