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TRINITY-Scent midsummer of chocolate is a bitter

ー『こちらクィーン、キングをD‐4まで誘導完了。プランBでナイトとチェンジするわ』


耳に入るイヤホンマイクの向こうから艶っぽい女の声が聞こえる。

彼はノートンパソコンのキーボードを叩きながら、画面上の地図を見つめ、マイクへ向かって声を発する。


「了解した。ナイト、プランBでミッションスタートだ」


『了解!プランB、開始します!』


快活な男の声が聞こえ、地図上に点滅するチェスの駒の白いキングを象ったアイコンに向かって黒のナイトが近付いていく。

程なくして、白いキングのアイコンはどこかの建物の中へと入って行き動きを止めた。


「ナイト、状況は?」


『予定通りキングを追い込みました。現在地は3階踊り場、そろそろだと思います。ビシッと締めちゃってください!』


イヤホンから聞こえた男の声で彼はゆっくりと立ち上がった。

彼がいるのは埃のひどい廃ビルの中の一室。

唯一の光源はパソコンの画面だけだ。


彼はパソコンを背に入口のドアと対面になるように立っていた。


次第に聞こえてくる足音。金属製の階段がその音源との距離感を明瞭に伝えてくれた。


彼はゆっくりと右腕を前のドアへ向かって伸ばす。

その手に握られているのは自動拳銃、ジェリコ941だ。

その銃口が後ろから照らされる僅かな明かりによって鈍く光る。


次の瞬間、ドアが勢い良く開き血相を変えた一人の男が飛び込んできた。


「チェックメイト」


言葉と同時に銃声が2発、室内へ響き渡る。


続いてドサッと音を立てて男が前のめりに倒れた。


彼はゆっくりと倒れた男の元へと歩いていく。

足元には赤い水溜りができ始めている。


声もなく目を見開いたまま俯せている男を彼は足で仰向けに変えた。

男の眉間と心臓には風穴が開いている。


「ゲームセットだ」


彼は死体となった男を見つめながらマイクへと呟いた。


******


ー連日猛暑日を更新し続けている都会の喧騒の中、赤褐色の髪を下から吹き上げた様な奇抜な髪型にセットした、黒いタンクトップにジーンズ姿の男が体を引きずるように歩いている。

人混みの中を歩く男は、手に持つコンビニのビニール袋を引きずりそうな程に、だれた様に背筋を曲げて歩いていた。

それでも他の通行人とは身長差があるほど大柄だった。


男は大通りから一本それた道へと曲がり、通り沿いの古びたビルの階段を上がっていく。

若干のカビの臭いと軋む錆だらけの階段を登り、最上階である三階にある看板も表札もかかっていない、やはり錆びつき始めた扉を開いた。


「おはようございまぁす。いやぁもう暑すぎて溶けるかと思いましたよ」


「おはよう勇吾(ゆうご)くん。溶けてなくて良かったわ」


彼‐勇吾の言葉に茶化す様な調子で返答したのは、ガラスのテーブルを中心に向かい合わせで設置された黒革のソファに座りノートパソコンと向き合っていた女。

黒く艶のある髪を腰まで伸ばし、肩の出た紺色のキャミソールで豊満なバストを包み、膝下までのジーンズから覗く白く滑らかな白足が彼女の艶めかさを際立たせている。

初めて彼女を見た男なら間違いなく喉を鳴らしてしまうほどの妖しく艶やかその女に、勇吾はテーブルの上へビニール袋を置いて向かいに座り、思いっ切り寄りかかってだらけてみせた。


