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《秘密》

エミールは書斎のサイドテーブルをずらす。


そして、木の扉を持ち上げると、その下には、秘密の隠し通路があった。


通路を抜けて、微かな腐臭とアルコールや硫黄などの化学臭がする。


ルカは、思わず顔を背ける。


通路は、地下の割には乾燥していた。

石灰で、壁を塗り固めているからかもしれない。


地下室は広く、半地下のような構造で、部屋の上部には換気と採光用の窓があった。


注意深く観察しなければ、外からも子に場所に部屋があるとは思わないだろう。


そこには、乾燥したハーブや、色とりどりの砂のようなものが入った瓶が並べられている。


その中には、当然のようにヒヨスも並んでいた。

シャルボン家の事件があった時、ルネから見せられたものと同じ…。


動物の内臓と思しきものが入っている瓶もある。


ふと、ある瓶がルカの目に止まった。


…人の手だ。

それも、知っているはずの手だ。


全身に冷や水をかけられたような衝撃が走る。

目の前が揺れ、視界が一瞬暗くなる。


「大丈夫?」


自分を気遣う声が聞こえる。

エミールと目があった。

ルカを心底心配する目。


ルカはよろめくと、その場で嘔吐した。


唐突に、あの手が誰のものかわかったからだ。

初めて、エミールに厄介ごとへ巻き込まれた時。


そうだった!

あの、ジャン・シャルボン事件の時!


彼が病で臥した時、ルカは彼の火傷の傷痕が残る手を取って祈った。


彼の手だ。


ルカの頭痛が酷くなる。


エミールは、「ヒヨスは胃痛にも効きますからね。騙して飲ませるのは簡単だったでしょうね。」そう言った。


だが、あの時!

私は、彼にシャルボン夫人の葬式での様子は伝えていなかったではないか!


それなのに、胃の調子が悪かったと何故わかるのか?

あの言葉は、ヒヨスの一般的な話ではなく、ジャン個人の事情を知っての言葉だったのだ!


あの時、すでにエミールは彼を切り刻んでいたのだ。


「どうして…。」


冷たい目をしたエミールが、独り言のように言う。


「そう言うのはさ、殺そうとする前に言うものじゃないの?」


ルカがエミールを見上げる。

エミールは、自分の服の袖で、ルカの口元を拭った。


「知りたいなら、もう一度、今晩来てよ。」


ルカはその後、どうやって教会まで帰ったのか覚えていない。


ただ、底知れぬ闇が目に前に広がっているような気分だった。


これ以上の秘密があると言うのだろうか。

夜にまた来いなどと言うのは、口封じのつもりなのではないだろうか。


…それでも、構わない。

何も知らないまま、終わりたくはない。


どこで間違ってしまったのか。

エミールは人を救っている。


なぜ、尊いはずのその行為が、こんなにも血生臭いのか。


真夜中の鐘がなる頃、ルカはデュボア邸に向かった。


昼間と同じように、彼は書斎に通される。


沢山の書類が目に飛び込んできた。


ソファーで、エミールがくつろいでいる。

薄くて柔らかい寝巻きは、首元が緩く、ルカがつけた赤い手形がはっきりと見える。


「好きに見ていいよ。」


エミールが、ルカに声をかける。

2本の紐で閉じたファイルが何冊も積み上げられている。


ルカは、その時、漠然とした違和感が形を持ち始める。

こんな書類の綴じ方をルカは見たことがない。


本棚だと思っていたそれは、実際にはファイルの棚だったのだ。

書類を立てて保存するやり方も、他では見たことがない。


全てがチグハグなのだ。

目の前の物を一つ一つ見れば、ルカも知っているものが多い。

しかし、知っている形と違う。

まるで、異国に紛れ込んだ気分だ。


「これはどう言うことだ?」


目の前の書類について尋ねられたと思ったエミールは、それについて解説する。


「虫垂の絵だよ。前にジョン?ジョシュ?なんちゃらって居たでしょ?こっちが病の絵、こっちが、健康な人間の絵。」


健康な人間の絵…。健康な内臓…。


「…見たのか?」

「見てなきゃ、手術は出来ないよ。」

「ルネも?」

「ルネは僕の“治療”を見てる。あとは、僕が作った教科書もね。」


沈黙が降りた。


「ルネには切らせなかったのか?」

「…信仰心が強いから。」


泣き笑いのように、エミールが答えた。


「手術は技術なんだ。練習しなきゃ、上手くはならない。」


エミールがこれまでに起こした奇跡は、奇跡ではなかった。

練習に裏打ちされた実力だったのだ。


「魂の救済はどうなる?」

「世の中には沢山の宗教がある。自分のところが正しいとなぜ言える?ルカは、神様とやらを見たのか?」

「神が居なくて、どうしてこの世が存在するんだ?」

「存在する理由を調べ尽くしてから、その問いは答えられるべきなんだ。」


エミールは嗤う。


「神がいようがいないが、僕はここにいる。そして、僕はアルヴァニエで最も人を生かしてる。」


エミールは、ふと遠くを見つめる。


「別に、ルカがどう思ってもいいよ。僕がルカでもそう思う。」

「なら、どうして…。」

「それで、人が生きるから。」


答えはどうしようもなく単純だった。

静かにルカを見つめる目。


目の前で溺れている者がいたら手を差し出すのが人情だ。

エミールは、ただ手を差し出しているのだ。

死体を踏台にして。

助からないと切り捨てた者を突き落として。


死者の、死にゆく者の尊厳は、生者の尊厳と同じ線の上にある。

死者の尊厳が守られない場所では、生者の尊厳も守られない。


遺体とはいえ本人の許可を取らずに切り刻む。人を物として見る視線こそ恥ずべきものだ。


エミールも、この矛盾に気がついているから、隠すのだ。決して許されざる行為。


「こんな事が世に知れたら、どうするつもりだ?」

「兄上がいる。人の上に立つべき人を血統で選ぶべきじゃないんだよ。僕みたいなのがいるからね。」


自分なら、どうしたのだろう?

目の前で死にかけている人を救う方法があったとして、それが人の尊厳を踏み躙る方法だったとして。


ルカなら使っただろうか?


いや、そんな事はあってはならない。

人の命は尊いものだ。


ルカに医術はわからない。


しかし、人の人生に寄り添う医術は、人の命も肉体も、蔑ろになどしないはずだ。


隠れて人を切り裂くべきではない。

切り裂かずに済む方法を探すべきなのだ。


例え、他に方法がなかったとしても、本人や家族の意思を問うべきなのだ。


決して、切り刻まれ、あんなところへ捨てられていい人間など、1人もいない。


ルカが目を上げると、エミールの目とあう。


絶望に僅かな希望が混ざった目。


「…もう2度とするな。」


ルカは、エミールに釘を刺す。

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