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敵の敵は味方

作者: 遥彼方
掲載日:2026/09/05

 建国パーティーにて、その騒動は起きた。


「ドナテッラ! お前との婚約を破棄する!」


 意気揚々と指先をこちらに突きつける婚約者を、ドナテッラは冷ややかに見つめた。


 ジュリオ・ディ・サヴォイア。幼い頃からの許婚であり、この国の第一王子だ。

 長子であるというだけで、王太子という立場を手に入れた、愚かで御しやすい人物。それがドナテッラの婚約者だった。


 王太子の隣には一人の女性がいる。グレタ・デ・サンティス。ついこの間まで平民だった女で、今は教皇の庇護下にあるこの国一番の聖女だ。


 死者以外はたちどころに癒すほどの力の持ち主だが、驕ることもなく万人に優しい。容姿も性格もいい、聖女という理想像を具現化したような人物である。


 柔らかなストロベリーブロンドに、優しく垂れた大きな空色の瞳。ぷっくりとした桜色の唇。白い神官服に身を包んでいても分かる、豊かな双丘と折れそうなほどの細い腰。


 彼女は不安そうに形のいい眉を垂らして、王太子とドナテッラを見ていた。

 そんなところも可愛らしくも儚く、誰もが守ってあげたくなる。


(このわたくしですらそう思うのだから、殿下はなおさらでしょうね)