「いやホント、冗談抜きで暑いんスッて。何なら雪菜(ゆきな)さんも出てみてくださいよ、マジで灼熱地獄だから」


「ふふっ、別に疑ってないわよ」


女‐雪菜がそう言うと、頭だけ起こして勇吾は雪菜を見た。


「昨日の仕事の報告書ッスか?」


「えぇ、暴力団のコマ使いでも列記とした仕事ですからね。事後処理までしっかりとがウチのモットーよ」


「ヤクザのコマ使い、かぁ。はぁ…なんかこう、大きな仕事とか来ないッスかねぇ」


「ワガママ言わない、仕事は仕事よ?ウチもコネは色々あるけど、そんな大きな仕事をバンバンやってるとすぐに御用になっちゃうでしょ」


「はぁ…そういうもんスかねぇ…」


「そういうもんよ。それより、頼んだ物買ってきてくれた?」


言いながら雪菜はエンターキーを叩くと、一息吐きノートパソコンを閉じた。

優樹菜の問いかけに勇吾は体を起こして笑う。

その表情は未だ少年のそれだ。


「モチっすよ。これねーとヒデさん怒るから」


「そ、薬の切れた薬中(ジャンキー)みたいになるからね」


二人でそう笑いながら話していると、遠くの方から小さく車の止まる音が聞こえた。

その瞬間、笑顔は二人の顔から抜け落ち、研ぎ澄まされた刃物の様な鋭いものへと変わる。


勇吾は音もなく立ち上がると、腰にささった大口径の自動拳銃、デザートイーグルを握りゆっくりと玄関口へ向かう。

雪菜もソファの下の隙間から自動拳銃、M92ベレッタを取り出し壁際に寄る。


一時の静寂。

徐々に近付く足音。

それは勇吾が銃口を向けたドアの向こうで止まる。

そして、ノックの音が飛び込む。


「開いてるぜ」


勇吾が言うと、扉がゆっくりと開き始める。

指先の引き金はそれに合わせる様にジリジリとグリップへ近付いていく。


次の瞬間。引きかけた拳銃を取り上げる様に後ろから現れた腕が銃を構えた勇吾の腕を強引に引き上げた。


と同時に腹に響く銃声がなり、ドアが完全に開き切った。


勇吾はその腕の持ち主に目を向ける。


「ヒデさん…」


「お前、依頼人に風穴を開けるつもりか。それと、天井の修理費は給料から天引きしておくからな」


そう言ったのが腕の持ち主。ヒデこと秀幸だ。

銀縁の眼鏡にサラサラの黒髪。白のワイシャツを肘まで捲り黒いネクタイを締め、黒のベストを着ている瞳の鋭い男だった。

秀幸は、まったく、と呟くと困惑している勇吾から手を離し、あからさまな愛想笑いを浮かべ“依頼人"と呼ばれたその男へ手を振った。


そこへ雪菜が小走りで駆け寄り、秀幸へ耳打ちする。


「ちょっとヒデ。今日依頼人が来るなんて聞いてないけど?」


「昨日の夜に急遽入った新規の依頼人だ。雪菜、準備しておいてくれ…どうぞ中へ」


雪菜に指示を飛ばし、招き入れたのは初老の男。黒とグレーのストライプ柄のスーツに身を包み、紺のネクタイを締め、黒光りする程の革靴を履いていた。


「では、失礼するよ」


そう言うと、男は1歩部屋へと足を踏み入れた。

しかし、それを勇吾が腕を前に出し制止する。


「何かね?」


「ボディチェックさせてもらいます」


「ふむ。出来ればあちらのお嬢さんにしてもらいたいんだが…」


男はそう返答しながら笑顔で奥の雪菜へ手を振っている。それに雪菜は困ったような笑顔で手を振り返した。


「申し訳ありません。彼女は向こうで色々と準備がございますので、そいつでご容赦ください」


秀幸の笑顔だが拒否権を与えないその言いように、男は小さく溜息をつきながら心底残念そうな表情を浮かべて両手を上に上げ、勇吾がボディチェックを始めた。


玄関口に二人を残し、テーブルの上のノートパソコンを再び開いて操作している雪菜の横に座る秀幸。

勇吾の持ってきたビニール袋を漁ると、中から板チョコを取り出し包装を破き、軽快な音をたてながら1口噛じる。


