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6.殿下の話。

 部屋にあるもの。作りかけの人形、人形を作るための材料、棚、クローゼット、机、ベッド。

 ここは三階。脱出経路は窓から飛び降りる事を考えたくないので、殿下が背にしているドアのみ。


 そう考えながら、とりあえずリュシーは極力音を立てないように、ベッドの上から降り、クローゼットがある横に移動した。


 ベッドは扉の目の前だったため、これで少し距離ができた。だが、それだけで安心してはいられない。そう広くもないこの部屋では、どこでも容易く視界に入ってしまう。


 息を落ち着かせるために、座り込んでいたセルの体は、既に落ち着いている。まだリュシーに気がついた様子はない。


 このまま落ち着かれた場合、すぐにここから出ていってくれるならいい。でももし、朝まで居座られたら? ……それはまずい。どこで見つかるかもわからない上に、音を出すこともできない。終わりが解らない状態で気付かれず、耐えていられる自信がない。



 そもそも殿下は仕部館には不馴れのはずだ。リュシーはそうあたりをつける。


 仕部館とは、この王宮で住み込みで働く人が寝泊りをする館で、セルほど身分が高い人間はまず近づく必要がない。特にその中でも、侍女仕部は男子禁制。


 今日さえ顔が見られずに乗り越えられたら、いける、気がする。そもそも殿下は今女性だ。顔さえ覚えられなければ、公にはできないので、安全は守られる。



 何が部屋にある、何が。顔を隠す事ができるものは。


 ふと思い付いたのは、帽子だ。深く被る事が出来るものがあったはず。だが、この暗闇ですぐに見つけられるだろうか。

 さすがにクローゼットを開ければ、音で気付かれそうだ。いや、ベッドからの移動でも大なり小なり音は出たはず。それでも気づかれないのなら。


 時間が立つにつれ、思考が働き、逆にリュシーの体は保身と緊張で動かしにくくなってきた。

 どれほどの音でセルに気が付かれるのか検討が付かず、なかなか行動に移せない。指先まで心臓になったかのように、体全体が緊張していた。


 クローゼットを開けて見つかった場合、行動を制止される前に、帽子を見つけて顔を隠す。

 かなりリスキーだが、もしかすると、気付かれない上、すぐに帽子が見つかるかもしれない。どちらにせよ、このままいても仕方ない。

 リュシーは意を決し、クローゼットへ手を伸ばして行く。


「くそっ、情けない」


 決して大きくはないが、急に発せられた、戸惑いと憤りが混じりあったかのようなセルの声に、リュシーの緊張の頂点に達していた体は大きく跳ねた。


 クローゼットに伸ばそうとしていた手は、驚いた拍子に大きくぶれ、隣の棚にひどく打った。その衝撃で、棚の上にあった人形の材料を詰めた袋が勢いよく倒れる。

 そのまま、紙袋は特有の大きな音を出しながら棚の上から落ち、これまた大きな音で中身を散乱させた。それは、リュシーの存在を十二分に主張してしまうこととなった。


「何者だ!」



 痛かった。痛かったが、それどころではない。袋を倒した瞬間から、リュシーはパニック状態になった。

 それでもリュシーの脳に送られた最重要命令は、なんでもいいからとにかく顔を隠せ。


 リュシーの足下には、大きな、そう、具体的には頭がすっぽりと入りそうなくらいの大きさの、倒れた紙袋。



 最重要命令は、即座にリュシーを屈ませた。ガサガサと、袋の音が鳴り響く。


 そして、リュシーは立ち上がり、セルの方に体を向けた。ガサガサうるさい袋の音が、一番よく聞こえているのはリュシーだ。耳元で少し動くたびに鳴る音がうるさい。


 視界は、薄い紙ごしの、誰かの影がある、くらいのことしかわからないが、それが逆に安心させてくれる。



「何だ、お前は」

 戸惑った殿下の声が、やけに遠くに感じる。いつも聞いているよりも高い、綺麗な声だ。そう考えることができるまでの余裕ができた。


 なにかをやりきった気持ちになり、リュシーは今ならどこまでも強気に出れそうな気がした。



「……袋……ンヌ。そう、私はフクロンヌです。怪しい者じゃありません」



 人はそれを、やけくそと言う。




 静寂が部屋を包んだ。侍女長のネーミングセンスに物申したリュシーだったが、人のことを言えないというレベルではない。同等、いや確実にそれ以下だ。


 怪しくない、という言葉をどうすればここまで怪しく出来るのか、というほどに怪しい。


 だが、セルは名乗ったことに対して、少し安心したように、張りつめていた空気を霧散させた。

