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繰り返されない非日常

話が動き出します

 昇降口は校門から真っすぐ進んだ先にある。左右には哀愁を漂わせた枯れ木が、昇降口の前まで続いている。駆けて行った沙良の後を追うように、僕はゆっくりと歩を進めた。



 ナイロン製の長いコートを纏った生徒指導の教員が昇降口の傍に立っていた。挨拶当番で朝早くから立つ不満からか、その顔は不機嫌さを露わにしていた。僕の学校は、教員が代わる代わる朝の挨拶当番をする習慣があった。

 おはようございますと、先立つ生徒たちに倣い挨拶をするも、ぶっきらぼうな声色が返ってきた。今の時代にも感情的な教員は多い。体罰が当たり前だった十数年、数十年前と比べれば格段に数は減ったが、時代に取り残された人間は一定数残っている。性質の悪いことにそういう人種は往々にして、俺の時はこうだった、昔はこうだったと自分を正当化する。不満さを醸し出すこの教員は、その類の人間であった。



 昇降口でコートと制服に付いた雪を軽く払い、学校指定のうち履きに履き替える。当たり前のことだが、沙綾の姿は既に無かった。次に会うのは授業の合間か昼休み、放課後だろうか。

 僕と沙綾はクラスが違うため、会おうとしなければ会わないことも可能だった。しかし、どういう訳か事あるごとに僕にちょっかいを出してくる。沙綾曰く、放っておけない弟みたいな感覚で心配、とのことだった。弟なんて居ないくせに何を言っているのか。ただ、日々の行動に照らし合わせてみると、確かに沙綾の方がお姉さんという感じがしなくもない。我ながら恥ずかしい話で、男子たるものもう少しドンと構えておきたいものだ。とは、考えてみるものの現実と理想は程遠く、まだまだ先の話になりそうである。



 朝の軽い喧騒に包まれた昇降口を後にし、僕は3階にある教室へと向かった。1階には、職員室や校長室、事務室などがあり、2階が3年生、そして3階が1年生と2年生の教室となっている。

 校舎は3つの棟で構成されている。教室のある建物が教室棟、図書室や保健室・生物室・物理室など専門的に使用する教室が集まっている棟が特別教室棟、視聴覚室等の多目的教室だけがある多目的教室棟の3つである。生徒もと教員を含めた全員が、それぞれを教室棟、特殊棟、多目的棟と呼んでいる。ちなみに、西から東にかけて教室、特殊、多目的という順番で並んでいる。また、増築に増築を重ねていったためか、各棟を繋ぐのは渡り廊下1つしかなく、移動に手間がかかってしまう。そのためか、移動教室の際は、誰もが嫌な顔をする。



 教室に着くと、既に半分の席が埋まっていた。それぞれが思い思いに友人と話をしており、手を叩き大笑いする男子の声が煩く響く。僕は、廊下側一番端の真ん中にある自分の席に向かう。鞄を机の上に置き、コートとマフラーを脱ぐ。マフラーを何回か折り畳み、鞄の中へとしまう。コートは、廊下の窓下に取り付けられたフックへとかけに行く。



 丁度、廊下に出てコートのタグをフックにかけた時だった。

「おーっす、高橋」

と、背中から声をかけられた。振り向くとそこには、爽やかな笑顔で片手を上げる男子が立っていた。中学1年からずっと同じクラスである中里裕太なかさと ゆうたである。身長は僕より少し高く、髪はスポーツマンらしく黒の短髪だ。また、中里は野球部に所属しており、その類まれなるセンスと努力から、部内外でも期待の新人として注目されている。

「おはよう、中里」

僕も中里に釣られて頬が緩む。

「今日も朝練?」

「いんや、今日は無かった。とういか、放課後の練習も休みなんだよ」

と彼は肩をすくめる。

「野球部期待のホープにも、休みはしっかりあるんだね」

「まあなー。俺としては、もっと練習したいってのが本心なんだけどな」

僕は他人との距離を測るのが苦手で、中里とこんな軽口を叩けるようになるまで、1年の時間を有した。

「休養も練習の一環だから仕方ないんじゃないか」

「そんなもんなのかね」

「そんなものだよ」

「違いねえ」

じゃ、俺先に入ってるわ、と中里は教室の中へと消えていった。僕も用事が済み、教室の中へと戻ることは出来たが、どことなく直ぐに中へ入るのは気が引けたためトイレへ行くことにした。


 教室棟には男子トイレが1階と2階にしかない。元々この学校は女子高で、男子トイレが急遽増設されたためだ。とは言っても、共学になったのは何年も前の話で、今では男子生徒もそれなりの数が居る。そのため休憩時間になるとトイレの争奪戦が始まるため、毎年トイレの増設を生徒会が申請するも、経費の関係上かいつになっても実現していなかった。