それを横目でジロッと睨む雪菜。


「…ん?どうした?」


「急な依頼が入ったならちゃんと早くから起きて来なさいよ」


「そのせいで徹夜だったんだ。このくらいはまけてくれ」


雪菜の言葉に全く悪びれた様子もなく黙々とチョコを食べ続ける秀幸。

最後の一欠片を口に放り込んだところで、依頼人の男と勇吾が玄関から戻ってきた。


「こいつが一丁、あっただけッス」


勇吾は言いながらテーブルの上に1丁の自動拳銃を置いた。

それを見るや、秀幸はニヤリと口元を歪めた。


「警察庁長官ともあろうお方が銃の不法所持とは、問題じゃありませんか?」


秀幸の言葉に雪菜と勇吾の動きが止まり、更に悪戯っぽい笑みを浮かべる秀幸。


依頼人の男はやれやれと肩をすくめて首を振った。


「折角2人を驚かそうと思ったのに、君が先に言っちゃダメだろ」


秀幸の言葉に肯定と取れる返答を返した男。雪菜は顔を上げてまじまじと男の顔を見た。


「いやぁ、貴女の様な美人に見つめられると年甲斐もなく照れますなぁ」


「嘘…本当に黒部(くろべ) 禄郎(ろくろう)なの?」


「そういやどっかで見た顔だと…」


男‐禄郎の言葉に返事をすることなくただ呆気に取られる2人。

そんな2人を現実に引き戻すように秀幸は咳払いを1つする。

テーブルの上のパソコンの横には、いつの間にやら銀の枠で縁どられた黒い板のはめ込まれた機材が置かれていた。


「本物かどうかはこれからだ…まずはお座り下さい。それから黒部長官、申し訳ありませんがここに掌を」


秀幸がその機材を自分の向かい側のソファに座った禄郎へ向ける。

禄郎は言われるがままそこに手を置いた。

すると、黒い板から細い線上の光が漏れだし上下に動く。

3往復程するとその光は消失した。


「ご協力感謝いたします。雪菜、ちょっとパソコンを借りるぞ」


言いながら秀幸はパソコンを自分の前に動かすと、ポケットからUSBメモリを取り出しパソコンへ接続。

更に機材からケーブルを伸ばしパソコンへ接続する。


雪菜は秀行が操作するパソコンの画面を覗き込んだ。

そして、整ったその顔に驚愕した表情を浮かべた。


「まさかこれ、警察官の掌紋データなの?」


「だから、昨日徹夜したって言っただろう」


「ふむふむ、警察官の前でハッキングと違法ダウンロードの宣言とは。やはり肝が座っている」


驚く優樹菜を他所に、意趣返しの如くそう言いながらニヤつく禄郎。

その言葉に口元を歪めながら、秀幸は画面を禄郎と横に並ぶ勇吾へ見える様に向けた。


「はい、間違いなく御本人と確認取れました。それで長官、我々への依頼内容は?」


秀行がそう言うと、禄郎は皮肉めいた笑みを浮かべながら懐から小さな紙を一枚取り出しテーブルにそっと置いた。


「殺し屋に頼む依頼は、1つしかないでしょう?」


******


ー正午を過ぎ、ビルの森は今年の最高気温をたたき出している中、秀幸は冷房の程よく効いた快適な事務所の中で窓際の仕事机の上のパソコンと向き合っている。


禄郎からの依頼は似祖部(にそべ) 賢治(けんじ)という男の殺害だった。

似祖部は一流自動車メーカーの代表取締として世に多くの車を送り出し、世界のシェアの2割を占めるほどの企業を1代にして確立したやり手の社長として世に知られている。


その程度の情報をネットのホームページで軽く復習し終え、会社の近状を調べ始める。


「創立記念パーティ…」


会社のホームページで見つけた最近のニュース欄に登っている記事を発見し、クリック。

内容は近日、新型車の発表会を兼ねた創立記念パーティが開催されるという内容のものだ。


他のページも開き情報を集めていると、玄関の開く音が聞こえた。


「暑い…暑すぎるわ…勇吾くんが言ってたのも大袈裟じゃないわね」


そう言いながら帰ってきたのはレディーススーツに身を包んだ雪菜だった。

