いまもなき冒険者の手記
私が「それ」を見つけたのは、仕事中の事でした。
仕事とは都市近郊の巡回業務です。街の近くに「危険な魔物がいないかどうか?」を調べるために鷹型使い魔であるウロとクーを放ったんです。上空から見てもらうために。
ウロとクーは優秀な子です。
彼らは私が生まれた時から一緒。私の細胞を基礎に産まれた使い魔という事もあって以心伝心の仲です。寝苦しい夜は二匹揃って翼で扇いでくれます。涼しいですがうるさくなります。
フレムリン士族戦士団に所属している私が巡回や偵察の業務をこなせているのはウロとクーの力添えも大きいと言っても過言ではありません。空高くへと飛んでいき旋回しつつ、敵を見つけたら直ぐに知らせてくれます。
あれを拾った日は……クーが先に敵を見つけました。
私達の敵とは、魔物です。人を殺し、文明すら滅ぼそうとしてくる魔物達は駆除しなければなりません。話し合いの余地もありません。意思疎通はほぼ不可能なので。
その日、見つけたのは厄介な強敵でした。
名を毒飛竜。20メートルを超える巨体で鷹並みの航空機動。尾には猛毒を吹き出す器官を持つ、私一人の手には余る強敵。
とはいえ、直ぐに討伐する必要はありません。
私の仕事はあくまで巡回。そして偵察。
大事なのは被害を出さない事で、人のいない都市郊外ならやり過ごしつつ――ウロかクーを伝令に送り、都市の方で迎撃準備をしてもらえば済む話です。
済む話のはずでした。
しかし、蛮勇な市井の冒険者達が盾と剣を打ち鳴らし、無謀にも毒飛竜に挑んで壊滅状態となり――見捨てるのも寝覚めが悪く、助けにいく事になりました。
さすがに私達だけでは骨の折れる相手でしたが、ウロが戦士団に救援を依頼しにいってくれていたので、その救援の力もあって何とか倒す事が出来ました。
その後、「それ」を見つけました。
戦士団の皆で――毒飛竜の臓腑などを売り払う目的で――解体作業をしていたところ、飛竜の体内に詰まっていた物を見つけたのです。
それはどうも背嚢のようでした。
どこぞの冒険者のものかもしれません。結構、粗末な背嚢でした。金目の物も無く、元々さほど金銭的に自由のない人が背負っていたものなのでしょう。
おそらく、その人物はこの魔物に食われました。
それらしき遺骨が一部残っていました。
そして、背嚢の中には手記がありました。
私が特に興味をそそられたのは、手記でした。
「ボロボロですね」
長期間ではないようですが、毒飛竜の体内で体液に塗れた結果、手記の中身はぐちゃぐちゃに滲み、読み難くなっていました。
酷い状態なので、士族戦士団の先輩には「捨てとけ捨てとけ」と言われたのですが……。
「……読みたい」
そう思った私は手記を自宅に持ち帰り、解読を試みる事にしました。
持ち主を判別し、本当に帰らぬ人となっているなら家族に送ってあげよう――という建前に自身の好奇心を潜め、解読作業を始めていきました。
項を一枚ずつ切り剥がして一時解体し、これ以上劣化しないように保護の魔術をかけつつ、書斎に臨時で張った洗濯紐に洗濯バサミで順番に吊るして乾かす。
あとは一枚一枚、読み解いていく。
飛竜の体液が滲んで読み難くなっている部分が多数ありました。ですがそれは前後の文脈から補完し、文書として読めるように復元していく事にしました。
最初は好奇心くすぐられる作業でした。本として出されているならともかく、飾らない人の手記など読むのは初めてなので少し心踊ります。
こうして読み解き始めた「とある冒険者の手記」の書き出し。
そこにはこう書かれていました。
『親父はくそったれだ。もう我慢ならないから殴り合いの喧嘩までして出てきてやった。もう後には引けない。親父を見返すためにも、俺は冒険者として大成功を収めてみせる』
手記の主。
彼は冒険者になりたかった。けれど、父親に「お前じゃ無理だ」と厳しく反対され、喧嘩になり家を出て冒険者になったようです。
『妹には兄さん行かないで、と止められたが……俺は本気だからな!』
