看板
その日の夜は妙に家の中が騒がしく、ついでやたらと外から猫の鳴き声が聞こえたので、マーテンスはまたしても寝つくことができなかった。
翌日、聖パトリック病院に出勤すると、看護婦や他の医師たちも、口々に、何やらごそごそとした気配を感じた、と言っていた。マーテンスは妙な気分に囚われた。出がけに気になったので、例の【安売り】の看板を数えてまわったが、気づいた限り、数は増えていなかった。それも、マーテンスの嫌な気分を増大させた。
「慣れでしょう」
と朝、看護婦たちとその話をしていると、看護婦長のメアリィ・フィリフェントが言った。
「考えているうちに、それが近しいものになったんじゃないですか? 良くありますよ、そういうことは。わたしは猫が嫌いなんですが、近所のゴミ置き場にノラが棲みつきましてね。毎朝出がけに見かけるので、いないと、やっぱり気になるんですよ」
午前中の最初の患者はアーサー・クーパーだった。
「その後、人形はきみに何か語ったかね?」
とマーテンスはクーパー青年に訊ねた。
「いえ、昨日から今日にかけては大人しいものです」
アーサー・クーパーが答えた。
「たぶん、黒服の男たちが暗躍してくれたお陰だと思いますね」
僅かに首を傾げ、
「でも、午後の輸送団の通過は心配ですね」
言われて、マーテンスは軍の輸送トラックの通過予定を思い出した。
「きみは、あれについてどう考えているのかな?」
「やっぱり、円盤に関係していると睨んでいますが……」
とアーサー・クーパーは答えた。
「シンシアが――あ、これは、あのフランス人形の名前なんですが――語ってくれないので、ぼくには何ともいえません」
続く午前中の患者も、みな穏やかな話振りだった。
昼休みに、妻のエドナから連絡があった。
「近くまで来たものだから、お昼を一緒しない」
エドナ・マーテンスが提案した。
聞くと、聖パトリック病院近くの会社で行っていた取材が早めに終わったらしい。
「オーケイ。そうしよう」
マーテンスが答えた。
病院沿いの道を指定された店の前まで歩くと、エドナ・マーテンスが小猫のビーチを抱いて立っていた。
「困っちゃったわ。わたしがここまできたら、急にこの子が現れたのよ。いったい何なのかしら?」
マーテンスの家は車を使えば、聖パトリック病院から遠い距離とはいえない。が、小猫の足でとなると……
ビーチは妻の腕の中にすっぽりと収まっていた。けれども、どこかむずがるふうでもあり、マーテンスがハンバーガーでも買って近くの公園にでも行こうと妻の車に近づくと、急にその腕を離れ、車のボンネットに飛び移った。
「ほらほら、ビーチ、何が言いたいんだ?」
マーテンスは優しく問いかけたが、小猫は何処か諦めたようにミャアニャアと鳴くだけだった。
そのとき、大きなエンジン音がマーテンスの耳に飛び込んできた。
「来たらしいわね、輸送トラック」
道の向こうに現れた大型トラックの影を認め、エドナ・マーテンスが言った。
「少し、早いかしら?」
「こんなものだろう」
時計を見、マーテンスが答えた。視線を車道からずらし、ふと目に入った看板の文字を見つめた。昨日とは打って変わった燦々(さんさん)と輝く太陽の光の照り返しを受け、【安売り(DISCOUNT)。】の文字のうちD・S・U・Tが見えなかった。
「あれ、何かしら?」
マーテンスが看板を見上げていたので、つられて空を見上げたエドナ・マーテンスが言った。
「どれだい?」
マーテンスが妻の視線を追うと、確かに空には小さな黒い点が見えた。
「何だろうな?」
そして――
数秒後、それは真っ白な光の点となり、街の半分以上を覆い尽くした。
すべてが蒸発し、その中心だった聖パトリック病院を取り囲むような奇妙な配置のまま焼け残った看板の残骸以外、何も遺らなかった。
一九九八・五・十七(初稿)
全面改稿しました、
こういったSFがまったく一次(または二次)を通らないので、どうせ売れないのならと、好きなメインストリームに鞍替えした経緯があります。