ジャケットを脱いで乱雑にソファの上に放り、勢いよくその横に座るとぐったりと背もたれに体をあずけて上二つのボタンを外す。

汗ばんだシャツや襟元から覗く首筋がなんとも艶めかし色香を漂わせている。


しかし、秀幸は気にもとめずに手だけを差し出す。


「裏付け資料」


「はいはい、ちょっと待ってねぇ」


雪菜はため息半分に言いながら持っていた鞄の中からファイルを取り出し秀幸に渡す。


「黒部が持ってきた資料に間違いはないわ」


その言葉を聞きながら秀幸は資料に目を通す。

禄郎は依頼時に、手助けになるだろうとターゲットの詳細な資料を用意していた。

それの裏付けのために炎天下の中、雪菜と勇吾は足を使って情報を集めて回っていた。


「やっぱり、黒い噂は本当みたいね」


冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出しコップに注ぎながらそう言うと、雪菜は一気に呷る。


似祖部の黒い噂とは、似祖部が裏で行っている非合法の取引だ。麻薬、武器の密売。暴力団との取引。色々と手広くやっていた様だが、政界への賄賂で作った太いパイプのお陰で今日まで検挙されずに来た。

そのせいで、業を煮やした警察のトップが存在の抹消に乗りかかったのだが。


ひとしきり似祖部の関わった犯罪歴などを読み終え、彼本人の情報を読み始めると、秀幸の表情が変わる。


「成程、心臓病の既往があるのか」


「え?」


「ほら、奴の病院の通院履歴。既往欄に狭心症とアレルギーと高血圧、痛風もあるな。大層いいものを食ってるんだろうな」


皮肉たっぷりに言いながら笑う秀幸。

雪菜の集めた資料の中にあったその病院のカルテには、“労作性狭心症”、“雀蜂・カカオアレルギー”、“高脂血症”等、なかなかな量の病名が並んでいた。


そうこうしているうちに、もう一度玄関の開く音共に勇吾が帰ってくる。


「うッはぁッ!最ッ高に涼しいッ!」


「おかえりなさい勇吾くん。どうだった?」


「どうもこうもねぇッスよ。マジで暑すぎて…」


「そうじゃなくて、裏付け調査は終わったの?」


「あぁそっち…つか雪菜さん、流石に目に毒なんで隠して下さい。その…色々と…」


言いながら小脇に抱えた鞄からファイルを取り出し雪菜に目を逸らしながら渡す。

それを受け取り、自分の胸元を見るとはだけた隙間から吸い込まれそうな谷間が覗いていた。


自分の魔境と勇吾を交互に見比べ、妖しい笑みを浮かべる。


「んふッ。勇吾くん、可愛いところあるじゃない?」


「止めてくださいってマジで。いろいろ俺の体に悪いッス」


「あら、どう悪いの?」


「うるさいぞお前ら。じゃれるなら表でやれ…そうだ勇吾、表に行くついでに買い物頼まれてくれ」


鬱陶しそうに手を振った後、思いついた様に秀幸はそう言うとメモに走り書きし勇吾に渡す。


「え、外に行くの前提なんスか…つかこれ、最後のヤツ何に使うんスか?」


「それが今回の鍵だよ」


そう言うと秀幸は椅子をくるっと回して窓の方を向き、板チョコのアルミを破って景気よく噛み砕いた。


******


ー数日後、街には夜の帷が降り空には数個の星と月だけがポツンと浮かんでいる。

立ち並ぶビル郡の中から少し外れた一等地に聳え立つホテル、“キングス・ホテル”。

堂々たる佇まいから滲み出る高級感は一流のセレブのみが踏み入ることの出来る場所と謳われている。


そんな超高級ホテルの異様な程広い入口前のロータリーに、照明が乱反射しそうな程磨き込まれた真っ赤なスポーツカーが滑るように入り込み、停車する。


降りてきたのは一人の女。

乗ってきた車に負けない艶やかな赤のドレスに凹凸のハッキリした魅惑的な体を包み、サラサラと絹糸の様な滑らかな髪を風に遊ばせるその女は悠然とホテルの入口へ向かって行く。


