《神の如き救い》
あんなことがあってからも、“お茶会”は続いていた。
しかし、そこにはもう、暖かな情緒的な交流はなかった。
ルカは、淡々とエミールを見張った。
エミールから、少し引いた立場で彼を見て、気がついたこともあった。
デュボア家の内情もわかってきた。
評議会でのエミールの立ち位置も。
彼は常に孤立していた。
彼を理解できる者も、理解したいと思う者もいなかった。
アルヴァニエのたった2人しかいない医師の片割れ。
救えるはずの命が、ここでは救いようがないのだと、苦痛に顔を歪め、1人耐えている時もあった。
…その苦痛が、あの凶行を呼んだのだと、今ではわかる。
「今日もまた随分と酷い顔だね。まるで誰か殺してきたみたい。」
ルカは、エミールの言葉を無視して問いかける。
「病院へは行っているのか?」
エミールは、わざとルカを怒らせる言い方を選ぶ。
ルカを待ち伏せし、自分が殺されかけたことを揶揄したこともある。
まるで、過去の関係を取り戻したがっているように。
ルカさえ、かつてのように怒ってくれれば、全てが元通りになるとでもいうように。
「もちろん。あそこは僕の病院だよ?」
「…昨日から、熱が下がらない子どもがいる。」
「連れてきたらいい。切り裂いたりはしないから。」
サン・デュボア病院の評判は徐々に高まっていた。
サントルヴィルからも患者が来るほどだ。
…実験を繰り返し、人体を探求し続けた場所だ。
他の病院とは、実力に大きな差があるのは当然の事だ。
ルカは、エミールのやった事を許しはしなかった。
しかし、一方で、エミールの医術も否定はしなかった。
必要な時には、教会の信者にも病院へ行くよう告げた。
ある昼下がり、貴族の使用人が病院のドアを叩く。
ド・ラ・ヴェリエール男爵の使いの者だった。
ルネは、使用人から、ヴェリエール男爵の子どもが危篤だと聞かされた。
ルネの顔に一瞬、怒りがよぎる。
なぜ、危篤になる前に連れてこない?
…いや、きっとお抱えの医者がいるに違いない。
そう思うことにした。
ヴェリエール男爵はルネに邸へ来るよう言い募ったが、ルネはまだ師匠なしで子どもを見るのは不安だった。
大人と子どもでは、体の作りも反応も異なるからだ。
「ギョーム、フォルティエ先生を呼んでくれる?」
エミールは、ルネからの説明を聞くと、心底軽蔑した表情を浮かべる。
ヴェリエール男爵という人物を、エミールはよく知っていた。
彼は色情狂と言っても過言ではない。
娼婦だろうがそうでなかろうが、嫌がろうがそうでなかろうが、すぐに手を出す。
かつて、彼が買った女は、背中に幾つもの鞭の跡があり、唇の端を切っていた。
そのくせ、彼は世間からは清廉潔白の紳士ときた。
エミールが最も嫌うタイプだった。
治療する相手が、彼自身だったら、絶対に治療は拒否しただろう。
嫌々ながら、エミールはヴェールを被り、ルネを従者ということにして、ヴェリエール男爵宅に向かった。
病気の子供が寝ている部屋は窓が大きく、明るくて広かった。
しかし、そこに居るのは、病気の子どもとその母親とお付きの侍女だけだ。
父親はどこにいる?エミールは腹立ちのあまり頭の毛が全て抜けそうだった。
「失礼します。」
エミールは、子どもの寝かされた寝台に近づき、様子を見た。
脈は早く、高熱がでて、声をかけてもぐったりとして動かない。
顔色が黄色味がかっている。
「この子はいくつですか?」
「まだ6つです。」
「いつから意識がないのですか?」
「昨日から、起こしても起きないのです。熱が高くて…。」
若い母親は、神にでも縋るような視線をエミールに向ける。
「最近、何か変わった事は?」
