8.袋と侍女長の話。
とりあえず、名前はどうあれ殿下の真意がどうあれ、時間もないようなので考えに沿って行動をしよう。そう思い、リュシーは気持ちを持ち直した。
「では、私が良いと言うまで目を開けず、何も見ないと約束してくださいますか?」
言われてすぐ、セルは目を閉じた。だが、リュシーにはそれが見えないし、解らない。
「わかった」
返ってくるあまりに素直な言葉に、本当に目を閉じてくれるのだろうか、と疑心暗鬼になってしまうのも、リュシーの性格上仕方のないことであった。リュシーは確認の言葉を口にする。
「閉じました?」
「ああ」
打てば響くように、直ぐに帰ってくる言葉。この国の殿下の危機管理能力が危ういのか、自分が騙されているのか。リュシーはもう一度聞く。
「本当に?」
「本当だ。何も見ていない」
こうまで言うなら本当だろう。そう思い、リュシーは……とりあえずもう一度聞いてみた。
「本当の本当に?」
「開けるぞ」
「すみませんでした!」
しつこく確認を取ってから、リュシーは恐る恐る袋を頭から外した。待ち望んでいた解放感に気分が上がる。クリアな視界が懐かしい。たが、本当の解放はこれからだと、セルに身体を向けなおす。
殿下は言った通り、確かに目を閉じてくれているように見える。だが、薄目を開けているんじゃないかと同時に不安になる。だが、殿下が預けると言って素直に動いてくれている以上、こちらとしても信じなければフェアじゃない。リュシーは腹を括った。
リュシーは、目を閉じたセルを今一度じっくりと観察してみる。
綺麗な肌、美しい髪、長い睫毛、整った容姿、……リュシーよりも少しだが、存在を主張する、胸。
「……ええい、腹立たしい!」
言わないつもりが、口から勝手に出た。憎々しさが声音によく出ている。
「何の話だ」
急に叫んだリュシーを訝しげにセルは伺った。
「こっちの話しですよ!」
リュシーは逆ギレですらない、見事に理不尽なキレ方をした。
もともと中性的と言われているセルは、身体が本物の女性となっても、一見その変化は解らない。とはいえ、多少なりとも小さくなる身長、細くなる身体、丸みを帯びる線と、常日頃からセルを見ていれば、意識さえすれば解る変化だ。
それと同じで、胸も変化はそこまで露骨ではない。……ただそれでもリュシーよりも少しだけ、大きいというだけだ。
かなり落ち込んだが、リュシーは目線を外して忘れる事にした。今はそんな場合じゃない。
「セルリア様、後ろ回りますよ。まだ目を開けないでくださいね」
殿下は女性殿下は女性殿下は女性。リュシーの頭の中で呪詛のように繰り返される言葉。そう簡単に忘れられはしない。
「呼び方は結局そっちなのか?」
セルリアと名乗っても、結局はほとんど殿下と呼んでいたため、名前の呼び方が変わった事には、セルも違和感を感じたらしい。
「え、なんですかセルリア様」
だが、残念ながらリュシーはわざとやっている。呼び名を変えたことに深い意味はない。ただ、殿下と呼び続けていると、かなり乙女心に傷付くからとだけ言っておく。
「いや、別にいいんだが……」
「はーい髪の毛纏めまーす」
わざとらしい空気を感じて、セルも聞く事を諦めたようだ。リュシーもその後ろでわざとらしいほどてきぱきとセルの髪をまとめていく。
「はーい髪留めつけますよー」
「はーい袋被せまーす」
「はーいお着替えしますよーばんざーい」
さすが侍女だけあり、手際よくセルの衣服を取り替えていく。一部聞き捨てなら無い言葉もあったが、見事にセルはされるがままの着せ替え人形であった。
あまりにされるがままだったので、実は寝ているんじゃないかとリュシーは一瞬疑った。なにこれ等身大セルちゃん人形か、と思った事は秘密である。
出来上がったセルを見て、リュシーは目を逸らした。
「終わったのか?」
「ええ、まあはい。目を開けてくださっても大丈夫です」
リュシーの前に佇む、ほぼ完璧と言っていいほど美しい肢体に、ふんだんにフリルを使ったドレスを纏ったセル。
胸は控えめだがスレンダーとでも言えばいいのか、女性にしては高めの身長が、身体の魅力を削がない。長い髪はまとめられ、袋につめられている。袋に。
「目を開けてもいいと言われても、意味がないのだが」
そう言われて、リュシーは逸らした目をピンクのドレス(ヒラヒラ)の殿下に少し合わせた。
「よくお似合いでぷぐふっ」
「……それは笑い声か? それとも新種の動物か?」
こらえ切れなかった笑いのせいでリュシーの口から変な音が漏れる。今までで一番不審そうなセルの言葉がリュシーの心を傷つけた。だが、徹夜明けの変なテンションが、リュシーをいとも簡単に立ち直らせる。