 階段を降りていく途中、多くの顔見知りの生徒とすれ違った。おはようと、軽く挨拶を互いに返す。

2階に着き、階段脇にあるトイレへと入る。トイレの中には上級生が数人入口付近に屯していた。肩身の狭い僕は、出来る限り存在感を消して用を済ませた。

手を洗っている最中、

「おい、あいつって1年の三條と一緒に居る奴だよな」

と後ろからひそひそ声が聞こえた。僕は聞こえないふりをして、ブレザーのポケットに入ったハンカチを取り出し、手を拭く。出来る限りいつもの調子を装い、上級生の間をすり抜けてトイレを後にした。



 沙綾は、学校では有名人なのだ。快活さや誰とでもすぐに仲良くなれるコミュニケーション力、またその容姿から、入学後すぐにファンが大勢出来たという。昔から知っている僕からしたら快活さやコミュニケーション力は分かるが、容姿については納得し辛いところがあった。

 

 

 教室に戻ると、半分しか埋まっていなかった席は、ほぼ全部が埋まっていた。僕は自分の席へと向かい、座る。中里の席は僕の前で、彼は忘れていたであろう宿題へ一心不乱に取り組んでいた。よく見ると、誰かの答えを丸写ししている様であった。

 放置されていた鞄を机の横にかけて、中から読みかけの小説を取り出す。お気に入りのしおりを挟んだページを開き、本の世界へと飛び込む。



「はーい、ホームルーム始めるぞー」

 数ページ読んだところで、担任の女教員が教室へと入ってきた。本を机の中に仕舞うと同時にクラス委員の掛け声があり、ホームルームが始まった。



2限目終わりの休憩時間のことだった。僕と中里が雑談をしていると、勢いよく教室の扉が開いた。入口に教室中の視線が集まる。そこに立っていたのは案の定、沙綾だった。

沙綾はキョロキョロと教室を見渡し、僕を見つけると、

「いやぁ~、ユキさん」

と、手を擦りながら近寄ってきた。

「貸さないよ」

幾度ともなく経験したこの展開から導かれる答えは1つであった。

「3限がまさか英語に変わっているとは思わなくてですねー……」

「ちゃんと時間割の変更は毎日確認しなって、前も言ったでしょ」

「部活とか忙しくてですね、確認する余裕が……」

「言い訳しない!」

「うぅ……」

沙綾は項垂れた。ほんの数秒の沈黙が訪れ、教室中の視線が僕を貫く。

「……わかったよ、何が必要なの?」

「お!ありがとユキー!」

「こいつ……」

英語の教科書と辞書が必要と言われ、机と鞄の中からそれぞれを取り出し、沙綾に手渡す。

「じゃあ、そのうち返しにくるからね~」

「そのうちじゃなくて、すぐに返しに来い」

「はいはーい!それじゃあね、ユキ、中里君!」

嵐の様に沙綾は去って行ってしまった。

「本当、お前と三條ちゃんは仲が良いよな」

教室の扉が閉まると中里はニヤニヤしながら言う。

「普通に幼馴染ってだけだよ」

「普通の幼馴染ねぇ。普通の幼馴染なら、中学か下手すると小学生の時に疎遠になるものじゃないかと思うんだがな」

中里は何か勘違いをしている様だ。

「腐れ縁なだけだから、中里が考えているような関係はないぞ」

「ふーん、まあ、高橋が言うなら良いけれどさ」

中里は少し躊躇って、

「三條ちゃんって結構人気あるからさ、ぼやぼやしていると、どこかの男に持っていかれちまうぞ」

と続けた。

「あいつに付いていける人間がいたらの話だけどな」

僕は反論にもならない言葉を中里に返していた。

「ま、なるようになるさ」

と中里は気にした様子もなく、いつも通り清々しい笑顔を浮かべた。



1日の授業が終わる頃、既に町は暗闇に包まれていた。

帰りのホームルームが終わると、部活のある生徒は着替えを済ませてすぐに練習場所へ向かい、友人と遊ぶものは連れたって駅前へ向かい、用事の無いものは帰路へと着いていた。


「ユキ!本当にごめん!ちょっと今から友達の恋愛相談に乗らないといけなくなったから、今日一緒に帰れなくなった!本当ごめん!」

とホームルーム後、沙綾が謝りに来た。元々今日は沙綾に、買い物に付き合ってほしいと言われていたのだ。僕と違い彼女は交友関係が広い。言動は、どちらかと言えばアホに見えるのだが、割と的を射たアドバイスや発言をすることから、そういった相談事の相手に選ばれることは多かった。

「別に大丈夫だよ。ただ、買い物は大丈夫?」

「うん!また休みの日にでもユキに付き合ってもらうし」

沙綾は楽しみだと言うように微笑む。

「わかった。しっかり悩みを聞いてあげてね」

「本当ありがとうユキ。それじゃあ、また明日ね!」

彼女は背を向けて、教室から去って行った。

 僕は特にすることもなかったので、すぐに学校を後にした。

沙綾は、陸上部に所属し、帰りの時間は遅い。高校に入ってからは帰る時間の重なることは数える程しか無くなった。そのため、平日に彼女と帰るという事は、珍しい出来事だった。まあ、明日の朝も会えるだろうし、別に良いか、と僕は自分に言い聞かせた。

