第五話 街
僕らは毎日砂浜へ行ったから、チェストの上には紅貝とうらうずがいがたくさんあった。海から帰ってくると、リトルナーレはその山の上にうらうずがいをそっと置いた。
「すごくたくさんあるわね」
「だって、海へ行く度に獲ってくるんだもん」
そう言って笑うと、リトルナーレも楽しそうに笑った。ベッドに寝転ぶとチェストを見上げた。貝の山は海の香りがした。波音も聞こえて、うとうとと眠たくなって目を閉じると、リトルナーレが起き上がって言った。
「ねぇ、街に行かない?」
リトルナーレは最近ずっとそわそわしていた。海に行っていても、リトルナーレはなかなか帰ってこないお母さんを待っていた。そしてそれは必ず帰ってくるはずだ。少なくともリトルナーレはそう信じていたし、僕もそういうものだと思った。そう、出掛けたのなら帰ってくるはずなのだ。
「お母さんに会いに行くの」
僕にはお母さんが街にいたとしても、街には人がたくさんいるから見つけられないと思った。それでもリトルナーレは街へ行こうと言った。
「でも、街、遠いって言ってたよ……どの道行くか知らないし……」
「私知ってるわ。一度連れて行ってもらったことがあるの。朝出れば昼までには着くわ。ねぇ、行こう」
僕はあんまり行きたくなかった。リトルナーレといつもみたいに遊んでる方が良かった。「街に行っても、どれがお母さんなのかわかんないよ」
「わかるわよ。明日行こう、ね」
リトルナーレはそう言うと寝てしまった。僕も目を閉じて「お母さんがどれかわかるかなぁ」と考えてみたけれど、あの顔のない人がぼんやりと浮かんだだけだった。僕はその時、リトルナーレはいつもどのくらいお母さんのことを考えているのだろう、そして僕のことをどれくらい? と考えた。でも僕には全然わからなかった。
僕はもう一度顔のない人を浮かばせた。そうして僕は、リトルナーレのようにお母さんの帰りを待っていないことに気づいた。その人は動かず、何も言わなかった。その人をどこかにやってしまうと、リトルナーレの夢を見た。リトルナーレはいつもみたいに笑って、紅貝を拾っていた。
朝になると、僕らは森へ果物を採りに行った。いつものように持てるだけ採って家へ帰ろうとすると、誰かが「リトルナーレ?」と呼んだ。
リトルナーレが声の方を向くと、知らない人がいた。僕は急いでリトルナーレの後ろに隠れた。
「……誰だ? ……インタットの、レステもいるのか。そうか……ちょっと話があるんだが」
「お母さんのこと?」
村の人は近づこうとせず、遠くにいるまま話し出した。
「いや、違う。お前たち、もうそろそろ働く年だろう。レステは知らないかもしれないが、その頃の子供は漁に出たり村の女たちと仕事をし始めるんだよ」
僕はじっと話を聞いていた。嫌なことを言われたらすぐ逃げるつもりだった。
「私たち街へ行こうと思ってるの。お母さんに会いに行くの」
リトルナーレはそう言った。僕も急いでうなずいた。村の人は頭をかいてしゃがみ込み、生えている草をいじった。
「……そうか……母親か。でも、そんなに痩せて。お前たちの親は、なぁ、街にいるだろうか?」
それを聞いてリトルナーレは怒って大声を出した。リトルナーレがこんな声を出してこんなに怒るのを、ぼくは初めて見た。
「いるわよ! 私のために家を探してくるって言ったんだもの。お母さんは、私のこと……」
「私の」リトルナーレは泣きそうな顔になった。「私のために、家……」
村の人はこっちに近づいてきたので、僕らは後ずさって走ろうとした。それを止めるように、村の人は立ち上がって手を上げた。
「そうか。そうだな、悪かった。でもそれなら、どこか働き口を探せ。そんな果物なんかじゃこの先栄養失調で倒れてしまうぞ。街へ行くならウェルの婆さんの所へ行くといい。村の入り口にある店にいる。そこへ行って仕事を頼みな」
「ウェルのばあさん?」
