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親愛なる悪魔へ  作者: ルシア
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愛しい君と約束を

 悪魔が淡海の地に封印されて数年の月日が経った。

 この地を訪れてからと言うもの、悪魔は肩の荷が下りたように毎日を気楽に過ごしていた。

 ちょっとの悪戯で人間は驚く。その顔を見るのはとても楽しい。村人ならばその直後に祠に参って礼を述べるほどだ。それでは少し面白くないと京に向かう商人に仕掛ければ、驚くだけでなく憤慨したり恐怖を抱いたりする。ケラケラとそれを笑って楽しんだ。これらの尻拭いは村人がやってくれる。優しく穏やかな村人はそこを通る旅人や商人にこの地を守る鬼の話をするのだった。そのお陰で、再び悪魔を討伐しようと訪れる者はいなかった。

 話し合える相手がいない、というのも今更だ。低能の悪魔や誰かに遣える悪魔でなければ、普通悪魔が集団行動をとらない。鬼や物の怪も、そこまで知能がある奴は傍にいなかった。


 そんな悪魔の楽しみは、時々訪れる少女の存在だった。

 自分と本気でやり合い、この地に封印し、心の中に入ってきた少女。御笠の一族の陰陽師、御笠千晴である。

 彼女の存在は悪魔にとって特別だった。

 訪れる彼女の話を聞いたり、村人のことを話したり、喧嘩したり、笑い合ったり、時には手合わせをしたりしていた。


 そう言えば、最近は来ていないな。


 数ヶ月に一度は現れていた千晴が近頃ここを訪れていない。彼女が来なくなって、季節は二つ三つ過ぎた気がする。

 千晴が悪魔のもとを訪れたのは冬。以前に会ったとき咲いていた桜を間近に控えた時だった。

 重い足取りで森まで来た千晴。ご神木が見えると、走って祠まで来た。


「千晴!」


 千晴が来たことに心躍らせながら悪魔はすぐに千晴に近寄った。


「ん、どうした?」


 千晴は俯いていた。悪魔が覗き込むように見ると、彼女は顔を上げた。


「おまっ、何泣いてんだよ!?」


 その顔を見て悪魔は驚く。千晴の目には涙が溜まっており、溢れ出していた。もう何度も泣いたのだろう、その目は赤く腫れ上がっていた。


「…………こん、」


「は?」


 ぼそっと千晴は呟く。聞き取れず耳を傾けると、千晴は叫ぶように言った。


「結婚させられることになったの!!」


 耳元で叫ばれた悪魔は思わず耳を塞いだ。キーンと頭に甲高い声が響く。そして耳を押さえたままため息をつく。


「あのなぁ、お前もいい年で子どももいても可笑しくはないはずだろ。陰陽師でおっかないお前をもらってくれるんだぜ、そんなに嫌な奴なのかよ?」


 年月が流れれば千晴も成長する。出会った頃の幼い少女ではなく、今はもう誰もが振り返るような大人な女性だ。普通の女性として暮らしていれば結婚して子どもがいて当然だろう。男社会に踏み出したりなどするから、婚期が遅れているのだ。


「優しくて強くて格好良くて素敵な人よ!」


 おじさんなわけでもないし、そう叫ぶと思わず悪魔も「なら何が不満で……」と首を傾げた。


「あんたはそれでも良いの!?」


「は?」


 再び、悪魔から驚きの声が漏れる。


「結婚したらあんたとこんな風に会えなくなる! あんたはこの地に縛り付けた私のことなんて嫌いだろうけど、私にとってあんたは特別だった、初めて本心でぶつかり合えた相手だったのに……」


 千晴の声は震えていた。悪魔の腕を弱々しく握っている。


(ああ、そう言うことか)


