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《糸口》

セント・クレール教会には、毎日、数十人の信徒がミサに集まる。集まるのは、今日の食事に困る者や、病に苦しむ者、生活の悩みを抱える者など、さまざまだ。その中に、フランソワ医師の悪口を言う者がいた。


「あいつは、何もしなかったんでさぁ!俺の女房が死にかけてるって時によ!」


ルカは、その声を聞いてハッとした。


フランソワ医師は、ジャン・シャルボンを診た医師だったからだ。


「それなら、まだ、サン・デュボア病院に行った方がマシじゃねぇか!」


サン・デュボア病院は、エミールの寄付で出来た病院で、どんな身分の人間でも、無料で診てくれる。

治療も基本は無料だ。


“基本は“と言うのは、貴族や金持ちには、多額の寄付を迫るからだ。


もっぱら、若いのに腕がいいと評判で、貴族も平民もここにかかりたがる者は多い。


保守派の人間には批判されているが、日曜日にも診療をしている。


「サン・デュボア病院の先生って随分と若かったはずだよな?」


先ほどとは別の者が応える。


「若くとも、あの先生は腕がいいって評判じゃねぇか。金もとらんしよ。」

「でもよ、なんか裏があるんじゃねぇか?」

「いやねぇ、フォルティエ先生を悪く言うなんて。私の旦那はね、足を切らなきゃ死んじまう病気を、切らずに直してもらったんだよ!」


ミサの後に残っていた人たちが、ワイワイと会話に入ってくる。


「アンタの旦那って、御者じゃなかったかい?良かったねぇ、足を切ったら終わりじゃないのさ。」


途中から口を挟んだ年配のご婦人の口調が陰る。


「フォルティエ先生が、次は死んじまうぞって言うから、御者はもう出来ねぇのよ。治すなら、もっと綺麗に治してくれりゃぁ良かったのに。」


そこまで言って、ご婦人は言いすぎたことに気がついたようだ。


「だからって、フォルティエ先生の腕が悪いって事じゃねぇだ。死ぬかもしれねぇ病を治して下さったんだ。御者が出来なくなったって、死んじまう事に比べれば、贅沢な悩みよ。」


ルカは、黙ってその場を離れた。

エミールは、ルカに、明確に何をすべきかは言わなかった。自分の頭で考えて、“事件”を解決してこい、と言うことなのだろう。


エミールの真意が、「この地域の平穏と、神のご加護」とはとても思えなかったが、川に押し出された舟が、自力で岸に戻るのは難しい。この流れが落ち着くまでは、身を任せるしかないだろう。


ルカは、街に唯一の病院を訪ねる事にした。


サン・デュボア病院は、デュボア子爵邸のそばにある。

ルカは、エミールの考えが読めない笑顔を思い出して、鬱屈した気分になる。エミールは、自分の3つ下くらいだと聞いた。何をすれば、あのような、貴族以上に貴族らしい性格になるのだろうか?


石畳の道にはゴミが少なく、歩きやすい。昨晩の雨の影響もほとんどない。おそらく、側溝で流れていったのだろう。


普通、生乾きの側溝は異臭がして耐えるのも大変なものだが、ここでは耐えられないというほどではなかった。

ゴミを市庁舎で買い取っているからかもしれない。初めてその話を聞いた時、そんなものをなぜ買い取るのかと思ったが、意外と悪くないのかもしれない。


サン・デュボア病院は、さほど大きくはないが、石造りの二階建てだ。


ドアを叩くと、使用人が顔を出す。


ギョーム・マルタンは、ここよりも50kmほど離れた山間の集落からやってきた青年だ。まだ、あどけなさの残るギョームは、まだ礼節というものを完全には理解していないのだろう。


砕けた口調で、ルカに声をかけた。


「神父様!どうされたんです?先生にご用事が?」


ルカは、ギョームの規範となるよう、襟を正して応える。


「ルネ・フォルティエ先生にお会いしたい。」

「ちょっと待って下さい。」


彼は玄関のそばのソファーにルカを座らせると、二階に向かって大声を張り上げた。


「ルネ先生、お客さん!神父様がお見えだよ!」


ルカは頭が痛くなった。


「大声で言うなって言ってあるだろ!伝声管を使えって、何度も言っているじゃないか!客室にお通ししたんだろうね!?」


怒鳴り声が2階から聞こえる。


「わかったって!」


ギョームが怒鳴り返す。


「自分だって使わないのに。」


最後は独り言だ。

なんたる様だ…。ルカは、頭痛どころか胃痛までし始めた気がした。


病院の客室は、玄関の奥の患者たちが待つための場所より、こぢんまりとして装飾の類は一切なかった。まるで、権威も富も知った事かと言いたげな部屋だ。


すぐに、フォルティエ医師が2階から降りてきて、言い訳を始めた。


「すみません。今日はベルダンからの行商人がやってきて市が立つ日でしょう?みんな忙しいから患者が居ないんです。患者がいる時に、怒鳴ったりはしませんよ。」


ルカは、その姿に驚いて、思わず顔を見つめてしまった。


噂通りルネが若かったからではない。


黒い髪に黒い目、小柄な体型など、遠目から見れば間違えてもおかしくないほど、ルネはエミールとそっくりだったからだ。


「ところで神父様、いったい何のご用でしょうか?」


最初の驚きがすぎると、ルカは現実に引き戻される。


「え、ええ…。少々お伺いしたい事がありまして。」


ルカは、自分がサントルヴィルから派遣されてきた事、ジャンの死に立ち会った事を伝えた。


「随分と不思議ですねぇ〜」


間延びした返事がくる。


「浅学の身で、良く存じ上げないのですが、人に悪夢を見せて殺す毒があると聞きました。」

「ええ、ありますよ。1個や2個じゃない。たくさんあります。」


ルネは、コップに注いだ水を一口飲むと続ける。


「たくさんありすぎて、何を使ったのかわからないくらいにはね。」


ルネの態度が、柔らかくも頼もしい姿に変わる。


「最初から話して下さい、どんな症状だったのか。」

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