「ありません。…ああ、そうだわ、1週間くらい前に風邪を拗らせて。でも、治ったんです!あの時はちゃんと治ったのに…!」
最も疑わしいのは感染症からの肝炎の合併だろう。
しかし、検査キットがない以上、何に感染したのかはわからない。
…何に感染しているか、よしんばわかったとしても、抗ウイルス薬も抗菌薬もない。
すでに手遅れだ。
母親を廊下に連れて行く。
「残念ですが、手遅れです。あとは…」
できるだけ苦痛をとってやることしかできません、そういう前に、母親が叫んだ。
「嘘よ!…いやぁああああ!」
広い館に、彼女の悲鳴が響いた。
「お嬢様!」
侍女が、母親に駆け寄った。
奥様ではなく、お嬢様。
彼女は正妻ではなく、ヴェリエール男爵が抱える妾の1人なのだろう。
そこへ、ヴェリエール男爵が帰ってきた。
袖が少し濡れている。
顔を洗い、口をゆすいだようだが、酒や香水の匂いは隠せない。
「どういうことだ?もう一度、説明しろ!」
酔ったヴェリエール男爵は、怒鳴り声を上げる。
「奥様にも言いましたが、もう手遅れです。せめて、神様の元へ召される前に、一緒にいてあげたらどうでしょう。」
ヴェールの下のエミールの顔は険しい。
「いくら払っても構わない。この子を助けてください。」
「無理なものは無理だ。」
「この子の父親として言っているのです。」
妾を何人も囲い、妾や妻や子供を顧みずに色恋に浸っているくせに、何を言っているのか?
この子の意識が無くなったのは今じゃないんだぞ!
「私にできる事はもうありませんから。」
「いくらでも払います。朝まで居てください。食事も用意させます。」
エミールは不機嫌を隠さなかった。
「なぜ、自分が付き添わないのですか?」
一瞬の沈黙。
「付き添います。付き添いますから。」
長いようで短い夜が始まった。
ヴェリエール男爵は、正直に言って碌でもない男だった。
死にかけている我が子を前に、手を握ってやることも、汗を拭ってやることもしなかった。
しかも、余命数日と言われた我が子の前で、よりにもよって居眠りを始めた。
母親の方が、先に限界がきた。
「出ていってちょうだい!2度とその顔を見せないで!」
そう言うと、彼女は、我が子の前でさめざめと泣き出した。
子どもが、苦しそうな息を始める。
腹が張って、仰向けだと苦しいのだろう。
「少し、ベッドの横に腰をかけれますか。」
エミールは、子どもの体を起こすと、枕で背もたれを作り、母親の肩に寄りかからせた。
「熱が出ても、耳は聞こえているかも知れません。」
「アンリ、良い子ね。アンリ。私の天使。」
母親は一晩中、我が子に話しかけた。
「来週は、水遊びをしましょう。まだ寒いからダメって言っちゃったけど、でも良いのよ。一緒に遊びましょう。」
まるで、未来の約束が、我が子を守ってくれるとでも言うように。
彼女は力強く約束した。
無情にも、時はすぎた。
何度か、アンリの目が開いたように見える瞬間もあったが、明け方にはとうとう息を引き取った。
まるで、その頃合いを見計らったように、ヴェリエール男爵がやってきた。
「先生、私の子はどうなったんですか?」
付き添っていれば知っているはずの答えを、彼は聞く。
アンリの母親が鋭い目で、男を睨んだ。
「神の元へいかれたわ。」
「なんだと!?何のために医者を呼んだと思っているんだ?」
少しアルコールが抜けたのか、昨日よりは滑舌がいい。
「だから、ちゃんとそばにいたでしょう。代金はちゃんと払って下さいよ。うちは出来高制じゃないんでね。ああ、それと、朝ごはんは何でも良いですよ。生野菜以外だったらね。」
エミールは吐き捨てた。




