5.呪われた体の話。
肩で息をしていた侵入者に、見覚えがありすぎたリュシーはとりあえず棒を降ろした。
どうしてこんな事になったのか。ちょっと最近の盛りだくさんなイベントに、リュシーの頭は付いていけていない。
本当は、即座に叫べば良かった。誰とか考える以前に叫んでおけば、こんな展開にはならなかったはずだ。なぜ冷静に棒なんか構えて応対しようとしてしまったのか、悔やんでも悔やみきれない。
目の前の侵入者――セル・ヴァーグ殿下に、リュシーは恨めしい目を向けた。
だが、ふと、その姿に違和感を感じる。
毎日のように姿を見ているので、そのほんの少しの違和感は、挙げていけば確実なものとなる。
たとえば、いつもよりも小さく感じる身長。
たとえば、いつもよりも小さく感じる肩幅。
たとえば、ただでさえ細い腰が、もっと細く見えるだとか。
たとえば、体の線が、まるで女の人のように――
暗闇に慣れた目で、さらに月の光までもが味方し、リュシーに情報を与えてくれる。
何かを思い出したかのようにリュシーは、窓から見える月を見た。爛々とする月が、丸い月が、見えた。
リュシーは、知っている。話を聞いた事がある。
覚えていないわけが無い。その話を聞いてから、自分の存在感に疑問を持ったのだから。
衝動的に思い出した記憶が、頭に一気に広がり、フラッシュバックする。
―――
天気が良かった。窓から見る少し遠くの町の景色は、活気があり、騒々しいように見える。
「俺は、母上に嫌われていたからな」
活気がある外とは逆に、王宮のとある一室は静かだ。
ただ一人、言葉を発しているのは、この国の王位後継継承権第一位を持つ、セル・ヴァーグだ。年はまだ10を数えたばかりで、目が大きく、顔は小さくて白い。銀の長い髪は窓からの日で、目に痛いほど美しく、その容姿はまるで作り物の人形のようだ。
そんな彼の声だけが響く室内は、それ以外の音がほとんど無く、ただ彼の声を正確に届けてくれる。
「理由は知らないが、もしかすると本当に――不義の子なのかもしれないな、俺は」
そう言ってセルは、一緒に机についている二人に、自虐的な笑みを顔に浮かべて見せる。
目の前の二人――セルにとっては幼馴染のようなものである二人は、何とも付かない顔で視線を返す。
何を言えばいいのか、図りかねているのだ。幼馴染と言えるほど一緒に居ても、全てを知っているわけではない。初めて聞かされた話に、全く戸惑っていないということはない。
湯気を立てていたお茶も、誰にも飲まれることなく、今はすっかりと冷め切っている。
「お前らは、俺がもし、王家の血筋を引いていないとしたら、俺の元から離れるか?」
手を握り締め、痛ましい顔で言葉を放つセル。揺れた眼は深い新緑の色で、目の前の二人を移している。
「僕は、セルの血にしがみついてるわけじゃない」
「俺は、お前に流れてる血を守りたいわけじゃねえよ」
静かな室内で、セルの目の前に座った二人は、的確にセルのほしい言葉を返した。
当たり前のように返される言葉に、セルは胸が痛くなる。嬉しくないわけがない。求めていた言葉を思う通りに返せてもらえたのだから。
だが、それでも不安はつきない。
「だが俺はっ、今日だって満月で、こんな身体で。その上、王家の血を引いてなければっ俺なんて、」
セルの言葉が止まる。いや、正確には止められたのだ。つい先ほどまで手が付けられていなかったはずのカップが二つ、空になってセル以外の二人の手元に納まっていた。
「いやあ、ごめんね。手が滑っちゃった」
「あー俺もちょっと盛大に手がつったわ」
わざとです。と言った方がましだと思えるほど、わざとらしく言う二人。
一人はあからさまに茶ァぶっかけました、と言う姿勢を崩してないし、もう一人は頬杖をついていて、謝る体すら取る気が無いのが見て取れる。
「……オイコラ、白々しいにもほどがある! いっそ隠す気がなさすぎて清々しいわ!」
セルは暗い空気も忘れ、顔を崩した。その顔と髪は見事に濡れている。一応俺殿下なんだけど偉いんだけど、とは思ったが、その言葉がなんの意味もないとわかっていたので無駄に言葉を連ねることはしなかった。殿下ってなんだったっけ。
「あのさ、」
茶ァぶっかけました姿勢の方が、セルを睨みつける。
「なんなんだよさっきから。うだうだうじうじうだうだと!」
お茶をかけたわりになんの反省も見せないどころか、睨まれてキレられた。まるでお前が全て悪いんだと言われているようだ。いやたぶんこいつなら言ってのけるはず。
「いや、そんなに言っていな、」
あまりといえばあんまりな言葉にセルは言い返そうとする。が、
