4.侍女と侵入者の話。
リュシーは聞かなかった事にした。
幻のお茶淹れ侍女? そんなファンシーな言葉が存在するはずがない。聞き間違い、幻聴。きっとそのどちらかだ。
それにしても、痛々しい幻聴が聞こえてしまった。疲れているのだろう。
そういえば、最近はあまり夢見が良くない。三日間、殿下側付き様の(人形の口を縫う)夢を見てしまい、毎回寝ぼけて縫っていた結果、今となっては、顔部分が完成されようとしている。無意識って怖い。
このまま、いつのまにか胴体を縫って、最後に口と口を縫ってしまうのだろうか。人としてあまりやりたくない。人道として間違ってる気がする。まあ、あの時の発言が無くなるんだったら縫いますがね!!
リュシーの道徳観念は案外簡単に折れる。
「なんでも、殿下たち三人のお茶淹れとして専属のお茶淹れさんがいるらしいんっスよ!」
現実逃避してまで聞かなかったことにしようとしたが、クレアの追撃は鋭い。
今ほど自分のポーカーフェイスという名の無表情が有難いと思った事はない。リュシーは自分表情筋に感謝した。
こうなれば、とことん情報を知っておこうと腹を括る。
というか誰だ。幻のお茶淹れ侍女なんて名前をつけたのは。絶対に呼ばれたくない、そんなファンシーな呼び名。心の中でリュシーはかなりやさぐれた。
「へえ……そうなんですか。たかだかお茶淹れに、なんでそんなに不愉快な、いえ、面白いあだ名が付いたんですか?」
本音が出かけたが、なんとか平静を装ってリュシーはクレアに聞く。彼女の心の中は平静とは程遠いが、見た目だけであれば、何時もの無表情だ。
そんなリュシーに、珍しくまともに話しに乗ってくれた、とクレアは上機嫌で話を続けてくれた。
この二人は何時も微妙に噛み合っていない事が多い。
「たかだか、って、殿下たち専属っスよ! 顔よし、頭よし、地位あり、相手なし! な、国を揺るがすほどの人気を持った殿下たちっスよ! そんな殿下たちの傍に大義名分持って近寄れるお茶淹れなんて、死ぬほど羨ましいじゃないっスか!!」
クレアの熱弁に、じゃあ変わって下さいお願いしますという言葉を寸で飲み込み、リュシーは先を促す。唇が震えてなければいい。
というか何なのだろう、そのお買い得感溢れるキャッチフレーズは。
「とりあえず、クレアのミーハー根性は伝わってきました」
クレアの頭をひっぱたいておきたい衝動をおさえ、リュシーは疑問を覚える。
三日。運が悪ければ、何か感付いた殿下方に疑問を持たれ、少しくらいは探されるかとは考えた。だが、殿下や他二名が動くには、三日という短時間でも、噂がまわるには遅すぎる。
クレアが言うのは過大評価も過ぎるが、地位と顔によって、絶大な人気があるのは事実だ。そんな噂の立ち方をして、リュシーの耳に入らないわけがない。
「……クレアは、どこでそんな話しを聞いたんですか?そんなこと全然知りませんでしたよ」
これが誰それから聞いた……等であれば、情報元はつきにくそうだ。それでも、自分のために情報が必要だ。見事な保身精神で、リュシーは甲斐甲斐しくも情報を集める。
「侍女長さんっス」
なんとも思っていないような顔で普通に答えるクレア。情報元も何も、最初っから大元だった。
……侍女長!! 侍女長!! 侍女長!!!!
痛々しいとか不愉快とか思ってすいません!!でも案外メルヘン趣味なんですね!
確かに私のことを言わないで欲しいとは言いましたが、幻のお茶淹れとか、そんな二つ名いりませんでした!!
