《季節外れの熱》
2月、ルカが高熱を出したという知らせがエミールの元へ届いた。
「どうして…」
ルカは神父として、貧民街の人々に寄り添い続けていた。
近寄れなかったとしても、安全が確保できるギリギリのところまで行き、彼らのために祈った。
家の外に出ることを許されない貧民街の黒死病感染者は、ドアの前で神父の祈りを聞いていた。
エミールがやったことが、身体の救済なら、ルカがやったことは魂の救済だった。
そのような活動をしていたから、ルカが熱を出した時、皆、「もしかしたら」が頭をよぎった。
1月の半ばを最後に、アルヴァニエでは黒死病の感染者を確認してはいなかったが、監視の目が常に機能しているとは限らない。
ルカは、黒死病感染者がかつて隔離されていた収容所の一端に寝かされていた。
そこは、病院ではなく、死を待つためだけの場所だ。
「ルカ。」
口元を覆ったエミールが、ルカの額に触れる。
汗ばんだ額は酷く熱い。
エミールは、ルカの服を解くと、首周りや脇を確認していく。
そして、経口補水液の代わりに水に砂糖や塩を混ぜたものを少しずつ与える。
領主であれば患者に接するのは避けるべきだ。
世話も接触を減らすため必要最低限にすべきだ。
実際、エミールはこれまでそうしてきたし、他人にもそうするよう強要してきた。
しかし、ルカはエミールにとって、この世界でエミールが生きた人間でいられる数少ない未練だった。
「辛いか?」
ルカからの返事はない。
「随分と久しぶりだな。前にあったのは12月、くらいだったか?」
洗面器に雪を溶かし、タオルを濡らす。
そして、ルカの体を拭いてやった。
その間も、エミールはルカに話しかける。
「報告書にアンタの名前を見つけると嬉しくなった。ない時は、息が出来ないほどだった。」
エミールの頬が涙で濡れる。
「ルカ、ルカ、怖いんだ。俺を1人にしないでよ。」
ルカの手を握り、額に口づける。
「お願いだから、行かないで。」
この時ばかりは、エミールも“確率”に祈った。
意地でも“神”に祈らなかったのは、エミールらしい。
ルカが倒れてから、彼の世話はエミールが泊まり込みで引き受けた。
それを苦々しく思うものもいた。
特に、身内を看取ることすら、“エミール”に許されなかった人々は。
一方で、彼に理解を示すものもいた。
黒死病の原因を言い当て、非情とも言える政策を徹底したことで、彼らは生き延びた。
幸運もあったが、幸運の女神は、努力したものにしか捕まえられないものだから。
ド・モンフォール司教もその1人だ。
だからこそ、ルカの病をエミールに知らせた。
…エミールが、ルカの元へ行ってしまうかもしれない事は承知の上で。
それで2人とも、神が召し上げられたとしても、全ては神のご意思だ。
ルカの熱は2日ほど続き、3日目には熱が下がり出した。
そして、咳をし始めた。
「エミール?なぜ、ここにいる?離れていろ。」
あまりの衝撃で、ルカは固まる。
ルカは貧民街に出入りしている。
いつ黒死病になってもおかしくないと思って生活してきた。
だから、熱が出た時、とうとう自分の番だと思ったのだ。
「随分と冷たいことを言うじゃないか、ダーリン?お前が倒れてからずっと付き添ってやった僕に感謝はしないのか?」
ルカは、熱で頭が痛いのか、病み上がりにこのバカを見たから頭が痛いのかわからない。
ベッドから起き上がると、頭を抱える。
エミールは、これ幸いと、ルカの襟元をはだける。
ルカがギョッとして後ずさった。
「今更、恥じらわなくてもいいだろ?アンタの意識が無い間、何回見たと思ってる?」
ルカの頭痛が増す。
やはり、頭痛は、コイツのせいだ。
「さっさと見せてよ。」
そう言うと、エミールはルカの上着をひっぺがした。
「よかったね。黒死病じゃないと思うよ。疲れが出たんじゃない?インフルかなんかだよ。」
そう言うと、今更、ルカの前で手を振る。
「こっち来ないで。うつさないでよ。」
エミールが黒死病でないと言うなら、そうなのだろう。
ほっとすると同時に、エミールを見つめる。
エミールはいつからいたのだろう?
黒死病じゃないとわかって側にいたのだろうか。
それとも…。
笑い薬の時と同じ無謀さを今回も発揮したのだろうか。
答えは、聞かなくてもわかる気がした。
バカは死んでも治らないものだから。
熱が下がり、自分のことが自分でできる様になると、ルカはエミールをデュボア邸に戻そうとした。
「もう大丈夫だ。」
「ああ、そうか。僕を追い払おうとするなんて、なんて情に厚いんだろう。外は寒くて、僕の外套はこんなにも薄いのに。」
「それなら、俺のを貸してやる。」
それを聞くとエミールが心底嫌そうな顔をする。
「やめてくれ。ノミの卵は越冬できるんだぞ?そんなものを街中に持ってこられたらたまったものじゃない。春先までには、お前の服は一旦全部焼いてやる。」
「…そうか。すまない。」
なんだかんだ言いつつ、エミールはルカが回復するまで側にいた。
ルカが意識を取り戻して最初の数日は、エミールにもまだ黒死病ではないという確信を持ちきれなかったからだ。
顔を覗き込み、額や首に手を当て、熱の有無を知ろうとした。
呻めこうものなら、猟犬よりも早く飛んできただろう。
「何を見ているんだ?」
ルカはエミールの献身ぶりに閉口した。
エミールは、ルカの些細な症状の変化も見逃すまいと、トイレにまでついてくるのだから。
「見ていちゃ悪いか?」
「…。悪いわけではないが、気まずい。」
しかし、熱が平熱になって数日もすると、エミールはだらけ出した。
昼間から爆睡し、たまに起きてはルカの様子をみる。
様子を見るといっても、額に手を当てて熱を見るのと、リンパの腫れがないか首元をちょっと見るくらいの雑なものだ。
しまいには、ルカに自分の食事まで用意させた。
「良いじゃんか。どうせ食事をとりに行くんでしょ?僕の分も持ってきてよ。」
そして、歩くのさえめんどくさがった。
一体、どこに病み上がりの人間に自分を背負わせようとする奴がいるのだろう?
「教会に行くんでしょ?じゃあ僕も連れて行って。」
ルカは最初、エミールが手を突き出した意味がわからなかった。
そして、ようやく、彼の意図を察すると、頭を抱えながら説教を始めた。
「お前には足があるだろう?足は何のためにあるんだ?ここから教会まで大した距離じゃないだろう?なぜ病人に背負わせる?」
エミールはルカの腕に絡みつき、体重を乗せる。
「良いじゃんか、アンタの足は歩くためにあるんだろう?僕を背負って歩いたって良いはずだ。」
ルカは怒鳴る。
「良い加減にしろ!」
エミールは、笑いながら、それでも満足そうに逃げて行った。
ルカの口元にも、束の間の平和を喜ぶ様に笑みが浮かんだ。