しかし、普通の男なら理性を飛ばすか萎縮してしまいそうなその女を、入口にたったホテルの制服を着た銀縁眼鏡をかけた男が呼び止めた。


「失礼ですが、本日は貸切となっております」


「あら?私は招待されているのだけど」


そう言うと女は手に掛けた小さな鞄の中から1枚の封筒を取り出し女に渡す。


「拝見します」


男は言いながらそれを受け取り中身を改める。

そこには真っ白な紙が1枚入っていただけだ。


しかし男は小さく笑うと封筒に紙を戻し女に返した。


「失礼いたしました。どうぞ中へ」


「ありがとう」


女は微笑みを返すと男が開く重厚な扉の中へと入っていく。


女が中へ入るのを確認すると、男は耳に入ったイヤホンに触れる。


「…クイーンをE-2へ動かした。ナイト、D-4へ」


『了解ッス』


耳に入った相手の声を聞いて男は再びほくそ笑んだ。


******


ー女は変わった髪色の筋肉質なドアマンに扉を開けてもらい、中へと入る。

そこはに真っ白なテーブルクロスの包んだ無数の円卓が点在し、その上にはそれぞれ豪勢でしかし上品な料理が並び、スーツやドレスを着た男女がひしめく様にその周囲で談笑している。


女は辺りを見回し、会場中央辺りで目を止めた。


一際大きな人だかりのできたその場所の中央に立つ白髪の男。

長身だが小太りでシワの目立つ、オレンジ色のチェック柄のスーツを着たその男は、何が楽しいのか世辞や方便ばかりの賛辞に満悦な笑みを浮かべていた。


「趣味の悪いスーツね」


女はボソリと呟くと真っ直ぐその男の元へ歩いていく。


男との距離が数mの距離まで来た時、黒いスーツにサングラスといかにもな格好の屈強な男が女の進路に立ち塞がった。


「すみませんが、通して頂けますか?」


「それは出来かねます」


「似祖部社長にどうしてもご挨拶申し上げたいのです。ダメ…でしょうか?」


女は上目遣い気味にそう言う。

サングラスの男は一瞬黙り込み、伺いを立てるように後ろの趣味の悪いスーツの男-似祖部の方を向いた。


すると、似祖部は女の方へ歩み寄りサングラスの男越しに女を上から下まで舐める様に眺める。


「ふむ、お名前をよろしいですかな?お嬢さん」


「はい、霧島 雪菜と申します。あの時は大変お世話になりました」


「…あの時?…ああ!あの件ですな!いえいえ、霧島さんは私にとっては兄弟と言っても過言ではない!いや、娘ですかな?ハハハッ!その様なことはどうでも良い事、積もる話もあります。どうです?私の部屋でゆっくりと」