私達の暮らすバッカス王国において冒険者は最も就職者が多い一般的な仕事。
国が冒険者稼業を推奨していて、基本的に成人さえしていれば誰だってなれる。冒険者として資格を得るための費用もない。むしろ支度金が出るほどです。
世界には魔物がうんざりするほど多く、冒険者や私ような士族戦士は魔物と戦うのが日常茶飯事です。私達の手だけでは足りない時、冒険者に頼る事もあります。
魔物を殺し、その死体から肉や油を立てて対価を得て稼ぐのが冒険者。高額で取引される魔物を狩りさえすれば一攫千金も夢ではない仕事です。浪漫があります。
ただ、一攫千金の浪漫に至れるのは一握り。
才能と知識が必要で、運だけで渡り歩くのは厳しい業界です。
それでも平均的な冒険者の収入は他の職業より多い。命の危険があるのでそれぐらいの底上げはして貰えます。……死んだら一気にパァとなったりもしますが。
億万長者はさておき、最低限の才能と努力さえあればそこそこの財産は築けます。
だからこそ、この国では浪漫主義者どころか現実主義者も就くのが冒険者稼業です。堅実にいけば、そこまで悪い仕事ではないんですよ。一応。
でも、誰もが安定した生活を築けるわけではない。
この手記の「彼」に才能は無いようでした。
『今日、コニーの家を追い出された。親友だと思ってたのに……ちくしょう』
ことさら乱れた字で、そう書かれていました。
どうも実家を出た後、転がり込んでいた友人宅から穀潰しとして追い出されたようでした。家賃の催促に関してぐだぐだ文句を書き連ねていたので、その事で揉めたのでしょう。
勇んで就いた冒険者稼業は上手くいってなかったようです。
「頭の中では上手くいくと確信してたみたいですが……」
将来的に英雄になる自分を思い描き、実家を出てからの記録を手記につづり、いつか自伝としてまとめて出版するつもりだったらしいです。ちょっと痛々しい。
痛々しいけど、現実の壁に打ちのめされ、手記につづられる内容は切実になっていきました。
彼は冒険者になったものの、魔物を殺せるまで一カ月近くかかったみたいです。弱い……と言うより、魔物を殺す忌避感で時間がかかったようですね。
最終的に殺したものの、彼は殺した獲物の事を覚えてしまった。
棍棒で叩き殺した肉の感触を、夢の中で反芻した。
『もう吐くものもない』
「……私も初めて殺した時、吐きましたよ」
7歳の時でした。
私は幼い時から士族戦士志望で、成人前から戦士としての訓練を積んでいました。最初は友達と――遊びの延長で――笑い騒ぎながら。
最初に殺したのは羊でした。
めーめー鳴いてて可愛いな、と思ったら教官が「この子を殺して解体しなさい」と私達に解体用のナイフを渡してきたんです。戦士になるための試練として。
そう、渡してきたのは解体用ナイフだけ。
殺害は自分の手か、石しか使ってはならないと言われました。弓矢など論外です。
羊は、とてもかわいらしかったです。
私はあの子を……殺せなくて……途方にくれて家に連れて帰って、父さんと母さんと兄さんに「無理しなくていい」「このまま家で飼ってもいい」と言われました。
ウロとクーも寄り添ってくれました。
私の家は、みんな士族の戦士でした。代々戦士の家系なのです。
だから、家族のように立派になりたかったんです。それがどういう事なのか、よく聞かされて反対もされたのに、馬鹿な私はいざその時になるまで何も理解していませんでした。
命を奪う、という事の重さを軽んじていました。今とは別の意味で。
羊さんはご飯をあげるとめーめー鳴いて、私に懐いてくれて……許可されたとはいえ連れ帰った事を後悔しました。半端な事をしました。
断末魔は、め゛ぇ゛ぇ゛という音でした。
滲んだ視界で振り下ろした石では即死させ損なって、苦しませてしまいました。いまでも可哀想なことをしたと思っています。でも、もう文書としてしか覚えてません。
あの時の鳴き声、熱が失せていく身体、ぴくりとも動かない眼球の事を文書としてしか覚えてません。悪夢ですら見る事が無くなりました。