 グレタは決して、可愛らしく儚いだけの女ではないというのに。


「わたくしと王太子殿下の婚約は、王家と公爵家の契約です。それを破棄なさるということは、それなりの理由があるのでしょうね?」


 ぱちんと扇を閉じ、ドナテッラは艶やかな笑みを浮かべる。


「無論だ! お前は聖女であるグレタを妬み、数々の嫌がらせをしてきただろう」


 王太子が得意げに胸を張り、グレタの華奢な肩を掴んで引き寄せた。


「そんな理由がまかり通るとお思いですか?」


 不快に思い、眼光を強めると王太子が怯む。


「グレタ嬢は聖女とはいえ元は平民。作法に疎いこともあるゆえ、教えて差し上げていただけですのよ。それなりの理由には該当いたしませんわ」


 茶会に呼んでは爪はじきにし、舞踏会では頭から水をかけて追い出した。

 淑女教育を引き受け、教育にかこつけてねちねちと虐め、せせら笑った。


 だがそれが、なんだというのだろう。


 この程度のことは、社交界では日常茶飯事。罪でもなんでもない。


「ふん。グレタの家族を拉致して、俺から離れるようにグレタを脅迫したことも理由にならないと言うのか」


 嫌がらせ程度ならいいが、拉致と脅迫となると王国法に触れる。

 これまで固唾を飲んで見守っていた聴衆がざわめいた。


「さらに!」


 気を良くした王太子が居丈高に叫ぶ。


「嫌がらせや脅迫では飽き足らず、グレタを暗殺しようとしただろう!」


「なんと」

「聖女を害そうとするなど、恐ろしい」


 聖女暗殺未遂。これは決定的な罪だった。


「‥‥‥証拠はありますの?」


 ドナテッラの顔からすっと表情が消えた。閉じていた扇を広げ、口元を隠す。


「もちろんだ。教皇」

「はい、殿下」


 穏やな聖人の笑みを貼り付けた教皇が進み出た。

 ドメニコ・デ・サンティス。絶大な力を誇る教会のトップであり、表向きは第二王子を支持者だ。グレタの養父で庇護者でもある。


「罪人をこれへ」


 教皇の後ろから縛られた男が引きずり出された。


「ドナテッラ様」


 掠れた声でドナテッラの名を呼んだ茶色の癖毛の男は、見るも無残に傷だらけだった。


「拷問したのですか」

「聖女暗殺未遂の実行犯ですから。当然です」


 グレタがひゅっと息を飲む音を、ドナテッラは質問で遮った。


「頑として吐きませんでしたがね。調べた所、ジェーリド公爵家の騎士でしたよ」


 教皇の分厚い瞼の下の瞳がドナテッラに問いかけた。さあ、どうします? と。

 だからドナテッラは深紅の瞳を挑発的に細めて、艶やかに微笑んだ。


「認めましょう」


 破滅を呼ぶ稀代の悪女を、その目にしかと焼きつけるがいい。


****


 ドナテッラはこの国の宰相、ジェーリド公爵の娘として生まれた。


 誰よりも強くあれ。完璧であれ。非情であれ。

 情などに流されず、常に冷静に。隙を見せず、上に立つ者としての振る舞いを忘れるな。


 家訓に違わず周囲と父の期待に応え、ドナテッラは強く完璧で非情に育った。

 常に背筋を伸ばし、他者を従えた。


 烏の濡れ羽のような艶やかな黒髪。染み一つない白皙に、薔薇よりも濃い深紅の瞳。くっきりと吊り上がる眉と目。容姿、言動共に、幼い頃から鮮烈に人を惹きつけた。


 第一王子のジュリオとの婚約は、ジュリオの生誕と同時に結ばれた。ドナテッラが一歳の時だった。


 ――人形みたいに冷たくて可愛げがない。こんなのが俺の婚約者だなんて吐き気がする。


 月日は流れ、ドナテッラは14歳。ジュリオは13歳となった。王妃教育でやってきた王宮で、今日もジュリオに罵倒された。もちろんすかさず言い返した。ジュリオは癇癪を起こし、喚き散らかしたので、途中で切り上げることになった。いつものことだった。


 ドナテッラの聡明さと非情さ、見た目通りのはっきりとした物言いが、婚約者のジュリオにはすこぶる評判が悪かった。事あるごとにこんなのは嫌だ、他の可愛い令嬢と変えてくれと、周囲に駄々をこねた。


 だがドナテッラは特に気にしていなかった。


 王侯貴族の婚姻など、好悪は関係ない。それぞれの役割をこなせばいいのだ。


 ジュリオはこらえ性のない愚物だが、大人になれば矯正されるかもしれない。

 否、むしろ矯正されない方がいいのだろう。愚かな王をドナテッラや側近が適当に手のひらで転がし、国を回せばよい。


 そうしてドナテッラは、国とジェーリド公爵家にさらなる繁栄をもたらすだろう。


 ふと、中庭に目をやった。


 美しい白亜の王宮の柱の向こうに、洗練された緑が広がる。差し込む光を受けて、適度に植えられた樹木と芝生が青く萌えていた。

 白と緑と光の乱舞の中で、少年が一人、剣を振っていた。


 エドアルド第二王子。ジュリオの弟だ。ジュリオの一つ下で、ドナテッラより二つ下である。


 足を止めて白いシャツに包まれた背中を眺めていると、エドアルドが剣を鞘に納めた。振り返ると、光に透ける淡い金髪がさらりと揺れた。


「こんにちは。ジェーリド公爵令嬢。今日も美しいですね」


 ふわりと細められた碧眼がドナテッラをとらえる。ジュリオと同じ淡い金髪と碧眼だが、エドアルドの目はジュリオより深くて、いつも吸い込まれそうになる。


「エドアルド殿下にご挨拶申し上げます」


(鍛練の邪魔をする気はなかったのに)


 足音を殺して死角を通るのに、いつも気づかれてしまう。視線を感じるのだろうか。


 ならば見なければいい。

 なのについ、エドアルドの姿を探してしまうのだ。


「他人行儀な挨拶はよしてください。貴女は兄上の婚約者なのですから」

「それでは他の者に示しがつきません」

「はは、そうですね。僕が短慮でした。非を認めますので、レディをエスコートできる栄誉を頂いても?」


 エドアルドの手が、優雅に差し出された。


 ドナテッラのつんとした態度にも、エドアルドは怯まない。可愛げがないと文句も言わない。


「もちろんでございます」


 ドナテッラはエドアルドの手を取った。細く見えるが、実際はドナテッラの手よりも大きくて硬い。


 馬車までの道すがら、エドアルドと様々な会話をした。

 天気の話、作物の話、治水、階級制度、巷のゴシップ、流行りの菓子、他国の情勢。エドアルドとの話は多岐に渡った。


 楽しい。

 ジュリオや同じ年頃の令息・令嬢は、こんな話についてこれない。


(この方が長子であれば)


