第二回戦 聞きたくない警鐘
テストは終了、そしてあたしにも17歳の夏がやってきた――と、いっても彼氏なんているわけでもなく、友人がとてつもなく多いわけでもなく、家族そろって海外旅行するような金持ちでもないあたしは、平凡な夏を過ごす予定でいた。
とはいえ、夏休み明けのコンクールに出展する作品を仕上げる気ではいるのだが。
終業式が終わった教室で、カバンに荷物を詰めながら外を見れば、梅雨明けの真っ青な空があたしを見下ろしている。
がやがやと騒がしい教室で、みんな夏休みの遊ぶ予定でも立てているんだろう。
その中にひときわ目立つ高いトーン。
「ねえ、ひぃちゃん。今度のねー、日曜日にねー、コンクールがあるの! 見に来てね! 絶対来てね!」
大きな身振り手振りで懸命に主張しているのは、前回の試合でクラスのマスコットから全校のマスコットへと進化を遂げた今井俊太、16歳『男』。チャームポイントはうるると大きなこげ茶の瞳、さらっさらの茶髪、それから――3年の先輩に一目ぼれさせるほどの強力な笑顔。
「おう、もちろん行くぜ!」
にっと笑ってそれに答えたのは緋村琴音、17歳『女』。つい先日、全校生徒を巻き込んだヴァイオレンスバスケ・バトルで見事勝利した彼女は、中性的で美少年然としたその容姿とオトコマエな性格、それに現役バスケ部員をものともしない人並み外れた身体能力で一躍ヒーローと化した(ヒロインではないところがポイント)。
「一緒に行こうぜ、ヒビキ!」
そしてそんなヒーローに声をかけられたあたしは、いたって普通の凡庸な一般市民。
繰り返しになったっていい。馬から落馬。頭痛が痛い。それくらい主張したいことなのだから。
まあ、そんな事はどうでもいいけど、あたしは大人しく目立たず高校生活を送りたいのだ。出来る事なら声をかけないで……
「えっ、ヒビキちゃんも来てくれるの!」
あたしの心は、愛らしい少年の一言で打ち砕かれてしまった。
やっぱりかわいい。かわいすぎるよ、今井くん。すぐにでもケースに入れてしまっておきたいよ。どんな人形よりきっとあたしの事を癒してくれる。
そんな風にして拳を握りしめたあたしが人知れず悶えていると、突然、背中に体重がかかり、顔の横にすらりと引き締まった腕が二本、伸びてきた。
「行くよな、ヒビキ!」
「ちょ、緋村さん、近いっ……!」
顔を横に向ければ、太陽のように輝く緋村さんの笑顔。
しかも頬が触れるほどに近い距離。
え、何これ、わざと?
窓一枚隔てた廊下では、緋村さんを崇拝する後輩の女の子達がさながら王蟲の進軍の如くびっしり張り付いているって言うのに?
この人は、あたしの平穏な生活をぶち壊したいのだろうか――つい今朝、一人で登校したあたしの下駄箱に入っていた、あまりにも短絡的な暴言を殴り書きした一枚の紙切れはなかった事にするとしても。
「行くよな、ヒビキ?」
「……はい、行きます」
再び返された問いに、答えは一つしか残されていない。
ああ、どうしてこんな事になってしまったんだろう!
何度も何度も叫んだ台詞は、夏休みの前に全く相応しくないものだった。
二人と家が反対方向なのは不幸中の幸い、これで一緒に帰ろうものなら、あたしに向けられる女の子たちの嫉妬は、あたかも弁慶に降り注いだ矢の如く全身に突き刺さるだろう。
いやみを紙に書いて来るなんて、まだまだカワイイものだ――なんて、あたしが余裕でいられるのには理由があるんだけれども、それを思い出すのはやめておいた。こんな夏の空の下で思い出したい記憶じゃない。
「次の日曜日、ね」
ぽつり、と呟いて、あたしは自分がそんなにも嫌がっていない事に気付いた。
今井くんの、そして緋村さんの笑顔を思い出す。
女の子の視線抜きに考えて、緋村さんは本当に素敵な女性だと思う……素敵な方だと思います。
誰もが惹かれるのが分かる気がする。それはあたしだって例外じゃない。
これまでクラスで特定の友人を作っていなかったあたし。
もちろん緋村さんも今井くんも知っていたし、何度も話したことだってある。でも、それは他のクラスメイトと同程度。目立つ子たちだなあ、なんて見ていただけ。
それなのに今は、夏休みに約束までしている。
不思議なものだ。
どれもこれも――
「やあ、奇遇だね、風見響子さん!」
ああ、何でこんなところでこの声を聞く事になるんだろう。
振り向いたあたしの目に飛び込んできたのは、すべての元凶。なんだかバックに花(それも仰々しいアマリリスあたり)が飛んでいるように見えるのはあたしの目の錯覚よね?
才色兼備、文武両道。自他ともに認める荒神高校一のイケメン。元バスケ部エース。運動神経抜群、すらりとした長身のモデル体形だが、頭の中身はちょっと足りない――それなのに、全国模試のランキングに名を連ねているのはどういう理屈なのか。
そんな川島耕太先輩、高校3年受験生『男』は、なぜか顎に手を当て、にやりと笑った。
「ふふふ、俺は夏休みも毎日登校しているから安心したまえ!」
「唐突に何を言い出すんですか? 安心の理由と必要性を一万字以上で説明してください」
いつも通りあたしの台詞にはお構いなし、そわそわとあたりを見渡すと、あたしの方に視線をくれもせず言った。
「ああ、ところで何だが……シュンちゃんは?」
ああもう、全くこの人は相変わらず……!
怒りを腹の奥まで飲み込んで、深呼吸。
身長151cmのあたしからするとずいぶん上の方にある先輩のオトコマエな顔を見上げながら返した。
「今井くんなら反対方向ですよ。残念で……し……た」
反対方向、と聞いた瞬間の川島先輩の顔は、思わずスケッチしたいくらいの崩れっぷりだった。ああ、いい男が台無しですよ、先輩。
形のいい、左右整った目が悲しそうに歪められ、泣くのを堪えるように口をへの字に曲げた。
もったいない。
「そうか……そうだったのか……てっきり一緒に帰っているものだと……」
先輩は今にも地面に沈みそうなほど項垂れている。
珍しく学外で声をかけてきたと思ったら、今井くん目当てですか。ああ、そうですか。
と、思って冷ややかな目で見下ろしていると、突然川島先輩はぱっと顔を上げた。
「いや、大丈夫だ、大丈夫だぞ!」
「何がです? 先輩の話の聞かなさ具合は大丈夫じゃありませんからね?」
「俺は、今週の日曜日、シュンちゃんがコンクールに出るという噂を手に入れているのだ!」
その言葉にあたしは愕然とした。
どこ情報ですかー?! だれ、そんなピンポイント情報を川島先輩に流したのは?!
やばい。やばい。
あのヴァイオレンス・バスケの時と一緒だ。あたしの頭の中で警報が響き渡っている。
第二回戦の予兆は、この時既に始まっていたのだ。