戦士として魔物を殺し続けてきた事で、忌避感が希釈されていきました。
一応は、覚えてるんです。
兄に頭を撫でられながら「無理しなくていいんだぞ」と言われながら解体用のナイフを手に取り、泣きながらちゃんと「お別れ」する方法を教えて貰いました。
さすがに、お肉は食べれませんでした。
兄さんが私を気づかって羊毛で作った羊のぬいぐるみをくれようとしたぐらいです。私は吐きました。兄さんは泣いて謝ってきました。今でも謝られる事があります。私は気にしていないのに。
私は、単に戦士になりたかっただけ。
家族と同じ戦士になって、家族に誇って欲しかっただけ。
そうして羊を犠牲にして「生き物を殺す」という通過儀礼を一応は突破した私は、本格的な訓練を始めて家族と同じ士族戦士になりました。
家族は皆、未だにあの時の事を思い出し「止めるべきだった」と気にやむ事があります。私はもう、あの時の罪悪感を事務的に覚えているだけなのに。
それでも一応、覚えてます。
だから、この手記を書いた手記を書いた人は……当時の私と同じような状態だったのかな、と思わずにはいられないのです。
少しだけ同情します。
同情したところでもう手記の主は死んでいるんでしょうけど……それならそれで、読み解いてどこの誰だか明らかにして、遺族に渡すべきでしょう。
「貴方は、どこのどなたですか……?」
中々、それがわかる記述は見つかりませんでした。
ただ、ご自分の手記だからか赤裸々に弱音は書いていました。
『貯金が尽きた。もう完全にその日暮らしだ。笑える。2年も冒険者稼業続けて、まだ森狼を狩るのがやっとなんて。ああ、ちゃんとした屋根の下で眠りたい』
森狼とはバッカスでは有名な魔物です。
どこにでもいる雑魚魔物という事で有名です。
魔物としてはそれほど強くなく、普通の狼が獰猛になった程度。それでも数がいると厄介ですが、いつまでも躓いていていい雑魚ではありません。
彼はどうも、最低限の才能も無かったようです。
それを補う知識や努力を積んでいた様子もなく……手記には弱音と悪態がつづられています。どうも周りに助言してくれるような人も、努力の仕方も知らないままだったようです。
自分から助言を求めるのも、矜持が許さなかったようです。
『同期の冒険者がみんな成功していく。俺だけ今日も、ひよっこの駆け出し冒険者に混じって森狼狩り。今日は二匹しか倒せなかった』
『くそったれの駆け出し冒険者が、俺に対してオジサン、才能ないねと言ってきた。周りの奴らもゲラゲラ笑ってた。ちくしょう。俺はオッサンじゃねえ。まだ冒険者になって、四年目なんだぞ』
冒険者の経歴は大きく分けて三段階。
冒険者になったばかりの駆け出し冒険者、駆け出しに少し脂が乗ってきた中堅冒険者、それなりの稼ぎを得られている熟練冒険者の三段階です。
一般に駆け出しが熟練冒険者になるのにな3~5年ほどかかるとされています。最低限の力さえあれば熟練冒険者になる事だけは多くの者が達成できるんです。
彼は四年かけても駆け出し並み。
そんな風に次の段階へ進めない人もいます。
それならそれで、早いうちに転職先を探していくべきなのですが……。
『妹が差し入れ持って様子を見にきた。仕事は上手く言ってると見栄を張っちまった。色々と、嘘をついた。アイツは多分、気づいてる。でも俺はこの嘘を本当のことにしたい』
『今日は死にかけた。生きてる。まだちゃんと生きている』
『妹がまた差し入れ持ってきてくれた。かっこ悪い兄貴すぎて悔しい……』
『冒険者ギルドの受付のババアが俺に引退を勧めてきた。ふざけやがって。引っ叩いてやろうとしたら腕を掴まれ止められた。ババアの方が、俺より強かった』
『その日暮らし冒険者同盟結成! 俺達は貧してるんじゃない。自由に生きてるんだ。ギルドの考課を気にしている熟練冒険者なんて目じゃねえ』
『浮浪者と間違えられた。確かに、家はない』
『タダ飯は美味いと言うが、炊き出しの飯はまずかった』
