14.夜半の王宮に入る話。
リュシーが動くと決めてから、2日が経った。王宮内では噂の影響か落ち着かないような雰囲気が漂い、多くの人間はどこかよそよそしい。
そんな空気を他所にリュシーはどう動けばいいのかを考えていた。大見得を女護の前で切ったはいいものの、実際には動き方が解らず最初から手詰まり状態だ。
あれから注意深く噂もクレアから確認するものの、今は色々な情報が出回りすぎて信憑性の高いものは少ないと聞いた。それでも聞いておくに超したことは無いと話を教えてもらうが、なるほど噂はひどく迷走していることがわかった。
なんで一つ目の噂で殿下と側妃様の禁断の愛物語で、二つ目の噂が殿下の横恋慕の末の凶行、三つ目聞いたのが殿下と側付き様たちの三角関係によって側妃様がとばっちりを受けたなんてことになっているんだろうか。特に二つ目から三つ目の噂の間に何が起きたのか非常に気になる。
……それはともかくとして、今噂話はもともと当てにならなかったのを通り越して、真実なんておそらく流れていない。そう思うとやはり自分で動く方が良い。
リュシーはそう判断し、動く方法を考える。とりあえず、したいことは情報収集だ。ただ、真実が知りたい。
昼に王宮に入ることはリスクはないが、動くには人が多すぎるため不審な行動は取りにくい。それならば夜に入るというのはどうだろうか。
王宮に入ることは一応でも殿下付き侍女という役職を持っているので違反はない。その代わりやはり人目につかないからこそ不審な行動をして見つかったときが危うい。
今のところは『嫌味廊下』の掃除を率先して行ってはいるものの、リュシーの今の持ち場に情報の入りそうな場所はそれほど多くない。どう動けば情報が集まるのだろうか。
結局二日の間、朝昼に動くだけではなんの情報も集まらず、ただ時間と噂の経過を眺めるだけとなってしまった。
夜半の王宮など入ったことがないリュシーは入るべきかと悩む。悩んでいる間王宮に入るための用意は欠かさなかったが。見事なほど頭と体が別行動だ。
結局覚悟よりも準備が万端になってしまい、もったいない精神から夜半に動く事を決意した。
動くなら早い方がいいと、その日リュシーは王宮の前に立った。思い切ってしまえば動きやすい。
もし見咎められれば……昼の仕事の時に大切な物を落として探しているとでも言えばいいか。そう考えながらリュシーは裏の隠し扉から難なく王宮内に入った。
殿下直伝の(リュシーの存在に気が付いていない殿下の言葉を勝手に直接聴いただけである)隠し扉だ。
恐らくこれも許されたことではないが、リュシーは気が付かないふりをする。見付からなければセーフだ。
自分の行動を堂々と肯定し、足を進める。
今日は夜半の王宮内がどうなっているのか知るためともう一つだけを目的に来た。情報の集め方は解らないが、一つだけ知ることが出来る事がある。
行きたい場所。知りたいことは決めていた。
薄暗い王宮内。リュシーは既に目も慣れ、視界は良好だった。
その目でリュシーは自身の体を見下ろした。阻むものがなく足までがしっかりと目にはいる。そこには確かに侍女服をきっちりと着た体がある。
手を握る、壁を触る。すり抜けもしなければ感覚もある。当たり前だが。
なのに何故だろうか、誰も視界に入れてくれないというのは。
裏の離れから繋がっている本宮に入り、リュシーは少ないとはいえ数人と出会っている。それは警護兵であったり、侍女であったり執事であったり様々だ。
本宮に入ってしまえばこっちのものだと、こそこそとするのをやめて堂々と歩こうと、誰もリュシーを視界にいれようとはしない。
少し自分はこの世の者では無いのかと疑問に思うほどだったが、そんなことがあるわけもなく、好都合ではあるので考えるのをやめた。考えないったら考えない。リュシーは自分に言い聞かせて無理やり納得しておいた。