 ジュリオより聡明で文武両道。胆力もあり、柔軟性も備えている。いい王になるだろう。

 彼とであれば、気を張らなくても対等であれる。二人で国を‥‥‥。


(わたくしとしたことが、有り得ない妄想をしたわ)


 エドアルドの後ろ盾は教皇ドメニコだ。ジェーリド公爵家にも引けを取らない権力者。油断のならない政敵だ。手を取り合う未来はない。


 考えても詮無きことを振り払い、ドナテッラはエドアルドと別れて馬車に乗り込んだ。


 馬車の窓枠に肘をつき、景色を眺めた。王都の街並みが、働く民が流れていく。


 ジュリオもまた、いい王になるだろう。


 いい王というのは二種類ある。

 一つは強く賢く、民に慕われる王。二つ目は、臣下にとって都合のいい王。


 エドアルドは前者で、ジュリオは後者だ。

 ジュリオは臣下である公爵にとって都合がよい。


 はあ、と我知らずため息が漏れた。


 こういう時は息抜きに限る。


「停めて。少し歩くわ」

「承知いたしました」


 大通りから少し外れた所で馬車が停まる。護衛を一人連れて貴族街から平民たちのエリアに入った。

 目指すは一軒の菓子店。洗練された貴族御用達の店とは違い、素朴でこぢんまりとした店だった。


「ごきげんよう」

「ドナテッラ様」


 木製の扉を開けると、ふわりと甘い香りが全身を包む。ストロベリーブロンドを弾ませて振り返った少女が満面の笑みを浮かべた。


「いらっしゃいませ!」

「ふふ。貴女は今日も元気ね、グレタ」

「それだけが取り柄ですから!」


 陰鬱な気分を吹き飛ばす明るい笑顔。ドナテッラはこの笑顔が嫌いではない。

 グレタ。姓のない平民のグレタ。上辺だけの貴族令嬢たちとは違い、心からの笑顔を向けてくれる存在。

 彼女と知り合ったのは、グレタたちがドナテッラを助けたのがきっかけだった。


 数カ月前、買い物の途中に一瞬の隙をついて誘拐されかけたのだ。

 手首をひかれて路地に連れ込まれ、口をふさがれた。あっという間に担がれて運ばれる。


 だがドナテッラは、ジェーリド公爵令嬢だ。


 誰よりも強くあれ。完璧であれ。非情であれ。


 大人しく誘拐されるほど弱くはなかった。

 手首を回して拘束を抜けざま、小指を取って思い切り曲げた。ぽきりと枝を折る感触がして、男が激痛に呻きうずくまる。その顔をめがけて尖ったヒールを叩き込んだ。


 別の男に腕を取られ、後ろにねじられる。ヒールで足を踏んで腹に肘鉄を喰らわせた。


(あと一人!)


