第七話 大人になったら
チェストの上には貝が山盛りになっていた。紅貝とうらうずがいが混ざって、今にも崩れそうだった。淡い色のたくさんの貝はとてもきれいだった。思わず「このままでもいいかな」と思ったけれど、リトルナーレがつつくと貝はじゃらじゃらと崩れて床に落ちた。
ウェルばあの所へ行って交換をしてもらった後、いつものようにリトルナーレと二人でファヴィにパンくずをあげた。ファヴィの白い羽を見ながら、貝のことを思い出してウェルばあに聞いてみた。
「何か、貝を入れるようなもの、持ってない?」
「貝?」
編んでいた膝掛けから目を上げて、ウェルばあは聞き返した。僕は持っていたパンくずを全部ファヴィにあげてしまった。
「うん。いっぱいあるんだけど……入れるものがないんだ。紅貝と、うらうずがいなんだけど」
「海で拾ってくるの」
リトルナーレも説明した。ウェルばあは部屋を見回して少し考えるようにしながら、僕らに待っているように言って奥へ行ってしまった。リトルナーレもパンくずを全部ファヴィにあげた。
「そうね、何かに入れるのがいいかも」
ウェルばあはガラス瓶を二つ持って来てくれた。僕らはウェルばあから大きな瓶を受け取ると、ふたを取って手を入れたりした。すごくきれいなガラスで出来ていて、中に入れた手はゆがんで見えた。
「このくらいの大きさでいいね?」
「うん! ありがとう」
「すごくきれいな瓶だわ」
リトルナーレも僕もうれしくてファヴィに見せた。ファヴィはガラスが怖いらしく鳴いて逃げた。頭を入れようとするとウェルばあに怒られた。「お金いくら?」と聞くと、笑ってまさかと言った。
家に帰り食べ物を置くと、僕らはガラス瓶を持って砂浜へ走った。僕が持っている瓶の方が少し大きかったから、こっちにうらうずがいを入れることにした。「これなら気にしないで獲れるね」リトルナーレは笑ってうなずいた。
僕は海に潜り、リトルナーレに手を振った。浅瀬に上がって、うらうずがいをリトルナーレにあげると、代わりにリトルナーレが紅貝をくれる。泳ぎ疲れると、僕はリトルナーレの隣りに座った。ガラス瓶を引き寄せるとふたをパチンと開けた。
「乾かしてからの方がいいんじゃない?」
リトルナーレがそう言ったので、僕も少し考えて「そうだね」と言った。
家に帰ると、チェストの上にある貝を一つずつ丁寧に入れた。小さい紅貝はガラス瓶に入れるとますますきれいに見えた。二つに分けて大きなガラス瓶に入れたので、貝は意外と少なく見えた。僕らは二つのガラス瓶を枕元に置いて眺めながら眠った。
それから三日間ぐらい曇りが続いた。蒸すように僕らの体はじっとりと汗ばんだ。スカートが足にまとわりついて、リトルナーレは気持ち悪そうにしていた。
「夏なのに、こんなに曇るなんて」
湿気で頭がぼんやりした。どこが一番快適かと考えて、僕らは海の中にいることにした。海の中なら体は軽いし冷たくて気持ちが良い。リトルナーレも浅瀬に座って貝を洗った。
やっと晴れた日にウェルばあの家に行くと、ウェルばあが靴を見せてくれた。きれいな色ではなかったし、何だか妙に柔らかかったけれど、僕は初めて靴をもらったのでうれしかった。
「ウェルばあ、ありがとう」
リトルナーレは慣れた手つきで靴を片方ずつ履いていった。僕も同じようにして履いてみたけど、足がたまらなく気持ち悪かった。僕は地団駄を踏んだ。
「これ、履くの? ……リトルナーレもウェルばあも平気なの?」
「慣れてしまえば大したことないのよ」
リトルナーレは簡単に言ったけれど、そもそも履いているのに考えないなんて無理だった。おまけにどこへ行ってもついてくるのだ。
ファヴィはいつものように小麦をつついていたので、「お前は靴がいらないんだね」と呟いた。靴はもっと良いものだと思っていたから、僕はため息をついた。
「これ、脱いじゃだめなの?」
「だめだよ。村の浜辺ならともかく、街にはガラスなんかが道に落ちているからね。足に怪我でもしたら大変だ」
「私たち、もらってばっかりだわ」
ウェルばあは笑って言った。「かわいい子供のためだもの」
それから僕に大切なことだと顔をしかめて言ったけれど、僕にはどうしても邪魔にしか思えなかった。試しに歩いてみるとかかとの所がぺたんと離れた。
「これ、多分大きいよ」
「文句の多い子だね、本当に。すぐに大きくなるから、しばらく我慢しなさい」
リトルナーレが小さく笑ったので、ウェルばあも笑って僕の頭を軽くたたいた。撫ぜたのかもしれない。
