《タイムリミット》
デュボア邸の屋根の上から、エミールはアルヴァニエを眺めていた。
雪は思わぬ助け舟だったが、完全ではない。
暖かくなり、ノミの活性が上がれば、またペストがやってくる。
「旦那様、旦那様はもう子どもではないのです。いい加減、降りてくてください。」
アルマンの声が下の窓から聞こえる。
「今、考えをまとめているんだ。少し考えたら降りるから、放っておいてよ。」
エミールは、遠くに視線を投げる。
あのどこかにルカがいる。
周辺都市が壊滅している以上、他所からの感染者はアルヴァニエを目指すだろう。
アルヴァニエとて、救いにはならないのに。
「アルマン、そこに居るなら、ココアを淹れてよ。」
そう言ってから、ちょっと考えて付け足す。
「一緒に飲もう。」
目下に広がる都市は、遠目にも市内と貧困街で明らかな差がある。
生活の格差であり、命の格差でもある。
あってはならないものではあるが、今の自分はそれに救われている。
エミールは目の前の景色から逃げるように、部屋へ戻る。
自分の言葉ひとつで助かる命があり、失われる命がある。
それが酷く重かった。
同じ空の下にあるのに、平等ではない。
市内は、一つ一つの建物が独立し、道も広い。一方の貧民街は、雑然としており、貧民街自体が大きな迷路のようだ。
エミールは市内と貧困街で感染対策の基準を変えていた。
市内では、洗濯や入浴を勧めた。
各所で簡易入浴施設を立ち上げ、お湯で体を洗わせた。
意外にも、“病は悪い気からなる”という元からの価値観がこれを後押しした。
外の悪い気を纏った服や体は清めよう、という事らしかった。
日常的にやるものではないが、梅毒の治療に水銀の風呂に入るという発想もそれを後押ししたのかもしれない。
単に、黒死病を避けるための手段がある、という事が彼らの救いになっていただけかもしれないが。
貧民街では、市内より極端な対策をとった。
エミールは、貧民街を片っ端から焼いていった。
毛布も藁も、ノミが生き残りそうな場所は全て。
1人一本剃刀を与え、体毛すら剃らせた。
頭も脇も全部。
聖職者は嫌な顔をした。
「本当に全部剃るのですか?」
「そうだ。頭に毛がなくて寒いのと、家族もろとも冷たい棺桶に入るの、どっちがいい?」
エミールは容赦しなかった。
市内に入れる際は、家族ごとに10日間隔離され、感染者が居ないことを確認することを徹底した。
少しでも、外部との接触があれば、やり直しさせた。
その上で、市内に入れる際は、体を洗わせ、布製や木製、その他ノミがつきそうなのものは、袋や服すらも持ち込みを許さなかった。
そして市内に入れたとしても、町外れに用意された一角が彼らのための場所だった。
多くの人が、思い出の品を失った。
家族の形見や、生まれを示す唯一のものを。
発症は死刑宣告も同じだ。
そして、エミールが見捨てた彼らに最後まで寄り添ったのは神父達だった。
彼らの家の側まで行き、離れてはいても声は届く距離で祈った。
祈りは通じる時も、通じない時もあったが、それは大きな問題ではなかった。
「最後まで寄り添ってくれる人間」が居る事、それが、死の淵にたった人間の最後の救いだった。
ルカも祈っていた。
「神のお導きがありますように。」
何度も、同じ言葉を繰り返す。
その頃、エミールは市街の人間は、男も女も駆り出して、市内と貧民街を分ける城壁を作った。
貧民や難民が市内に流入しないように。
街道はぬかるんだまま放置された。
意図的に、アルヴァニエは外部との交流を絶ったのだ。
周辺都市からの救援依頼は無視した。
エミールにとって、カスティエ以外の救援依頼を無視するのは、心苦しいものだったが。
時間はあっという間に過ぎていった。