「これなら顔が見えない、バレない! 完璧にどう見ても女の人です!」
腰に手を当て、自信満々にそう言うリュシーに、そんな自信がどこから来るのか、とセルは問いたくなったに違いない。
「かなり怪しい、な」
そう付け加えたセルは、袋の中でかなり呆れた目をした。
だが、それはリュシーには見えないため、リュシーは聞こえない振りをして、清々しく汗を拭くまねをした。
「では、時間もないしとっとと部屋を出ましょう。誰かの気配を感じれば教えて下さい。後、もし女護に遭遇したら、とりあえず私に話を合わせてくださいね」
早口にこれからのことをセルに伝えるリュシー。力ずくな計画は適当に穴だらけだ。考えるのが面倒になった感じが見え隠れしている。こんなリュシーに話を合わせる、あたりがかなり不安を煽る。
「わかった。ただ大丈夫か、これで」
だが、セルは気にしていないのか、深く考えない事にしているのか、返すのは了承の意だけだった。ただ頭の袋にだけ疑問を持ったようで、袋を触り音を出す。
「ちゃんとお手を引かさせてもらいますよ。預けてくださいと言ったでしょう? さすがにそこまでハードな事をさせようとは考えてません」
女装というと語弊があるが、気持ちの上で女装をさせた上に袋を被せた今の状況は、リュシーに言わせるとハードではないらしい。
リュシーはセルの手を取った。一瞬セルの手は戸惑いを見せるようにたじろいだが、それも一瞬のことですぐにリュシーと手を握り合った。
リュシーはセルが珍しく戸惑いを見せた事よりも、その手の温度が気になった。
「セルリア様、手、冷たいですね」
にぎにぎと、セルの冷たい手を暖めるように自分の手を動かすリュシー。
「お前の手は熱いぐらいだな」
リュシーの手は熱々だ。眠いからです、と言おうかと思ったが、セルに謝られるのだろうと思うと、リュシーはなんとなく言う気にはなれなかった。
「外寒いのであんまり体温捕らないでくださいね」
「無理だろうそれは」
リュシーの言葉が冗談だと解るため、セルの言葉も柔らかい。軽口をたたくと、セルは少し笑い声を出す。そして、リュシーがセルの手を引いた。
「では、行きますか」
「ああ、頼む」
リュシーが扉を開ける。明かりのついていない廊下は暗いが、目は慣れているし、かなり慣れた道だ。リュシーだけなら、目隠しをしていてもおそらく目的地まで歩いていけそうな自信すらあった。
まだ侍女たちが起きるには早い。廊下は、痛いほどの静寂に包まれていた。
袋を被ったセルは目隠しで歩かされているようなものの割りに、リュシーの手だけを頼りにするすると恐怖も無いように歩いている。思った以上にスムーズに事が運びそうで、リュシーは安心した。
「気配はありますか?」
リュシーは小声で確認を取る。それに対してセルも小声で返す。
「いや、今の所感じないな」
「何か感じれば腕を引いてくださいね」
「わかった」
そう言って、廊下を歩き、階段を降り、また廊下を歩く。防犯のためか、入り組んだ形となっている侍女仕部は外に出るまでの効率が悪い。その上殿下を連れているので、スムーズと言っても道のりは遠く感じられる。
歩いているうちに、リュシーの中で違和感と疑問が強くなってくる。
「……おかしいですね」
ふ、と前触れ無くリュシーが立ち止まる。ぶつかりそうではあったが、セルは急いで止まりリュシーとぶつかる事を回避した。
「急に止まるのは止めてくれ。……どうした?」
「すいません。……気配は?」
気配なんて読めないリュシーは視覚に頼る他ないのだが、誰一人として今の所発見できていない。
「感じないな」
セルに聞いても、答えは同じだった。今は誰にも会わないほうがいい。だが避けているわけでもなく、誰とも会わない事が、リュシーには逆に不自然に感じられた。
「それ自体がおかしいんですよね……いつもなら、誰かとすれ違っていても不思議じゃないんです」
すれ違うのは女護しかり、他の侍女しかりだ。まだ就寝時間であるため、他の侍女と出会う可能性は低いだろうが、女護は定期的に見回っているはずだ。
「俺が来たときも、数人に出会いかけたな」
だとすると、今この状況はやはりおかしい。心の底から嫌な予感が湧いてくる。
「……すごく嫌な予感がするんですが。もしかしたら大物が釣れるかもしれませんよ」
肌寒いくらいなのに、背中に汗が流れそうな気持ちになる。不思議とこの嫌な予感がハズレる気がしない。
「どういうことだ?」
「まあ、バレバレってことですよ……」