淑やかな中に煌めく妖しさを孕んだ女-雪菜の微笑みに、似祖部は油の様なベタベタとした下品な笑顔を浮かべている。


その似祖部の言葉に、雪菜は戸惑った様な、困ったような表情をする。


「ですが、パーティの主賓である似祖部社長がご不在となっては…」


「いやいや、その様な些末な事をお気になさるな。ささっ、こちらへ」


そう言うと似祖部は雪菜の手を引いて人垣をかき分けるように会場を後にし、出てすぐのエレベーターへボディガードと共に乗り込んだ。


音もなく上がるエレベーター。

まもなく目的の階に到着し、扉が開く。広く長い廊下が左右に続いている。美しく手入れの行き届いたカーペットを踏みしめながら似祖部と雪菜がたどり着いた1室。


似祖部はボディガードを扉の前に待たせ、雪菜とともに部屋に入った。


室内は広く大きな空間に高級感漂うアンティーク調の家具が並んだ、ホテルの評価に相応しい作りとなっていた。


「なにか飲むかね?」


「あ、いえ、お構いなく」


雪菜がそう言うが、似祖部は雪菜をその部屋に残し別の部屋に入って行った。


その隙を伺い、ソファに腰掛け雪菜は鞄からタブレットケースを取り出し、錠剤を口に含んだ。


「やぁ、お待たせ。ワインで良いかな?」


「恐れ入ります」


「それで、君は誰かね?こんな美人に顔をこの私が忘れるはずはない。あったこともないのだろう」


「えぇ、嘘を言ってごめんなさい」


「なに、気にすることはないさ。融資の相談かな?」


そう言うと似祖部は擦り寄るように雪菜の傍により、その膝に手を置くと気味の悪い笑みを浮かべていた。


「まぁ、それもこれも君のこれからの対応次第だかね」


言い終わるが早いか、似祖部の顔が雪菜に迫る。

そして、脂っこい唇が雪菜の厚く艶やか唇と重なる。


静寂の中湿った淫靡な音だけが微かに漏れ出す。


ひとしきり美女との接吻に満足げな表情を浮かべている似祖部。


「ふふふっ、なかなか積極的じゃないか…しかし、今の味は…」


「んふふ、チョコはお好き?」


「なに…?ぅっ…あ、ああぁ…がっ…」


と、似祖部は突然呻き出し胸のあたりをかきむしり出した。


そして床に崩れる様に転げ落ち、のたうち回る。


それを雪菜は足を組んでワインに舌鼓を打ちながら、まるでショーでも見るように悶え苦しむ似祖部を眺めていた。


やがて似祖部はその動きを止め、雪菜は首筋に指を当てるが、その鼓動が指に伝わることわなかった。


似祖部の死を確認すると、雪菜は鞄から携帯とイヤホンを取り出し連絡を始める。


「こちらクイーン、聞こえる?」


『こちらキング。始末はついたか?』


「えぇ。終わったわ。そっちは?」


雪菜の言葉に返事はなく、銃声のみが聞こえた。

雪菜は表情を強ばらせ、声を少し大きくする。


「ちょっと、何があったの?」


『同業者だ。黒部のヤツ、保険をかけていたみたいだ。これから俺が合流するから、プランEの合流地点で待機だ』


「了解」


その言葉を最後に通信が切れる。


雪菜は鞄からM92ベレッタを取り出し、更に小瓶に入った雀蜂の死骸をテーブルの下に放った。


銃を手に取り、雪菜は表情を引き締め部屋を出ていった。


******


ー奴らが現れたのは、雪菜の接触から10分ほどたった後だった。


複数人の明細服を着た男達が目だし帽を被り、パーティ会場に入るやいなや、マシンガンを手当り次第に撃ち始めた。


突然の襲撃に広がる悲鳴。恐怖と混乱が伝染し、阿鼻叫喚と銃声のおり混ざり氾濫している。


応戦に来る者がいないところを見ると、相手の人数は多く、その手管もなかなかに訓練された者達だろうと秀幸は言っていた。


優樹菜と合流するため会場を1人の抜け出し、勇吾は引っ繰り返ったテープルを盾に1人襲撃者へ応戦していた。


「クソッ!何人いやがんだ!」


悪態をつきながらいっこうに減らない敵へ愛用のデザートイーグルを向け、一撃のもとに葬っていく。


「チキショウ、ラチがあかねぇ」


ぶつくさと呟いては影に戻り、呟いては飛び出して発砲する。


幾分敵の増加が落ち着いてきた頃合で、勇吾の持つマガジンの数も残り1つ。


「しゃぁねぇ、ちょっと怖ぇけど…」


そう言うと、勇吾は盾にしていた銀のテーブルの足を持ち、敵の一団へ走り出した。


それに向かって銃撃は集中し、貫通する弾が肩や足に当たるが意に介せず突進していく。


「うりゃぁあ!!」


掛け声と共に勇吾はテーブルを相手に投げ付ける。

それ自体に大したダメージはない。しかし、間違いなく銃撃は止み、一瞬の動揺が生まれた。


その一瞬のスキを突き、手近な男の腕を掴むと自分に引き寄せ首を太い腕で締めあげる。


呼吸困難と痛みに悶えたその男は、しかし鈍い音とともに糸の切れた操り人形の様にダラリと動かなくなった。


動揺から立ち直った男達は、勇吾に向けて発砲する。

