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11.侍女長と事件の話。

「側妃様が、殺されかけたのは、深夜。その時間、殿下は、部屋にお帰りに、なられていない。そして、事件が発覚した後も、殿下は早朝まで、行方知れずだった」


 何でもないように、淡々と。普段の業務連絡と変わらない様子で侍女長に告げられる。

 リュシーの心臓は嫌な音をたてていた。今目の前で言われている事が本当に現実なのか、それさえ自信がなくなる。


「え、でも、殿下は昨日……」

 侍女長の言葉に、言い訳するように言葉を重ねようとしたリュシー。だが、その言葉の上に、侍女長はさらに言葉を重ねる。

「どこに、いました、か?」


 リュシーは、そう言われて始めて気がつく。殿下がいたのは、侍女仕部。そんなことを公にできるはずがないのだ。


「侍女仕部に、いたのは、あくまでセルリア様という、君の友人だ。侍女仕部としても、そこは譲れないし、譲っても、事態は悪化する」



 リュシーは唇を噛んだ。殿下なはずがない。それは確かだ。だが、誰にもそれが証明出来ない。あの危機感の足りない天然な殿下を思い浮かべ、表現し難い気持ちになる。


 その気持ちを見透かすような侍女長の目を、仮面の隙間から感じる。体に無意識に力が入る。


「リュシー。もしものことが、あっても、滅多な事は、言ってはいけないよ」


 構えたわりに、言われた言葉は検討違いだとリュシーは思った。だが、リュシーの心臓は一層嫌な音をやめない。



 もしものこと、とはなんだろうか。侍女長には何が見えているのか。リュシーの痛いほどに噛み締めた唇から声は出ず、侍女長の発する言葉だけが響く。



「軽率な、発言は、君を滅ぼす」


 その言葉に、笑ったつもりだった。

 そうでしょうね。というか、私は保身が強いから、軽率な発言なんてするはずがない。と、言おうとした。だが、その言葉は響かない。ポーカーフェイスを保っているつもりだが、侍女長にはどう見えているのか不安になる。


 いいじゃないか、気にしなければ。どちらにしても、殿下が侍女仕部にいたと言うことは出来ないのだから。


 リュシーは心でそう言う。自分に言い聞かせるように。



 そうして、震える口が、やっと言葉を発してくれた。

「侍女長がおっしゃるのは、杞憂ですよ」


 そもそも、容疑程度のことで、殿下に『もしも』が起こるはずがない。それも、確実な冤罪。優秀な側付きたちがどうにでもするだろう。


「まあ、君のことだ。私を、失望させるようなことは、しないと、信頼しているよ。ただ当分、お茶淹れの必要は無い事は、伝えておかないとと、思ってね。この後は、三階の特室渡り廊下の掃除、貴食室で夕食のテーブルメイキング、お客様用の貴賓紳士3、4室の、ベッドメイキングを、よろしくね」


 侍女長の信頼という言葉に、何かをいうことはできず頭を下げた。それを了解の意ととり、女護が後ろの扉を開けてくれる。

 最後まで侍女長の顔を見ることはできず、俯き加減に部屋を退室した。


「私には、関係ない、から」


 小さく呟いた言葉は、まるで言い訳のような響きだった。

 そして、三歩ほど歩いて、再び足を止め、思いついたようにリュシーの顔が上がる。



 仕事量、多すぎないか?





 三階特室渡り廊下とは通称「嫌み廊下」の、あの場所だ。

 誰に会っても面倒なこの廊下では、さっさと掃除を終わらせてしまうに限る。リュシーはそう考え、片手に水を入れた容器と布、片手に箒を持ち、廊下に人が居ないのを確認する。


 続く部屋が特室だけあり、あまり多く人の通る廊下ではないため、今日も今日とて閑散としている。

 余計な事を考えぬよう集中し、時間もそれほどあるわけではないのにわざと時間をかけて徹底的に掃除を行う。



 そのせいだろうか。ここまで近づくまで話し声に気がつけなかったのは。


 毎日掃除されている場所であるにも関わらず、白かった布がかなり汚れを吸った頃、一段落ついたとリュシーは息をついた。


 そこで人の声に初めて気が付いた。男性の声だ。目をやると、男性が2人。歩きながら何かしらを話している。

 リュシーにその姿が見えているのだから、本来その男たちにリュシーの姿が見えぬはずも無いが、男たちはリュシーに気が付くことなく、立ち止まった。ここで話を続けるつもりなのだろう。リュシーはまたか、とため息を吐く。