「ウェル婆さんは村で獲れた物と物々交換をしてくれるんだよ。果物や魚を、野菜や出来合い物と交換してくれるはずだ」
村の人はしゃがんでリトルナーレの目を見た。「お前たちのためなんだぞ。元気にやれよ」そう言って僕らの横を通り過ぎて海の方へ行ってしまった。
僕は下を向いたままのリトルナーレの顔をのぞき込んだ。リトルナーレは口をぎゅっと結んで地面をにらんでいた。
「どうしたの?」
「街へ行こう」
リトルナーレの目からは涙が落ちそうで、僕は心配したけど、リトルナーレは何も言わずに早足で家へ帰った。怒っているリトルナーレの後ろを、僕は小走りになりながらついて帰った。
それからすぐに街へ行った。たまに道が二つになったけど、ほとんど一本道だった。見たことがあるような人を見た時は走ったり木の後ろに隠れたりした。そのころにはリトルナーレもいつもの優しい顔に戻っていた。
道が少しずつ広くなっていって歩きやすくなってくると、きれいな服、リトルナーレのお母さんたちみたいな服を着ている人も見るようになった。そういう女の人は全員リトルナーレのお母さんに見えたけど、リトルナーレは何も言わなかった。
「もうすぐ街だわ」
リトルナーレがそう言うころには、道には小石がなくなって人も多かった。僕らは靴をはいてなかったから、足が痛くなった。あのきれいな服を着た人たちはみんな靴をはいていて、僕らをジロジロ見た。僕は街で隠れるのは無理だとわかってリトルナーレの横を歩いていた。隠れようもないほど、前にも後ろにもたくさんの人がいた。
僕は行き交う人の中から一人の女の子が「お母さん」と大人に走り寄るのを目にした。その人は女の子の頭をなでて、笑って手をつないで歩いて行った。
リトルナーレもその母親と子供を見ていたらしく、僕の顔をちらりと見た。リトルナーレの目はきれいに光っていた。口をぎゅっと結んで、たまに唇をかんだ。
街へ入っていくと、また頭がくらくらするほどたくさんの色があった。とてもたくさんのものがあって、それは見たこともないものがほとんどだった。でもそれを一つずつこれは何だろうかと考えているひまはなかった。次から次へとたくさんのものが目に入ってきたからだ。たくさんの色と、ものと、人とで、僕は気持ち悪くなってしまった。
僕はウェルのばあさんという人の店を探そうと思ったけれど、リトルナーレはお母さんを探すと言った。
「でも、この街すごく大きいんでしょ?」
リトルナーレは何も言わなかった。周りを見回しながら歩くリトルナーレに僕はついて行った。どの人を見てもリトルナーレのお母さんのような気がした。けれど僕のお母さんかも、と思う人はいなかった。
お昼ごはんを抜いていたから、お腹がよく鳴った。何か食べたくても果物は家に置いてきたし、街の食べ物を食べるにはお金が必要だった。実のなる木は一本も生えていなかった。食べ物が置いてある店の前に行くと、そこにいる人が嫌そうな顔をしたり「あっちへ行け」と手を振った。
陽がきつくなって空が赤くなるころには、もう一歩も歩けなかった。足は痛いし、お腹の上も痛くなった。僕らは初めて見る噴水というものの縁に座った。
「ウェルのばあさんの所に行こうよ」
リトルナーレはじっと目の前を通る人たちを見ていた。それから自分の裸足の足を見て「そうね」と静かに呟いた。
ウェルばあさんの店は緑の屋根で、通り沿いにたくさんの果物や何か良い香りのするものを置いていた。僕はあまりにお腹が鳴るので目をそらした。店には女の人が一人いて、リトルナーレが声をかけた。
「ウェルのばあさんですか?」
「私? あらやだ、私がおばあさんに見える?」
その人はばあさんではないようだった。リトルナーレと僕は顔を見合わせて首をひねった。
「ウェルばあは奥にいるの。ちょっと待ってね」
そう言うとその人は店の奥にあるとびらを開けて何か言った。そして僕らの方に向いて手招いた。リトルナーレともう一度顔を見合わせると、僕らはそのとびらの奥をのぞき込んだ。とびらの奥には、暗い色の服を着た小さな人がいた。背中を向けて、何かしていた。