あの人だから仕方ない。ただ、どこまで知ってていて、どこまで勘づいているのだろうか。全て知っていても不思議じゃない。
想定外の時のために、最低限取り繕えるよう、心積もりだけでもしておくべきだと、リュシーは心を落ち着かせる。そんなリュシーに、セルは二言目は聞かなかった。
「すいません、行きましょう」
落ち着いたのか、再びリュシーは殿下の手を引いた。セルは頷くだけで素直に着いていく。
そのため、声を出したのはセルとリュシー、どちらでもなかった。
「お待ちください」
セルは勢いよく声の方へ振り返った。それもそのはずで、声に対してセルは、今まで一つの音も気配も感じとれなかった。今も、声さえしなければ本当にいるのか疑ってかかるほどだ。
ただ、酷く警戒心を顕にしたセルを横目に、リュシーはため息すら吐きそうにゆったりと振り返る。心積もりをしておいて良かったと思っておく。
「……侍女長」
身長が高く背がまっすぐと伸びたその仮面の女性を、リュシーは静かに侍女長と呼んだ。
女護は顔の全面を覆う仮面をつけている一方、侍女長の仮面は目と鼻上までが覆われている形となっている。飲み物も飲めるし、女護の仮面よりも蒸れなさそうだ、というのはリュシーの意見だ。
侍女長を見ると、女護は連れておらず、一人に見える。どういうわけかは解らないが、捕らえられる心配は減った。侍女長の周りを確認し、冷静に考える。ただ不安は尽きず、手に汗をかく。殿下には申し訳ない。
「何を、なさって、いるのですか」
侍女長の唇は感情を示しておらず、ただ平坦な言葉を口にしている。出た言葉が敬語であるため、おそらく殿下に言っているのだろうと考え付いた。
だが、ここで殿下を喋らせるわけにはいかない。リュシーは一度手を強く握ってから口を開く。
「侍女長、この方はセルリア様です」
「なにを」
侍女長が不審げな目でリュシーを見る。だが、リュシーはそれに臆さず、侍女長の言葉を途切れさせる
。
「セルリア様という、女性です」
女性、と言う所にリュシーは力を入れた。男子禁制という、決まりにはなにも触れていない事を盾にとってみせた。
ついでに、というように、リュシーはセルの肩を掴み、そのドレスに包まれた体を侍女長に見せつける。言い訳としてはシンプルで率直で、なんのひねりも無い。ただ、証拠はあるという証明だ。
セルからすれば守られているのか辱めを受けているのか解り辛い。先程の頼れる力強さは幻だったのか。
リュシーがそこまですると、また廊下が痛いほどの静寂に包まれた。袋と仮面に挟まれたという事実にリュシーは今更気がついた。どんな状況なんだろうかこれは。袋に関してはどこまでも自業自得だ。
時間とすれば、その沈黙はほんの一分ほどだっただろう。リュシーには酷く長く感じたが。
「ふっ」
侍女長から、息の漏れる音が聞こえた。何事かと見れば、口を押さえ、肩が震えている。簡単に言えば、笑っている。
「……侍女長?」
「ああ、ごめん。別に、捕らえようと、したわけでも、尋問を、しにきたわけでも、ない」
唇の端を吊り上げ、さもおかしそうに言う侍女長にリュシーは困惑した。短い言葉言葉で途切れる癖のある話し方は、紛れも無く侍女長だが、なぜこんなに機嫌が良さそうなのか。
そんな困惑したリュシーを見て、侍女長は殊更楽しそうな笑い声をあげた。
「たしかに、何を、企んで、この侍女仕部に、乗り込んで、いらっしゃったのか、警戒を、していたのは、本当です、よ」
そう言う侍女長に、殿下の手が僅かに動いた。殿下がこの侍女仕部にきたのはあくまでも偶然だが、一体ここには何が隠されているのだろうか。リュシーはかすかに疑問を覚え、侍女長の言葉に口を挟まない。
「それで、見に来て、みたら……袋っ!」
「それについては何も言わないで下さい」
口は挟まないつもりだったが、あんまりな言い方に反応してしまった。指を指して笑われそうな勢いだ。リュシーは気持ちがかなりやさぐれた。
「殿……今は、セルリア様、ですか、の、今の状況を、どう見ても、侍女仕部に、仇なすとも、思えませんし、とりあえず、話しかけて、みたくなっただけ、なのです。確かに、男子禁制の、決まりを破っては、無いようだし、ね」
そんな軽い気持ちで話しかけて欲しくは無かった。握った手は汗ばんでいて気持ち悪い。今となってはどちらの手の汗かもわからない。
「じゃあ、もう行っても?」
ため息すら吐きそうに、だが、少なからず安心した様子でリュシーは侍女長を通り過ぎようとする。できることなら、もうそろそろ殿下を外に出してあげたい。