『みんなで金集めて、共同住居しようとしたのに入居審査ではねられた。ちくしょう、俺達はいつまで地下暮らし続けなきゃいけねえんだ』
『金を盗まれた。ぜったい、同盟内の誰かがぬすんだんだ。みんなしらばっくれてやる。ちくしょう。こんなやつらに、背中を任せられるわけがねえだろ』
『俺が悪いんじゃない、周りの雑魚に足を引っ張られてるだけだ。同盟なんて組むんじゃなかった。こいつら、何の役にも立たない雑魚じゃねえか』
『有名冒険者クランに入ってやる。こっから大逆転だ』
『どいつもこいつも見る目がない。カラティンも円卓会も三合会も俺を書類審査ではねやがった。いずれ大英雄になる、俺を。まあいいさ、お前らも、後で見返してやる』
『また書類審査で落ちた』
『技能と経験が足りてないってなんだよ』
『もう五年も冒険者してるんだぞ』
『経歴書のウソがばれた。じゃあどうしろって言うんだよ、ちくしょう』
『俺は何も盗んでねえよ! ちくしょう! 冤罪だ!』
『ちくしょう ちくしょう ちくしょう』
『英雄になりてえ。すごいやつになりてえ』
『屋根の下で、ベッドに寝転んで寝てぇ』
「…………」
彼はもう完全に負の連鎖に巻き込まれていた。
痛ましくなって解読の手を一時、止めました。
居間のソファに逃げて、少し寝転んでいたものの――徹夜して空が白み始めてるというのに眠る事も出来ず、ただ起きていました。悶々と考えていると、眠れなくて。
そして、玄関の扉が開く音で我に帰りました。
「おかえりなさい、兄さん」
「おう。なんだ、もう起きてたのか? えらく早起きだな」
「いえ、夜更かししてました」
「明日……じゃなくて、今日の仕事は大丈夫か?」
「今日は休みです」
なら大丈夫だな、と言って微笑んだ兄さんが台所に向かうのに先んじ、兄さんが好きな玄米茶を淹れて飲んでもらう。仕事帰りでしょうから、労わります。
「予定より早かったですね。良かったです」
「うん。目標があっさり見つかったからな。ひと騒動あったものの……仕事そのものは上手くいったから直ぐに帰ってこれたんだ」
兄さんは私と同じくフレムリン士族の戦士です。
今回は他の戦士達と共に三週間ほど遠征で留守にするはずだったんですが――討伐目標が直ぐに見つかったので一週間で事が済んだようです。
ひと騒動あったというのが、気になりますが。
「騒動って、何か問題が?」
「立ち寄った集合野営地で荷物を盗まれたんだ。ついてない」
「兄さんの荷物を? どこの不届きものですか?」
「いや、盗まれたのは俺のものじゃなくてな」
「ならいいんですが……」
「よくないんだが、その盗人はウチの隊のヤブーの荷物を漁ってそのまま持ち去って、逃げ切られてしまったんだ。可哀想にネタ帳を盗まれたと嘆いていたよ」
「ヤブ君のですか。なら、なおのこと問題ないですね」
「えぇっ……」
ヤブ君は兄さんの部下であり、私の幼馴染です。
お調子者で騒がしく落ち着きのないドワーフで、近くにいると結構やかましいです。同じドワーフであるウチの兄さんを見習ってほしいほど子供です。
子供の頃は私の事を「やーい、長耳」と枕詞つけてからかってくるので、うざったい事から何度かヒゲをまとめて引っこ抜いてやった思い出があります。
ヤブ君の事はどうでもいいのですが、盗っ人さんには逃げられてしまったんですね。よほど上手くやられたか、ヤブ君が不注意すぎたんでしょう。
「盗っ人さん、どんな方でした?」
「ヤブは後ろ姿を見たらしいけど、浮浪者みたいな格好をしたヒューマン種の男性のようだったらしいよ。おそらくは冒険者の端くれだったんだろうけど」
「……ほぅ」
「ん? どうかしたかい?」
「……いえ」
何でもありません、と首を振る。
浮浪者に見える冒険者。
兄さんの語る人物が解読途中の手帳の人物とだぶりましたが――さすがに偶然でしょう。
確かにあの手帳を飲み込んでいた毒飛竜は、兄さん達が遠征に向かっていた方角から飛んできてましたが……さすがに、偶然の一致では?