 きっと残る一人を睨んだその時、ばこんと男の頭に木箱が炸裂した。同時に甘い香りが飛び散る。


「誰かーっ!! 人さらいよーっ!」

「こいつめ!!」

「このこの!!」


 どう見ても平民の男女と少女が、菓子の入った木箱で男たちをぼこぼこと殴っていた。


「‥‥‥は?」


 呆気に取られて口を開けてしまった。常日頃から気をつけていた完璧を忘れて。


「もう大丈夫だからね! 怪我はない? ああ、赤くなってる」


 ストロベリーブロンドの少女が、ぽかんと突っ立ったドナテッラに抱きついた。慌ただしくドナテッラの頭や背中をさすり、男に掴まれた手首に気づいた。


「治してあげるね」


 少女が手首に手をかざすと、ふわりと温かくなって痛みが消えた。

 その間に駆け付けた護衛が男たちを確保し、平民の男女が少女ごとドナテッラを抱きしめた。


 なんともぎゅうぎゅうと暑苦しい。

 これがグレタたちとの出会いだった。


 誘拐をもくろんだのは、ジェーリド公爵が取引を中止した商会だった。


 公爵は娘の恩人に褒美をはずんだが、彼らはその金で贅沢することもなく。変わらず素朴でこぢんまりとした菓子店を営んでいる。


「いらっしゃいませ、ドナテッラ様」

「ようこそお越しくださいました」


 エプロンで手を拭き拭き、グレタの両親が頭を下げる。


「ごきげんよう。アップルパイをあるだけ包んでくれる?」

「‥‥‥はい!」

「すぐご用意しますね。少しお待ちを」


 二人が店の奥に引っ込んだ。


「待っている間、私がおもてなししますね!」

「お願いするわ」


 飾り気のない木の椅子に座る。柔らかく沈み込む繊細な椅子と違って、堅くどっしりと揺るぎなく感じた。きしきしと小さく鳴る音には目をつむる。

 グレタがいそいそと淹れてくれたお茶を飲み、一緒にクッキーをつまんだ。


 恩人の店、という名目でドナテッラはよくこの店を訪れるようになった。屋敷の者たちの分の菓子を買い、用意ができるまでグレタと小さなお茶会をする。


「ねえ、貴女の力のことだけれど。ちゃんと隠し通している?」

「もちろんです! 知られると危ないんですよね」

「そうよ。今の生活を続けられなくなるわ」

「それは嫌です。絶対に隠します」

「約束よ」


 小指と小指を絡め、指切りをする。


 あの日ドナテッラの手首を治したのは、癒しの力。聖女の治癒力。奇跡の力だ。

 もし治癒力が知られれば、たちまち世俗から切り離され、教会の管理下に置かれる。教皇の駒にされるだろう。


(それだけは阻止しなければ)


 聖女は教会の信仰の強力な柱となる。公爵家にとって、それはよろしくない。

 だからこれは監視なのだ。ドナテッラの将来の地位を盤石のものにするための。


 誰よりも強くあれ。完璧であれ。非情であれ。


 父や母、祖父の声が頭の中を叩くように響いた。


「お疲れですか?」

「え?」

「うかない顔をなさってます。顔色もちょっと悪いかも」


 グレタの少し荒れた手が頬に触れる。じんわりと温もりが伝わり、頭が軽くなった。


「ドナテッラ様が頑張ってらっしゃるのは知ってますけど、私の前でくらい無理しないでくださいね。今ドナテッラ様が大口開けて笑ったって、だらけて床で寝っころがっちゃったって内緒にしますよ」


 グレタがすぼめた唇に人差し指を当てた。


「わたくしが?」


 急に何を言いだすのかとドナテッラは呆れたが、グレタ本人は真剣な顔で続けた。


「ええ。ほら、今は父さんと母さんも奥でパイを包んでるし、護衛の人だって扉の外です。私が口をつぐめば完全犯罪です! チャンスですよ」


 どうやら本気で言っているらしい。

 泣く子も黙る、ジェーリド公爵令嬢に向かって。


「ふっ‥‥‥ふふっ、あははっ」

「あははははは!!」


 ドナテッラは生まれてはじめて、口を開け、声を上げて笑った。負けじとグレタがもっと大きな声で笑った。


「これでわたくしにも秘密ができたわね」

「絶対に誰にも言いませんっ」


 もう一度指切りを交わした。

 ドナテッラに、はじめて本当の友人ができた。


 唯一の心許せる友人。大切な人。


 だから許せなかった。


(どうして、グレタ)


 三年が過ぎ、ドナテッラ16歳。

 聖女グレタが教皇の養女になり、ジュリオの側に侍るようになった。


 ジュリオはグレタを寵愛し、社交の場でもドナテッラではなくグレタをエスコートした。


 新星のごとく現れた癒しの聖女。可憐で万人に優しく、何人、何十人、救った人数はもうじき百に届く。今後も増え続けるだろう。

 国民は彼女を称え、信仰した。平民の出というのも人気に拍車をかけた。


 ――グレタ様こそ次期王妃にふさわしいのでは?

 ――平民出身の聖女様との恋なんてロマンチック。それこそ真実の愛では?


