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10.嫌な予感の話。

「リュシーさーーんっ!」


 まどろむ思考。そんなのどかに見える昼過ぎ。

 廊下を歩いていると、突然上げられた声とともに、背骨が衝撃を受けた。

 斜め前からの想定外の衝撃は、何一つ警戒心なく、眠気と戦っていただけのリュシーに甚大な被害をもたらした。

 腰は衝撃に逆らわず、曲がってはいけないところで、グキュ、と嫌な音が聞こえた気がした。


 ああきっと背骨を折られるのってこういう感じだろうな、とか、ちょっと前にもあったなこんなこと、とか、痛みを感じるまでのほんの一瞬でリュシーの思考が働いた。

 こういうとき、本当に時間がゆっくり感じるものなのだと考えることさえできた。


 その一瞬に感じられない一瞬が終わった後、リュシーは本能的に叫ぶ。


「い、たぁ!!」


 文字通り目が覚めるような痛みで、朝の間あれほど襲ってきた睡魔が飛んだ。叫んだことにより、慌てた様子で衝撃の主はリュシーから離れる。


「わわっ! すいませんっス!」


 衝撃の主――予想通りのクレアは、顔に似合わぬ出るとこが出た豊満な身体を小さくして謝る。


 一時的な痛みだったが、渾身の一撃、そしてクリーンヒットに違いない。はしたなくも、猫背で腰をさすって痛みをやり過ごした。やり過ごして、目を吊り上げる。


「クレア! あなたはいつもいつも!」

「ほんと申し訳ないっス! 勢い付けすぎたっス!」

「いつも言っているでしょう!? だいたい、あなたは侍女なんですから――」


 手を中央で合わせごめんなさいのポーズをとるクレアに、リュシーは一通り侍女とは何たるかを説教してからどうにか腹の虫を収めた。


 腹の虫が落ち着いた頃に、肩を落とすクレアを見ると、かなり悪いことをした気持ちになる。だが、ここで甘さを見せてしまうとまたパワーアップする事が想像に易い。


 というか、なぜか罪悪感に苛まれているが、私は悪くない! どうみても被害者!

 そう思うものの、クレアに目をやると肩をひどく落としており、やはり自分が悪者になったように感じる。


「もうしないって約束してくださいね」

 幸い腰ももう悲鳴を上げていないようなので、最後は簡単に纏めてお説教を止めた。


 クレアはホッとしたように涙目の顔を上げる。ちょっと厳しく言い過ぎただろうか……


「ホ、ントに、すいませんでした、ッス……」

 涙目で見上げられ、もう一度謝られ、リュシーはたじろぐ。

「……もういいですよ。私に何かに用事があったんじゃないですか?」


 叱りすぎただろうか。でも怒るときは怒るべきだと思うし……と、リュシーの葛藤をよそに、クレアの立ち直りは早かった。


「いえ、特に用事はないんスけど、良かったらお昼一緒にしませんッスか?」

 涙目がどこにいったのか、むしろ幻覚だったのかと思うほど、クレアは普通だった。リュシーは手でクレアの頭をはたいた。



 クレアの涙に騙されたのは、実は既に五度目である。リュシーはそろそろ学習した方が良い。



―――


 王宮に仕える侍女や執事などが食事をとることができる食堂がある。そこでクレアとリュシーは、円形のテーブルに隣り合わせで座り、食事をとっていた。


「噂、でふか?」

「こら。口にいれたものを飲み込んでからにして下さい」


 一口分を小さくしてから口に運ぶリュシーに対し、クレアは大きめに切るとそのまま頬張っている。

 これも恐らく注意すべきなんだろうが、あまりにクレアが美味しそうに食べるので、まあいいかとそこは黙認した。相手が不快にならなければセーフだというのは、リュシーの持論だが。