「うるさいよ。返してほしい言葉をそのまま返してあげたのに、まだ不安なの」
追撃は辛辣で的確だ。自分の考えている事を読まれていたようで、やけに恥ずかしい。セルは口を開いて閉じて、と何も言えなくなった。
「血とか、体とか。ほんとどうでもいいよそんなの。なんなの血じゃなけりゃ今度は僕らが体目当てだって言うのか」
「ちょ、その言い方俺も嫌なんだけど」
黙っていた方もさすがに口を挟む。なかなかにマセている。
「うるさいっつってるだろ。一回は我慢してやったけど、もう耳あたり良い言葉なんて使わないよ。よく聞け」
どこまでも上から目線だ。誰がこんな性格にしたのか。時の流れは残酷だとセルも無視された方も思った。
「お前の血が泥で出来てようと、たとえ、お前の腕が3本あって目が6個あって足が4本あるとしても」
なにその微妙な具体例。すごくこわい。セルともう一人は想像して顔をゆがめた。というか、一応王族の血を泥とまで言い切る潔さが半端ではない。
「僕はお前にしがみついてやるよ。そんなお前でも、王にしたてあげてやる」
「……そんなんを王にしたら、暴動どころか革命が起こるぞ」
あまりに自信を持って言うので、思わずセルは笑ってしまった。確かに耳あたりは悪いが、飾らない分、心に響いた。
「起こさせるわけないよ。恐怖政治するには十分な見た目だろう?」
「笑えねえ!!」
あはは、と笑うのは口だけで、目は細められてもいなかった。こんなやつがいる国の未来が不安だ、とセルは思ったが、何一つも他人事でない。これからの事を考えて胃が締まった。
「まあ、そうだな」
黙っていた一人が、セルに向く。
「綺麗に纏めてやったのに、それを信じないんじゃ、綺麗事言う必要はねえな」
歯を出して、まるで悪巧みを考えているような顔でそう言われ、セルはまた落ち着かない気持ちになった。
不安に思った気持ちも、返して欲しいと思った言葉もその通りで、言い返す術が無い。自分はそんなにも解りやすかったのか、と身の置き場が無い羞恥心に苛まれた。
「まあ、お前が一生そのまんまなら、俺が女装して嫁になってやるよ」
ふふん、といった感じに笑う、既に二人よりも頭一つ分身長が飛びぬけている少年。それに、
「無理だろ」
「無理だね」
返された言葉はにべも無い。
「うるせえ! こういうのは心意気なんだよ!」
別に本気でそう思っていたわけじゃないのに、一蹴されるのはなんだか面白くない。
「いや、まずお前の気持ちが嬉しくもなんとも無い」
「そんな趣味があったんだ……頼むから金輪際僕の側に寄ってこないでね」
セルともう一人は心底嫌そうに言った。見事に孤立無援となっている。
「俺だって嫌だっつーの! つーか俺の優しさ!!」
机に突っ伏して泣きまねをし始めたのに、面倒だなこいつ、と頭上ではアイコンタクトが行われた。
「でもまあ、そうだね。いざとなったら、僕を娶るかい?」
「……お前までそんな馬鹿な事言うのか」
「まあ冗談だけどさ。でも、そうなったらなったで、面白いと思わない?」
自分は金輪際近寄るなとまで言っておいて、全力で棚に上げたな、と思いながらセルは苦笑いした。
「お前らと婚姻を結ぶくらいなら、独身を通すぞ。俺は。だが、まあ、」
――セルの身体は、呪われている。それは、父王すら知らない。満月の日になると、夜が更けるにつれ、少しずつ女性化していく身体。それは、紛れも無い、今は亡き、美貌の母親からの呪いだった。
朝日を受ければ、身体は自然に男に戻る。だが、それまではセルの身体は完全な女性となるのだ。
王になるには、致命的な欠陥。この国では、女王が立った歴史も、そもそもそんな考えも存在しなかった。それに、こんな可笑しな身体が国民の理解を得られるとも思えない。
セルは、この呪いを解呪できる方法を、必死に探していた。この呪いを解くことができるなら、死んだ後、死神に魂を売ってもいいと思えるほど。
だが、こんな身体でも、こいつらには『面白い』の一言で済まされるんだろうと思った。いや、無理やりに、思わされた。
「なったらなったで面白い……確かにな」
婚姻は断固拒否だが、ともに歩く未来は確実に退屈しないだろうな。セルはその言葉を言うのは照れくさく思い、温かいお茶とともに喉の奥へと流し込んだ。
―――
――さて、どうするべきか。
殿下の胸には、よく見ると存在を主張する膨らみが二つ。
懐かしい記憶は、温かいくせに、今のリュシーに何も優しくない。
本当にどうしたらいいんだろう。
長い回想を終え、現実に戻ってきたリュシーは、不可抗力にともに歩かされている現在を、面白くもなんとも無い気持ちで、ただ途方にくれていた。