街から帰る間も、僕は落ち着かなかった。夜眠る前にベッドで脱ぐと、僕は思い切り足をシーツに擦りつけた。シーツの柔らかい感触が気持ち良くて、背伸びをしながら笑った。リトルナーレも足をさすりながら笑った。
「慣れないからしんどくなっちゃった」
僕らは眠ってしまうまでファヴィのことを話した。
靴をもらったけれど、浜辺からは脱いで歩いた。砂浜に靴を置いてから僕は海へ潜り、リトルナーレは白いスカートをゆらしながら紅貝を拾った。そしてうらうずがいを獲ると、沖から手を振り、リトルナーレも振り返す。空をかもめが飛んでいくと、ファヴィの白い羽を思い出した。
それはいつもと変わらず、僕は、リトルナーレとの穏やかな時間がいつまでも続くんだろうと思った。
にじんだ汗をぬぐいながら砂浜へ行こうと浜辺に行くと、岩場の前にたくさんの板や木が置いてあった。僕らはそれを見ながら首をかしげた。
「何でこんな所にあるんだろう?」
「さぁ……」
不思議に思いながら、僕らは砂浜に行った。その木は何日かそこに置いてあったけれど、街へ行った次の日に海に行ってみると、浜辺と砂浜の間の岩に沿って桟橋が出来ていた。僕らがウェルばあの家に行った日に作ったらしく、とてもきれいな桟橋だった。
「すごい。これ渡って行ってみようよ」
僕らは初めそろそろと歩き、次の瞬間走り出した。桟橋は崩れもせず、とても丈夫そうだった。でも、先端の方へ行くと、板が少し腐っていた。
「危ないわ。降りましょう」
桟橋は岩よりも長く、僕とリトルナーレは桟橋をくぐって岩の裏に出た。
「合わない、悪い木を使ってるのよ」
それでも砂浜まで楽に行けるようになって、僕とリトルナーレは毎日桟橋の上を走って砂浜へ行った。
リトルナーレは浅瀬にいて、僕はうらうずがいを獲りに海へ潜っていた。僕は初めて潜ったころよりも随分深く潜れるようになっていた。
最近は採る薬草の種類が変わり、果物も採れるものが変わった。僕は時間の移り変わりを、月ではなく薬草の様子で感じるようになっていた。草の量が増え、緑が鮮やかになる。もう夏になっていた。
陽射しはきつく、光る海がまぶしくて目を覚ました。リトルナーレはもう起きていて、パイを作ってくれると言った。
僕はうれしくて、手際良く洗ったり用具を用意しているのを見ていた。けれどそれも暇になって「何か手伝おうか?」と聞いた。
「いいわ。他のことをしていて」
リトルナーレは笑って言った。それも当然のことだった。僕は一度ナイフを使って果物をむいてみたけれど、指を切ったり果物が小さくなったりして、とても料理にはならなかったのだ。
かといってすることもないので、僕は海へ行って何か食べられる貝を探すことにした。一人で海へ行くのは嫌だけれど、僕のせいでパイを台無しにするのはもっと嫌だった。
漁の真似をしようと、森からいろんな木を拾って海へ行った。それを全部海に投げ入れると、ほとんどの木は沈んでしまうけれど、白い木の板は濡れながらも浮いていた。これを浮き木にして、網をくくりつけるのだ。
けれど僕は網を持っていなかったので、上の服を脱いで板に乗せてみた。板は重さに耐え切れず沈んでしまい、僕はしばらく考えて靴を板を乗せた。板は少しだけ沈んだけれど、それでも何とか浮いていた。その時だけ靴って良いなと思った。板と靴を片方持って沖に泳いで、僕は海へ潜った。
「そろそろ出来たかな」
浮き木に乗せた靴の中には、今まで採った貝が六つ入っていた。小さいものばかりだけれど、無いよりはいい。でもこれらが食べられるかどうかは分からなかったので、これなら果物を採っていた方が良かったのかもしれない。
靴をぐちゃぐちゃと鳴らしながら家に着くと、ウェルばあがリトルナーレの隣りに立っていた。僕は貝を落としそうになった。
「な、なんで……?」
あまりに突然で、入口に立ちつくしている僕の肩をウェルばあは笑って叩いた。
「こっちにちょっと頼まれ事を貰いに来ていてね。それで、ついでにお前たちの家に寄ろうと思って来たら、いい匂いがしてるじゃないか。これは是非とも食べて帰らなきゃと思ってね」
ウェルばあは僕が履いている靴を見て、うなずいて、いつもは僕が座るイスに座った。きっと早朝から街を出たんだ。ここでパイを食べて帰っても、夕方までには街へ着く。うまく動こうとしない頭で考えながらもう一度ウェルばあを見た。どうしてこの人、僕とリトルナーレの家にいるんだろう?