 言われた通り、クレアは頬張っていた物を数秒咀嚼し、リュシーと目を合わせ首をかしげる。最近この子は自分の可愛さを自覚している気がする。あくどい。

「大きいものは特に何も聞かないッスねえ。やっぱ一番話題性があったのは昨日の幻のお茶いれ侍女さんの話ッスよね」


 昨日、と聞いて思わず身体が反応しそうになった。だが、昨日の殿下不法侵入事件が全く発覚してないようで安心する。


というか、


「幻の、お茶いれ侍女……」

「え、リュシーさんも探してるッスか? なんだかとっても怨念こもってそうな言い方ッスけど」


 意外そうに目を向けるクレアに、リュシーは疲れたような顔をする。


 殿下の不法侵入に意識が飛びすぎて忘れてた……

 安心した矢先に、攻撃力の高いその言葉に打ちのめされる。昨日のことだと言うのに、そんな話が出ていたことすら忘れていた。


「というか、リュシーさんまで殿下方狙いなんスねえ。全然興味ないと思ってたッス」


 そう言ってクレアが勝手に勘違いしてくれたのでそれを放置する。殿下たちの情報を集めるなら、狙っていると思われた方が好都合だ。


「そうですか? 良いと思いますけどね権力とか能力とか顔とか」

「リュシーさん驚くほど理由が可愛くないッス」

 手放しで褒めたつもりのリュシーだったが、駄目出しをくらった。めんどくさいな女子と思わないでもない。


「えー、でもショックッス。リュシーさんにうちの兄様紹介する計画が」

「それはそれで聞き捨てならん! なんですかその計画って!」

「リュシーさん口調口調」


 自分の知らないうちに立てられていた計画に、思わず口調が崩れる。クレアはそんなリュシーを流すように笑った。


「いやあ、でも自分で言うのもアレッスけど、うちの兄様、カッコいいッスよー。武剣総部隊で将来性有り、モテモテ、性格良しの超お勧めッス」

 だからなんでそんなにお買い得みたいなフレーズをつけるんだろうか……


「……ブラコンですね?」

「いやあ、お恥ずかしながらッス」

 悪いとも思わない顔で笑うクレアに、リュシーは毒気を抜かれる。家族仲が良好なようで微笑ましい限りだ。

「でも武剣総部隊……かなり実力があるんですね。結構年離れてるんですか?」


 武剣隊という、全10番隊から成るこのサンヴィレット国の軍隊は、ひと部隊ごとに人数も、行う業務もバラバラである。

 その軍隊全体を纏めるのが武剣総部隊。隊によって考え方も、戦い方も違う彼等を纏める、総括的役割を持つ全部隊の憧れ。年功序列よりも、実力、能力が重視される実力主義派である。


「そうなんスよ! 兄様はとってもお強いんス! でも若いッスよー。まだ25歳ッス!」

「た、確かに若いですね、その年で武剣総武隊につけるなんて」

「お嫁さん、来たらきたで寂しいッスけど、まだそんな話聞いたことないんッスよねー」


 むしろその年でその経歴で結婚していない、恋人の話も聞かない、と言うのはなにかしら兄様とやらに問題があるような気がしてならない。実家もジャック家だというのに。死ぬほどシスコン、とか? かなり失礼な本音を、リュシーは丁寧に心にしまった。


「リュシーさんは兄弟いるんッスか? いたら紹介してくださいッス! リュシーさんと姉妹になりたい……ス」

 可愛いことを言いながら笑うクレアの表情が、凍った。なぜかとクレアの視線の先をたどり、リュシーも一瞬体が硬直した。


「先程から、楽しそう、ですね?」

 鼻上から面を着け、唇を楽しそうに歪ませる、その人。顔なんて見えなくとも、美しい黒の髪をゆったりと結わえた仮面の女性を、リュシーは一人しか知らない。


「こんにちは。こちらにいらっしゃるのは珍しいですね、侍女長」

 席から立ち上がり礼をしてから、リュシーはそう言った。そんなリュシーを見て慌ててクレアも立ち上がり、リュシーの後を追う。


「ああ、座ったままで、良かったのに。いやね、少しリュシーに、話が、あるんだ」

 いつもなら緊張しないが、昨日の今日……厳密に言うと早朝にあんなことがあったばかりだ。何を言われるのか、身構える。


「リュシーさんにッスか? わざわざここまで?」

 事情を知らないクレアが、緊張したリュシーを余所に首を傾げる。


「なにか、問題が? ここまで来たのは、ただの、気分転換だよ。ところで、先ほどから、話を聞いていれば、自分から、男性を、紹介して欲しい、だとか、淑女に、あるまじき、言動が、聞こえたのだけど?」

