この世界には竜がいる。蒼穹を駆ける命無き、無機の竜が。
この世界には竜が居る。
鋼鉄の翼を広げ、鉛の咆哮を響かせる。
蒼穹を駆ける命無き、無機の竜が――。
つは
男「いこうか、相棒」
荒涼たる大地の広がる中、僕は竜の背に手をかける。
燃え盛る血液が、動き出した機械仕掛の心臓が、大きく拍動を始める。
そして、翼のプロペラが力強く鳴り大地を疾走する。
拍動する竜の心臓、砂塵を巻き上げ、高らかに響き渡る咆哮。
一瞬の空気抵抗の後、竜は重力を振り切って飛び立ち雲の中に飛び込んでいった。
秋。
街道の両端には広大な麦畑が黄金色に染まり風に靡く。
馬車が行き交い、商人達は今年の麦の出来高に一喜一憂。
煌びやかな吟遊詩人はマンドリンを片手に街から街へと流れ。
貴族の紳士淑女達は王宮の下らない噂に興じる。
まったく、あっしの十八番の演目が始まるっていうのに。
おや、立ち止まったあなた様。
実にお目が高い、いや、この場合お耳が高い?
まぁ細かいことでさぁ。
さぁさぁ‼︎‼︎ 此れからお耳を拝借するは、鋼鉄の竜と心を通わせた若い男と、機械の身体を持つ敵国の乙女の英雄譚にございます。
心躍らす、所轄“ふぁんたじぃ”と謂う物でございます。
鋼鉄の竜は蒼空を駆け、精悍な騎士達は身命を賭け、機械の乙女は理想の世界を懸ける。
そして、空には――。
おっと、此処から先は物語だ。
気になる御人は、ささ、あっしの帽子に銅貨を一つお入れくだせぇ。
えぇ、あっしのマンドリンにかけて退屈なんざ、させやしませんとも
。
さ、ごゆるりとお楽しみ下さいませ。
あ、そうでした。 口寂しい方にはリコリス飴など御用意致してます。 お求めの方は銅貨を一枚あっしの帽子へお願いしやす。
風が気持ちいい。
ゆっくりと飛ぶ竜の背に乗り、硝子の風防を開ける。
ひんやりとした風、そろそろ秋かな。
畑の麦、今年は金貨 10枚程度になれば良いけど。
去年は戦争の所為で、麦の価格が上がっていたけど、今年はどこも豊作らしい。
王都から離れた辺境に住んでいるから、戦火も麦の値段を決める程度の認識しかない。
寧ろどうせなら、飢えない程度にどこかの誰かの麦畑が戦火に焼かれてしまえばとさえ思ってしまう程に、だ。
そんな事をぼんやりと考えながら目的地近くまで辿り着く。
目的地は生活の全てと言っても過言ではないそれなりの広さの麦畑。
竜を畑脇の滑走路に降ろす為に “操縦桿”と呼ばれる短い手綱を傾け、スイッチを幾つか弄る。
竜の翼にある一対のプロペラが回転を弱め、高度が下がっていく。
麦畑の脇に作った滑走路に竜を着陸させようとした、その時。
「ぼ、僕の畑が……」
目を疑った。 僕の麦畑が中心に向け渦を巻いてなぎ倒されていた。
なんてこった。
今年の冬をどう越せばいいんだよ。
「やばっ!?」
畑に目を奪われすぎで着陸に上手く行かなかったっ。
「止まれ止まれ止まれ止まれっ!!」
操縦桿を握りながらあの手この手で竜を繰る。
大きな衝撃を受け着陸。 派手な土埃をあげ想定の倍以上の距離を走り竜は止まった。
やばい!?竜は無事か!?
嫌な予感が膨らむなか、ハッチを開けまだ晴れない土煙りの中に飛び降りる
「大丈夫か!?」
竜の背から降りたあと。周囲を見て周り異常を調べたる。
不幸中の幸い、どうやら傷は多いが致命傷はない。
「良かった……ん?」
ほっとしたの束の間、背の方から小さく煙が立っている。
操縦席を覗き込むと、計器類から煙が出ていた。
「最悪だ、これじゃあ飛べないじゃないか」
溜め息を吐き、畑の方を見て、もう一度大きなため息を吐く
竜の操作で忘れていたが、畑が大変な事になっていたんだ。
「それにしたって、一体何があったらこんな事になるんだよ……」
畑はまるで、中心部で竜巻が起きたみたいだ。
しかも、所々焦げている。
竜が堕ちた時のようだ。
しかし、竜にしては跡が小さすぎるし破片もない。
これじゃあ精々人程度の大きさだ。
いや、まさか。
でも、嫌な予感は悉く当たる物だ。
倒れた麦を掻き分けて中心部にに辿り着いたら、ソレは居た。
首から上は、まるで磁器のように滑らかな肌をした少女。
しかし、そこから下はその磁器の肌の隙間に炭黒の艶の無いゴムのカバーが填められ、肘や膝の関節は人形のような球体間接になっている。
“機械人”。
機械の身体を持つ、 “壁の向こうの国” の住人。
人類の、敵。
「生きている……のか?」
機械人を見るのは初めてだったけど、話に聞いていた物とは全くの別物だった。
機械人は、剥き出しの金属に装飾の無い身体。 怪しく光る深紅の眼孔。 まるで工場の部品のような奴らだと聞いていたのに。
目の前にいるのは、例えるのであれば人形だった。
人形といっても、幼子が戯れに持つ人形なんかじゃあない。
貴族達が、僕なんかが一生を懸けても目にする事なんか無い大金を払って手に入れる芸術品。
一流の人形師が人生を費やして作り上げた至極の品だ。
瞑られた眼の周りの長い睫毛。
小さく閉じられた蕾のような唇。
緩やかに波打つ白金の長い髪。
それを包む煌びやかなドレス。
しばらくの間、瞬きすら忘れて僕は畑に倒れている機械人の少女を見つめていた。
