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新薬

「この文献だが、きみはどう思う?」

 診療室で白衣に着替え、図書室に向かったマーテンスは、そこでやはり調べものをしていたトッド・ジェイルズ医師に訊ねた。

「きみも前、これを気にしていただろう」

「向精神薬LLS204ですね。これがなにか?」

 ジェイルズ医師が答えた。怪訝な表情を浮かべている。

「鬱病に効果があるタンパク結合型の三環系抗鬱剤でしょう。動物実験でも、人体への臨床治験でも、効果が認められている」

「だが、副作用もある」

「副作用のない薬なんて、ありませんよ。……というより、薬の作用はすべて副作用で、その中で臨床的に価値のあるものだけ、効用として記載される」

 それは、その通りだった。だから、医師の中には副作用という言葉を嫌う者も多く存在する。だが、マーテンスは、それはそれとして割り切っていた。

「人によって違うんだが、ある種の強迫観念が現れることもある、という記述が気になるんだよ。しかし、具体例は示されていない」

「実際、たいしたものではなかったからなんでしょう。わたしも関連文献をずいぶん調べましたが、害がありそうな記述は見つけられませんでした」

 すると、マーテンスは別の文献を示し、

「これには【購買意欲の向上】と記載されている。もっとも、完全に同じ薬ではなく、LLS204の前駆体なんだが……。良くわからないじゃないか。で、これには【モノが偉大に見える】とある。これも何だかわからんが、鬱病を神経症にシフトさせているようにも取れる記述だ」

「偏執病ですね」

 とジェイルズは答えた。

「しかし、鬱病は治る」

「だが、いつまで経っても、患者は病院を、あるいは薬を離れられない。これじゃ、医薬品の奴隷だ。もっとも、それがわれわれの収入を安定化させるのだから、皮肉ともいえるが……」

「医師には、その側面もあるんですよ。病院に集まるお年寄りたちを見てごらんなさい。これは、日本の医療を真似て導入された医療保険のせいだ。お年寄りたちは安心を買いに病院に集まる。以前はこんなことはありませんでした。保険会社はそれぞれの私立病院と契約をしていましたからね。患者は、保険会社の指定した病院にしか行けなかった。保険で医療を受けようとすれば、です。それが変わった。けれど、やはりその保険制度のせいで、殆ど薬は支給されない。病気と認められるための提出書類が多過ぎるからです。でも、何故か患者は病院に集まる。診察までは保険が利きますからね。可笑しな話です。でもまあ、気晴らしに病院に来ている患者は、それでもいいでしょう。しかし、保険点数の縮小のおかげで、本当に病気に罹って治そうとしている患者にも充分な検査が行われない。保険会社の負担が大きくなり過ぎるからです。それでも、医師の判断で検査項目を増やすことは可能ですが、今度は睨んだ病名が間違っていた場合、医師が裁判所で保険会社と争うことになってしまう。なんともはや。そして概ね、裁判には負けます。だから、医師は医療を仕事と割り切るようになる。それが悪いとはいいませんが、わたしにはどうにも引っかかりますね。そして食品医薬品局に認可され、保険会社が有効と認めた薬ばかりが、投与されるようになる」

「そのひとつがLLS204なわけだ」

「ええ。だが、あなたはその効能を疑っている」

「わたしも医師の端くれだからね」

 とマーテンスは言った。

「リック・ヘンスンのことは知っているだろう。きみの前の患者だ。今は彼の申請によって、わたしの受け持ちになったが、彼の目の色が気にかかるんだ」

「目の色ですか?」

「明らかに神経症の表情をすることがある。プレコックス感はなかったから分裂病ではないだろう。偏執病の感じがしたわけだ」

「鬱病ではなく?」

「鬱病の方は、殆ど治ったといっていいかもしれない。幾つかの臨床所見がそれを示している。これはLLS204を投与してからのことだ。だが……」

「偏執病が現れた、と……」

 驚きを隠せずにジェイルズが言った。

「そうだ。だが、確証はない」

 マーテンスが首を左右に振る。

「心の病とはいえ、それが機能障害ならば、明らかに投薬で治る。少なくとも、症状は改善される。だが、その薬が別の症状を呼んでいるとしたら? きみの言うように、薬の作用はすべて副作用だ。だから、わたしの杞憂が的を射ているとしたら、LLS204は効能が偏執病の発病で、副作用が鬱病の改善となる。これは怖い」

「しかも、あの薬は保険が利いて安いので、現在既に大量に使われている……と言いたいわけですね」

「事実、この病院だけでも、かなりの数が注文されているよ。わたし以外の現場に実際に使われだすのは、まだ先だろうが、そう遠いことじゃない。それに、今は患者がそれを指定することもできる」

「そうなっては、医師は裁判覚悟でなくては別の薬を処方し難い。確かに怖い話です。それが事実ならば……」

 すると、マーテンスは沈痛な表情を浮かべ、

「そう、事実ならばね」

 低い声で、そう言った。


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