 言葉を盗み聞きする気はないが、今この場から立ち去るには2人の横を通らなければならない。そう思い、リュシーはその場で留まるを決めた。



「どういうことだ! しっかり殺せと言ったであろう!」


 内容が内容であるためにか、それほど大きな声ではない。だが、男の体からは隠し切れない憤怒の様子がにじみ出ているし、リュシーの耳にはしっかりと届くほどの音量だった。


 想定していた以上に、聞いた事を後悔するような物騒な内容に、リュシーは眩暈がした。留まってしまったことが仕方がないとはいえ、聞いてしまったからには絶対に気が付かれてはいけないと、廊下の端に体を寄せる。


 叫んだ男は、顔はどこにでもいそうな男だったが、身体の中心、腹部だけが異様に醜く膨らんでいる。見た目に似合わぬ指輪やネックレスなどの過剰な装飾品。それだけで男の人間性が透けて見える。

 髪には既に白髪が混ざり始めており、将来を不安にさせる額の露出が、こんな時にも関わらずリュシーは非常に気になった



「うるさい人だナア。いいじゃないですか、デンカには罪を被せることが出来たんだから」


 艶ある声で響いた言葉。年をそこそこ重ねたであろう白髪混じりの男の隣。リュシーとそう大して年齢が変わらないであろう、見たことも無い人。


 宝飾品や芸術品には人並み以下の興味しかないリュシーだが、見た瞬間、「美しい」という言葉しか思いつかなかった。青。珍しい色ではないはずのそれが、光の加減によっては、どんな宝石でも見たことも無いような深い色に見える、不思議な美しい髪色をしていた。


 あまりに整った顔に、不自然なほど目を逸らし、隣の白髪混じりの男の事を観察したリュシーだが、その「美しい」若い男の響かせた言葉に、もう目が逸らせない。


 殿下に、罪を被せる事が出来た――?

 むりやりに考える事を止めたはずの殿下の情報に、リュシーは無意識に言葉を全て拾おうと耳に集中する。



 白髪混じりの男が、顔を醜く歪め言葉を吐く。

「確かにそれは成功した。だがな! 私はあの女もいらんのだ。はやく、早くもう一度殺しにいけ!」


「こんな事件が起こってすぐに殺しにいけるわけないデショ。ジョーシキ的に考えて。今殿下が取り押さえられてるんですから、今殺しに行けば殿下の疑いは晴れてジユーの身」


 言葉の端々が軽い若い男に、白髪混じりの男は舌打ちをして押し黙る。その姿を見て、愉快そうに若い男は目を細める。そして言葉を続けた。


「ま、機会はいくらでもあるんで、見てて下さいヨ」


 その言葉に白髪混じりの男はやっと満足そうに鼻を鳴らした。

「次はしくじるな。お前にどれだけ金を払ってやったと思うんだ。全く、お前も、お前の主人も金汚い」

 傲慢に、尊大にそういう男。そろそろ立ち去るか、とリュシーの緊張しきった体が少しだけ力を抜こうとした瞬間、


「さっきから思ってたけど、あんたサ」


 壁に「何か」を強く打ち付けるような音。音に反応してリュシーが勢い良く振り返った先に、若い男が白髪混じりの髪の毛を掴み、その頭を壁に打ち付けた後の様子が見えた。

「何でそんなに偉そうナノ?」


 若い男はあくまでも笑顔だ。リュシーは背筋が凍った。若い男が、白髪混じり髪を手から離す。

 恐怖に苛まれるのと同時に、貴重な髪の毛が、と全く関係ないことまで考えてしまうあたり、リュシーは自分の気配が無い事を信じている。


「ネ、ボクがあなたの言う事を聞くのは、アノヒトが望むからだ。お前が主人であるわけがない。後、次その薄汚い言葉でアノヒトを汚してみろ」


 白髪混じりの男は、額を割っており、少量だが血を流している。意識はハッキリとしているらしく、座り込み、若い男を見上げ恐怖に震えている。若い男の表情は、笑っていたことが嘘のようだ。


「その汚い面――割るだけじゃなく八つ裂きにスル」


 そこまで言われ、白髪混じりの男は逃げ出した。その姿を見て、残った若い男は笑う。



 リュシーは非常にげんなりとした。そして、早くここから立ち去ってくれと心の中で念を送る。

 目の前で話されていたことがどういうことなのか。頭が付いていかず、考える時間が欲しかった。


 だが、リュシーの願いは届かず、男はなかなか立ち去ろうとしない。何をしているのだろうか。


「なにしてるノ?」


 それが自分への言葉だと、リュシーは全く思っていなかった。リュシーは周りを見渡す。人の気配は感じられない。誰に話しかけているのか、独り言を話す危ない人なのか、と考えていたが。


