《覚悟》 ※1章分飛んでます。後日追加します。
セント・クレール教会の司教室。
そこには、エミールの姿があった。
ジャン=バティスト・ド・モンフォール司教と神父たちが、石造りの部屋に集まっている。
彼らの手元には、患者への質問票が渡されている。
空気が鉛のようだった。
当たり前だ。
これまで散々協力してきたのに、最後は住民のために死んでくれと言われたようなものなのだから。
ド・モンフォール司教が重い口を開いた。
「領主は、私の兄弟たちに地獄の淵へたてと、そう仰るのですか?」
「…そうです。」
エミールは嘘をつかなかった。
誤魔化しもしなかった。
この状況で、患者の家を訪れるなんて、リスクが高すぎる。
しかし、誰かがやらねば、この地獄は余計に業火を増すだろう。
「これは、撤退戦です。勝利はない。犠牲が出るのは分かっています。そして、この犠牲を払わなければ、より大きな犠牲が出るのです。」
ド・モンフォール司教は50を過ぎた老齢だ。
自分だけならまだしも、若い神父達を危険に晒したくはなかった。
「黒死病であれば、ネズミについたノミから人にうつります。そして人にうつった黒死病は吐息を通じて他のものにもうつるのです。病の広がり方が一つではない以上、対策も困難になるのです。」
物音ひとつしない静寂。
「…病を封じ込めるには、患者がどこにいるのか把握する必要があります。健康な人間から隔離せねば、他の人間に病をばら撒くからです。患者の遺体も処分しなければなりません。布に包み、絶対に開けないようにして、石灰と一緒に穴に埋めるんです。」
「子爵はなぜ、それをご存知なのですか?」
「言えません。でも、私のこれまでの、領主としての判断を見てください。」
ド・モンフォール司教は眉根を摘む。
「それで、収まるのですか。」
「わかりませんが、これが現状できる対策の全てでしょう。あとは、神の御心のまま。」
そこにいる者達の胸の内は様々だった。
人にやらせるくらいなら、自分で行け、と思う者。
すぐに部屋へ帰り、荷造りをしようという者。
部屋に鍵をかけ、決して出ないと誓う者。
そして、避けられない被害を前に、それを食い止めようと心に決める者。
「参加したくない方は去ってもらって構いません。私はそれを責めたりしない。でも、私はここをモルヴェールにはしたくない。」
ド・モンフォール司教の眉間の皺が深くなる。
モルヴェールはかつてここから20kmほど離れた海沿いにあった村だ。人口は200人ほどで、ド・モンフォール司教も神父だった頃、何度か訪れていた。
情に厚い村で、冠婚葬祭は近所の村人同士が協力して執り行っていた。
30年ほど前、何が原因だったのかはわからない。
もしかしたら、船舶から逃げ出した鼠が原因だったのかもしれない。
突如として黒死病で人が死に始めた。
ド・モンフォール司教は、住民のために祈りに行こうとしたが、当時、姉のように慕っていた修道女に止められたのだ。
お前はまだ若いから、行くなと。
その修道女は、村人のために、持てるだけのハーブや十字架を持って行った。
そして、帰って来なかった。
後から見つかった彼女の日記には、酷い村の有様が記録されていた。
最後まで、神のお導きを信じ、出来るだけ多くの患者を救おうと奮闘した形跡だった。
患者の容体を記録し、いずれくるであろう医師達に、彼らの状況を正確に伝えようとした。
日記は彼女の死と共に終わってしまい、村が壊滅してしまった正確な原因はわからなかったのだが。
今にして思えば、あの日記の中の、病は虫刺されのような痒みから始まるという記述は、後に続く者たちへの警告だったのかもしれない。
「兄弟、私には血を分けた子どもも妻もいない。年も年だ。しかし、兄弟の中には年若いものもいる。これまで共に神に仕えてきた、家族より深い絆で結ばれた兄弟達だ。」
ド・モンフォール司教は歳を重ねた神父達をサッと見渡した。
「若い彼らに、このような事はさせたくないのだ。せめて、20に満たぬ者達は守ってやりたい。周辺の都市も、黒死病に冒されているのであれば、逃げ道などないのだ。」
…例え逃げ道があったとしても、患者を他所にばら撒く行為を、エミールは許さなかっただろうが。
「どうか共に来て欲しい。今こそ、神が与えて下さった試練の時だ。」
啜り泣きが聞こえた。
我が身を憐れんでか、これから待つ地獄を案じてかはわからない。
「それで死んだらどうなるのですか!」
1人の神父が声を荒らげる。
「どうにもならぬ。」
ド・モンフォール司教が答える。
会議が終わると、皆、思い思いに立ち去って行った。
最後には、エミールとルカが残った。
「大丈夫か?」
ルカがエミールに問う。
「お前もやるのか?」
「これをすれば、助かる人がいるのだろう?」
人目を憚り、柱の影で、エミールは、ルカに抱きついた。
「患者には触るな。近づくな。顔を隠せ。ネズミとノミに気をつけろ。」
最低限の事を再度、伝える。
エミールはルカより、10cm以上低い。
そのため、立つとちょうどルカの胸元に、エミールの顔があった。
啜り泣くエミール。
領主という立場で、ルカだけ調査から外してくれとは言えない。
ルカとて、そんな事をされても喜ばないだろう。
これが最後かもしれない。
「後で、マチューを来させる。殺虫剤の使い方はちゃんと聞いておけ。足元から虫が上がってきたら困る。裾はヒラヒラしないやつにしろ。それから、服と靴の外側に殺虫剤をかけておけ、それから…。」
ルカはエミールの体を抱きしめる。
「大丈夫だ。お前が作ってくれた、“やる事リスト”があるだろう?」
エミールの体が震えている。
「何があったとしても、俺は俺の意思で参加するんだ。気に病むな。」
そう言いながら、ルカも、エミールを抱く自分の腕が震えている事に気がついた。
あまり長くいても不審がられる。
「死ぬな。」
「貴方も。毎日、報告書を出すよ。」
エミールの唇が弧を描く。
「そりゃいいな。挿絵付きなんだろう?」
生きていても、もう暫くは会えない。
辛い別れになった。