 片膝立ちになり、左手を服の下、腰辺りに入れていたセルは、手だけはそのままに、立ち上がる。


「フクロンヌ……変わった名だな」

 えっ、信じるの? やけくそになったリュシーは、即座に正気を取り戻した。平静に受け取ったセルの度量は広い。


 じわじわと、リュシーが自分で言った言葉にダメージを受けていると、セルは言葉を続けた。


「その特異な格好を見るに、私を狙ってきたジョーカーでは無さそうだな。なぜここに?」


 普通に交流を図ろうとするセルに、リュシーは心中でかなり引いた。なんだこの人。

 それ以上に、引くような格好をしているのは自分だということに、リュシーは今気がつけていない。


 ジョーカー? 聞いてない聞いてないそんな物騒な言葉。そしてリュシーは何時もの聞かなかった振りをする。


「なぜと言われましても……ここは私の部屋です」


 なぜ殿下はこんな袋と冷静に話しているのだろうか。暗い部屋でこんな袋がいれば、確実に変質者なのに。いや、叫ばれても非常に困るのだが。

 実際に困るのはセルだが、心に傷が残るのはリュシーだ。


「そうか……それは申し訳ないことをしているな」

「はい」


 顔が解らないから、とでも言うべきか、リュシーはかなり不遜な態度だ。こういうときだけ強気に出るのが、逆に彼女の気の小ささを物語っている。もしくは人間性の小ささか。


「すまんな。すぐにでも出ていこう」

 踵を返したセルに、リュシーは驚く。


「え、そんなにあっさりでいいんですか?」


 引き留める気はなかったが、あまりにもあっさりと部屋を出ていこうとするので、思わず声に出してしまった。


 殿下は今自分が女だと気付かれていないと思っているのか、そもそも殿下だということに気づいていないと思われているのか。疑問に思う事が多いが、せっかく出て行ってくれるというのに、声をかけてしまった自分を悔いる。


「どんな理由があろうと、夜分に婦女子の室に無断で入るなどと無礼をしてしまったのだ。早急に部屋から出るくらいはさせてもらう。騒がせたな」


 そうして首だけこちらに向けて話すセルに、罪悪感が酷く疼いた。リュシーは保身が第一なだけで、別に冷たいわけではない、はずだ。


 将来恐らく国を背負うであろうセルを危険に合わせたいわけではない。国民として、尊敬も応援もしている。


 セルが扉を開けるギリギリのところで、悩みに悩んだリュシーは声をかける。


「……あなたの、お名前は?」

「なんだ?」

 唐突なリュシーの言葉に、訳が解らない、という風に聞き直すセル。だが、リュシーは尚も同じ言葉を続ける。


「あなたの、お名前は?」

「……知らぬ訳もないだろう?」

 こんな姿でもな。そう言いたげに体を振り向かせ、その華奢な体をセルは肩をすくめて見せた。そんなセルに、リュシーは同じように肩をすくめてやった。


「知りませんね。だってここは男子禁制です。あ、ちなみにフクロンヌは偽名ですので。……あなたのお名前は?」

「偽名なのか」

「あたりまえでしょう。……何ですかその残念そうな声」


 繋がっていないように聞こえるかもしれない。まあ、罪悪感からでた、こちらとしてもギリギリの配慮だ。これでわからなかったら、もうそのまま出て行って頂こう。


 保身を第一とするリュシーとしては、これでもかなり、今までで一番、身を投げ出したつもりだ。


 セルは、リュシーの言葉を聞いて、何か思うところがあったのか、少し戸惑ったような顔になった。

 自分で言っておいてなんだが、気づかれたことに、ちょっと舌打ちしたくなった。このあたりの矛盾は、複雑な乙女心としておこう。


「……セル……リア。セルリアと言う」


 そのままだけど、まあ及第点か。リュシーはそう考えたが、フクロンヌと名乗るのとセルリアと名乗るのと、どちらがまともかは押して知るべきである。



 名乗られたリュシーは、綺麗に礼をとって見せる。丁寧な礼は、頭の紙袋で見事に台無しだった。

「セルリア様、ようこそ侍女仕部に。なにもない室ですが、どうぞおくつろぎ下さい」


 見えないと分かっていても笑顔で話してしまうプロ根性は外ににじみ出ていたのか、セルも困ったような顔でだが、かなり表情を和らげ、長く服の下においてあった手を、漸く抜いた。


 どう遠慮がちに見ても怪しい袋相手に、少しでも警戒を解くセルは、確実に世間一般の感覚から外れている。

 

 

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