そう結論づけつつも、仮に本人だったとしても既に死んでいるならどうしようもありません。まあ、ひょっとしたら手帳にヤブから盗んだものをどうしたかの記述ぐらいはあるかも、です。
あったらヤブにも教えてあげましょう。
「兄さんの顔を見たら元気になってきました」
「それは良かったけど徹夜したなら寝とけよー」
「はい」
と言って部屋に戻って一眠り。
昼前に起き、手記の解読作業に戻りました。
手帳に書かれている事もあり、閉じた手帳の内側は――手記の中盤は比較的綺麗な状態で文字が残っているようでした。
内容は相変わらず、鬱屈としたものでしたが……少しだけ変化がありました。
『久しぶりにまともな報酬だ。何か美味いものを食おう』
『運び屋稼業も悪くない』
『魔物は他の奴らが処理してくれる。楽だ』
『妹に始めて昼飯を奢ってやれた』
『仕事が少し、上手くいってると言ったら妹が良かったと言ってくれた。今回は嘘をつかずに済んだ。ほんとうに、仕事は上手くいってるんだ。少なくとも前よりは』
『妹が毎回、俺の嘘に付き合ってくれてるのがつらかった。でも、今日は嘘に付き合うだけじゃなくて昼飯も奢らせてくれた。妹に少し、認められた気がする』
『正直、嬉しかった』
『夢破れた、情けない男だけどよ……』
『ずーっと現実にボッコボコにされてきて、なーんにも出来なくて、そんな中でやっと、妹に昼飯奢るぐらいの事はできたんだ。何も出来てなかった今までと比べれば、快挙だよ快挙』
『他のやつらとくらべるのはやめろ』
冒険者稼業6年目。
その年を迎えた「彼」は人夫になっていました。
魔物がうろつく都市郊外での荷運び仕事もまた冒険者稼業の一種……ではあるものの、荷運び専念となると魔物と戦う機会が減っていきます。
それはある意味では良いことなのですが、守られる側の人間である事から同業の冒険者に馬鹿にされる事があります。普通の冒険者になれなかったやつだ、と。
荷運びしてくれる人が追随してくれるからこそ、私達のような士族戦士や冒険者が戦闘に専念できます。遠征などでは必須の役割です。
ただ、若く愚かな冒険者の間では荷運び仕事をする者を「落伍者」と蔑む風潮があるのです。
戦いではなく、戦う者の従者として対価を得る生き様を寄生と断じ、「人夫は俺達が養ってやってるんだ」と言い放つ者もいるほどです。
余計な荷物を背負って貰えているからこそ、自分達が戦闘に専念出来るというのに。
まあ、荷運び仕事はホントに大事なので稼業続けてるうちに現実を知り、そういう失礼な嘲りはナリを潜めていくものなのですが……。
『俺はオッサンじゃねえ、まだ20代だ』
『俺だってもっと華々しく活躍したいよ……』
『今日も休憩中、ばかにされた。嫌になる。俺だってまじめに荷物運んでんのに、なんで尻を蹴られたりしなきゃならないんだよ。ちくしょう、殺してやりてえ』
『自分が嫌になる。自分が馬鹿にされてこき使われてるのに、愛想笑いを浮かべてごまかそうとする。食ってかかる元気がない。反抗したいのに、反抗できない』
『いまの荷運び仕事すら無くなるのが、こわい』
『安心してくれてる妹の顔を見ると、何にも言えなくなる』
『でも多分、妹は俺が何の支障もなく仕事続けてるって話は疑ってる。前より訪ねてくる頻度が増えた。心配されている。収入は確かに増えたのにな』
『俺は何て、情けない生き物なんだろう』
『胸を張って生きてえ』
彼を雇った者達は、ろくでもない奴らだったようです。
こういうのが無茶やりつつも生き残り、何年か後に「昔はヤンチャだったよなぁ」という言葉だけで後は気のいいあんちゃん面をし始めたりするんですよね。
『冒険者になって8年目』
『俺はまだ冒険者なんだろうか?』
『やってるのは都市郊外での荷運び仕事ばっかりだ』
『ベッドで寝る生活は出来てる。ちゃんと三食たべれてる』
『久しぶりに剣の素振りしてみたら、手からすっぽ抜けた』
『ちくしょう』
『久しぶりに喧嘩をした。昔の俺が今の俺を蔑んでくる夢を見た。夢の中で自分と喧嘩した。夢の中ですら勝てなかった。現実を見るべきなのはお前だ』