 悪魔は納得した。しばらく千晴が来なかったのはこの所為だ。結婚を勧めた父か兄が陰陽師としてではなくただの娘として最低限のことをと家にでも閉じこめていたのだろう。

 そして千晴の気持ち。決して相手が嫌なわけではないのだ。結婚も、女としての喜びを考えればそろそろしてもいいとわかっている。

 その枷となっているのは、悪魔である自分である。


「陰陽師であるお前が、悪魔の俺に心を奪われてどうする?」


 誰かに知られれば、それは弱みとなる。


「それでも私は――――…」


「俺は悪魔だ」


 千晴の言葉を悪魔は遮る。


「人間の男のように、全うに働いて稼ぐことも、飯を食わすことも、子どもを授けることも、傍にいて守ってやることも出来ねぇ」


 どれだけ相手を大切に思おうとも、お互いにとってどれだけ特別でも、所詮は悪魔と人間は鳥と風見鶏。共に生きることは出来ない。

 しかし、悪魔の言葉に千晴は表情を変えていた。


「そんなこと、考えてくれていたの?」


 この地に封印した自分のことなど嫌って当然だと思っていた。自分と話してくれるのもただの暇つぶしの一つであると。

 けれどそうではなかった。彼の言葉から伝わる想いがあった。自分の想いと、とてもよく似ている。


「俺だってお前のこと、嫌いじゃねぇからな」


 真っ直ぐな言葉では言ってくれない。おそらく、わざと口にしないようにしているのだろう。


「お前は幸せになれよ」


 その言葉の重みを知っているから。

 それは千晴にとって足枷となる。一時の感情に流され、千晴を不幸にしたくはない。


「あんたを不幸にした私に、それを言うの?」


 悪魔の気持ちと想いに気づいた千晴は再び俯く。

 自分の気持ちには気づいている。

 千晴にとって悪魔は特別だ。きっと、友人としても一人の男性としても好きなのだ。けれどその好きを押しつけるつもりはないし、押し通せるものでもないとわかっている。


「1000年待ってやる」


「え?」


 悪魔は震える千晴の身体に手を添えた。


「この地を守って封印が解かれたとき、お前の魂を奪いに行ってやるよ」


「魂を……」


 本来、悪魔は魂の契約を交わし利害関係を得るものだ。彼の住んでいた遠い国では、魂を捧げる代わりにその力を得るものが多く存在していたと、以前悪魔は千晴に語っていた。


「お前が死んで輪廻を経て生まれ変わるのを待っててやるから」


 だから今は幸せになれと、悪魔は優しく微笑んだ。


「きっと私はあんたのこと忘れてるわよ」


「俺は悪魔だぜ、誰がどう言おうと好きにするさ」


「1000年、長いわよ」


「ならお前の子孫を遣わせてくれよ、思いっきり遊んでやるから♪」


「幸せになっても、いいの?」


「全力で人生全うしてこい」


 一つ一つ表情を変えて、複雑な心境で千晴は言う。それに対し、悪魔は変わらない微笑みで答えてくれた。


(かなわない……)


 心理戦で悪魔に“敵う”はずがなかった。

 共に生きたいという願いも“叶う”はずがなかった。


「あんた、馬鹿でしょ」


 憎んでも良いはずなのに。それでも千晴の幸せを願うなど。


「ああ、俺も自分でそう思うよ」


 好きになってはいけない相手だった。最初から終わりがあるとわかっていた。ただ、それはまだ少し先だと思っていたのだ。


「ありがとう」


 千晴は両手を伸ばし悪魔に抱きついた。悪魔は少し驚いたものの、優しく千晴を包み込んだ。

 これで最後だ。会うのも、話すのも、触れるのも、すべて終わりである。

 最後の一晩だけの、思い出を。



 

 その後、千晴は父の持ってきた縁談により17歳年上の宮司と結婚した。それも正妻として迎え入れられたのである。

 たくさんの子どもに恵まれ、平穏な日々に暮らし、時には夫の手助けをした。父や母も漸く、千晴のことを認めてくれたようだった。

 何より夫は千晴を心から愛し大切にした。

 悪魔について話したこともある。それに関してはやはり夫は複雑な表情を浮かべていた。と言うのも、また悪魔に会えば千晴が奪われてしまうと言うのだ。家や子どものこともあり、千晴自身は夫のもとに帰ってくると言っても、夫は千晴が奪われるのが嫌だと許してはくれなかった。

 愛されているのだから、仕方ないのかもしれない。嫌だという夫はどこか可愛らしくも見える。

 代わりに、子どもを悪魔の住む淡海の地に遣わすことは許された。子どもたちは悪魔の姿を見ることはなかったけれども、何故か何もないところで転けたり、木の実が頭の上に落ちてきたり、背中を押されて湖に落ちてしまったり……、遠くで笑い声が聞こえたりしたのだという。きっと悪魔も、それが千晴の子どもであるとわかっていたのだろう。帰りには土産と言わんばかりに、森の果実が降ってきた。

 そんな話を何度も何度も聞いた。





 そして千晴は、悪魔と再び会うことなく生涯に幕を下ろしたのだった。


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