17.暗殺者から逃げる話。
『助けてあげる』
その言葉が嘘か真か。どちらにしてもすべき事は変わらない。リュシーは期待を捨てて自分のすべき事を考える。
これ以上ここにいるのは得策ではない。とにかくここから離れなければ。
煙は大分薄れたし、いつ人が来るか解らない。
幸いジョーカーはラウ……と名乗る人と剣を合わせている。金属が強い力でぶつかることで出る甲高い音は人を呼ぶのに十分だ。
既にジョーカーは目に異常が無いように動いている。まあそこは原材料・お茶の葉等、ということで仕方ない。
出来上がった一号をお茶と呼んでいいのかは解らないが。だが、材料はお茶の素であるし、お茶だろう。そうに決まっている。
リュシーは足音を潜めてその場を立ち去ろうと移動を始める。ラウには恩知らずであるように感じるかもしれないがこの場にいることは一番良くない。
まあ、どんな思惑があるのかは解らないが助けてくれると言うのなら今のうちに勝手に助けてもらっておこうと強か考えた。
数歩足を動かし、気付かれていないことを良いことにその場から逃げるように……いや、逃げるために走る。
まだ体はだるさが残っているが自分のために頑張れない程でもない。
後ろ髪を引かれるような思いは全然全くないため、気持ちとしては楽になった程だ。頬に当たる空気のなんと心地の良いことか。
振り向く事は一切せず、リュシーはこれでやっと自由の身になったと確信した。
ああ、眠い。今から帰れば数刻は眠れるかもしれない。いや、眠れなかったとしてもただ横になるだけで非常に心地よくなれるだろう。今日はいろいろあったが、忘れてしまうのが良い。今なら飛べる気がする。
「清々シク走るの酷くナイ?」
「いやだって、あのままあそこにいたら捕まりますし――、……え」
聞こえてきた声は気のせいだと思いたい。普通に応えてしまったが。リュシーはぎこちない動きで、走る体をそのままにすぐ隣を見た。
「キミ結構非道だよね」
疑問系でもなく断定だった。ただの侍女が怪しい男に非道宣言されるなんて、とても世知辛いな、とリュシーは思った。
だが、言われた言葉にそのまま反論するよりも重大な問題がある。
「えっ、なん、」
「だって、キミを守るのにキミから離れるのってなんかチガウよね?」
そんな事を聞いているんじゃない! リュシーは叫びたかった。だがそんな時間も惜しい。
「じょ、ジョーカーは!?」
「エ?」
後ろから音がする。荒い音。最初と比べると、まるで怒りがそのまま音に出ているかのような。
ラウの顔はひどく楽しげに歪み、
「ウシロ、だね」
甘い声で言い切った。この役立たず! と言いかけたのはなんとか飲み干した。さすがにそれを言うと殺されそうである。
それでもなんで相打ちとかしてくれなかったんだろうとどうしようも無い事を思う。リュシーの目から光がなくなった。先ほどの飛べそうな気分が一気に消え失せ、苛立ちが募る。
「どうせなら一緒に捕まって来てくださいよ!」
言わずにいられなかった言葉をラウにぶつけると、ラウはひどく苦い顔をした。
「ボク、なんでキミを助けなくちゃならないんダロウ……」
あまりの言い草に、ラウの目からも釣られるように光が消え、ポツリと溢した。今の二人の目を、死んだ魚の目と言うのだろう。
「ちょ、近い近い近いジョーカー近い!!! 音近い!!」
「足遅いヨー、捕まるヨー」
「ら、ら、ラウ? さん……? ラウさん! ちょっと後ろで斬り合ってきて下さいよ!」
「また名前忘れかけたデショ!? やめてよ! ボクの名前解りやすいんダカラ! 後言ってることヒドすぎるよ!」
「そんな事どうでもいいですから!!」
「そんなコトって……」
「グダグダ言ってる男はモテませんよ!」
「キミみたいな子を率先シテ助けるくらいならモテなくてイイよ!」
「この人でなしー!」
「キミがそれ言ウの!? ……モー! 仕方ないなア!」
くだらない言い合いをしながら必死に走るリュシーは、いきなり横から首をつかまれた。頭を下に向けられ反射的に振り払おうとしたが、腹部に腕をまわされ一瞬の後、浮遊感。――担がれた。
「ちょ、ラウさん!?」
ラウはリュシーが一人で走っていたよりも早い速度でジョーカーを引き離す。リュシーは担がれた事に動揺を隠せない。