「君ダヨ。そこの茶色の可愛いおジョーさん」


 そこまで言われて、リュシーは今までにない恐怖に身を竦める。若い男は、リュシーに背を向けているため、その表情はわからない。

 先ほどまでは見つかるわけがないと考えていたが、この言動に見つかっていることが知れ、箒を倒す。


 若い男は振り返った。笑顔で。



「ね、かわいいおジョーさん。お話しまショ」


 ガタガタと震える体を叱咤し平静を保つようにするが、久方ぶりに感じた明確な恐怖にあまり身体が言う事をきかない。だが、弱みを見せてはいけないと腕をきつく握り動揺を隠す。

 声が震えないように気をつけて、男に話しかける。


「どこで、気が付きましたか」

「ンー、今日は最初からって言えばいいのかな? 前々からカワイー女の子がいるナーとは思ってたんだけどネ」


 そんなこと、あるわけがない。こんな美しい男なら、一目見れば忘れるはずも無いのに、リュシーにはこの若い男への見覚えが無かった。そして、この人が誰なのだろうと、頭の隅で考える。


「盗み聞きは良くないヨ、って言いたい所だけど、ボクらが後から来て勝手に喋り始めたダケだからねー。あ、そんなに怯えないでよ」

 怯えを見透かされている事にまた体が反応する。男は笑い声を響かせる。

 こんな人の噂なんて聞いた事がない。誰だ。こんなに綺麗な人なら、噂にならないはずがないのに。


「それにしても面白いナア。気配がこんなにない、ポーカーフェイスの普通の侍女サンなんて」

 今、走って逃げられるか? この人なら簡単に逃がしてくれそうだ。だが、先ほどの笑顔のまま白髪混じりの男の頭を壁に打ち付けたような人が、何をしでかすかわからない。


「アレ? ボクと話してくれないの? 何でもいいよー。今なら大サービス! 何でも質問に答えちゃうよ!」

 愉快でたまらない。そんな雰囲気の男に、リュシーは恐怖だけだった感情に他のものが混ざるのを感じた。


 始めは関わりたくなかったのに殿下。それから侍女長に責められて笑われて。極めつけはこれだ。

 こんなに眠くて体調の悪い日にこんな事が起こるなんて、不遇にも程がある! リュシーは自分の気持ちも知らないで(知っているからこそかも知れないが)気楽に喋る男に非常に苛々が積もってきた。


「ならば、質問ですが、私を傷つける気がおありですか?」

 急に強気に発言してきたリュシーに、男は一瞬面食らったような反応をしてから、一段と笑った。


「面白そうな子だと思ってたけど、本当に面白いねキミ! ないない! ボクかわいー子の味方だから、約束スルよ」 

 そう言われて、リュシーは腹を括った。その言葉だけで何の信頼性も無いが、どうにもならない状況だ。今は従った方がいいと冷静に判断を下す。


「何でも聞いてくれてイーよ。ボク結構暇だから」

 こっちはそんな暇ないですけどね! と思わないでもないが、気になっていることは多くある。

 だが、多くを知れば危険になる。知ることは安全に繋がるが、知りすぎても危険と隣り合わせになる。


 これ以上は、危険だ。先ほどまでの事を、聞いてはいけない。


「……お好きな食べ物は?」

「ヘ?」

 男は、何言ってんのこいつ、という顔をした。たぶん心の中でもそう思っているだろう。


「お好きな食べ物は?」

「好きナ、食べ物?」


 確かに、知りすぎると危険だと判断し、話を変えようとはしたが、この質問は、ない。

 実はクレアと侍女長以外、あまり長く話す人が居なかったリュシーのコミュニケーション能力に問題があると露見した瞬間である。


「サカナの、塩焼き」

 ポツリと答えられた答えに、性格的に考えて恐らく肉食だろうと想像していたが、その想像が間違っていた事を知る。だが、彼の体を見て納得した。


「だから細っこいんですよ」

「……ウン。そうダネ」


 この空気、一体どうしてくれるのか。自分で蒔いた種ではあるが、リュシーはどうしようもない気持ちで一杯だった。だが、先ほどまで余裕綽々だった男が動揺する様を見て、かなり満足した気持ちがあることも否定はできない。

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