 貴族、平民問わず、そんな世論が広まった。


「グレタ。どういうこと」

「ドナテッラ様。申し訳ありません。隠し通せませんでした」


 王室主催の舞踏会。ジュリオが離れた隙を狙って、グレタを問い詰めた。


「ブルーノが私を庇って怪我をして。私‥‥‥」


 グレタの後ろに控える茶色の癖毛の青年が、黙って頭を下げた。


 ブルーノは公爵家がグレタにつけた監視役兼、護衛騎士だった。

 平民に護衛がついているのは不審だからと、住み込みの店員として側にいさせた。二人は互いに惹かれ合っていて、ドナテッラはそれを穏やかに見守っていた。


「約束を破って、衆目の前で力を使ったのね」


 配達の途中、暴走した馬からグレタを庇った。馬に蹴られ、踏まれて血を吐いたブルーノに治癒の力を使った。馬車も行き来する大通り。多数の人間に奇跡の力を目撃されてしまった。

 そしてグレタは教皇の手駒になった。


「ドナテッラ様。私は‥‥‥」

「黙りなさい」


 伸ばしてきたグレタの手をぱしん、とはじき、ドナテッラはハンカチを投げつけた。


「グレタ。今から貴女はわたくしの敵。覚悟なさい」


 くるりと踵を返す。背後ではハンカチを拾うグレタに、令嬢たちが駆け寄って慰めていた。


 誰よりも強くあれ。完璧であれ。非情であれ。


 三つの家訓の内、一つは守れそうにない。


 ドナテッラは後悔した。

 友人など作らなければよかった、と。



****


「はははは! ついに認めたな、この悪女め! お前もジェーリド公爵家も終わりだな! 衛兵! この悪女を捕らえろ!」


 品のない高笑いをしたジュリオが、衛兵に手を振る。ドナテッラを取り囲んだ衛兵が、槍を向けた。


「待て!」


 衛兵を止めたのは、壇上のエドアルド第二王子だった。国王の隣に立っていたエドアルドは、壇上を下りて国王にひざまずく。


「父上。ジェーリド公爵令嬢に事態の釈明の機会をお与えください」

「許す」


 衛兵たちが槍を構えたまま、ドナテッラから一歩引いた。


(別に拘束されてもよかったのに)


 半眼を向ければ、エドアルドがにこりと微笑んだ。ドレスをたくし上げて尖ったヒールの靴を手に持ったグレタが、罰が悪そうな顔でそっと履き直した。

 ドナテッラはため息を吐いてから、扇を閉じて両腕を組んだ。


「グレタに対する数々の嫌がらせは本当にございます。わたくしとグレタが敵対していると、印象づける必要がありましたから」

「そうです!」


 仲違いを演出したあの日、「信じるわ」とだけ書いたハンカチを投げた。それで十分だった。

 目立つように社交で嫌がらせをして、淑女教育の度に情報交換した。情報交換というよりは、互いの息抜きに近かったが。


「可哀想なグレタ。ご両親の命を握られているから、そんな演技をしているのです」

「ふふ。ご自分のなさったことを告白されているのですか、ドメニコ教皇」

「根も葉もないことを‥‥‥」

「まあ怖い」


 笑ったまま青筋を立てる教皇に嘲笑を向けてから、扇で手を叩いた。


「ドナテッラ様の言う事は本当です!」

「私たちが証人です!」


 パーティー会場の後方に控えていたドナテッラの使用人の二人が、前に出た。


「公爵家の使用人の証言などあてになりませんな」

「まあ、顔も覚えておりませんのね。グレタのご両親ですわよ」

「なっ」


 グレタたちは必要以上に裕福になることも、名声も望んでいなかった。

 そんなグレタが養子になることを受け入れるはずがない。ジュリオなどに媚を売るはずがない。


 ならばなぜ。

 脅されたに決まっている。


 すぐさまグレタの両親を探し出し、ブルーノをはじめとする騎士たちが救出。公爵家で保護した。側に置くのが一番安全だと、ドナテッラ付きの使用人にしたのだ。


「グレタの暗殺未遂も、教皇の手の者が仕組んだこと。ブルーノは阻止しようとして捕まったまでです」


 もしも教皇がグレタを害そうとしても手出しするなと言っておいたのに。惚れた女の危機に体が動いてしまったらしい。

 グレタが約束を破って力を使ったのも、惚れた男だったから。


 これだから情は厄介なのだ。家訓に「非情であれ」とあるのも納得だ。


(守れなかったわたくしが言えたことではないけれど)