『新しい冒険者クランで荷運び仕事する事になった』
『前より待遇いいといいな』
『多分、もう妹の方がよく稼いでる』
『俺は要領が悪い。何もできない。くやしい』
『それでもまだ兄さんと言って、俺の事を気づかってくれてる。ちくしょう』
『人と自分を比べてばかりの毎日だ』
『つくづく、自分が何もできてないのを思い知らされる』
『もっと若いうちに、努力しておけばよかった』
『つらい』
筆跡は淡々としたものでした。
それでも書き連ねられる内容は彼の想いが滲み出ていました。
才能が足りないのは自己責任。それを何とかする努力をした事は手記にはつづっておらず、誰かが悪いという責任転嫁。もう年をとって仕事も忙しいから努力できないと言い訳する。
手記に至った原因は彼にもある。
ただ、それが全てだと言い切る事は……私には出来ませんでした。
かつて抱いた夢は夢のままで終わり、現実を思い知らされた彼は人夫としての仕事を続けました。周囲にも恵まれないまま、逼塞した生活の中で生き続けていました。
いや、そうじゃないですね。
まったく、周囲に恵まれなかったわけではないです。
彼の事を真剣に考えてくれる人は確かにいました。
『妹が結婚するって』
『相手は俺より年上みたいだ』
『自分で興した事業で、忙しくとも堅実に稼いでるらしい。それなりに財産も築けてるみたいだ。向こうから告白されて、付き合って、結婚までする事にしたんだとさ』
『良かったなって言ってやった』
『多分、俺の声はかすれていた』
『兄さんにも紹介したいってさ』
『冗談だろ? こんな、情けないカスを紹介したい?』
『やめてくれよ』
『俺は存在そのものが、恥だ』
妹さんは、彼が家を出てからも気にかけていた。
差し入れを持っていって、彼の生活を案じ、彼の嘘に付き合ってきた。
そしてついに、彼に提案しました。
彼にとって受け入れがたい提案を、兄の事を想ってしたようでした。
『冒険者やめた方がいいと言われた』
『そんな言葉なんども言われてきた』
『訳知り顔の冒険者ギルド職員、少しばかり成功して大成したつもりの同期の冒険者、コツコツ稼いで結婚して子供まで出来て幸せそうな幼馴染。自分の才能と未来に何の疑いもない後輩冒険者、そら見たことかと俺の現状を呆れ顔で見にきたクソ親父』
『冒険者やめろなんて、何度も言われてきた』
『馬鹿どもの言葉なんて、怒りしか湧いてこなかった』
『今日、妹に同じことを言われた』
『怒りなんてわいてこなかった』
『アイツは、いままでずっと俺を肯定してくれてた』
『心配はしていても、見守ってくれていた』
『俺の嘘と見栄に付き合ってくれてた』
『そんなアイツに、もうやめてと言われた』
『目の前が真っ暗になりかけた』
それは妹さんにとっては善意に他ならなかったと思う。
兄の事が心配でたまらなかったんでしょう。兄の意志と誇りを尊重してきたんでしょう。でも、耐えきれなくなって言ってしまったんでしょう。冒険者稼業は危険がつきものですから。
私も同じ立場だったら言う。
多分もっと早くに根をあげる。
手記の「彼」の生活は困窮している。何とか危うい状態で踏みとどまっているものの、カツカツだ。荷運び仕事をしていても魔物がいる都市郊外に赴く以上、危険は当然ある。
死んでしまう取り返しがつかない。それぐらい貧乏だという事が手記から読み取れました。
『仕事を紹介するとまで言われた』
紹介して貰いなさい。
『しかも、嫁の旦那になる男の下で働く仕事だ』
余計な矜持より生きる事を優先しなさい。
『収入は、今の二倍以上になる』
断る理由なんてない。
『断った。到底、受け入れられる話じゃない』
何で。
『妹にまで、憐れまれたくねぇ』
馬鹿。
本当に馬鹿。
じれったい。
胸ぐらを掴んでぶん殴ってやりたい。
貴方は間違ってると言いたい。
そんな事は出来ない。
だって多分、この手記の彼はどこにも、
『妹を見返してやりたい』
はぁ?
