《雪解け》
春こそが全ての勝負だ。
雪は黒死病を一時的に封じただけ。
暖かくなってノミの活性が上がれば、第二波が来ることは火を見るより明らかだ。
「もう嫌だ…。」
暖かい日差しの下、エミールは弱音を吐く。
書斎には、誰もおらず、返事もない。
エミールはソファーに寝転び、足を肘掛けに乗せる。
…ミニマリストを目指そうか。
このソファーとていつ虫がつくかわからない。
コンコン、とドアがノックされ、アルマンの声がする。
「旦那様、ルカ様がいらしています。」
「いいよ、入れて。」
扉を開くと、アルマンはエミールの姿にギョッとする。
「それで、良い知らせ?言っとくけど、聖人の祝日は許さないよ。どうせ、皆んなでどんちゃん騒ぎして黒死病を広げるだけなんだから。黙って家でチキンでも食べてれば良い。」
自分で言いながら、エミールの声音が低くなる。
チキンなんてどこにあるんだ?
農民からもすでにかなりの量を供出させているのに。
「チキンを持って来ましたよ。」
エミールはルカに一瞬視線を向けるとすぐに逸らした。
「要らない、ルネにあげて。」
この頃には、ルネも医者としてあちこち忙殺されていた。
「貴方も、たまには良いでしょう。」
「…。」
「貴方のおかげで、これだけの人が生き残ったのですから。」
「…。やめてよ。これからが酷いんだからさ。周辺都市は、人が居なくなった。それがどういう事かわかる?」
ルカは沈黙した。
「生き残った人間は前より豊かになる。これまで100人の人間で分け合っていたものを3人で分け合えば良いんだから。現実はもっと複雑だけど、大まかにはそうなる。そうなればどうなる?」
エミールは泣きそうだった。
「うちは、農民にも商人にも大量の物資を供出させた。何の見返りもなくね。きっと、皆は不満に思うだろう。」
「彼らは命を失わなかった。」
「大事なものは失うまで気づかない。彼らが今、失ったのは財産だ。」
給仕のため、部屋に残っていたアルマンも労わる視線をエミールに向ける。
「これからノミがまた増えれば、次の感染が起きるさ。他所よりも頻繁にね。人々は私の能力不足を責めるだろう。他所ではこんなことないのにって。でもそれは、他所は感染が広がるほどの人間がいないってだけなのに。」
「物事を悪く考えすぎるのはよくありません。」
「ああ、そうだな。今のうちにカスティエは潰しておこう。周辺からの物資供給を絶って、あそこの鉱山はデュボアが押さえれば良い。」
エミールの目に剣呑な光が宿る。
ルカは、テーブルの上にパンとチキンを置くと、アルマンにお茶を淹れるよう目で合図した。
「それよりも、今は、チキンとパンのどちらを食べるかが問題だ。さっさと起きろ。」
「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないんだ。」
ルカは諦めてエミールの隣に座ると、体を引き起こそうとする。
「お前、服にノミの卵でもつけてないだろうな?」
「ここに来る前に身は清めたし、服も煮てから乾かしたものを選んだ!」
「…。」
エミールはズリ上がり、ルカの膝に頭を乗せる。
「…。」
ルカは閉口した。
エミールは、一度この甘えモードに入ってしまうと、なかなかやめない。
諦めて、パンのかけらをエミールの口元に差し出す。
エミールがルカの手からパンを食べる。
唇がルカの指に触れる。
カサカサの唇が、エミールの心労を表していた。
「やっぱりさ、旧街道より新街道を…。」
エミールは本気でカスティエを潰したいのかもしれない。
ルカよりも遥かに遠くを見つめているエミールの額に手を置く。
「紅茶は飲まないのか?」
エミールは、眉だけ動かす。
飲ませてよ、エミールの声が聞こえた気がした。
「火傷するぞ。」
エミールは渋々、体を起こすと、チキンをルネやアルマンの分も取り分ける。
物資の不足で、肉などそうそうお目にはかかれないのだから、領主である自分だけが得をするなど許されない。
…でもこれは、ルカがせっかく用意してくれたチキンだ。
エミールは、一欠片、自分の口にもチキンを放り込んだ。