侍女長は、特にそれを止める様子も無く、ただ楽しそうにその様子を眺めていた。
ただ、去ろうとする背中に声を掛けられた。
「セルリア様。今、あなたが不用意に動けば、王宮はおそらく血を流す事になることをお忘れなきよう」
いつものように、短く区切られていないその言葉が、侍女長の声には聞こえず、強く違和感を覚えた。セルは言葉に対し、何を思ったか手に強く力を入れた。痛い。
リュシーは空気を読み、痛いのを我慢した。
侍女長が手を回しているのだろう、外に出るまで、他には誰とも出会わなかった。
侍女長は全てを知っている風だったが、何者なのだろうか。私が国家機密を知っていることもおそらくわかっているのだろう。
今までは近くにいたため、凄い人だ、と軽く思っていたが、今回のことで底知れぬ人となってしまった。尊敬する気持ちは変わらないが、同時に恐ろしい人だとも思った。
だが、この件で本当に侍女長を警戒したのは、私ではなく、殿下だろう。その事に関しては、私が考える事じゃない。リュシーはそう考え、この件については忘れることにする。
外についてから、リュシーはセルがもともと着ていた服が入った袋を手渡す。
「無事に……とは言いがたいですが、外に出れてよかったです」
「ああ。昨日から世話をかけた。心から感謝させてもらう」
そういってセルはリュシーに頭を下げる。外は明るい。
「もうセルリア様でないのですから、頭を上げてください!」
いつの間に戻ったのか、セルの胸はまっ平らだった。それを見て喜んだリュシーは、かなり思考が鈍っている。
「だが、他に出来そうな礼も思いつかなかったからな。というか、この格好でそれを言われるのか……」
ピンクのドレス(フリル)をまとったセルは、袋の中で盛大に顔を歪めた。男に戻っても、体がドレスを着用している違和感が無い事が、中性的と言われる所以だ。筋肉が見てとれず、細い体はコルセットが苦しいと悲鳴を上げているくらいだ。
「本当は礼がしたいから名前を教えて欲しいんだが……」
「嫌です無理です拒否です拒絶ですさようなら」
一目散に去ろうとしたリュシーの腕を掴み、セルはため息を吐く。見えていないはずなのに! とリュシーは心の中で舌打ちした。
「と、言うと思ったぞ。ドレスはいいのか?」
「そんなの着ませんから!」
そんなの、を殿下に着せているリュシーの性格は実にわかりやすい。本人はリサイクルだと本気で思っているからまた性質が悪い。
「本当にお前は女性だと思えないほど見ない性格をしているな」
「それは殿下に権力があるから知らないだけですって」
昨日か今日かもわからないが、こんな会話をしたのは二回目だな、と思う。
「だが、初めて会った気もしないのが不思議だ」
「……そうですか。口説き文句ですか私にフォーリンラブですか」
そりゃあな!と思うのはリュシー側だけだ。顔を合わせるだけの付き合いだけは非常に長い。とりあえず冗談を交えて話を逸らす。
「口説き文句……なら良かったんだが、残念ながらお前に昨日から全くときめかなかった」
袋の中でセルは真顔だった。その顔を見ていないが、リュシーは声音で真顔である事を感じ取った。
「ときめいて欲しいとは思ってませんでしたけど、その言い方は酷い!」
ベッドでは隣同士で座り、手を繋いで歩き、つり橋効果満点な行動をともにしたのに! と、嘆くが、リュシーも実は全くときめいていないので、実はおあいこだった。状況を考えれば、常にどちらかは袋だったため、ある意味では仕方ない。
「だが、出来ればまた会いたいな」
そんなセルの不吉な言葉に、リュシーは今日もどうせまた会いますよ、とは言わなかった。
「侍女仕部に来て偶然に会えれば会えますよ」
「それは遠慮したい」
セルは肩を竦めて笑った。
「迷惑をかけて申し訳なかったが、楽しかったぞ。また会える事を期待しておく」
最後にそう言ったセルは、袋の中で小さい頃から変わらない笑顔をしているんだろうな、と思うと少し残念だとリュシーは思う。すぐにまた会うのだけれど。一方的に。
ここから帰るときに、袋を脱いでそのままの服で帰ったら、『殿下、女装趣味!?』という凄い噂が立ちそうだ。そう思ったが、そのあたりは関係ないか! と、リュシーはかなり無責任な事を考え、長い一日だったとベッドの上でつかの間の惰眠を貪った。
徹夜明けのため、かなり辛い一日になりそうだ。
それはきっと、殿下も同じなのだけれど。リュシーは先程まで一緒にいた人に思いを馳せる。
――実際に喋ってみると、見てた以上に天然だったな……
そこまで考えたところで、リュシーの意識は途切れた。