《慰めの言葉》
翌日、朝のミサを終えた後、ルカはシャルボン邸を訪れていた。
シャルボン邸は、新市街のやや西側にあり、旧道や表通り、市場へのアクセスが良い。
アルヴァニエは旧市街と新市街のコントラストがはっきりしている。旧市街の外側を覆うように作られた街は、領主が考えた区画ごとに開発されていった。
そのため、旧市街はデュボア地区、それ以外は、地図上に引いた線に沿ってつけられた番号がその地区の名前となっている。
地区の名前の付け方からして、エミールという人物の性格が滲み出ている。彼の合理主義的発想は徹底しており、領主がいうところの“インフラ”を許可なく妨害する建築物は容赦無く撤去される。
しかも、貴族なら、普通は伝統ある旧市街を好むだろうに、エミールは子爵邸をわざわざ旧市街から利便性の高い新市街に移築してきたのだ。
そのため、有力な商人や平民も、旧市街よりもデュボア邸や市場に近い新市街に屋敷を構えたがるようになった。
シャルボン邸もその一つである。
シャルボン夫人は泣き腫らして虚な眼をして、神父を迎えた。
「神父様は…、来てくださったのですね。」
本来なら、弔問客の1人もいていいはずだが、シャルボン家の屋敷は静まり返っている。これなら、木の葉が一枚落ちた音でも、屋敷中で聞こえるだろう。
「この度は、ご愁傷様でした。」
シャルボン家の邸宅は、貴族の邸宅ほどではないにしても、平民にしては豪華な屋敷だった。先代が築き上げた富を誇るかのような装飾は、成金趣味にも見え、品に欠けるところがある。
ルカが通された応接間には、商談用なのか、大きめの円卓に6-7脚の椅子が並べられていた。戸棚には、東洋から取り寄せた陶器や銀食器が飾られ、壁にはやりすぎではないかというほど、所狭しと絵画が飾られている。
このような陳列の仕方が、ポール・シャルボンの趣味だったのか、商品をただ保管したかっただけなのかはもうわからない。
広い応接間にはシャルボン夫人とルカの姿しかない。
ルカの前には、シャルボン夫人が手ずから入れた紅茶が湯気をたてている。茶葉だけが、暖かく穏やかな時間を送っている。
ジャン・シャルボンが亡くなる前であれば、シャルボン夫人自ら神父をもてなす必要などなかったはずなのに。
シャルボン夫人の表情は、窓から差し込んだ光の影になって、窺い知ることができない。
2人の間には、重々しい沈黙が横たわる。
最初に口火を切ったのは、ルカだった。
「子を失う母の気持ちは想像も出来ません。母を残して逝く子の気持ちも。」
シャルボン夫人は俯く。
「あの子はまだ幸せでしたわ。夫は、神父様に来ていただくことも出来ませんでしたもの。」
シャルボン夫人の手にあるティーカップは小刻みに震えている。ルカは何と声をかけるべきかわからなくなった。
あの、デュボア子爵は、ルカに彼女と話すように圧力をかけたものの、それ以上の指示は出さなかった。
彼女から、何を聞き出せと言うのだろう?
「ジャンは立派な青年でした。あまりにも清廉ゆえ、神様が早くお呼びになったのでしょう。」
シャルボン夫人は、自分に何かを納得させるように頷く。
「そうですわね。あの子はとても勉強熱心で、やましいところなど、一つもありませんでした。神様も…。」
おそらく、次に続く言葉は、「きっと天国に迎え入れてくださるはず」だったに違いない。
しかし、息子の死を納得しきれない彼女は、とうとう自分を殺しきれず、泣き崩れた。
「どうして、息子だったのでしょう?こんなに早く亡くなるとは…。神父様、あの子は、あの子は…。」
ふと、ルカは、違和感の正体に気がついた。
ジャンを看取った時、彼の腹違いの兄たちはまるで、彼が亡くなってしまう事がわかっているような落ち着きぶりだったのだ。
人というものは、どんなに死んで欲しいと願う相手にでも、家族であれば少しばかりの情けをかける。そうでなければ、危篤と聞いても見舞いに来ないかのどちらかだ。
彼らは見舞った。弟を良くも悪くも気にかける様子もなく。普段は気が触れたと聞いても、どこ吹く風で顔を出した事なんてなかったのに。
「シャルボン夫人、ご家族と悲しみを分かち合われましたか?」
「いいえ、神父様。私にはもう、娘のシャーロットしかおりません。私がこの家を追い出される前に、せめていい縁談をと…。」
彼女は先ほどと同様に、最後まで言葉をつなげることが出来なかった。
やはりそうか、とルカの心は沈んだ。
今のシャルボン夫人を見れば、前妻の息子たちが彼女を冷遇しているには明らかだ。
腹違いの弟が死んで、後妻が出ていけば、前妻の息子たちにとっては願ったり叶ったりだ。
ルカは、本を読むのが好きだ。本は、過去から遠く離れた異国の事まで、あらゆることを教えてくれる。玉石混合の知識の山だ。
ふと、ルカは、以前読んだ、植物に関する本の一節を思い出した。何という植物だったか、「少量であれば薬になるが、多すぎると悪夢を見て死んでしまう」という内容が書かれてはいなかったか?
「ピエールとヨハンは、どうしているのです?」
シャルボン夫人の手に力が籠る。
「神父様、あの2人には人の情けがありません。夫の財産で女や酒を買って贅沢三昧。今にも財産を全て食い尽くしますわ。」
表情が見えなくとも、声にはっきりとした怒気がまじる。
「それを見ているだけというのは、お辛いでしょう。」
「辛いどころではないですわ。ゆっくりと死んでいくようです。夫が人生をかけて興した商いですのに…。」
「ご親戚は居ないのですか?」
シャルボン夫人は言葉に詰まる。
「父も母も、私が嫁ぐ前に亡くなりましたの。私の家は、かつては栄えていたと聞きますが、両親の代には貴族を相手にお針子や、力仕事で日銭を稼ぐほどで。貴族の家に仕えていた兄が、たまたま旦那様と知り合って、私を引き合わせたのです。」
確かに、シャルボン夫人の発音は綺麗すぎるほど綺麗だった。
きっと、下級層の立ち居振る舞いを抜くために、相当な努力をしたのだろう。
「その兄も、5年前に亡くなりましたわ。」
息が詰まりそうな沈黙が訪れる。
天涯孤独となったこの後妻は、最早若くもなく、再婚は難しいだろう。ここを追い出されてしまった後の行末など、火を見るより明らかだ。
「そうでしたか。しかし、神の門はいつでも開かれています。」
出家したところで、セント・クレール教会の質素な生活に、シャルボン夫人が耐えられるとは思わなかったが、せめてもの慰めでそう口にした。
彼女が浮浪人のように彷徨い歩く姿は見たくはない。
シャルボン夫人の訪問を終えると、ルカはその足でエミールの元へ向かった。