 

 

帰宅の途中、大通り沿いにある行きつけの大型書店に足を運んだ。新しい文庫本が欲しくなったためだ。ハードカバーの本は高校生にとって高級品で、簡単に手が出せるものではない。そのため、ハードカバーで新刊が出ても、文庫化されるまで待つことにしていた。

 新刊のコーナーを眺めていると、好きな作家の文庫本が出ていることを発見した。僕は、すぐさま手に取りレジへと向かった。理由もなく立ち寄った本屋だが、思わぬ収穫があり気分が良くなっていた。

 レジに文庫本を持っていく途中、ふとこの文庫本を既に持っているような錯覚に陥った。頻繁に本屋に通い、気になる本があれば買い漁っている僕は、昨日も同じ本を買ったということは否定できない。しかし、昨日は立ち寄っていないし、そもそもこの作家の作品ならば買ったことを忘れることはないと断言できる。万が一、ダブらせてしまった場合は、仕方ないが沙綾にでもプレゼントしてやろうと僕は考え、会計を済ませることにした。



 店を出ると、雪がどす黒い雲から降ってきていた。短時間の間に地面には白い絨毯が敷かれていた。

傘を持ってなかった僕は、速足で帰路を急いでいた。差し掛かった信号が、丁度良く赤から青に変わった。その時だった。

「ユキ!」

後ろから大きな声で僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある声に、反射的に僕は立ち止まり、後ろを振り返る。しかし、そこには僕の知っている人の姿はなかった。ただ、沙綾よりも少しだけ身長の高い、腰まである髪を揺らした女性の後姿に、僕は少しだけ目を奪われた。

 

 瞬間、けたたましいクラクションの音が辺りに響き渡る。音は僕の背後から聞こえた。そして衝突音、金属と金属がぶつかり合う音、それに続く人々の悲鳴が周囲を埋め尽くした。交差点には前面の潰れた大型トラックと、トラックに押し潰された乗用車があった。どちらも原型をほとんど残してはいないほどであった。よく見ると、トラックと乗用車の間から滴り落ちる血があり、地面には血溜まりが出来上がっていた。僕は吐き気を我慢しながら、急いでその場を後にすることにした。



 細い路地を僕は歩いていた。何度もあの事故場面がフラッシュバックし、途中で何度か吐いてしまっていた。

もし、あのまま僕が横断歩道を進んでいたらと考えると、全身から血の気が引いた。あの歩行者のように、僕も……。

家まであと少しの距離だった。明日には大ニュースになっているだろうなと考える余裕も出てきていた。

 すると、少し先の路地に影があることに気付いた。影と僕の間には電灯があり、その姿はハッキリと見えなかった。しかし、その影が“人間”でないことは分かっていた。その影は2メートルぐらいの高さで、横幅は道をほとんど塞ぐほどだった。異様な緊張感が張りつめ始めていた。その影は一歩、また一歩とこちらに向けて歩を進め始めた。僕の足は動かない。


 電灯がその姿を照らした時、僕は言葉を失った。“それ”はこの世の生き物ではないと一目で分かるからだ。身体にはゴリラのような短く黒い毛が生え、毛の無い手と足は灰色の硬そうな表皮、そして頭は無く、胸の真ん中に女系の能面が埋め込まれていた。

能面は僕に黒く太い腕を伸ばす。異様な存在を前に、身体は脳からの指令を完全に断ち切ってしまっていた。能面は僕の身体を掴むと軽々と持ち上げた。能面は僕の顔を自分の顔に近付ける。

能面は感情の籠らない平坦な口調で途切れ途切れ話す。

「オマエハ、ヨテイヲ、クルワセタ」

黒い腕に力が入り始める。弱々しい僕の身体は軋み、痛覚が脳を刺激する。

「あああああああああああああああああああああ!」

悲鳴は虚しく町中に消える。


 激痛に意識が薄れていく中、聞き覚えのある声がまたしても耳に届いた。

「全く、どこにいってもユキはユキだな」

シュンという鋭い音と共に、白い線が僕を掴む能面の腕を通り過ぎる。すると、線の通り道から、血が噴水のように吹き出る。拘束は緩み、切り落とされた腕と共に僕は地面に落ちた。腕の無くなった能面は、奇怪な雄叫びを上げている。

咆哮する能面とは裏腹に、髪が腰まで有る女子生徒が目の前にフワリと舞い降りた。その後ろ姿は、事故直前に見た彼女に間違いはなかった。しかし、そこには違う点が1つだけあった。右手に柄の無い長い日本刀を持っていたのだ。


「待たせたねユキ。もう大丈夫だ。ここからは、お姉さんに任せなさい」

振り返り微笑むその横顔は、沙綾によく似ていた。


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