「しかしどうしようこれ……」
我に返ると、現実が襲ってくる。
今年の収穫はほぼ望めないであろう麦畑。
修理をしなければ、飛び立つことさえ難しい相棒の竜。
更に正体不明で生死も不明な機械人の少女。
解決策が見つからなければ、最悪此処で野垂れ死にもあり得る。
「そう言えば……」
王都の竜騎士が、討ち取った機械人の身体を使い竜を手当てしたと言う話を酒場で聞いた事がある。
「やらなきゃ駄目、か」
あー……、でも無事に帰ったとしても、収穫が無いから冬には死ぬかも。
「お金が必要だしな、竜は手放せないし……」
竜を売ったら冬は越せてもその後の生活が厳しい。
それ以前に、まず売れない。
「お前は家族だ、売ったりなんて出来ないよな相棒」
竜の方を見て溜め息。
男「コイツ、売れないかな……」
横たわる機械人の少女は、貴族なんかが高値で買う気もする。
例え死体でも、機械人は腐ったりはしないから飾る事も出きる。
貴族の中には戦場で討ち取った機械人の首を家に飾る人さえいる。
まぁ、僕にはそんな悪趣味は理解できないけれど。
「でも、ここから帰らなきゃ売る事も出来ないし、最悪首だけでも買ってくれる人を探そうか……」
『お困りですか』
「まぁね、畑は壊滅、竜は飛べない。 今から修理の為に機械人をばらそうかって考えてる所だよ」
『それは困ります』
「だよねー……えっ?」
やばい。 やっぱり生きていたのか!?
背後からガサガサと草木をかき分ける音と共に無機質な声が聞こえてきた。
竜の方から視線を逸らしてすぐにでも振り返って今起きている出来事が勘違いであると安心したい。
それなのに畳み掛けるように声は続く。 残念ながら幻聴の類ではないようだ。
『私には為すべき事が在るのです』
観念して振り返ると、畑から麦を掻き分けて機械人の少女が近寄ってくる。
逃げるか? どうやって? 近い、麦畑はどーなる? 竜は? 置いてはいけない。 あ、やばい、もっと近づいて、どーする、あ、これ詰みか。
殺される。
恐怖で動けない。 というより一度恐怖で瞑った瞼すら開けられない。 あの機械人が近づいてくる音が、どんどん大きく聞こえてくる。
一応は、指先で腰にぶら下げている短刀の感触を確かめる。
唯一命を守る為の武器になりうるコレ。 でもこんなんでどーすれば? 刃物って効くのか?
男だろ、腹括れよ、僕。こーなりゃやけだ!やってやる!
「やられる前にやっ、近っ!?」
目を開けた瞬間飛び込んできたのは白金の髪。 頭頂部。
『竜とは、そこの双発レシプロ機の事でしょうか?』
「は、え? そうはつれしぷろ?それは何?」
機械人の少女はよくわからない言葉で竜を指差した。
『あなた達はこの子を竜と呼ぶのでしたね。 あの子が動けば私を分解する必要は在りませんか?』
助かった?
なんだ、大したことないじゃないか機械人。 見た目もお人形さんだし。
僕の方が身体も大きいし、農業で鍛えてるからね。
まあでも争わないで済むに越したことはないね。 うん、 強がりだけど。
「君が戦うつもりがないのであれば、僕もグロテスクなのはごめんだし乱暴な手段はとらないであげるよ」
うん、強がりだけど。
『では、失礼して……』
止める間もなく機械人の少女は竜の背に乗りこむ。
『この程度であれば大丈夫です、飛び立ちますのでお乗りください』
無表情なまま大袈裟なまでの動作で手招きする機械人の少女。
「あ、うん、わかったっ」
竜の背は一人しか座席をつけていない。
『私が計器の変わりを務めますので、操縦はお願いします』
そう言うと胸の中にすっぽりと収まるように身を預けられた。
見た目より重い、けど思ったより柔らかい。
『……あなた達の航空機には私達のようなAIが搭載されているのですね。 この子の名前は……そう、この子の名前は “トリュウ” と言うのですね。 竜を屠ると言う意味を持つ本来副座型の機体だったようです』
機体人の少女が何を言っているかさっぱりわからない。
それと、少女の後頭部から何本も配線が伸びて計器と繋がっているのが、正直気味が悪かった。
「へぇ、相棒はトリュウって言うのか。 あと、AIって何?」
『あなた達の謂う所の魂、という概念が一番近いのではないかと私は考えます』
こうも淡々と答えられて少し詰まらない。
第一怖くないのだろうか?
先程まで自分をバラして竜に組み込もうとしていた敵国の人間への態度とは思えない。
「ねぇ、怖くないの? 僕が君との取引を守らない可能性もある訳でしょう? 怖くないの?」
僕だったら凄く怖い。
というより今もこの得体の知れない少女が怖い。
『……可能性の問題でしたら、あの場はあれが一番正しいと推測致しましたので』
「じゃあ怖くない理由は?」
『……恐怖、ですか。 私たちは感じることは在りませんね』
機体人の少女は、水底のような沈んだ深紅の瞳で僕を捉えて言った。
『私、いや私たちは、感情と謂う物が良く解りませんので感じないのではないかと』
どんな見た目だろうと、やっぱり機械だな。
感情の無い深紅の瞳に対して嫌悪と恐怖が込み上げ、思わず目を逸らす。
狭いトリュウの背の中で、これからの事を考えるとため息がこぼれた。