「うるさいヨ! 耳元で騒ガナイで!」
余裕の無い顔をされたので大声はやめておく。落とされては困る。だが。
「これ絶対最初からこうしてたほうが早かったですよねっ」
これだけは納得がいかないという風に、リュシーが不満そうに呟く。それに対し、ラウは鼻でせせら笑った。
「キミが素直に助ケテって言ってればもっとハヤクこうなってたヨ」
「非道です!」
「……落トスよ?」
「……すいません」
「なんだろう、謝られたノニ苛っとスル」
「理不尽!」
助けてもらっているにも関わらず、リュシーが言うのは自分本位な言い分ばかりであることは、リュシー本人も気がついていた。
だが、相手に自分を任せてもいいのか判断する事に手を抜く事があってはならないと、リュシーは自分を律する。ただ、口から出る言葉が本来の目的から逸れていることには、気がついていない。
「で、これはどこまで行くんですか?」
言い合いが大分収束したあたりで、リュシーはラウに尋ねる。ラウは少し息の乱れが見えたが、その大きな原因はリュシーとの言い合いである。
「……キミもっと感謝トカ遠慮トカ知るべきだと思うヨ」
疲れたよう言うラウはもうリュシーに強く言うのも面倒になったようだ。簡単に言うと大分諦めた。
「あの方と、大分距離が出来ましたね」
追ってきていたジョーカーも、大分姿が小さくなってきた。
一人を担いでいるにも関わらず、これだけの速度で走ることのできるラウに少しも思う所がないといえば嘘になる。だが、今は気にしても仕方が無い。
「足を切りつけておいたカラね」
「……で、逃げ切れるんですか?」
物騒な言葉は聞かなかった振りに限る。話を戻してリュシーは何事もなかったような声を出す。これだけ走っていて誰とも会わないということは、どこかの圧力で人払いができているのか、ただの偶然か。
「そういえばココってドコ?」
ラウが聞き捨てなら無い言葉を発する。正直、助けてもらった恩も忘れ罵倒してみようかと思ったが、わざわざ怒鳴りあいで居場所を教えることは無いと踏みとどまった。だが思う。この人馬鹿かもしれない。
「……次の通路、右にお願いします。」
「キミ、今ボクのこと馬鹿だと思ったでしょ?」
ばれている。
「そ、ソンナコトハっ」
「ワザとらしい!」
「あ、そこ左で」
「通り過ぎてカラ言ワナイで!」
「あ、間違えたので一周まわってきましょう」
「もうキミを助けるのイヤアアアアアア!!」
気を抜くと信頼してしまいそうな自分を、リュシーは心の中で叱咤した。
「ふう……撒きましたね」
「ボクがね! 頑張ったのボクだけどネ!」
何だかんだいって余裕そうだったラウも気がつけばゼイゼイと荒い呼吸を繰り返している。
「お疲れですか?」
「キミが道を間違エまくったことを忘レタとは言ワセないヨ!」
「忘れました」
「キミ嫌イ!!」
今リュシーたちは王宮の中でも特に入り組んだ場所にある空き部屋にいた。
奥のほうの部屋は使われていないことがままあり、その内の鍵のかかっていない部屋は十分に覚えている。
ラウを無駄に走らせたのでジョーカーを撒いたことには自信があった。ラウは非常にお冠だが。
「アー……久しぶりダヨこんなに疲れたの」
息が整ってきて溜飲が下がってきたのか、ため息をつきながらラウは言った。
そんなラウを見てリュシーは竹筒を取り出してラウに差し出す。
「お茶飲みますか?」
「くれるノ? アリガ、」
ラウが受け取り、筒のふたを開けた途端、白い煙があふれた。ラウは即座に無言で閉めた。
「……これ、ビックリするほど煙でてるんダケド」
「あ、間違えましたすいません」
リュシーはそういいながら平然と新しい筒を取り出した。どこから出してるノ……と小さく呟かれた言葉にリュシーは答えない。
新しく受け取った竹筒を、ラウはもう開けようともしない。
「飲まないんですか?」
「キミの出す液体が飲みたくなくなったんだヨ……」
失礼な。とリュシーは思うものの、ラウのほうが一般論であることは間違いない。
「ズット思ってたケド何なの、さっきの液体……あんな濃イ煙が出るようなもの、どこで買えるノ……」
「自作のお茶です」
「ウソだ!! あんなのが飲ミ物なんてボクは信じナイ!」