「なんだい」
その人の声は底から響くような声だった。僕らはそんな声聞いたことがなかったから、思わず手を握りあった。
「なんだね。おや、本当に子供だ」
「あの……仕事、もらいに来ました」
リトルナーレがつまりながらそう言うと、ウェルのばあさんはこちらを向いた。ひざの上にひものようなものと棒が置いてあり、それを机の上に移した。
「こっちへおいで」
リトルナーレは僕の服をつかんでゆっくり近づいていった。そのせいで僕も近づくことになった。あのおばさんではない人はいなくなっていた。ウェルのばあさんは指先でコツコツと机をたたいていた。
「仕事がほしいんです……果物を、パンとかと交換してほしくて」
「……親は? 村の仕事はどうしてしない? 海辺の子だろう」
リトルナーレはむっとして言い返した。リトルナーレはあの村の人と話してから少し怒りっぽくなった。
「お母さんたちは家を探してるの。だから私はお母さんを待つの、レステも」
「長い間帰ってないんだろうね」
ウェルのばあさんは僕らをじっと見た。僕はもうここから逃げ出したかった。街は怖かった。
「名前は?」
リトルナーレと僕は少し顔を見合わせた。
「リトルナーレ・アルバ」
「……レステ・インタット」
「……いいだろう。三日ごとにおいで。果物と、薬草を採ってきてもらおうか。私は胃が悪くてね。ちょっと待ってなさい」
そう言って机の隅の方から紙を引っ張り出すと、それに何か書いてリトルナーレに渡した。僕も読もうとしたけれど、何が書いてあるのかわからなかった。リトルナーレの顔を見てみると、何か考えていてじっとその紙を見ていた。「それを採ってきておくれ」
「代わりにパンや野菜をあげよう。必要なら皿や水差しのようなものを持ってきなさい」
ウェルのばあさんは棒を使って立ち上がると、手招きをして僕らを店の外に出した。
店にはおいしそうな臭いのするものがたくさん置いてあったから、僕はあんまり見ないようにした。ウェルのばあさんはたくさんあるその中からバナナとパンと何かぐちゃぐちゃしたものを取って僕らに渡した。
「食べなさい。精がつくから。それじゃあ、三日後に」
そう言うと店の奥に行ってしまった。僕とリトルナーレは食べ物を持ったままどうしていいかわからずに立ちつくしていたけれど、店のあのおばあさんではない人と目が合って逃げるように街を出た。その人は笑っていたけれど、何となく「それを戻して」と言われそうな気がした。
来た道を戻りながら、人が少なくなってくると道端に座り込んだ。足が痛くてたまらなくて、一度座ると立つ気にはなれなかった。空はもう暗くなっていて、不気味な鳥の鳴き声も聞こえた。
「もう夜なんだわ」
リトルナーレはじっとどこかを見て、何かを考えているようだった。
僕はもらった食べ物の臭いをかいでみた。バナナは甘い香りがした。パンも甘い。でもいろんな物が混ざり合った食べ物は、不思議な香りがした。
「これなんだろう」
「野菜炒めか何かよ……」
リトルナーレはそれをつまむと食べたので、僕も食べてみた。からくておいしかったけど、時々苦かった。僕らは暗い道で黙々と食べた。バナナの皮を後ろの林に投げ捨てると、リトルナーレがぽつりと言った。
「みんな……お母さんが帰ってこないみたいに言うのね」
僕はびっくりしてのどに詰まらせる所だった。帰ってこないだって?
「帰ってこないなら、何をしてるっていうの? 家を見つけるのはそんなにむずかしいの?」
リトルナーレは何も言わなかった。全部食べ終わると僕も皮を投げ捨てた。
「きっと、すぐに帰ってくるわ。遅くなってごめんねって、笑って、帰ってくるわ」
リトルナーレは泣いていた。とても静かに泣いていて、気づかないぐらいだった。
家へ帰るには陽が沈みすぎていたから、僕らはすごく怖かったけれど山の奥で眠った。夢は見なかった。