《弟》
レオン・デュボアから見て、すぐ下の弟は、可愛くないなどというものではなかった。
レオンに対して遠慮がなく、兄であっても立ててもらった事など、何回あっただろうか?
弟は、小さい頃から、よくわからないものが好きで、よくわからない物を沢山作っていた。
実験の残骸で部屋が臭くなる事も良くあった。
煙がドアや窓から漏れ出ていた事もある。
レオンは妾の子ではあったが、賢い子だった。
周囲の要求を瞬時に読み取り、相手の望む事をするのに長けていた。
母が勉強をしろと言えば勉強し、父がやりすぎるなと言えば表面上は従った。
努力家でもあった。
非凡なエミールの影に隠れてしまってはいるが、彼は本来、秀才と呼ばれるべき人間だった。
レオン自身は、己の才覚を評価している。
…周囲も、彼をもっと評価すべき、彼はそう思っている。
縁の下の力持ちというように、アルヴァニエの事務はほとんどレオンが回しているのだから。
一方のエミールは勉強らしい勉強をした事がない。
大体、教科書を一回読むと、酷い時はパラパラとつまみ読みしただけで、「こんなものか」と鼻で笑った。
エミールは、常に新しいものに取り憑かれていた。
「なんでそんなやり方をするんだ?」
エミールの口癖だ。
それで納得できればそれでよし。
納得できなければ、変えていく。
常に何かを変えていて、皆に新しいものが馴染む前に、また変えた。
街は急激に変わっていった。
エミールは周囲の賛同を求めなかった。
「それに何の意味がある?」
そう切り捨てた。
周りの者がどう思うかも考えず。
黒死病の時もそうだ。
どうやって対策すべきか、彼は誰にも聞かなかった。
ただ、やるべき事を上から下へ流しただけ。
そして、貧民に中途半端に施しをし、市民から財産を取り上げた。
財産を失って、その後、どうやって生きていけと?
レオンの所へは、何人もの市民が陳情にあがった。
泣きながら訴える者、虚な目をしている者、全身に怒りを滲ませる者…。
エミールは、それを見つけると、戒厳令を破ったと怒り、さらに財産を取り上げた。
貧民は、所詮はアルヴァニエの民ではない。
どこかから流れ着き、勝手に住み着いただけの者達だ。
レオンの書斎から遠くに見える貧民街は、いつか消したい汚点だ。
だから、彼はあえて貧民街が見えないよう、窓の一部に家具がかかるように設置した。
それなのに、いくら家具をずらしてもずらしても貧民街は、はみ出てくる。
窓の風景を汚す奴ら。
いくら死んだとて、アルヴァニエには関係ない。
そもそも、病を持ち込んだのは奴らではないか!
レオンは憎々しげに、戸籍の写しのファイルに目を向けた。エミールが、貧民も戸籍に載せろというから、載せている。彼らの名前を書いたインクの匂いは、吐き気すら催させる。
税金も払わず、施しだけ享受する腐った奴ら。
レオンだって努力した。
妾の子という立場から、実質的にアルヴァニエを回す立場にまでのし上がった。
努力する者が、報われる世界じゃなきゃおかしいじゃないか。
守るべきは、税を払う努力をしている市民達だ。
それなのに、エミールは市民を虐る。
財産の没収だけでなく、強制労働にも駆り出した。
市民は疲れ果てていた。
市民は没落し、デュボア家も財産を失いつつある。
これでは、アルヴァニエは対外的な地位が弱まってしまうではないか。
黒死病のせいで、周辺の都市にもアルヴァニエを侵略する余力はないとはいえ、対外的な立場が弱まれば交易にも影響する。
周辺都市より現在のアルヴァニエは人口が多いとはいえ、軍事力で隣の都市を攻め落とせるかと言われれば、無理に決まっているのだから。
「なぜ」は、小さい頃からずっと、胸の内にあった。
なぜ、エミールだけ許されるのか。
なぜ、エミールに従わなければならぬのか。
なぜ…。
なぜ…。
人々の中には、レオンは恵まれていると言う者もいる。
読み書きを教えて貰ったではないか。
家庭教師をつけて貰ったではばいか。
サントルヴィルへ行かせて貰ったではないかと。
しかし、他にもっと酷い地獄があるからと言って、今いる地獄がなくなるわけではない。
レオンはエミールを恨んだ。
弟に死んで欲しいとは思わない。
でも、死んでもらっても構わない。
生きていて欲しい理由が、これっぽっちも思い浮かばないのだから。




