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《ある若者の死》

ここでは、人の死はありふれている。冬に街角で力尽きる人間が年に数人は必ずでる程度には。子供を失ったことがない母親がいない程度には。


人が死ぬ際、隣に誰かいてくれるなら、それは幸運なことだ。亡くなった事を知らせる相手がいて、「なぜ」と嘆いてくれるなら、それも幸運な事だ。


ソフィー・シャルボンは、息子の棺に縋って泣いていた。


「私の息子はまだ若かったわ。このところ、胃の調子が悪くて寝込んでいることもあったけど、亡くなってしまうほどではなかったわ!」

「奥様、お気持ちはわかりますが、もう行きませんと…」


彼女は年の離れた夫を去年亡くしたばかりだった。故シャルボン氏は商才があり、交易で巨額の富を得た。その、裕福な行商人の家系にしては、簡素な葬式だった。


「…ハア。」


誰かのため息が漏れる。付き添いの使用人達はやれやれといった様子で、彼女の嘆きを真に受けはしない。


「高名なお医者様だって、これは熱病だと仰っていたじゃないですか。」


シャルボン夫人は、さらに大きな声をあげて泣き始める。


「熱病ですって!?ロルモン様のご子息もこの間、熱病にかかったけれど、助かったじゃない!なぜ、息子だけが…。」


母の悲痛の嘆きが聖堂に響く。聞く者によっては、不快でたまらないであろう、悲痛な声に、使用人たちは密かに眉を顰めた。


その場で、ただ1人、ルカだけは彼女の言葉に耳を傾けていた。ルカは、シャルボン夫人の元へ歩み寄ると、そっと声をかける。


「どんな死であっても、全ては神の御心のままです。彼をこのまま埋葬せずにおくほうが、彼のためになりません。」


シャルボン夫人は泣き疲れたのだろう。ルカの言葉に、力なくただ頷くと、棺から手を離した。緑の瞳から、涙がこれでもかというほどにこぼれ落ちる。


シャルボン夫人には、5人の子供達がいた。その内の3人は赤子のうちに亡くなり、成人したのはこの息子と、4つ下の娘だけだった。


彼女の立場は、お世辞にもいいと言えるものではない。彼女は後妻だったのだが、前妻には成人した男の子が2人いる。2人は素行があまり良くなく、父であるポール・シャルボンは、2人には財産を、末息子には家業を引きつごうとしていた。


この末息子が亡くなってしまえば、あとは娘しかいないシャルボン夫人が軽んじられる事は明白だった。夫人としての地位すら危うい彼女を支えようとする使用人が居なくても、仕方がない事だ。


それに、この亡くなった末息子は、今年に入ってから時折、錯乱することがあった。居るはずのない人を見たり、痴呆のように、自分が持っているものが何かもわからなくなった。使用人達にしてみれば、母親の悪い血が騒いでいるようにしか見えなかったのだ。


シャルボン夫人は、サントルヴィルから高名な医師を招聘した。様子のおかしい息子のために、できることは全てやってやりたかったのだろう。しかし、その医者を以てしても末息子の錯乱の原因はわからない。


途方にくれて、シャルボン夫人は教会を頼った。息子のために祈りを捧げてほしいと依頼したのだ。


その度に、セント・クレール教会の神父達は祈りを捧げた。ルカも、シャルボン夫人に呼ばれて、何度か祈りを捧げたことがある。


これまで、末息子は錯乱しても、長くても1日ほどで落ち着き、翌日には普通の生活に戻っていた。


「神父様、また息子が…、様子が変なのです。お医者様も原因がわからないと言うのです。」


昨日の晩も、彼女はそう言ってルカを呼び出した。今回の錯乱は一段と酷く、天井に悪魔が這っていると言い出すほどだった。祈りは通じず、彼は徐々に弱っていき、最後には息絶えてしまった。


そのような経緯を知っているから、ルカは漠然とした違和感を覚えた。何かの病だったとして、錯乱しただけで死んでしまう事があるのだろうか。教会の外で神を見たと騒いでいる狂人ですら生きているのに。それに、彼女の末息子は、錯乱とは言っても寝ぼけているようなぼんやりとした状態に近く、いつもなら翌日には何もなかったかのような様子に戻っていたのに。心の中で疑問が膨らんでいく。


もし、シャルボン夫人の言葉が正しく、誰かに殺されたとしたのなら、人殺しが野放しになってしまうのではないか?


神の奇跡を教え、改心させねば、その人物は新たな罪を重ねてしまうのではないか?


心が乱れたまま、ルカはポール・シャルボンの末息子、ジャン・シャルボンを埋葬した。


すでに時刻は15時をまわっている。太陽の翳りをみて、ルカはため息をついた。今日はあの領主に会いに行かなくてはならない。


デュボア子爵は、なぜかルカを気に入り、聖書の教えを請うという名目で彼を呼び出すのだ。

しかし、聖書の教えを請うという割には、世間話が多く、貴族のご婦人方のお茶会と大差がないものになっている。


聖書を片手に、デュボア子爵邸に行くと、すでにエミールは茶を淹れてルカを待っていた。


「遅くなって申し訳ありません。」

「仕方がないですよ、神父様。誰かの葬式があったのでしょう?」

「シャルボン家の末息子です。」


エミールは、微笑むと、「安らかに神の御許へ行けますように。」と言うと、少し小首を傾げてみせた。


「ですが、彼はまだ18か19くらいじゃありませんでしたか?」

「ええ、そうです。」

「なぜ、亡くなったのですか?まだそんな歳ではないでしょう?突然、亡くなるなんて。」

「原因不明の熱病だそうです。」

「はは、怖いな。毒でも盛られたんじゃないんですか?」


ルカは眉を顰める。


「そういうことは軽々しく…」


言わない方がいい、と言い終わる前に、デュボア子爵が言葉を重ねる。


「不正は暴かれるべきだ。そうでしょう?」


ニッコリとエミールが微笑む。


「領主としては、人殺しに彷徨われたら困る。」

「子爵は、何かご存じなのですか?」

「いえ。でも、知っておくことも、私の務めです。」


ルカは思わず、エミールの顔を見つめる。


「神父様こそ、何もご存じないのですか?」


ルカは言葉を失った。ルカは何も知らない。何も知らないが、確かに違和感はあった。ルカは、これまで何人も神の御許へ送り出している。その時には感じなかった違和感。


「目の下にクマがある。彼を看取ったのは貴方でしょう?…宜しいのですか?神父を人殺しに利用した人間がいるかもしれないのに。」


物騒な話とは裏腹に、エミールはいつもと同じあどけない笑みを湛えている。


「…私に何をしろと?」

「滅相もありません。神父様。私はただ、真実を知りたいだけ。」


その後に話した内容を、ルカはほとんど覚えていない。世間では私利私欲のために人を手にかけるものがいる事くらい、彼も知っている。しかし、彼は俗世の事には必要以上に介入すべきではないと考えていた。

人間を裁いて良いのは神のみであるからだ。


しかし…。


万が一にも、目の前で人が殺されたのに、それを見過ごしてしまったら。


神の名を、人殺しの道具になどされてしまったら。

あまりの恐ろしさに、ルカはブルリと身震いをした。


「特別なことは何も必要ありません。シャルボン夫人とお茶でも飲みながら話をすれば、きっと何かわかるでしょう。」


幼くして子爵の地位を継ぎ、子爵家を建て直した人物。


背筋に冷たいものが流れた。

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