《証拠》
ジャン・シャルボンは見事な手の持ち主だ。彼の手には小指が2本ある。正確には、2本目の小指は小さい骨が手のひらに埋まっているだけで、一見すると普通の手に見える。
本人すら知らなかっただろうが、エミールは、彼の手を取った瞬間に気がついた。
そして、今。
ジャンの手は、小指と根本の部分が切り開かれ、ピンで固定した状態で、アルコールの瓶の中に沈められている。
これを作る時、エミールは、人より多い指をテーマにするか、手の甲の大きな火傷のあとをテーマにするか迷った。
結局は、折衷案ということで、小指部分は骨を露出し、それ以外のところは皮膚の状態を保存することにした。
エミールは、それを見つめ、ジャンの体の中を初めて見た日を思い出していた。
病院に併設された手術室。
それは、建物の奥まった位置にあり、人目から完全に隠されていた。
部屋の構造はとても奇妙だ。窓は高い位置しかなく、窓を開けるには専用の棒が必要だ。鉄製の小さな暖炉は屋根に近い位置にあり、薪をくべるには壁沿いの階段を登らなくてはならない。
そして、その暖炉の吸気口は、部屋の低い位置まで伸びており、可動式のすのこのようなもので覆われている。
周囲は、床や壁の低い位置は大理石、壁の中央から上部にかけては、ガラスの油彩がかかったタイルで覆われている。
一般的なタイルとは異なり、着色されていないため、壁は自然な色合いで、場所によって色むらが大きい。
「絵はなくても良いから、枚数をくれ。」というエミールの言葉は、タイル職人を閉口させたが、機能主義のエミールは意に介さなかった。
中央には、比較的薄めの金属板から作られた手術台が置いてある。手術台の四方には、流れ出た血が床に落ちないようにするための溝があり、不気味さを際立たせる。
ジャン・シャルボンは、ここで解剖された。
葬儀屋に金を握らせて、ジャン・シャルボンの遺体を手に入れた時、エミールは歓喜した。
アルヴァニエは比較的平和な街だ。暴力沙汰や泥棒はそれなりにいるが、毒殺はほとんどない。
葬儀屋の言った、瞳孔の散大や、唇の乾き、妄想、嘔吐。
ジャンは自室に水差しを置いておき、自分で注いで飲むという習慣があったらしいから、彼に毒を盛る機会はいくらでもあっただろう。
ヒ素やトリカブトといった、ある種有名な毒は、妄想が出にくい。
やってくれたものだ。
エミールが領主になってから、それまであった薬師や錬金術者の類は、この街では全て届出制にした。
エミールが指定したいくつかの劇物は、必ず、買った相手と売った相手もしくは使った日時を記録するようにと。
幻覚が現れるのは、キノコやナス科の植物から抽出した毒に多い。
しかし、これらの毒物は指定に入っていなかった。
業務が膨大になるとクレームが来たからだ。
街への持ち込みも、城壁がないこの町では、制限が難しい。
この私を出し抜いて、この私の街で人を殺すとは。
人の命をなんだと思ってやがる。
エミールは苛立ちのあまり、笑い始める。
いいさ、いいさ。待ってろ。
薬師も錬金術師も、助成金で雁字搦めにして、流通を握ってやる。
ジャンの体を切り刻み、体の内部を観察する。胃を切り開くと、そこには痛々しい胃潰瘍の痕があった。
エミールは、胃の中身にパンを浸す。
死んでしまえば、後学の役に立つくらいしか、出来ることはないのだから。標本に使えそうな臓器はアルコール漬けにして、それ以外の観察が終わったものは、破棄しやすいように小さく分ける。
ビニール袋がないのが残念だ、とエミールは思った。今は、防水の袋がないため、金属製の洗面器のようなものを使っているが、どうも使い勝手が悪い。
伝声管から、使用人の声がする。
「フォルティエ先生、お友達が来たよ。」
「わかった。いつも通り、片付けを頼む。」
そう言うと、パンを持って、病院の中庭にある、小さな動物小屋に向かった。
木製の小屋には、数日前にエミールが買ったネズミが何匹かカゴの中に閉じ込められている。
エミールは、飢えたネズミのカゴに先ほどのパンを投げ入れると、自分の期待する結果が得られるまで、じっと彼らを見続けた。
そして、満足すると、いつもの爽やかな領主らしい笑顔を貼り付け、その場を後にした。