「失礼ですね。お茶だからこそジョーカーの目も残念ながら時間が経てば開いていたでしょう?」
「スッゴイ充血してたケドね……」
「原材料にそんな有害な物なんて使ってませんよ」
「何ナノ、やっぱりキミおかしいヨ!」
怪しい危険人物であろう人におかしいとまで言われ、非常に切ない気持ちになった。
他愛もない話が途切れ、沈黙が部屋を埋める。本当に助けてくれたのだと、やっとリュシーは理解した。信用してはいけないとわかっているが、今は助けてくれた事だけを理解しておこう。
「今日は――助けて頂き、本当にありがとうございました」
佇まいを正し、リュシーは深く背を折り礼を言う。
一人でも助かっていたかも知れない。けれど、そんなものは予測でしかない。今は助けられ、助かったという事実。それだけが重要だった。
ラウは目を細め、面白いものを見るような目を向けてくる。リュシーとしても変わり身が早かった事は理解しているので、そんな目を向けられるのは居心地が悪い。
「急にしおらしくなられると、凄く……気持ち悪いネ」
「死ん、……失礼な」
「今キミがすっごい失礼なこと言おうとしてなかった? ……まあイイヨ」
耳ざといラウは不服そうな顔で聞かなかったことにしたようだ。
無駄口を思わず叩いてしまいそうなリュシーは口に手を当てる。そんなリュシーを見て、ラウはまたため息を一つ。
「キミは失礼ダ。ケド――でも、嫌いじゃないヨ。そんなに」
そんなにか。じゃあちょっとは嫌いなんですね、という言葉をリュシーはこらえた。何も言わないリュシーにラウは満足げだ。
「まあどちらにしても、キミを助けるのはボクの意思じゃナイから、本当は礼なんてイラナイけど。受け取っておくネ。そんなには嫌いじゃナイカラ」
もっと嫌いだったらお礼なんて受け取らなかったのだろうか。というかこの人どういう意味で言っているのだろうか。
そうは思うも、リュシーは何も言葉を言わない。問わない。
「ホンとはネ、敵だったんだヨ。ただ、キミは賭けに勝った。だから今は、ミカタになってあげる。キミがアノヒトの意思に反しない限りは」
アノヒトとは誰だろうか。今、何が起こっているのか。問いたいことは多くあるのに、何も聞くことが出来ない。この期に及んで、まだリュシーは何かに関わるのが恐い。決心が付かない。
そんなリュシーの考えを読んだかのように、ラウは楽しげだった。先ほどまで軽口を叩き合っていた人間とは思えない。
ラウは懐に手を入れる。リュシーは思わず身構えたが、ラウの取り出したのは小さな小瓶だった。それをラウはリュシーに向けて差し出した。
「コレはね、デンカの眠りを覚ますためのクスリだヨ」
そんなことを言われ、リュシーは慌てて小瓶に手を伸ばした。だが、小瓶に手が届くことはなく、ラウの小瓶を持った右手は高く上げられた。
それでもリュシーは上を向き、薬に懸命に手を伸ばし気がつけばラウの体にひどく密着していた。
ラウは上からリュシーの目を至近距離で覗く。
「よく考えて。これを使えば……モウ、他人のふりはできないヨ」
言われた言葉に、リュシーの手が怯む。少し下がったリュシーの手の中に、押し込むように小瓶が入れられた。まるで手を握るかのように、ラウの手がリュシーを囲う。
動くことの出来ないリュシーは、ただラウの顔を見つめ続ける。
「途中で逃げるコトは許されナイ。その覚悟ガ決まれば、使えばイイ。コレが最後の、選択できるときダヨ」
それは、リュシーには途方も無く重い言葉だった。
「……質問をしても、いいですか?」
まるで抱き合うかのような距離のまま、手を合わせたままリュシーは静かに聞いた。ラウは笑顔で頷く。
「今回は聞イテくれるんだネ。前みたいな質問はヤメテヨ?」
前回の質問を根に持っていたらしい。リュシーは頷く。
「今、王宮で何が起こっているんですか?」
「サイショから直球だネ。うーん、実はネそれはこっちでも把握しきれてないんだヨ」
首をかしげるラウに、リュシーは驚きを隠せない。
「何でも知ってるんじゃないんですか!?」
「ナニその期待。ちょっと面倒なことが起こってるノハ確かなんだけどネ。サスガに何でもは知らないヨ」
「非常に期待はずれです」