しかし、その弾丸は勇吾が抱える男が弾除けとなり、勇吾へ届く事は無かった。


勇吾は締めあげた男のマシンガンを奪い敵の頭部にのみ弾が当たる様に撃ち始める。


弾丸はほぼ全て敵の頭部を捉え一撃で仕留める。


弾が尽きる頃には敵は肉人形に変わっていた。


勇吾は死体からマガジンを奪い取り、マシンガンへセットすると他をポケットというポケットへ入るだけ突っ込んだ。


「さぁて、退路の確保だ」


言いながら勇吾は会場をあとにした。


******


ー秀幸は階段を駆け上がっていた。

時折襲撃者や似祖部の手下に遭遇するが、相手は引き金に指をかけることすら出来ず、秀幸のジェリコ941の餌食にされる。


階段を上り、目的の階に到着する。

重い扉を押し開き、広い廊下に出た。

真っ赤なカーペットとモダンな雰囲気の壁紙が何処までも続いている。


その向こうから、走ってくる真っ赤なドレスを身にまとった雪菜が走ってきた。


その姿を確認し、安堵のため息を秀幸が零したその時、廊下の向かって右沿いから襲撃者の一員と思われる男が飛び出し雪菜を羽交い締めにした。


秀幸が駆け出すと、それに気付いた男が雪菜の頭に銃口を突きつけ盾にする様に秀幸と対峙する。


「動くな!銃を捨てろ」


その言葉に、銃を構えていた秀幸は相手の足元へ銃を放り投げた。


「手を上げろ!」


「…こうか?」


ニヤリッと笑いながら勢いよく右手を相手に向ける。

その瞬間、勢いに合わせて着ていたジャケットの袖口から自動拳銃が飛び出し、その手に収まった。


そして、発砲する。


こだまする銃声。

額から漏れだした鮮血を黒い目だし帽に染み込ませながら、声もなく倒れる男。


「大丈夫か?雪菜」


「えぇ、勇吾くんは?」


「退路を確保してくれている。アイツならそろそろ終わった頃だろう。長居は無用だ、行くぞ」


「えぇ」


短く返事をすると、2人は階段へ向かいかけ降りていった。


しばらく後、闇夜の静寂の中に猛々しいエンジン音が響き渡り、遠のいていった。


******


ー翌日夜。秀幸は1人、一件のバーのカウンターに座り、グラスを傾けていた。

粋なジャズの流れる照明の絞られた雰囲気のある店内に、扉についた鈴の音が優しく、しかしハッキリ秀幸の耳に届いた。


それからほどなく、横に1人の人物が座る。


「ウィスキーをロックで」


声は男。男の注文に小さく頷くと、少し離れた場所で注文の内容の準備を始めた。


「保険をかけていたとは、正直厄介でしたよ。迷惑料まで欲しいくらいだ」


そう言って男の方に視線をやる。

黒いハットを被ってはいるが、その男は禄郎だった。


禄郎はニヤッと笑いながら話し始める。


「まぁ事が事だ。大目に見てくれ。しかし、雀蜂の毒とは。よく考えたな」


「バカ言わないでください。そんなものやすやすと手に入るわけない。カカオですよ」


「カカオ?」


不思議そうに首をひねる禄郎に、今度は秀幸がしたり顔を浮かべ、グラスの琥珀色の液体を口に含んだ。


「アイツはカカオアレルギーだった。そのカカオを致死量の250倍に濃縮した物を飲ませたんです。雀蜂アレルギーも持っていたし、アレルギー症状は食物と雀蜂の毒ではほぼ同じ。雀蜂の死骸を置いておけば、死因は雀蜂アレルギーによるアナフィラキシーショックの原因が高くなり、司法解剖に回される率も下がるでしょ。貴方の後ろ盾もあるしね」


「ほうほう、やはり私もまだまだ見る目があるようだ」


その言葉に色々な思いを込めて鼻で笑って返す秀幸。

そしてカウンターのテーブルを指先で数回叩く。


すると、禄郎は徐にポケットから車のキーを取り出した。


「黒のセダンだ。すぐ前に止めてある。報酬は中だ。どうせ外にあの厳つい青年がいるんだろ?」


禄郎がそう言うと、秀幸は再び口元を歪めてキーを受け取る。


「では、長官。末永いお付き合いを」


そう言うと秀幸は席を立ち、店をあとにした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最高にクール! わたしが思い描いている殺し屋小説のど真ん中を突いていってくれる作品でした。 そうこれこれ、これぞハードボイルド! 追跡や戦闘の描写も憎いくらい格好良くて、すごく興奮しました…
[良い点] 期待を裏切らないガンアクションと、相変わらずスマートかつスタイリッシュな殺し屋たち。決して説明しすぎではないのに、キャラクター1人1人のビジュアルがすぐに頭に浮かぶのがすごいなと思いました…
[良い点] カッコ良かったです。 殺し屋さんらしい小道具の数々に感心しました。 特に指紋のやつが好きです。本格的な映画や濃いそれ系の漫画を見ている様でした。 ガンアクションも、前回同様カッコ良かったで…
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