そしてなんの問題も全くなく、やってきた豪奢な扉の前で立ち止まる。他の部屋とは違うその装飾は、リュシーにとって見慣れすぎたものである。だが、数日見ていないだけなのになぜか酷く懐かしく感じた。
リュシーが今日目指したのはよく見知った部屋、殿下の私室であった。
夜中の王宮に侵入(というと聞こえは悪いが間違ってはいない)して、何よりもリュシーが知りたかったのは殿下の安否。
噂なんか当てにならないことを身をもって知ったリュシーは自分の目で殿下を無事を確認しておきたかった。
どうやって入ろうかと考えていたが、部屋の前に警護兵がいないことが目に付いた。殿下の部屋の前には常時兵士が立っているはず。
そこでやっとリュシーは己の間違いに気が付いた。
一連の流れを見ていると当然かもしれないが、そんな可能性は欠片も考えていなかったリュシーは甘かった。
殿下が怪我をしたという噂を聞いてからその日に動く事は決め、決意と用意のために2日を要した。ということは殿下が手負いになってからまだ2日しか経っていない。
自害とまで噂される殿下が大きな怪我をしてしまったのか、暗殺者に場所を掴ませない為なのか、それとも全く違う理由なのかは解らないが、つまりまだ私室に帰っていないのだ。少し考えれば解る可能性だ。
それほど苦労をしてここまで来たわけではないが、というか全くなんの苦労も無く入りこめた王宮だが、リュシーはこのやるせなさをどうしていいかわからない。
正直今日は隙をみて殿下の様子を見ることにしていたので他はノープランだった。リュシーの計画は水の泡だ。
とは言っても殿下が私室に居ないことも想定していなかった計画はいつもどおり、適当に穴だらけで当たり前と言えば当たり前だった。
どうしようか。ここまで折角入ってきたのにも関わらずなにも収穫がないのはもったいない。
それに連日深夜に王宮に来ることは流石に体調的にも無理がある。頻繁には来れないことを考えると少し帰るのが惜しい。
だとすれば、やはり殿下を探すべきか。だが性急に動きすぎてもよくない気はする。今日は雰囲気だけを観察して帰るべきか。
ふと殿下の室の豪奢な扉が目に入る。いやいや、勝手に入るなんてそんな。……でも少しだけなら。いやでも仮にも王族の方の部屋を勝手に覗くなんて。
心のなかで葛藤する。葛藤している間にもリュシーの手は正直に扉に伸びる。体はいつも通り驚くほど正直だ。捻られるドアノブ。
が、捻りきれずドアノブがリュシーの力に逆らった。今回2度目の失敗である。
そりゃあ鍵かかってますよね! なんで開くと思ったんだろうか! リュシーは魔がさしたことを強く後悔する。
誰も見ていなかっただろうが、リュシーはかなり恥ずかしくなった。そしてなんとなく悔しくなり鍵が掛かった扉を両手でガチャガチャ鳴らすように揺らす。
力をあまり入れすぎないようにしたつもりが、扉から嫌な音が鳴った。それはもう、壊れるような音が。具体的に言うと鍵のあたり。
壊してしまったかと思って青ざめたリュシーだったが、見た目にはなんの影響が無かったので扉から距離を置いてみる。決して壊してなんかいない。もう一度触れる勇気はなかった。
そして改めて今からどうするかを考える。視界に嫌な音を立てた扉は決していれない。大丈夫、壊れてない。見た目が大丈夫なら大丈夫。
また隠し扉でも探しに行こうか。そう思い移動(逃亡)しようとしたところで、足音が聞こえてきた。警護兵の見回りだろうか。そう思い振り返ると、――予想外の人物で、リュシーは一瞬体が硬直した。
殿下の側付き護衛、アズリ・カートス。リュシーは息を潜めて礼をとった。だがそんなリュシーをアズリは普通に素通りした。気が付いた様子はない。
慣れたものとはいえ、リュシーは微妙な表情で手を開き握りした。私は、生きている。
