ハーフエルフの男と神の話
男はハーフエルフと呼ばれる種族であった。そういう種族が定義されているわけではなく、エルフ種とヒト種の間にできた子供だから、ハーフエルフと呼ばれているだけであった。
元来、自分たちの暮らす広大な森から外に出ることのないエルフ種。長らく伝説の種族かと思われていたが、人類の発展と共にエルフ種とそれ以外の種の文化的交流も活発になっていた。
エルフの作る織物は、その独特なデザインから人気の品である。
閑話休題。
いくら他の文化との交流が活発になったと言っても、根っこの部分では未だに排他的気質の強いエルフ種の中では、エルフ以外の者と交わるのはタブー視されていた。簡単に言ってしまえば、男のようなハーフエルフは忌み子なのである。
集落の族長ができたエルフであったから、男のその母親は集落で暮らすことができたが、母親がポックリ死んでから周囲の目はすっかり変わってしまった。悪い方に。
もしかしたら外の世界に行った方が幸せだったかもしれない。しかし男の母親はエルフとしての生活以外に生きていく術を知らなかったし、奴隷文化の根付いているこの国で、エルフやハーフエルフなんて格好の獲物であった。どちらが幸せかはわからない。
「くそ! くそ!」
集落から少し離れた湖の畔。そこで水面に向かって小石を投げるのが、男のささやかな趣味になっていた。
注意しておくと、男も別にそれを趣味にしたいわけでなく、集落に居てもただ居心地が悪いだけだったのだ。
さらに注意しておくと、悪態吐く男の性格は、環境から歪んでしまったのではなく、元々が荒々しい性格だったりする。
「いっつもいっつも根暗どもが!」
自分の陰口を言われていることは男も自覚していた。
だから腹いせに石を投げ、ボチャンという音に謎の爽快感を得ていた。
行商人から昔聞いた話では、湖の中に仕事道具を落としてしまった時、女神が現れて拾ってくれた、なんてことがあったらしい。おとぎ話の類であろうが、まさか自分の目の前でそれが起こるとは、男も思っていなかっただろう。
「君はいつも一人でここに来るね?」
湖から現れたのは、男とも女とも判断できない中性的な老人。老人であるとわかるのに、妙に惹きつけられるような魅力があった。しかしこちらの心の奥を見透かすような、それでいてこちらをハッキリと拒絶するような目には、流石の男も身を縮こまらせた。
老人――仮に湖の神とする――は男の周囲をもう一度見回し、一人であるのを確認した。
「お、お前……なんなんだよ!」
「特に名乗るような名前は持ち合わせていないが……これから長い付き合いになるだろうから好きに呼ぶと良い」
神が男に手をかざすと、突然の事態に動転していた男の心が、無理矢理押さえつけられた。
これは神である。そう強制的に理解させられたのだ。
「長い付き合いになる、ってどういうことですか?」
自然と、男の口調も丁寧なものになった。
「私は助けを求める者の前にしか現れない。つまり君を助けにきたわけだが……どうやら厄介な身分であるようだ」
「俺は別に助けなんて……」
性格からして、素直に助けてください、なんて言えるような男ではない。そうであれば集落での生活ももう少しマシなものになっていただろう。
反論する勢いだけはあっても、最近、集落での男に対する風当たりも強くなってきており、弱気になり始めていた男でもある。反論の言葉も尻すぼみになっていた。
しかし、反論しても神はそれを聞いていなかった。
「君を助けるにあたって手段は二つ。長い時間がかかる方法とすぐに済む方法の二つだ。どちらにする?」
「……すぐに……今すぐにでも助けてください」
普段の男であれば長い時間がかかる方法を取っていただろう。もしかしたら「俺は助けなんかいらない!」と湖から立ち去っていたかもしれない。
しかし今日は母親の命日。
男の集落では遺体を燃やして出た灰は川に流す。それでもその人が生きた証として、集落の共同墓地に花を植えるのだ。長年の風習から大きな花畑ができあがっている。男の母親の花も植えられているが、花畑から少し外れた位置にあった。
年に一度。この日だけはどんなに荒れた男も、殊勝な態度になって墓を参る。
その母親の花が踏みにじられていたのだ。
「……辛いな。辛い生活だったのだろう」
すべてを見透かしているような様子で神は言った。
そして神が再び手をかざすと、男は一瞬にして灰となり、風が吹いてそこに残ったのは、綺麗な白い花弁の花が一輪だけだった。
それは男の母親の花と同じ色。
男が居なくなったことに集落のエルフは気づいていたが、誰も探そうとはしなかった。
湖の畔にある白い花はいつの間にか二輪になっており、いつまでも咲き続けていた。