ムカつく先生と子供な俺
「すまない。今日も宏太くんが少しやらかしたらしくて、待たせているんだ。また質問があったら、来てくれるかい?」
「ええー!? また、宏太がー!? 先生あんなやつ放って置いていいじゃーん。餓鬼なんだしさー」
「女の子が、そんな他人を傷つけるようなこと言っちゃだめだよ。本人が聞いてたら、凄く傷ついてしまうだろう?」
「はーい! すいませーん! 先生ぇ」
聞こえてるっつーの、あのバカ女。俺がその場にいないことをいいことに、好き勝手言いやがって。何様のつもりだよ。
宏太は職員室の隔離スペースに追いやられていた。
机がぽんと置かれてはいるが、職員が四方を取り囲むような密集地帯なので、嫌でも衆目を集める場所。
大人たち特有の、子供に対する無遠慮な視線は突き刺さる。まるで自分たちの行動全てが全部正しいかのような、そんな表情を浮かべている気がする。
担任であるクソ先生が、相変わらずの気色悪い笑顔を浮かべて来る。
「ごめん、ごめん。待たせたかな? 宏太くん」
「待ってねぇよ、いいから帰らせてくれよ。俺にだって予定ってもんがあるんだよ」
「それはちょっと了承しかねるなー、宏太くんの担任としては、ね。どうして今日あんなことをしてしまったのかの説明をして欲しい。それを言ってくれたならすぐに帰ってもいいんだけどね」
鼻梁が高くて顔の造形が整っているこの担任は、女子生徒から絶大な人気を誇っていて、しかも鼻につくような態度を取らない好青年。大学を卒業したばかりの性格のよくて、しかも若い担任に、うちの女子たちは色めき立っているってわけだ。
こいつのなにもかもが気に喰わない。
ムカつくこいつから目線を逸らして、唾を吐くような勢いで話す。
「理由なんてねぇっていってんだろっ! ただ、あいつの顔見てたらイライラしたから殴っただけだっーてぇーの。だって、あいつの顔カマキリみたいに逆三角の顔してたんだぜ?」
「カ、マ、キ、リ。あはは……って、こらっ。クラスメイトにそんなこと言ったらだめだろっ」
「先生だって今笑ってたじゃんかよ」
「今のなしだ。ノーカン、ノーカン」
ふざけているのか、馬鹿にしているのか。
どっちにしろ余裕ぶっているこいつを、なんとかしてやりたい。その笑顔を崩してやりたい。なんて、昏い感情を持ってしまう。
そんな自分が時折嫌になる。
すると、ほんとうに先生が無表情に能面になる。
いきなり過ぎて戸惑いながら、先生がなにを話し出すか固唾を呑んでしまう。
「……まあ、さっきの女子生徒からぜんぶ聞いたよ。僕のために殴ってくれたらしいね」
「あんの、バカ女……」
口軽すぎだっつーの。
「素直に嬉しいよ。僕の悪口を言っていた彼に対して、向かっていってくれたらしいじゃないか。暴力という行為には賛同できないけれど、ただ、その立ち向かう勇気は素晴らしいことだと思うよ。それに、宏太くんに庇ってもらえて、先生も素直に嬉しいしね」
「ばっ……ちげーよ! ただ、あいつが夢を笑ったから頭にきただけだよ」
「夢……? 前のHRで言ったあれかい?」
「そうだよ。先生が、世界中の人を救いたいっていう夢」
自分でもガキ臭いことをやったっていう自覚はある。
同年代の馬鹿と意見を適当に合わせとけばよかったんだ。それなのに――
――なにすかしてんだよ、あの先生。マジいらいらするぜ。なあ、いつも反抗している宏太だってそう思うだろ? だってあいつ、誰かを救いたいとか意味わからんねーこと言ってんじゃんか、なあ?
――うるさいっ!
――はあ、ちょ、なにマジになってんだよ。宏太?
――あいつの夢を笑うんじゃねぇーよ!
先生がやんわりと微苦笑する。
「まあ、昔のことですけどね。僕の小さい頃の夢は、医者になって苦しんでいる人たちを助けることだった。それなのに、いつの間にかこうして親の言うことを聞いて、淡々と敷かられたレールの上を歩いて教師になった。だから――もう、」
「もう、なんだよ」
やっぱり、むかつく、むかつく。こいつと話していると無性に腹が立つ。
「勝手に卑屈になってんじゃねーよ! そんなに先生になるのが嫌だったのかよっ! 俺は先生と会えてよかったって思ってるし、それを簡単に否定したら俺のことまで否定されたような気になるんだよ!」
それに、それに、と譫言のように呟きながら、戸惑いの表情を浮かべている先生を見据える。
「――大人が夢を、否定するなよっ!!」
大人になったら、子どもの頃のような夢は――見ちゃいけないのかな?
へらへらずっと笑って――本気になったらいけないのかな?
意思を押し殺してみんなと歩幅を合わせて――言いたいことを言っちゃいけないのかな?
俺も、俺も、先生と同じ夢を持っているんだ。
医者だとか、そんな高尚な職業に就きたいとか、そんなはっきりとした目標があるわけじゃない。
ただ、ただ、世界中の人を救いたい――
ただそんな、くっだらなーくて、みんなに笑われるような、漠然とした馬鹿みたいな夢。
そんなこと誰にも言えなくて、もっともっと小さい頃に両親に話したら、はやく大人になりなさいって言われたんだ。ほんと、俺ってガキなんだなーってその時痛感して、ただただ恥ずかしかった。それだけ子供にとって親や大人とか、それから周りの意見は絶対で、逆らえるようなものじゃなくて。
――だから、なにげなく言ったのかもしれない。ただ、ご危険取りのためだけに言ったさり気なく言った、HRの時間が余ったから口から出た時間つぶしだったのかも知れない。
だけど、さ。
嬉しかったんだ。
俺と同じ夢を語る人間に会えた、心がすっとした。
確かに救われたような――そんな気がしたんだ。
「……ごめん、宏太くんは男の子だったね」
そんなこと聞きたい訳じゃない。
馬鹿みたいに涙を流して、鼻水まで垂らして、心情を吐き出したのはそんなことを聞くためじゃない。締めつけらる胸を抑えながら、ほかの先生たちに見られながら、それでも自分を徹したかったのは、そうじゃないんだ。
「大人として言わせて貰うなら、夢を諦めるな。…………僕も諦めないから」
そう、そうなんだ。
嘘でもいい。
ただ今だけは、その言葉が聞きたくて、目の前の先生が心底憎かった。
「ああ、やっぱりムカつくな先生」
ほんとに、何もかもムカつく先生だ。