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《終焉》

「ルカ、ルカ、怖いんだ。俺を1人にしないでよ。」


同じ弱音を、かつて聞いた事がある。

ルカをこの世に一生懸命に繋ぎ止めようとした声だ。


「私は君と共にいる。」


エミールの目に僅かな涙が浮かぶ。


「やっぱり、帰った方がいい。君まで巻添えにしたくないんだ。」

「この病は、私にはうつらないんじゃなかったのか?」


さっきの弱音はどこへ行ったのか。エミールの口調が、いつもの人を小馬鹿にしたような話し方に戻った。


「僕のゲロや便を少しでも口に入れたらうつるさ。ノロなら、また違うけど。」


あけすけな言い回しと、見下したような目。


「例え目に見える程度じゃなくても、お前が俺のゲロや便を触れば、お前の手は汚れるし、その汚れた手で飯を食えば、お前だってかかるさ。」


眉を顰め、苦しげに何度か息をつく。


「汚れた手で…」


そこまで言うと、体を丸め、簡易ベッドの横に置いた洗面器の中に嘔吐した。その間も、手でルカが近寄ろうとするのを制止する。


ルカは、微かに目を伏せる。


エミールは、こういう人間なのだな。


ふと、納得した。


「高いリスクは取らない、低いリスクは取る。」

サン・デュボア病院のスローガンだ。


何の危険も負わずには、人を救えない時がある。

そして、危険がゼロではない以上、こういう事も起きるのだ。


ルカにもわかっていたことだ。

かつて、黒死病の時は、自分がその立場にいたのだから。


病床に伏してなお、エミールは、この病が他人に広がることを心配している。


エミールは、アルヴァニエの誰よりも、病のことを知っている。


知っているからこそのプライドがある。

無知な子どものように、不安で泣き叫び誰かに縋りつきたくても、それを簡単には選べない。


「ルカ、ルカ、行かないで。」


言葉とは裏腹にルカの前に突き出された手は、はっきりと拒絶を示しているはずなのに、まるで母親を求める子供のようでもある。


ルカは、黒死病が流行った時に作った予備のガウンに手を通す。


そして、手袋をして、彼の手を握った。

驚きの目がルカを見上げる。


「君は救える患者は見捨てなかった。私も、君の魂を見捨てはしない。」


エミールが信仰に目覚めない事など、十分すぎるほどわかっている。


だから、ルカは淡々と彼の横で彼の世話をし続けた。彼が服を汚せば、着替えるのを手伝い、吐いたものは直接触れずに石灰を混ぜて土に還した。


エミールがしてきた行為には、許されざるものもたくさんあった。しかし、その一方で、救った命もたくさんあった。


ルカがエミールのやり方で彼を助けようとしたのは、彼がしてきた行為を許したいからではない。


エミールが人々のために作った「医術」が人々を救える事があるのだと知っているからだ。


真なる信仰心を持つならば、人を傷つけるやり方は遠ざけるべきだが、人を救える方法まで遠ざけるべきではないと思ったからだ。


とうとう、吐くものも出るものも無くなってからは、ただ見つめ続けた。かつての彼が、死にゆく赤子の苦痛を取ろうと、見つめ続けたように。


エミールが熱で浮かされ始め、体が震える。


ルカはふと、あの時のエミールもまた、あの赤子、アンヌのために祈っていたのではないかと思った。


ルカとの違いは、エミールが祈る相手が、彼のいうところの医学であっただけ。


祈りは命を救わないかもしれない。


しかし、あの時のアンヌの両親が、エミールの中に希望と慈悲を見たように、誰かの祈りが魂は救う事もある。


夏にしては寒い夜明け前、エミールは逝った。


寒い夜は死神と同じ。


エミールが嫌った、隙間風が窓を揺らすカタカタという音が冷たい部屋を満たしていた。

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