 こんな自分も悪くない。

 情に溺れ、振り回されるのは愚かだが。

 時に情は、人に力を与える。


「なぜ私が聖女を害そうとするのです。大事な聖女なのですよ」

「わたくしに罪を着せるための自作自演ですわ。わたくしとジェーリド公爵家を排除して、子飼いのジュリオ殿下とグレタを王と王妃に据えて、実権を握るおつもりでしたでしょう?」

「‥‥‥グレタはまだ分かるとして、ジュリオ殿下まで子飼いなどと。殿下を馬鹿になさっているのですか」


 この期に及んでまだ笑顔を貼り付けているのは称賛する。


「とぼけても無駄だ。賭博場の裏経営者は教皇、貴方だ。他にも人身売買、薬物売買、暗殺まで。聖職者が聞いて呆れる」

「第二王子殿下。罪を捏造するのはやめて頂きたい」

「帳簿と顧客情報も押えてある。陛下には提出済みだ」

「なっ、そんな馬鹿な」


 教皇ががくっと膝を突いた。

 グレタが教皇の横をすり抜け、ブルーノに駆け寄って治癒の奇跡を使う。


「顧客には王太子の名もあった。ジュリオ。お前というやつは」

「ち、父上。それは少しばかり遊んだだけです。賭事くらい貴族の嗜みの一つでしょう」


 ジュリオの優越感に満ちた態度が崩れた。


「教皇の息がかかっていなければな」


 ジュリオは賭場に入り浸り、薬物にも手を出して遊興にふけっていた。その賭場の裏経営者が教皇で、甘い言葉と薬物でジュリオを飼い慣らした。


 グレタがジュリオと教皇の怪しい動きを掴み。裏どりと証拠確保はエドアルドとジェーリド公爵家の暗部が担った。


「ジュリオ。余は何度も警告した。ジェーリド公爵令嬢を大切にしろと。公爵令嬢が婚約者である限り、お前が多少我がままであろうと、羽目を外そうとも、王太子の座は揺るぎないと。それをはき違えおって」


 ドメニコが教皇になってから、教会の力は増した。対抗できるのはジェーリド公爵家のみ。

 政治的パワーバランスを取るための婚約だった。その均衡をジュリオは壊したのだ。


「ジュリオを廃嫡し、エドアルドを立太子する。ジュリオとジェーリド公爵令嬢の婚約は破棄。あらたにエドアルドと婚約を結ぶ」

「謹んでお受けいたします」


 胸に手を当てて一礼したエドアルドが、ドナテッラに手を差し出す。


「エドアルド殿下が相手でしたら、遠慮はいりませんわね。婚約破棄は許しませんわよ」


 熱くなる頬を扇で隠し、つんと顔をそらして、ドナテッラはエドアルドの手を取った。


 ジュリオとの婚約破棄は傷つかなかったが、エドアルドとの破婚は立ち直れない。


「望むところです。今も昔も貴女しか見ていませんでしたから」


 手の甲に落ちた唇は、燃えるように熱かった。




 その後、聖女グレタが教皇に就任。茶色の癖毛の聖騎士が生涯連れ添った。

 聖女グレタは絶大な人気と信を集め、教会の権力は公爵家と均衡した。

 ドナテッラとエドアルドは、賢王と賢母として長く善政を敷いた。二人の仲は、終始良好だったという。

お読み下さりありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
短編の醍醐味を感じる爽快感のあるお話でした。くるくるひっくりかえる場面の札の裏表、楽しい! 2人が大声で笑い合うのがキュート過ぎる……! あとヒールで殴ろうとするところも素敵でした。
拝読させていただきました。 婚約破棄ものの短編ですが、緻密に組み立てられていて斬新ですね。 読ませていただいてありがとうございます。
10周年おめでとうございます! はじめ謎だった登場人物たちの立ち位置、関係性がどんどん明かされ展開していって、目が離せませんでした。 楽しませて頂きました♡
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