第三話 秘密の砂浜
次の日リトルナーレの家へ行くと、机の上には何か見たことのない料理が置いてあって、リトルナーレはそれを食べていた。僕を見ると、リトルナーレは言った。
「また出掛けたみたい」
僕はイスに座って、置いてあったノートを開いた。料理といってもとても簡単なもので、僕とが食べているようなものだった。それでも、見たことがないものもあった。
「それ、リトルナーレが作ったの?」
「ううん。お母さんが作ってくれたの。いつも出掛ける前に作ってくれるの」
僕もそれを食べてみたかったけれど、リトルナーレが全部食べてしまった。それだけだと少なかったようで、昨日採ってきた果物を食べ始めた。
「ねぇ、昨日言ってたけど、どうして僕を見たらびっくりするの?」
「知らない人と、特に男の子と一緒にいると怒られるの。不機嫌になるし……私、お母さんに怒られたくないのよ」
僕はいろんなことが不思議でしょうがなかったけれど、とりあえずうなずいた。リトルナーレは果物を食べ終わると立ち上がった。
「ねぇ、海へ行かない?」
「海?」
僕は出来るなら海には行きたくなかった。ずっと前に一、二回しか行ったことがなかったし、村の人がいる所にはいきたくなかった。そう言うと、リトルナーレは笑った。「私もよ」
「でもそこはだれもいないの。良い所教えてあげる!」
それから僕らは海へ行った。まだ十分には暖かくはなっていなかったけれど、軽く浸かるぐらいなら大丈夫なはずだとリトルナーレは言った。浜辺にはたくさんの人や子供もいて、僕らは小走りになって急いだ。
「こっちにきて。秘密の砂浜があるのよ」
リトルナーレは浜辺には入らずに、海に沿って左へと歩いて行った。海にはもう村の人たちが漁に出ていた。沖には船や浮袋がたくさん浮かんでいる。
浜辺の両端は高い岩場になっていて、草花や木がたくさん生えていたけど、岩肌は鋭くて子供がよく手足を切るからだれも近づかなかった。
海の水は、足を入れる程度なら気持ち良く感じた。体を海に入れると、水は冷たさを増した。鳥肌が立つほどだったけれど、慣れてしまえば何ともなかった。
岩場に沿って歩いて行くと海も深くなって歩きにくくなった。腰まで浸かると、僕は先を歩くリトルナーレに慌てて聞いた。
「もしかして泳ぐの?」
「ううん、ここまでくると裏にまわるだけよ。これ以上深くはならないわ」
僕は海の横に住んでいたけど、泳いだことがなかった。海に出るとバカにされたし、泳ぎを教わる相手もいなかった。ほっとしながら「リトルナーレは泳げるの?」と聞いた。
「当たり前じゃない。お父さんに教えてもらうでしょ?」
「お父さんいない」そう言うとリトルナーレは振り返らずに答えた。「そう」
リトルナーレはしばらく立ち止まってからまた歩き出した。岩場をぐるりと回ると、海は浅くなっていって、岩場の裏が見渡せた。浜辺から見た時は壁のように見えた岩場は、裏に回るとへこんでいた。もっと向こうには街が見えた。
「ここよ」
リトルナーレが指さした砂浜は、さっき回って来た岩場のすぐ裏にあった。岩場の周りを歩かなくても、岩場を登るとすぐに行けるぐらいだった。
遠くから見たその砂浜は小さな小さな浜辺だった。岩場がそこだけなくなったような砂浜だった。周りにはやっぱり赤や青のきれいな花がたくさん咲いていた。
「すごい」
「でしょう? 私よく来るの。レステにだけ教えたのよ」
その砂浜は光って見えた。キラキラと光ってきれいだったけれど、よく見ると割れた貝殻がたくさん散らばっていた。そっと手を置いてみたけれど、貝殻は痛くて、とてもじゃないけど入れそうになかった。貝殻が多すぎた。
「すごくきれいでしょ? でも、入れないの」
リトルナーレを振り返ると、浅瀬で小さな貝を拾っていた。ここの砂浜も浅瀬も、浜辺と違ってきれいだった。ごみひとつなく、木のかけらもなく、海はもっと白く青く見えた。
「貝を取れば、入れると思う」
僕はまず大きなものは手で取り除いて、小さなものには砂をかぶせた。でもそうすると手には小さな傷がたくさんついた。血は出なかったけれど、かゆい小さな傷だ。後ろで見ていたリトルナーレは、僕が手のひらをかいているのを見つけて手にふれた。
「怪我したの?」
リトルナーレは僕の手をじっと見ていたので僕は座ろうよと言った。リトルナーレは小さなきれいな色の貝を持っていた。
「それ、何の貝?」
「これは紅貝というの。きれいでしょ? ここにきたらいつも拾うの」
それはとてもきれいな色だった。紫のような赤のような不思議な色をしていた。僕がきれいだなぁきれいだなぁと言っていると、リトルナーレはそれを僕にくれた。
「いいの?」
「砂浜をきれいにしてくれたお礼よ」
僕はそれを大事に大事にポケットに入れた。
次の日も、その次の日も砂浜へ行って、リトルナーレは紅貝を拾い、僕はそれをもらった。リトルナーレが拾っている間、僕はその白いスカートを眺めた。風で揺れてとてもきれいだった。僕はもらった紅貝をまくら元に置いて眠った。お腹が減ると果物を採りに森へ行った。そして夜になると暖かいベッドで眠った。
陽は一日ときつくなっていき、昼間の日差しが暑く感じるようになると、リトルナーレが浅瀬に足を浸しながら言った。
「どうして泳げないの?」
僕はリトルナーレが笑うかもしれないとドキドキしながら説明した。すると、リトルナーレは確かに笑ったけれど、僕が想像していたような笑い方はしなかった。
「それなら、私教えてあげるわ」
「リトルナーレが?」
僕は驚いた。リトルナーレが、泳ぐ? 全然想像できなかった。僕は何度か泳ごうとしてみてできなかったから、無理だよと言った。それでも、リトルナーレは手をつかんで引っ張った。
「大丈夫よ。私も最初出来なかったけど、泳げるようになったし。レステもすぐにできるわ」
僕は何度も首を振ったけど、その一言で海の中に引きずり連れて行かれた。
春の海に肩まで体を沈めると、さすがに髪がパリパリになる程寒かった。リトルナーレは突然動かなくなると、どうしよう、と言った。
「そういえば、私スカートなのよ。泳いでいいのかしら……」
どうしてスカートで泳いでいけないかはわからなかったけど、リトルナーレが困っていたので僕も困った。海に入って立っていても仕方が無かったので、僕はデタラメに泳いで練習した。
村の人を真似して泳いでみると、リトルナーレが隣りで「手をもっと早く動かすの」とか「顔は横にして」と直してくれた。そうすると、少しずつでも前に進んでいくので僕は海水を飲みながら「進んだ!」と叫んだ。
僕はずっと水の中で手足をばたつかせていたから、夕方ごろには体が重くなった。水も重く硬く感じるようになって、それでも泳ごうとすると、リトルナーレが笑った。「おぼれてるみたい」
「うまくなったかな?」
「うん、なったわ。それでいいんじゃないかしら」
それから僕らは浅瀬に戻って休んだ。海から上がると体がとても重かった。僕は砂浜に倒れるように寝転んで、太陽を背にのぞき込むリトルナーレと笑った。そして、家に帰るとリトルナーレがいつものように字やものを教えてくれて、明日はまた別の泳ぎを教えてあげると言った。僕らはすぐに眠ってしまった。
そうやって、僕は言葉といろんなことを覚えていった。