そんなリュシーに気が付くそぶりもなく、アズリは苛立たしげに扉に鍵を入れ堂々と両開きの扉の左側を荒々しく開け、ようとした。だが開かない。リュシーは目を背けた。大丈夫大丈夫、壊して、ない。たぶん。
「めんどくせえ……立て付けでも悪くなったか?」
言葉通り酷く面倒そうな独り言に、少しだけ謝りたくなった。決して実行はしないが。
アズリは苛立ちのままに扉を力強く蹴る。蹴られた扉は大きな音を立て、正常に動くようになったようだ。
直し方がワイルドすぎるとリュシーは思ったが、アズリはそんなことを気にせず舌打ちして扉を今度こそ荒々しく力一杯開き、部屋に入った。
またしても魔が差したのだと思う。荒々しく開いた大きな扉は、元のように閉じるには時間がかかる。
ので、リュシーはその隙にアズリから少し距離をとって扉をくぐった。
思わずなにも考えず入ってしまった……
条件反射かと思うほど自然に殿下の室に入ってしまったリュシーは、部屋の明かりをつけるアズリを見つめる。
それでもアズリがリュシーに気が付くことはなく、本棚から本を取り出す。やはりその手つきは荒く、苛立ちを隠せていない。
リュシーはそこで初めて気がついたが、本をその場で読み始めたアズリの目の下には濃い隈が出来ており、疲れが見てとれる。しかし目には強い意思が現れており、人相がかなり悪く見える。
その姿にリュシーは酷く不安を覚えた。それがまるで殿下の今の余裕のなさを現しているかのように感じてしまって。
一冊の本のページをめくり終えたアズリは本棚に憤りをぶつけた。
「いったい、何者なんだ! あの――侍女長は!」
なにか、非常に、殿下を心配している場合じゃなくなっている気がする。
そんなリュシーの心を知るよしもなく、アズリはブツブツと言葉を溢す。独り言を呟くタイプなのか、それともストレスが限界を越えているからなのか。それはリュシーに届くほどの音量だった。
「やっぱりか。雇用書にも名がのっていない。名さえ解らないだって? その上王宮に仕える侍女長だ。ありえないだろ!」
そこでリュシーは侍女長の名前が公表されていない事実を知った。知らないと意識することも無かったが、それがどれだけ不可解なことであるか、そこで初めて気がつく。
いや、それにしても今侍女長のことが出るということは……侍女長が疑われて、る? 思考がそこまでいったところでリュシーの背が冷やりとした。何故かは解らないが体が反応した。それの一瞬後、アズリの険しい声が響いた。
「……誰だ!」
見つかった!? 隠れてもいないリュシーがそう言うのは何かが違う。が、とにかくリュシーは驚きで体を固くした。
「……誰だ、じゃないよ、全く。護衛のくせしてこんなに近付くまで気付かないなんて、お前は図体のデカイ置物か何かなの?」
アズリの鋭い言葉も目線も、リュシーに当たることはなかった。
扉が大きめの音を立てて開けられる。その声と姿を確認し、アズリは上がっていた眉を情けない程に下げた。
「……お前、それ忠告を通り越して暴言だからな。言葉の暴力だからな」
鋭い言葉を投げたはずが、辛辣な言葉を倍以上に返されたアズリ。言い返すこともせず、情けない声を出した。
「それが何? 後声がでかすぎる。頭の足りない馬鹿か。どうせ足りない頭なら、綿でも足して詰め込めばいいのに。そうすれば隙間が無くなって頭の中身が音を出す事もなくなるだろう」
止めを刺すかのように続けられる言葉に、アズリは項垂れる。皮肉を通り越すような言葉だが、アズリがそこまでショックを受けていないのは慣れてしまっているからだろうか。
「ちょ、そこまで言うか! お前と話すと死にたくなってくんだけど……つーか、簡単に言うと死ねって言われてる気がする」
あながち冗談でもないようにアズリが呟く。