『俺は、妹の世話になるほど落ちぶれてない』
現実を見なさい……現実を知ったんでしょう?
『上手くイフリート討伐の遠征に潜り込めた。長い旅になるし危険も多いが、それでも生きて帰ってくれば荷運び仕事だけでも結構、ドカンと稼げる』
馬鹿。
『やるぜ。俺は、兄として立派に仕事をこなす』
貴方って、本当に馬鹿ですね。
『金が欲しい。金があれば妹に、結婚祝いを贈ってやれる』
……馬鹿ね。
『俺は、英雄にはなれなかった』
…………。
『だからせめて、妹が誇れる兄貴になりてえ』
馬鹿な人だと思う。
ただ、笑う事は出来なかった。
家族が誇れる戦士になるため、自分の意地で羊を犠牲にした私には、どうしても。
こうして彼は遠征へと旅立っていった。
そうして最期を迎える事になりました。
遠征は失敗した。彼は優秀な冒険者では無かったし、要領と周囲が悪いのか荷運び仕事でも大した事は出来ていなかった。
そんな彼が潜り込めた遠征部隊など、たかが知れていました。
計画性に乏しい遠征隊長のいい加減な差配。そんな遠征隊長に集められた三流の人材。討伐対象の魔物に関する詳しい知識どころか、赴く土地の知識すら乏しい愚連隊。
命がけの旅だというのに、手帳につづられている討伐隊が……お話の中の登場人物の如き無能揃いである以上、遠征の失敗は必然だったのかもしれません。
実際に彼らは失敗したのですから。
その失敗に、彼も当事者として巻き込まれていきました。
『誰もいない』
『はぐれた?』
『置いていかれた……』
遠征は道半ばで失敗。
討伐対象ですらない魔物達の襲撃を受け、蜘蛛の子散らすように逃げる遠征部隊。皆がバラバラになり、再集結地点にすら集まれず、彼は置き去りにされました。
『仲間だと思ってたのに……』
命からがら逃げ、何とか部隊の一部には合流したものの……彼が何とか守り抜いた物資の殆ど奪い、彼を置いて仲間達は先に逃げていったようです。
『現状を確認した。最寄りの都市まで1000キロを超えている』
彼の手元にあるのは護身用のナイフ。そしてコンパスと地図と1日分程度の食料。荷物の大半を「仲間」に奪われ、彼の足では1日ではとても踏破できない距離。
道中には魔物も出ます。
遭遇すると彼1人では死にかねず、隠れながら進む必要がある。野草や木の根を食べて空腹をごまかし、時に魔物をやり過ごすために身を潜める。
『しにたくねえ』
『妹に会いてえ』
筆跡が異常なほど乱れているところがありました。
多分、飢えて追い込まれて毒草を食べてしまったのでしょう。
それもかなり酷い幻覚を見るうえに、身体も相当痛むものです。そうして苦しんでいるうちに魔物に襲われ、死んでいてもまったくおかしくありません。
『いま、自分がどこにいるのかわからない』
それでも、彼は奇跡的に生き残っていました。
生きながらえてしまいました。
『脚がうごかねえ』
『森狼達が遠吠えを交わしている』
『なにか、巨大なものが飛んでいるようにも見える』
『視界が霞む。自分の治癒魔術じゃ治せない』
『もうだめだ』
「何を泣き言を言ってるんですか……。生きて帰らないと、妹さんを泣かしてしまいますよ」
『妹は、元気にしてるかな』
「今頃、泣いてるかもしれませんよ……貴方がちゃんと帰ってこないから……」
『俺は英雄にも、立派な兄貴にもなれなかった』