そういいながら、リュシーは少しだけ息をついた。安心するように。
この目の前のラウさんが元凶では、ないのだ。少なくとも今の話を信用するならば。
「キミもっと遠まわしに言うことを覚えた方がいいヨ。……まあ少しは関わってるケド、事を起こしたのは別に居るよ」
別にラウを全部信用できるわけではないが、とりあえず覚えておく。今は情報がなさすぎて判断ができない。
「『アノヒト』は、私になにを求めていらっしゃるんですか? それに反すれば、貴方は私を殺すでしょう?」
「ソレは、そうだネ。アノヒトの意思に反すれば、直グにでもキミを殺す。けど、まあ王子を助けるのはアノヒトが許してるヨ。薬をキミに渡す位だからネ。ある程度のコトは大丈夫じゃナイかな?」
適当な答えだ。結局、綱渡りのように行動をさせられるらしい。
「あなた方は……なにが目的なんですか?」
「そうダネ……ボクの目的はアノヒトの意思のままに動く事ダケ。アノヒトは」
ラウは言葉を切った。
何かを考え込むような顔をしたかと思えば、唇を噛み、眉間に皺を寄せ、何かをこらえるような顔をする。悔しそうな、悲しそうな、初めて見る顔だ。
「王に、全てを捧げてイルのカ、ソレとも、心中でもしたいのカ。ボクにも解らないヨ」
それがどういうことなのか、リュシーには聞くことが出来なかった。
決して、貴方何にも知らないじゃないですかなどと思ったり、ましてや言ったりなんかしない。思ってない。少ししか。
場を支配した沈黙に耐えられず、リュシーは質問を続ける。
「先ほどの黒い人。あの人はジョーカーで間違いありませんか?」
「ウン正解。でもアノ子は下っ端だからネ。キミ顔を見られたデショ? 気を付けた方が良いよ」
「……ジョーカーって」
「一人なわけがないヨ。アレは一族ぐるみだカラ」
少し気が遠くなる。あれで下っ端などと言うのなら、他のジョーカーには瞬殺されそうだ。
「…………聞きたいんですが、ジョーカーに会った時点で、私やばくないですか?」
「まあ、シツコク狙われるのは覚悟した方がイイね。基本的に姿を見たモノ殺スの思考だカラ」
なんて物騒な思考だ。軽く笑うラウに、リュシーは恨みがましい目を向ける。
そこで、初めてラウとの距離が近いような気がして、体を離した。ラウも何も言わずそれを許す。
手の中には小瓶。重さなんてほとんどないだろうに、それはリュシーの手の中であまりにも重かった。
ラウがふいに扉の向こうに目を向けた。特に音はしなかったようにリュシーには思えたが、ラウには何かが聞こえたような顔だ。
「ゴメンね、まだ聞きたいことアルのかもしれないケド、そろそろ行かなきゃ。質問は、次合った時にでも、またネ。その時はモウ答えられないかも知れないケド」
「えっ!」
「またキミを守るかどうかは、キミの行動しだいだネ」
急なラウの発言にリュシーは思わず声を上げた。まだまだ聞きたいことは多いのに。そんなリュシーにかまわず、ラウは扉に向かって歩いた。
そしてふと気が付いたかのように足を止める。
「ああそうだ、おまけでコレだけは教えてあげル。ジョーカーが動くのは国の要事……つまり王や国の命令のあるときダケ……ソレが周知されてる内容だよネ?」
振り向き、扉を背にしてラウがリュシーに語る。リュシーが考え、頷くよりも先に、ラウは言葉を繋げた。
「ケド、王がジョーカーにデンカを殺せなんていうわけがナイ。つまり、デンカが狙われるのは」
「ジョーカーを操る黒幕がイルのか、はたまた――ジョーカーの一族の意思か」
まるで面白いと言わんばかりの不適な笑みを見せた後、リュシーに手を振って扉に手を伸ばし部屋から立ち去るラウ。リュシーはラウを引き止めることもできず、ただその背を見送った。
リュシーは一人の部屋でため息をついた。ラウと名乗るあの人は勝手なことばかり。
だからきっとこれはリュシーのせいではない。
リュシーは確信している。
ラウさんは絶対に今迷っている。
迷子だ。
まあでもそんなに問題はないだろう。おそらく。
そんな事よりも、まずは目先の事だ。
青の小瓶を覗き込むと、中身の液体が揺れる。
頭の中に響く言葉を振り切り、早く帰ろうとリュシーも扉に手をかけた。
懐へ大切に、大切に小瓶を仕舞って。
今日も寝不足だ。辛い一日になるだろう。