目撃
翌日、車を走らせ、病院に向かう途中、マーテンスは看板を見つけた。
新しい看板だった。東海岸通りの右斜面に立つビルの屋上に掲げてあった。大きさは、結構ある。距離から判断して30フィートは下らないだろう。昨日までは記憶になかったから、今日の明け方までに取りつけられたに違いない。書かれた文字は同じ【安売り】のみ。色調は、どちらかというと地味でかつセンスが良かったので、マーテンスは昨夜の妻との会話を思い出した。財力のある企業ならば、たしかに品良く看板を仕上げるだろう。
「おはよう、リック」
聖パトリック病院の敷地内に車を乗り入れると、リック・ヘンソンが朝の散歩をしていた。マーテンスは、窓から顔を覗かせ。ヘンスンに声をかけた。
「身体の調子はいいようだね」
「ええ、そりゃ、もう」
リック・ヘンスンが答えた。目に狂気の色はなかった。精神が安定しているのだろう、とマーテンスは見て取った。
「おはようございます、先生。今日は、ずいぶんお早いんですね」
「ああ。本当は昨日夜勤だったから遅い出なんだが、調べものがあってね」
ストレスを避けるために、マーテンスは病院の仕事を家には持ち帰らないよう心がけている。そのため家に帰っている間は、大抵病院での出来事を忘れている。しかし、昨日は看板の話題で妻と話したために、それが完全に機能しなかったのだ。
「調べもの……ですか?」
ヘンスンが訊ねた。
「前の月に、製薬会社のプロパーが持ってきた新薬なんだが、臨床記録に気になることがあってね。もちろん、食品医薬品局の認可はとうに下りているんで、調べさえすればはっきりとはするんだが……」
「先生も、いろいろ大変なんですね」
「仕事だよ。生業さ。それが嫌なら、他の職を探すよ」
言って、マーテンスは、いつもの駐車位置に車を止めると、足早に診療室に向かった。
リック・ヘンスンは、去っていくマーテンス医師の後ろ姿を、じっと見つめている。