「諦めなければ、まだ間に合います。生きて帰りさえすれば」
何の根拠もなく私はそう言いました。
薄汚れ、血の跡もついている手記に言いました。
手記の解読を急ぎました。
もう、あと少しです。
あと少しで、全ての項を解読できるんです。
『エリスへ』
『結婚、おめでとう。結婚式にちゃんと出れなくてごめん』
『出席はしなかったんだけど、実は遠くから見てた』
『綺麗だったよ、花嫁姿。お前、あんなにたくさんの友達が出来てたんだな。旦那もなかなか男前じゃねえか。あんまりキョロキョロ誰かの姿を探したりせず、旦那の事だけ見ててやれ』
『結婚祝い、贈れなくてごめん』
『兄ちゃん、ほんとは貧乏なんだ』
『ほんと、何とか生きていくので精一杯でな。かろうじて食いつなげてるだけで、来年どころか来月はどうなるかって感じでさ。ギリギリ家賃を滞納してない程度だ』
『知ってるかもだけど、家具はそんなに置いてない。全部捨てるか売り払ってくれ。できれば売って、その金で何か良いもの買ってくれ。売れるほどのもんは、何もねえけどさ』
『大家さんにもよろしく言っといてくれ』
『最後まで面倒かける』
『情けない兄貴で、本当にごめん』
『それでも、お前の幸福を心から祈っている』
手記はそこで終わった。
彼の名前すらわからなかった。
これを拾った人、俺の妹に届けてくれ、頼む――とは書かれていたものの、肝心の届け先すら無い。せめて、それぐらい書いてくれてたら良かったのに。
私は何も出来なかった。
「どうした……? 何か、あったのか?」
私が部屋にこもりきりで呆然としていると、兄さんが話しかけてきた。
何と言えばいいのかわからず、それでも言葉を絞った。
「……この手記の持ち主が、わからなくて」
「手記? 手帳か…………ん?」
兄さんはしばし、手記の表紙を手にとって見つめていました。
でも、やがて首をひねりながら「あれ、これ、あいつのじゃないかな……?」と呟いた。心当たりがあるんだ。私は兄さんにすがりつき、教えてくれるよう頼んだ。
兄さんは戸惑った様子だったけど、頷いて私の願いを聞き届けてくれた。直ぐに連れてくると言い、家を出て――ホントに直ぐに戻ってきた。
持ち主は近所に住んでいたらしい。
…………。
あれっ? なんかおかしくない? どんな偶然というか……何で持ち主が生きてるんです?
「どもーっ、こんばんわー」
「……何でヤブ君がここに?」
「何でって、呼ばれたからに決まってんじゃん」
兄さんはなぜか、私の幼馴染を連れてきた。
兄さんの部下であり、先日の遠征で盗難被害にあったドワーフは私が手にしている手記を目に止めると「あーっ!」と叫んで奪ってきました。
「オレのネタ帳じゃんッ!!」
「オレのネタ帳」
「うん、小説のネタ出し用のネタ帳。いやー、この間、野営地で盗まれて困ってたんだよ、どこにあったんだ? 助かったー、また書き直すのはめんどくせえな! と思ってたんだよ」
「つまり、手記はヤブ君が書いた小説」
「そうだぞ。まだ肉付けしてかないとだけどな! ガハハハハ!!」
「…………」
「あ、まさか読んだのか! 感想聞かせてくれ!」
私はとりあえず幼馴染の頭を引っ叩きました。
「…………! …………!」
「いたいっ、いたいっ! な、なんでそんな顔真っ赤にしながらはたいてくるんだよぉ」
「ひ、人騒がせ……!」