予想外の人物の裏切りに、リュシーは床に膝をついて絶望したかった。だが、クレアの前でも不審な行動は出来ない。
今の所楽観的に行動はしているが、命がかかっているかもしれないのだ。理不尽に。
「…………そうなんですか。でもなぜ、わざわざ侍女長がそんな話しを?」
「最近入ってきた新しい方で、すごいお化粧の派手な方知りませんっスか?」
そう言われて、リュシーは最近の記憶を辿る。そう言えば1人、侍女として入ってきたばかりの、かなり化粧の濃い人がいたはずだ。年齢を聞くほど親しくはなかったが、化粧が濃いせいでかなり年上に見えた。
「ああ! あの意外と名前は地味な」
「そうっス! あの意外と名前は地味な方っス!」
二人とも言わないが、名前が思い出せていないようだ。化粧が濃い、ということと、名前が地味ということしか出てこない。
「あの方が、さっき侍女長に、誰が殿下たちのお茶淹れをされているのですか、という質問をしたんスよ」
「ああ……それはまあ、ありそうですね。」
年齢は知らないが、結婚適齢期か、それより上に思えた彼女が、殿下たちに近づきたいと思うのはなんとなく想像がついた。
ちなみにこの国で一般的とされている結婚適齢期はだいたい18歳から22歳だ。
「最初は、侍女長さんも教えられない、守秘する義務がある、と答えてらっしゃったんスけと、名前だけは地味なあの方が、どうしても引かなかったんスよ」
「でも、侍女長もかなり頑固な人ですよね?」
でなければ、リュシーのお茶淹れのことなど、とっくに周知となっていたはずた。
まあそもそも、侍女長が頑固で口の堅い人でなければ、リュシーはお茶淹れなど受け入れていない。
「そうなんスけど、今回は周りが、名前だけは地味な方の味方したんス。前々から、殿下たちのお茶淹れかについて、幾度となく聞いている方も、交代を申し出ていた方もいたみたいで」
少し上を向いて、思い出しながら話すクレアは見ていなかったが、リュシーの眉が潜められた。
クレアは気付かず話を続ける。
「それでも、さすが侍女長さん、なにも答えなかったんスよ。でも、名前だけは地味な方が、『わたしくの方が、名前も出さないような方よりも、数段美味しくお茶を淹れられる筈』『殿下たちに出すなら、最高の味を』みたいなことを」
リュシーの潜めていた眉が下がる。先がわかってしまったからだ。
侍女長……ああ、侍女長……
『あの子ほど美味しいお茶をいれる子は知らない』
『殿下方には専属お茶淹れがいる』
『殿下方も、彼女の素性は知らない。まるで幻のような侍女』
『お茶淹れをしたければ、彼女よりも美味しいお茶を淹れることができるようになりなさい』
真実、私のお茶のファンと言って下さる気持ちも、その言葉が全く足りない所も、大っ好きですが、直して下さいお願いします私のために!!
『まるで幻のような侍女』
全てを知る人からすれば、この言葉は足りないどころか、すっきりそのまま当てはまってしまう事を、彼女は自覚していない。
話を全て聞いた後、クレアには無難に、その方のお茶を飲んでみたいですね! と言って別れた。
心の中で、毎日飲んでますけどね!! というツッコミは忘れずに。
それから他の侍女三人に、幻のお茶淹れ侍女を知らないかと聞かれ、リュシーは聞くたびに恥ずかしさで穴に潜り込みたくなった。自分で名乗ったわけでもないのに何この恥ずかしさ。
そして、クレアはミーハー根性が丸出しで、羨ましいですね、とまるで他人事だったが、他の三人は、見つけ次第、お茶淹れ勝負を仕掛けようとしていた。なんて平和そうな勝負だろうか。
その日も日中は、その話題以外、通常通りに終わった。
心身ともに非常に冷えたが、確定的なことは何も無かった。その事実に、リュシーは肩の力を抜くことができた。
身体も清め、後はもう寝るだけだった。
部屋は一人部屋の作りで、年頃の娘にしては物少なに感じられる。特に装飾品もなく、唯一あるのは作りかけの人形くらいのものだ。
今日も、変な噂は出たが、きっと大丈夫。
殿下方も、なんのアクションもない。
だからきっと明日も大丈夫なはずだ。
リュシーはベッドに入り、ただ宙を見つめて思考に耽っていた。
静かな時間が過ぎ、思考が眠りに入る――その時、扉が大きな音を立てて開けられた。
その音にリュシーは飛び起きた。
瞬間的に不鮮明な思考から覚醒するのに、扉の音は十分すぎるほどだった。
賊か、不審者か! とリュシーは枕の下にある長い棒を掴み、膝をついて立ち上がった。自分でも怖いほどに、リュシーは冷静に動けた。
長時間闇のなかに居たため、窓から入る月明かりだけでも視界は十分だ。
扉は閉まっていた。閉まっていたと言うよりも、閉められていた。その侵入者によって。
侵入者は扉を背に座り込んでいる。扉を開けて部屋に転がり込み、即座に扉を閉めたのだろう。肩で息をする侵入者、もしくは不審者。
リュシーは注意深く相手の行動を伺う。が、相手は動かない。
相手を見ると、銀の髪が月明かりを浴びて輝いていた。それに思い当たる事があり、リュシーは目を凝らして顔を見る。リュシーの体が凍った。
どれだけ時間が経ったか、リュシーは極度の緊張で解らなかったが、もう既に数分は経っただろう。
相手は何のアクションも取ってこない。
リュシーは一つの可能性に気がついた。
気がついてないんですか、棒すら手にしてるのに!!
なんという無視。