 そんなクレアに、ますます侍女長は唇を歪めた。クレアはクレアで酷く侍女長のお気に入りであるような気がしてならない。そう考えて、リュシーはなにか寒気を感じた。


「ええええ、良いじゃないッスかあ。そうでもしないと、私とか嫁ぎ遅れるんスよう……」

 えええええ! 妹になりたいとか嘘かお前!! 昔はあんなに素直な良い子だったのに……

 クレアの一言に心の中で涙を流すリュシー。正直、クレアのその性格と顔と……胸(微妙な葛藤)があれば選り取りみどりだろう。


「駄目だよ。自分を、安くしちゃ。後、リュシー。食事中は、叫ばないように、ね。口も、悪かったし」

 いつから聞いてたんですか侍女長。こわいです本当に。




『食事が、終わってからで、いいから、侍女長室に、来てね。いつもの、あそこは、いいから』

 そう言われ、クレアと別れてからリュシーは侍女長室前に来ていた。侍女仕部の最奥にある侍女長室は、いつ来ても光があまり届いておらず、薄暗い。


 ちなみに『いつものあそこ』というのは、お茶淹れのことである。いつもと違う仕事の時間間隔に気持ちが落ち着かない。後、昼食も終えたためか、当然のように眠い。


 何を言われるのか、もしかして晒し上げられるのか、嫌でももう時間もかなり経っているし、侍女長も許してくれましたし。

 そんな答えの出ない疑問を、眠い頭で考えていると気持ち悪くなってきた。諦めが付いた所で、ため息を吐いて、深呼吸してから部屋への扉を叩く。



「遅くなりまして。リュシー・ヒューレントです、侍女長」

「うん」

 短い返事が返ってきた所で、扉が自動的に開く。いや、開けてもらったのだ。

 見慣れた仮面の女性――女護が。顔の半分、鼻から上を覆う侍女長の仮面とは別に、顔の全面を覆う仮面をつけた女護。


 扉を開け、リュシーの斜め前に立ち、美しい所作で深く礼をする女護。どうやら、晒し上げられるような用ではないようだと、リュシーはいつも通りの光景に安心する。


 女護の礼を受け、女護にドレスの裾を摘まみ軽く一礼してから、リュシーも侍女長に深く礼をとった。侍女長は軽く手を振り返す。

「ああ、そこに座って。楽に、していいよ」


 そう言われて、女護が椅子を引いてエスコートしてくれる。とてもシュールな光景だという事実は、野暮というものだろう。


「で、君を呼んだ、理由だけどね」


 侍女長が優雅にお茶を口に運ぶ。

 リュシーの前にも女護がお茶を用意してくれていたので、リュシーも出来るだけ真似して優雅にお茶を口に運んだ。


「実は、昨日、国王の側妃様が、殺されかけた」

「そうなんですか」


 お茶を急いで飲みこみ、とっさにそう答えた。通常でも、あまり関係のないことのため、寵妃争いは怖いな、と思う程度のことではあるはずのことだが――


 クレアは、特に大きな噂はないと言っていた。王宮で、側妃様が殺されかけたことが、噂話にならないわけがない。

 ここ数年、大きな話題もない、人によっては退屈な王宮内は、噂の広がる速度も速く、些細なことでも簡単に噂話となる。だが、今朝からそんな雰囲気はなかった。



 と、いうことは。

「緘口令の敷かれた、国家機密ですか……」

 もうこの際なぜそれを侍女長が知っているのかは聞くまい。

「ああ。噂に疎い、君にしては、察しが速いね。まあ、国家機密と言っても、場所は、後宮だ。あまり長くは、もたないだろう、ね」


 前者については大きなお世話ですよ! 何となく侍女長の声音が楽しそうに聞こえるのは、気のせいではないはずだ。


「……なぜ、それを私に?」


 嫌な予感しかしない。最近はこんなことばかりだ。リュシーはため息と一緒にもう一度お茶を口に含む。

「いやね、それの、容疑者が、殿下なんだ」


 お茶を噴いた。少し鼻から出た。侍女長がそれを見て笑う。

「え、じょ、冗談、ですよ、ね?」


「冗談。……と、言ってあげたい、ところだけど、事実だよ」

 侍女長はただひたすらに楽しそうで、何を考えているのかリュシーに全く悟らせない。

 リュシーの思考は纏まらず、やはり眠さと相まって気分が悪くなる。



 ただ、手が。無意識にあの冷たい手のひらの温度を思い出した。 



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