「別に死ぬのは止めないけど、どうせなら僕かセルの盾にでもなって死になよ。処理だって楽じゃないんだ」
「お前の価値は王族並みか!?」
主の剣となり楯となる誓いをしているアズリのその言葉は的確と言っていい。
アズリにそう言われた男はそれを否定しなかった。アズリは重ねて項垂れ、もう何も言えなくなった。
ここでようやくリュシーは回復する。大きく鳴る心臓。頭が痛いほどだ。見つかっていない現状に、大きく音無く息をはいた。
扉をあけた人物はリオン・センシュ。殿下の側付きである。アズリは側付き護衛だが、リオンの役割は殿下の補佐が主な役割だ。
中性的なセルとも男らしいアズリとも違い、その容姿はどんな人間にも「優しそう」と評される棘のない顔立ちをしていた。
若葉のような柔らかい緑の髪は肩まで届かない程の長さだが緩く波立っており、奥二重な目の目尻は下に向かっている。整っているのに嫌みのない顔立ちは周囲から嫉妬よりも親しみ易さを感じさせるらしい。
耳に髪をかけることにより覗く右耳には銀の装飾、左耳には赤の装飾と左右で装飾の色を変えている。
リュシーはリオンをよく知っていた。多数の人間から評判の良い人間であるリオンだが、残念ながらその本性は彼の見た目とはかけ離れた性格であることを。残念すぎる。
ちなみにリュシーの平穏が壊れたのはリオンの言葉からだった。
「……侍女長か。確かに女護の存在といい、不可解な人だ」
リオンが考えながら言うと、アズリは火をつけたように噛みついた。
「不可解なんてものじゃないだろ!? 違和感しかない! セルが言っていたことといい、怪しいどころかジョーカーだってもしかするとこいつの……」
リュシーはまたしても背筋が冷える思いをした。侍女長、殿下、ジョーカー。それを結びつけて考えることをリュシーは無意識に拒否した。そんなことがあるはずがない。
「おい馬鹿」
静かにリオンがアズリに言った。まるで馬鹿というのがアズリの名前であるように自然に。その言葉とリオンの様子にアズリは焦った顔をする。
「僕はここにきた時になんて言った?」
リオンは微笑んだ。その姿は年相応というよりも幼い笑み。その笑顔にアズリは後ずさった。これはもう体に染み付けられた経験からと言っていい。
「わ、悪かったリオ!」
条件反射のようにアズリはリオンに謝った。植え付けられた習性が悲しい。
「聞いてなかったの。声がでかいって言ったんだ」
あ、俺殺される。社会的に。
アズリがそう思って世を儚んだかどうかは別として、リオンは長いため息をついた。その様子にアズリがひどく身構えた。
「気を付けなよ。どこで誰が聞いてるかもわからないんだ」
アズリが恐れるほどリオンは傍若無人ではないのか、リオンは静かにそう言った。そしてその言葉にリュシーは二度ほど頷いた。その通りである。リュシーに思えたことではない。
「わ、悪い。気を付ける」
簡単に許されたことに安心するような不気味に感じるような、といった気持ちを押さえつけたアズリは神妙に答えた。
「次に余計なことをすれば刈り取る」
何を!? とは決して聞くことが出来なかった。青い顔で何度も頷くアズリとリオンの力関係は、悲しきかな一目瞭然であった。
「あ」
「な、なんだリオ、どうした?」
急に短く声を上げるリオンに、恐る恐る様子を伺うようにアズリは反応した。主従か。リュシーは言葉なく心でツッコミを入れた。
「さっき扉を開ける時変な音がしたんだけど……まさかなにもしてないよね?」
優しい笑顔のリオン。刈り取られるものはなんなのだろうか。
そう考えてリュシーはまた一つ墓場まで抱えていくつもりの秘密が増えたことを、一人の犠牲の上でこれ以上無いほどに感じた。
いや、恐らく蹴ったのが致命的だったのだろうと思おう。人間って罪深いな、と他人事のようにリュシーは考えた。