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《過去の再来》

夏が近づく頃には、エミールの噂は、真実として語られ事が増えた。


それでも、本人は気にしなかった。


エミールには交易を握る力も、警察を把握しておく力もまだあったからだ。


皆が好き勝手に騒いでも、それを告発できる者はいない。

暗黙の了解だ。


「アンタんとこの芋を食って、うちの子は病気になったんだよ!」


市場で怒声が上がった。


「知ったこっちゃないよ!ジャックだってうちの芋を食べたけどね、美味しいって言ってたんだ!勝手に病になったのに、人のせいにすんじゃねぇよ!」


ここのところ、下痢をする人が多いのだ。


本来なら、衛生を監督する行政機関があるべきだ。

しかし、アルヴァニエには、まだ公衆衛生全体を一義的にお取り扱う部署がないのだ。


食品衛生、母子保健、上下水道、高齢者福祉…。

足りないものは、いくらでもある。


それらは全て、役所よりも先に教会の耳に入る。


ド・モンフォール司教が、エミールを訪れた。

エミールは、彼を応接室へ通した。


「これは良くぞお越しくださいました、司教。今回はどういったご用向きでしょうか?」

「お久しぶりですね、子爵。この老骨は子爵の健康を祈っておりましたが、お変わりないようで幸いです。」


形式ばった挨拶を終えると、ド・モンフォール司教が口を開く。


「ここのところ、市井で下痢が流行っているようなのです。3番街と4番街の住民に多く、何が原因かもわかりません。子爵は医術の心得もあるようですから、お知恵を借りれればと。」


司教にはそんなつもりはないだろうが、医術の心得、とは随分と皮肉なものだ。


「構いませんがね、そろそろ、こういう事を指揮できる人間を作りたいところですね。」


エミールは、ド・モンフォール司教の目を見る。


「教会には、あらゆる子どもたちが来ます。母子の様子を見て、将来の病を見抜ける修道女達がいたら…。こういう時、すぐに病を封じ込める事が出来る神父がいたら…。想像してみてください。どんなに素敵な事だと思いませんか?」

「教会は、神に使えるものが集う場所です。政治とは一線を引くべきです。お分かりでしょう?」


ド・モンフォール司教が子どもに言い聞かせるように言う。


「権力を1箇所に集中させるべきではない。」

「…ええ、そうですね。考えが足りませんでした。」


エミールは素直に謝った。

ド・モンフォール司教に言われるまでもなく、教会に行政機能を集約するリスクは承知していたが、教会が独裁的になることより、乳幼児死亡率を下げることのほうにエミールの関心はあった。


しかし、まさか司教の方からこの話を蹴ってくるとは思わなかった。


この話を受けておけば、アルヴァニエが今後発展した時に、サントルヴィルの司教よりも強い地位を手に入れる事が出来るのだから。


その頃には、デュボア子爵家より、セント・クレール教会の方が権力を持つことになっただろうに。


「まあ、その話は置いておきましょう。何人か神父をお借りしても?」


エミールは教会へ行くと、市街地の地図を張り出す。

そして、神父達に、病人への聞き取り項目が書かれた紙を渡すと、地区を回って病人を探すように言った。


「くれぐれも、吐瀉物や便に直接触らないように注意しなよ。万一触ってしまったら、水と石鹸で洗い、乾いた後にアルコールを塗るんだ。あと、水は必ず煮沸したものを飲むこと。顔は布で覆うこと。」


かつて、黒死病を共に乗り切った神父達は、淡々としていた。

言われなくとも、何度もやってきた事を、もう一度やるだけだ。


「僕も一緒に行くよ。誰か一緒に来てくれる?」

エミールは神父達に声をかける。


フィンという助祭が、共に行くことになった。

エミールは、先ほどと同じ注意を繰り返す。


「わかりました!」


皆、黙々と、患者の発生した場所を聞き取り、使っていた井戸と糸で結んでいく。


そうすると、大まかに3箇所の井戸、1箇所の下水道のルートが、患者の発生場所に近い事がわかった。


エミールは下水道を徐々に整備していたが、まだ整備しきれていない場所もまだ残っている。


ここもその一つだった。

3箇所の井戸は封鎖された。


感染者がいる地区には、加熱した水を使うよう、おふれが出た。

エミールとフィンも患者からの聞き取りや食べたものを聞き取って行く。


井戸の共通点以外に、何か共通点がないか探すためだ。


彼らは飲み水を持参していたが、フィンはうっかり、水筒の中身をこぼしてしまった。


そこで、彼は上水道まで行き、下に溜まった水を汲んだ。

…上水道は安全なはず、だったから。


まさか、皆が飲み水にする水で、手を洗ったり口をゆすいだりする人間がいるとは思わなかったから。


普段なら、多少そういう人がいても、水の流れですぐに浄化されるはずだった。それが、よりにもよってフィンが水を汲む直前だったから。


エミールにとって不運だったのは、それらの偶然が全て重なったからだ。


エミールは、フィンに渡された水を飲んだ。


次の日、貧民街の視察中に、エミールは酷い下痢に襲われた。


翌日も一緒だったフィンが慌てて教会へ助けを呼びに行く。

ルネが居ない以上、この街に医者はエミールだけなのだ。


それがこんな状態では…。


フィンの代わりに、ルカが戻ってくる。


貧民街の一室で、エミールはうめいていた。


いったい、どこでミスをしたんだ?

不用意に汚物には触っていないし、飲食物は全て教会から持っていったものだ。


途中でフィンに水を少し分けてもらったが、フィンの体調は問題なさそうだった。


…エミールはフィンが水を継ぎ足したことを知らなかった。継ぎ足すときに上水道から流れ落ちる水を飲んだから、それ以降水筒から水を飲まなかったことも。


ルカから見て、エミールの状態は、とても移動できるようには見えなかった。

寒がって毛布にくるまったかと思えば、嘔吐でそれを汚した。


もはや、エミールの体は水すら受け付けなくなっていた。


エミールが黒死病の対策で健康な者を患者から遠ざけたように、ルカは自分以外を彼から遠ざけた。

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