それでもリトルナーレは自然な様子でウェルばあに言った。
「胃は大丈夫? 治ったの?」
「痛いけど、どうしても行かなきゃいけなかったんだよ。それに今日はまだ調子が良くてマシなのさ」
家にウェルばあがいる、とまだまじまじと見ていると、リトルナーレが笑って言った。
「二人よりも三人で食べた方が楽しいでしょう? 急いでもう一人分増やしたの」
「大丈夫、レステの分はちゃんとあるよ」
ウェルばあは笑って言った。家に他の人がいて落ち着かなかった。リトルナーレはそんな風には思っていないようだった。僕はリトルナーレがウェルばあを家に入れたことが信じられなかった。
パイは一人分多いから、いつもよりちょっとだけ時間がかかった。その間に僕とウェルばあはベッドの横へ机といすを移動させて、ウェルばあにはベッドに座ってもらった。椅子より柔らかくて、体に優しいのだと教えてもらった。
「ファヴィは元気?」
「相変わらずだよ。毎日元気に山に海にと飛んでいるよ」
皿をウェルばあに渡す時に、普段あまり見ないウェルばあの手をよく見た。ウェルばあの手はしわだらけで、所々色が変わっていて、僕よりも厚く大きく感じた。視線に気づいたのか、ウェルばあが言った。
「何だね」
「なんで色が所々違うの? 日焼け?」
指さしながら聞くと、ウェルばあは手をゆっくりさすりながら呟くみたいに言った。
「これはシミだよ」
僕はシミって何なんだろう色の名前なのか、その色が違うことを言うのかと考えた。僕の手とその厚い手を見比べていると、ウェルばあが笑った。
「よく今まで動いてくれたものだ」
「動かなくなるの?」
「病気になったりひどく年をとると、動かしにくくなったりするんだよ」
ウェルばあの手を見て、僕はゆっくりと自分の手を握って開いた。
「僕もなる?」
ウェルばあは大きな声で笑って僕の肩を抱き締めた。僕は驚いて息を飲んだ。そして「大丈夫さ」と言った。
「お前はまだまだ子供だから。心配することはない」
部屋の向こうから良い香りがした。僕はほっとした思いでリトルナーレの声を聞いた。
「パイが焼けたわ」
パイを持って来たリトルナーレは器用に葉を取りのぞき、僕にナイフを渡した。
「邪魔になるから葉を捨ててくるわ。切っててくれる?」
リトルナーレが部屋から出て行くと、僕はパイにナイフを入れた。ウェルばあがじっと手元を見ているので、手が震えておぼつかなかった。それでも何とか切り終えると、丁度リトルナーレが戻ってきた。僕は大きく息をついて早速食べようと手を伸ばしたら、リトルナーレが慌てて言った。
「だめよ。ウェルばあが先よ」
たしなめられるように言われて、僕も慌てて手を引っ込めた。それを見てウェルばあが笑って僕にパイを取っ手差し出した。
「一番大きいのをお食べ。これだけじゃ足りないぐらいだろう?」
「いいよ。ウェルばあが先だよ」
ウェルばあが取った後、僕はその中で一番おいしそうなものを取って食べた。パイは味がわからないくらい熱かったけど、いつものように慣れてしまえばおいしかった。それでもパンのかけらがぱらぱらと落ちていった。ウェルばあは以前の僕らのように上に乗っているものをしょっちゅう落としていて、笑いながら拾っていた。
「何だい、うまいこと食べるじゃないか」
リトルナーレとウェルばあが何か話している横で、僕は黙々とパイを食べた。二人は僕のように急いで食べたりはしていなかった。きっとお腹がそんなに空いていないのかもしれない。
「おいしいよ、リトルナーレ。お前は料理が上手だね」
リトルナーレの頬がさぁっと赤くなって、俯きながら答えた。
「ありがとう。よく作るの」
リトルナーレと話がしたくても、ウェルばあは会話に入ってきた。僕は話をするのを諦めてベッドの向こうにある窓の外に目をやった。
遠い海はいつも通り、白くて青かった。船がたくさん出ていて、黄色い浮袋もたくさん見えた。僕はそれをぼんやり眺めながら三つ目のパイを食べた。「次はあれがいいな。トマトとチーズが乗ってるやつ」と呟くとウェルばあが大きな声で笑った。
「レステ、もう次のパイの事を考えているのかい?」
リトルナーレもうれしそうに笑うと、「明日ね」と言った。
夏の陽が一番きつくなるころには、砂浜には赤や緑の草花が咲き乱れた。砂は白さが増して、リトルナーレは目を細めて笑った。
