第一話 森で
水色の服を着て、ぼくは目を開けた。太陽がとても明るい。
ベッドの上で、机の方に顔を動かした。机の上には何もない。この前とってきた果物は食べてしまった。今日、また取りに行かないとだめだ。
お母さんとお父さんはずっと昔に街へ出掛けたまま帰らない。ぼくはお母さんとお父さんの顔を知らなかった。村にはおばさんがたくさんいた。おじさんもたくさんいる。でもその人たちの名前もぼくは知らない。
ぼくは、たくさんの月が丸くなってとがっていた、その間にとても大きくなっていた。お母さんたちはそのことを知らない。ぼくの周りで変わっていくものは月だけだ。夜寝る前には、いつも月を見た。そして、時が進んでいることを知った。
ベットから降りて家を出た。周りにはオシロイバナがたくさん咲いている。ぼくは窓の枠に足をかけて屋根の上に登った。海にはもう、たくさんの船が出ていた。
ぼくの家は村から少しはずれた所にあった。家の前には小さな砂利道がひとつ森へ続いているだけ。左に行くと森に出て、右に行くと浜辺へつながっていた。泳がないから、右へ行ったことはほとんどなかった。村の人は別の大きい道を通っていたから、この小さな道を歩いていてもだれかに会ったことはなかった。
屋根から降りると、ぼくは家の後ろにある山に続く森へ行った。森はとても大きくて、中に入りすぎると自分がどこにいるのかわからなくなるから、あまり森の奥へは入らずに近くの木から果物をとっていた。
木の後ろの空を見ていたら、浜辺の方からおばさんが来るのが見えた。見つからないように、ぼくはすぐに近くの木の後ろに走った。急いで隠れたのに、どうしてか、おばさんはぼくを見つけた。
「あれ? お前、インタットの所の子供?」
ぼくは他の何かを言われないようにすぐに森の中へ走った。おばさんは何か言っていても、追いかけては来なかった。
あのおばさんを、ぼくは知っていた。気づいたらあの人に育てられていたからだ。ぼくにお母さんたちがいないことを知っていて、世話をしにぼくの家に来ていた。でもぼくが木登りを覚えて逃げるようになってからは来なくなった。
「お前の両親は街へ出稼ぎに行ってるんだよ。まだ赤ん坊だったお前を残してね。頼まれたりしてないんだけど……放ってもおけないしね」
そう言って毎日食べ物とかをくれていた。ぼくが覚えてないぐらい小さなころからだと言っていた。おばさんは漁でとれた魚をくれたりもしていたけれど、それもなくなった。
ぼくはおばさんも村の人も嫌いだった。ぼくを見て笑うからだ。みんなぼくを指さして笑う。その度にぼくは嫌な気持ちになって逃げた。
「どうしたの? 一人でぶつぶつ言って」
「さっきインタットの所の息子がいたんだよ。声をかけたら森へ逃げちゃってね」
「あぁ、レステ、だっけ? 珍しいわね、外に出てくるなんて。でも、子供を放っておくと、あんな風になっちゃうのね。私子供にはちゃんといろいろ教えとかなきゃ」
「そうねぇ」
レステ・インタット。
自分の名前を他人の口から聞いたのは本当に久しぶりだった。うっかり忘れかけていた。
外へ出て来たのは珍しい、というのは違う。ぼくは二回月が出る度に森へ来ていた。食べ物を集めないといけなかったからだ。本当は一度にたくさんの果物をとって、あまり外へ出ずにすむようにしたかったけれど、両手ではあんまり持てなかった。
だから、すぐになくなってしまう。
小さいころからある木に登ると、とがった葉に気をつけて実に手をのばした。この木の葉っぱは手で触ると刺さってしまう。とても痛いけど、実はすごくおいしいので森に来ると絶対にとった。
入れ物があればいいのにな、ととった実を抱えていると、ぼくの家が見えた。お母さんもお父さんも帰って来ない家は汚くて、色が取れていた。
海が見える所まで登ってぼくの家を見ると、端の方にもうひとつ家が見えた。ぼくの家よりも村から離れていて、その家もぼくの家と同じように屋根の色が取れていた。
ぼくの家とよく似ていて、不思議に思っていたら、家から女の子が出て来た。ぼくと同じくらいの背の、白いスカートを着た女の子だ。
木を降りていきながら、ぼくは取った実を落とさないように五つのうち三つだけポケットに入れた。
家だけ見える所まで降りると、もう一度女の子を見た。あんな子いたかなぁと見ていると、その子と目が合って、何かを言うように口を動かしたのが見えた。
なんて言ったの、と言って家を指さそうと手を離すと、ぼくはゆっくり浮いて、落ちていった。それは本当にゆっくりで、落ちている間だけ止まったようだったから、地面に着いた時は変な感じがした。背中はほとんど痛くなくて、少し頭がクラクラした。
一緒に落ちて散らばった果物を拾い集めていると、大きな木の後ろからさっき見た白いスカートの女の子が出てきた。その子は僕を下から上まで見て首を傾げた。
「こっち見て、落ちちゃったから。大丈夫かなと思って来たんだけど……平気そうね」
変な子だと思った。動物みたいにそろそろと近づいてきたし、ぼくを笑ったりしなかった。ぼくは木の実が割れてないのを確かめてからもう一度ポケットに入れた。
「低かったから」
「……そう」
女の子はゆっくり笑って言った。それはとても優しそうな笑顔だった。その子はやっぱりぼくと同じような身長で、でも横に並ぶとその子の方が少し大きかった。
「あなたの家、あの青い屋根の家でしょう?」
「うん」
「わたし、リトルナーレっていうの。リトルナーレ・アルバ」
きれいな名前だ。ぼくは何度かそれを口にしてみたけど、やっぱりきれいな名前だった。女の子はぼくの名前を聞いた。
「ぼくはレステ・インタット」
自分の名前を言うのはドキドキした。リトルナーレという女の子は「レステって言うの」と笑っていた。リトルナーレはずっと笑っていて、ぼくもなんだか楽しくなった。
でも、今まで森や砂利道を歩いていても、リトルナーレを見たことはなかった。白いスカートの端を目にしたこともなかった。そう言うと、リトルナーレはしばらく考えてから言った。
「わたし、夕方に森へ行ってたの。それにほとんど家から出なかったから。……ねぇ、わたしの家においでよ」
ぼくはびっくりして、すぐに聞き返した。「君の?」
「うん。お母さんたち今出掛けてるの。ねぇ、おいでよ。一緒に遊ぼう」
リトルナーレはまた笑って言った。ぼくもうれしくなって笑った。