その日は暑い夜だったので、窓を開けたまま寝ることにした。嫌な音を立てて窓を開けると涼しい空気が部屋に入ってくるのがわかった。波の音や虫の鳴き声がよく聞こえて、海の方を見たけれど、真っ暗で水平線は見えなかった。リトルナーレも窓から外をのぞいた。風が吹くと、涼しく感じた。
僕らは明日街に行くことにしたから、森で薬草の生えている場所を確認したり果物のなっている木を見に行ったりした。ちゃんと渡せるだけの量があって、安心して砂浜に行った。僕が海へ潜っていると、リトルナーレは浅瀬に屈みこんでいた。うらうずがいを採ったので手を振ると、リトルナーレも振り返して、笑った。
もっと沖へ行こうと泳いでいると、浜辺の方から漁船が近づいてきた。
「レステじゃないか。珍しいなぁ」
僕は少し迷ってから、そろそろと船の横へ泳いで行った。船には村の人が三人乗っていた。
「うらうずがいを採ってるんだ」
「へぇ。少しはしっかりしてきたじゃないか。リトルナーレのおかげかな」
「知ってるの?」
そう驚いて言うと三人とも笑った。浮いているのに疲れてきて、僕は浮袋をつける取っ手に手をかけて体を支えた。
「もちろん。お前らはちょっとした話題の種だよ」
村の人たちは僕の悪口を言うこともなく、リトルナーレと同じように笑っていたので、僕も少し安心して船に上げてもらった。初めて乗った船はとても揺れていて、僕は何度か倒れそうになった。
「お前泳げるようになったのか。じゃあ力試しにも出られるかもな」
言いながら僕の背中を思い切り叩くので、柱につかまっていなければいけなかった。「力試し?」
「そうさ。この村の習わしみたいなものだよ。月日貝って貝を採ってこれれば一人前。もう今じゃやらない奴もいるけどな」
「貝?」
じゃあ簡単じゃない、と言うと周りの人は大笑いした。それは馬鹿にしたような笑いではなかったけれど、訳がわからず赤くなった。
「ただの貝じゃないんだよ。その貝は深い海底にしかない。そこまで空気がもつ、体力があるってことが一人前の男の証になるんだよ」
「そんなに深いの?」
「うらうずがいは浅瀬にもあるけど月日貝はもっと深い場所にしかいない。水圧だってきついしな。お前なら……あと二年くらいかな」
「月日貝って、どんなのなの?」
そう聞くと、奥にいた人が持ってきてくれた。大事そうに手のひらに乗せて、僕に見せた。
「僕が初めて採ったやつなんだ。これを採れるってことは、大人になったってことなんだよ。それにこれはうまいんだ」
月日貝は夕焼けのような色をしていた。濃い朱色だ。茶色にも見えた。その貝は本当に月のように日のように真ん丸だった。うらうずがいよりも大きくて立派で、これを採ってきたらリトルナーレはすごく喜ぶだろうなと思った。僕はうらうずがいを握りしめた。
砂浜に戻ると、リトルナーレは紅貝を三つ持って木陰に座っていた。僕はうらうずがいを砂浜に並べ、漁師に聞いた話をした。
「知ってるわよ。大人になるんでしょう?」
リトルナーレはぼんやり空を見ながら話続けた。
「私はもう大人になったのよ。納泳をしたもの」
「何それ?」
「泳ぎ納めよ。女の子はね、男の子より早く大人になるの」
リトルナーレが大人? 僕と変わらないように見えるけれど、きっと大人なんだろう。彼女はとても賢いし、何でも知っているし。僕は寝転ぶと、紅貝を受け取って砂浜に並べながら聞いた。
「大人になるとどうなるの?」
「海に入ってはいけなくなるの。海の代わりに街へ行くようになって、魚を干したりして村での仕事をするの」
そういえば、森で男の人を見た事はなかった。街へ行くように言った、あの人ぐらいだった。リトルナーレは納泳をしたけど村の仕事はしていなかった。聞いてみると、お母さんが仕事について何も言わなかったと言った。リトルナーレはぼんやりして、僕が声を掛けると瞬きを何度かした。
「もう入れないの?」
「うん……。一度レステに泳ぎを教えに入ってしまったけど」
秘密よと言ってリトルナーレは笑った。僕の知らないことがまだそんなにあったのかと思い、紅貝をポケットに入れた。風が吹くと、濡れた体が少し寒かった。
「リトルナーレも、月日貝の方がうれしい?」
そう聞くと、リトルナーレはうらうずがいを取った。
「うれしいけど、私は一番うらうずがいが好き」